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イリアの世界  作者: 一集
第二章
38/75

29.災厄一日目と生存率

ばんばん人が死にます、苦手な方はご注意を。

森に居た誰もが立ち止り、同じ方向を仰ぎ見た。

すなわち、何かが起きているだろう、森の最奥を。


何一つわからず、けれどその目に浮かぶ色は不安と、恐怖。

本能が身を竦ませる。


静まり返った森には、風に揺れる木の葉の音すらしない。

嵐の前の静けさの様に。

あるいは息を潜めてやり過ごそうとする小動物のように。


どれほどの時が経ったのか、詰めていた息に、やっと苦しさを覚える頃。

何一つ変わらない様子に強張らせていた体の緊張を緩めようとした瞬間。


それは咆哮だった。

それは解き放たれたことを喜ぶ祝歌だった。

耳を劈くような、血の気の引く無数の叫喚。


地響きよりも高く、生々しい血肉を持って叫ばれる音。

人の声帯では決して不可能な音の奔流が森の奥から響く。


願いはただの願いに過ぎない。

異変は、笑って気のせいだったと終わらせてはくれない。


静まり返っていた森が一斉にざわめき出す。

人間と同じように辺りを窺っていた小動物たちが姿を現し、脱兎のごとく駆けだした。


「なに!?」


足元をすり抜ける森の生き物たち。

木々はその身を揺らし、不安を煽る。


ほとんどの人間が、吐き出しかけていた息を再び飲み込んだ。

疑いようがなく、今、何かが起きているのだ。


何をどうするべきか。

何が起きているのか。

確かめるべきか。


混乱する彼らを動かしたのは聞き知った高い音と、意志を込めた光。


音に意識を向け、天を仰ぐ。

木々に阻まれ見えなかった者もいるが、それが何かは理解する。


閃光弾。

見えないものは即座に確認に動き、見えるものはその意味を読み取ろうと目を眇める。

無意識に行動したのが良かったのかもしれない、思考が戻って来る。


色は赤。

緊急事態を示すサイン。

場所は森の奥地にほど近い。


それに応えるように今度は中程から黄色の閃光弾が上がる。

意味は実習の中止。


両方とも、最も近くに居る教師が急行することになっている、危急のサインだ。


間を置いて、まるで会話のように、森の各地から黄色の閃光弾が上がる。

さすがに他のグループも気付いた。

黄色の閃光弾を打ち上げているグループは教師を呼んでいるのではない。

これほどの数が打ち上がればとても教師の手は足りないからだ。


ならば意味は一つ。

実習を中止する。

そして取る行動も一つ。


森からの脱出だ。


集団心理か、黄色の閃光弾は追随するように増えた。

遠くでその数を確認していた教師たちはひとまず息を吐く。

ほとんどのグループの無事が現時点で確認され、その行動も同一。


赤い閃光弾からの、間を置かない黄色の閃光弾。

あの一連の流れが彼らの行動を決定づけた。

偶然か否か、あの考える間を与えない素早い判断が功を奏した。

最初に行動を起こした者が賢明であり、それに流される形だったとしても、多くの者を正しい道に導けたのだ。






赤い閃光弾を、誰もがぽかんと見上げている間に、ニールは手を天に向けて振り上げた。


「おい、ニール?」


ニールの行動に気付いた同級生の言葉には答えず、魔法で閃光弾を空に放つ。

花火の様に、ニールの閃光弾に応えて次々に上がる閃光を目にして、彼らはやっと幾分かの落ち着きを取り戻した。


大丈夫だ、みんな居る。

自分たちだけが森に取り残されたわけではない。


何一つ安心できる材料ではないが、それでも恐怖心は減るのだ。


「行くぞ」


短く言ったニールは再び迷いなく駆け出した。


「待って」


幾人かがニールの後を追うと、もう誰も残ろうなどと意見するものはいない。

こんな場所で一人残される危険性くらいは承知していた。


「ニール、一体何が起きてるの」


駆けながら同級生が疑問を口にする。

同じ場所に居て、同じ情報しか持たない者に、一体どんな答えを期待しているのかと上級生は思う。


しかしニールは簡潔に答えた。


「遺跡が崩落した。無数の魔物が湧き出てる」


無言がニールを迎え、そしてその間の分だけが事態を飲み込むために必要な時間だった。

もちろんまともな返しを出来た者はいない。

ただ聞き返すかのように口をついて出た音は誰もが同じ。


「は?」


ニールはもう、繰り返さずに口を閉じた。

ここから先は体力勝負だとわかっていた。

余計な体力は使うべきではないのだ、自分たちは狩られる者になったのだから。


だが事態を把握してない者にとっては別。

叫ぶようにニールに疑問をぶつける。


「遺跡が崩落?おい、エンドレシア!一体お前は何を言ってるんだ。遺跡が崩落するなんて、そんな話は聞いたことがない!」


廃遺跡(ドーン)ならまだしも、魔物が湧き出しているというのならそれは生きている遺跡であるはずだ。

人間に例えれば、今自分たちの肉が前触れもなく突然腐り、形を崩し始めたと言われているに等しい。


「あり得ない」


誰かが呟く。

それは全員の一致した意見だった。


グランドリエに生きる者は他のどの国も民よりも遺跡の生態に詳しい。

その全員が、初めて耳にする凶事。

思わず否定の言葉が出るのも無理からぬことだった。


「なら、別の何かが起きているんだろう」


ちらりと呟きの主を一瞥したニールは信じるも信じないも自由だとばかりに無関心だ。


もちろんニールがそれを知っているのは最も事態の近くにいたセオからの情報。

蟻の大群のように途切れなく湧き出す様は怖気を誘う光景だと、文字だけでなく伝わってきた感情が冗談ではないことを如実に示している。


数とは、力だ。

ある程度なら対処もできるが、圧倒的な物量の差は個人技でどうにかなる問題ではない。

ニールはそれをよく知っていた。


魔物が湧き出す場所を塞げないのかとメルが聞いていたが、セオからの答えは是であり否。


その理由を知れば、ニール達もこれがいかに異常な事態であるのかを例外なく理解した。


遺跡崩落は、一か所ではない。

複数個所、いや無数だと。


遺跡()崩落。

可能性は高いと、ニールは苦々しく思った。






初めに遭遇したセオに次いでランスたちのグループにも死神は忍び寄る。

ニールに続いてすぐに閃光弾を打ち、間を置かずに脱出に向けて進路を取ったのだが、体力自慢の者が多く、実習の進捗が芳しかったことが災いした。

崩落現場から遠くはなかったのだ。


迫りくる気配を、それでも初めは訝しく見ていた。

黒い点にも見えたそれらが、一つ一つ、すべて魔物だと気付いた彼らは、奇声を上げて転がるように駆け出した。

交戦の意志を持つ者はいない。


「何が起きてるんだよ!先生は!?いつ助けに来てくれる!」

「うるさい!黙って走ってよ!!」

「僕を誰だと思ってるんだ、僕が危ない目にあうわけがない、これは夢だそうだ夢だ夢にちがいない」

「もう無理よ、これ以上走れない…」

「いつまで!どこまで逃げればいいんだよ!どうやったら助かる、誰か案はないのか」


後ろからは魔物の群れ。


彼らとて、魔法を学ぶ者。

一匹であったなら、あるいは数えられるほどであったなら対処もできただろう。

だが、もはやそんな戯言に意味はない。


一匹を屠っている間に追いついてくる魔物の数は一体どれほどか。


「声は極力抑えろ、魔物にターゲットにされる」


ランスのその一言で黙りはしたが、恐慌状態が収まったわけではなかった。

背後から迫る危機ほど、人を追い詰めるものはない。


恐怖、ひたすらに恐怖。

今にも背中を鉤爪で抉られるのではないか。

それとも肩を食いちぎられるかもしれない。


追いつかれれば待つのは死だと、そんな明確な事実が終わりの見えない鬼ごっこに興じる彼らの精神をヤスリどころかナイフで削るがごとく減らしていく。


残された道は一つ。

前へ、ひたすら前進。


それと認識してから続いている追いかけっこはすでに二時間を越えた。

息は上がり、汗は全身を濡らして、乾いた喉が呼吸の邪魔をする。


「あひゃ」


音の外れた声が聞こえてランスは足を止めることなく後ろに目線を流す。

早かったと言うべきか、持った方だと言うべきか、ランスは少し悩んだ。


ちらりと視界に映った彼の精神はすでに破綻しかけている。

血走った目の中の瞳は痙攣するかのように細かく振動し、口の端には白い泡。

壊れたオルゴールの様に繰り返し奇妙な笑い声を上げながら無駄に腕を回しバタバタと駆けている。


ランスはさりげなく彼と距離を取った。

魔物に自分まで認識されるのは勘弁してもらいたい。


黙らせるまでもなく、どうせ彼らは自滅していく。

進路でも変えて距離を置くかと冷徹に考えている内に、木の根に足を取られて彼が転んだ。


けっこうな速さで駆けていた分だけ勢いが付いていた。

慣性に従ってごろごろと地面を転がり、その身は投げ出される。


「あ」


幾人かの仲間が思わぬ事態に声を上げた。

足を止めた者もいる。


だがランスは止まらなかった。

転んだ男は、打ち身に呻いて足掻くばかりで立ち上がらない。

生きるための努力をしない者に、再び駆ける意志を持たない者に、こんな時に差し伸べる手はいかな自分といえども持たない。


「ランスさま!お待ちになって、一人転びました!助けなければ!」


同グループの女が叫ぶ。


仲間意識の強い女だ。

多分、一クラスか二クラスの優秀者だろう。


「好きにしろ」

「っな!…ランスさまとあろう者がそのような事を口にするなんて!見損ないましたわ」


それは結構な事だ。

心の中で返す。


一体、元々自分の印象はどんなものだったのかは気になったが、予想するに正々堂々を信条に強きを挫き弱気を助ける騎士と言ったところか。

きっと仲間は問答無用で助けるような男だと思われていたのだろう。


だが甘い。

笑い戯れ、誰かと手を繋いで共に勝者となれる甘い世界は戦場へと転換したのだ。

少なくともランスにとっては。


ここにいるのは学園に所属する、陽気で豪胆でなんだかんだと面倒見のいい、生徒として埋没する意思のあるランスではないことを、彼らは理解するべきだ。

そして決めるべきなのだ。


「あいつを背負って生き延びる自信か、一緒に死ぬ覚悟があるなら行けばいい」


錯乱男はぎゃあぎゃあ喚きながら立ち上がろうとして、事態に気付いたようだ。

目の前に迫る死に。


「い、いやだ!うそだ!なんでだよ!なんで俺がこんな目に!助けて、誰か助けてくれよ!!神さ、」


その足に獲物を追い詰めた黒い獣が伸し掛かる。

気のせいのはずだ、骨の軋む音が耳に届いたなど。


「う、ぎゃああぁぁぁぁ――――あア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


苦痛は言葉にはならない。

ただ絶叫で魔物を集めるだけ。


呆然と彼に群がる魔物たちを見ていた女が我に返ったように苦々しい顔をした。

自分の足で歩けない者を助けたとして、どうなるかを想像したのだろう。


ランスの言葉の意味に今さら気付き、すでに駆け抜けていった彼の背を振りかえる。


簡単な問題を出された。

死か、生か。


身を賭して助ける?

そこに意味はあるのか。

自分は絶対に死ぬのに。

助けたはずの相手も死ぬのに。

足手まといを連れて、生き延びられる運も実力もない。

だから彼は言ったのだ。


「いやだ、しにたくない!だずげ、で…だれ、か、だずげ、えぐおおおお゛お゛お゛お゛!!!!」


死ぬ覚悟があるのか、と。


「…ない、わ」


言葉と共に胃の中のものが喉をせり上がり、胃液が食道を焼く。

同様の反応を見せた者はいても、彼女を非難する声はない。


生理現象で滲む視界を瞬きを繰り返してクリアにする。

強く握りしめた拳に爪が刺さって痛んだ。

まるで握りつぶす良心のようだと思う。


だが、心中なんて真っ平ごめんだと素直な心が叫んでいた。


徐々に小さくなる声に背を向け、段々と濁っていく縋るような目を振り切り、歩き出した足は、やがて駆ける速度になり、もはや屍であろう仲間から遠ざかる。

きっと幾度も夢に見るのだろうと思いながら、足はもう止めないと誓った。






体力のない者、精神力のない者は真っ先に餌食になった。

ボロボロと歯の抜ける櫛の様に減っていく。


全速力で駆けて、息も絶え絶えになった者も、覚束なくなった足を絡ませて失速。

多くの人間がいるというのに、運なく、目を付けられた者も脱落。


一人二人欠けていく。


あっと思った時には、隣を駆けていた仲間はもういない。

助けなければと足を止めたのは初めだけ。


今は、自分ではなくてよかったと安堵する。


誰かがいなくなる度に泣き叫んでいた令嬢たちも、今は悲鳴も上げない。

動揺して声を上げた仲間がついでとばかりに食われるのを見れば、それはイコール自分たちを死へと導く愚かな行為でしかなくなった。


救うための時間はない。

止まれば死。

それに気付いてからは無言。


何が起きているのか、など最早どうでもいい。

ただ生き延びることを考える。

なぜこんなことになったのかと、嘆く暇があれば走る速度を緩めないために先に乱立する木々をいかに効率的に避けていくかに思考を割いた方が良い。


どこか遠くで断末魔が響いても、耳を塞ぐしか方法はない。

自分のことで手いっぱいなのだ、誰かを助ける役目などご立派な英雄がやればいい。

そして自分は英雄ではないと悟るのはあまりにも容易な環境だった。


だが、生きている者達にとっては幸運なことが一つある。

余裕がないこと。

自分を顧みることがないこと。


近しい者の死を、嘆くことも乗り越える時間すら与えられず、ひたすら生きるために駆ける。

足が痙攣しても、止める訳にはいかない。

肺が悲鳴を上げても、日頃の運動不足を罵るために過去を脳裏に浮かべることすらできない。


考える暇がないから、罪悪感に押し潰されることもない。

思い悩む時間すら奪われたことは不幸中の幸いだった。

それは確かに彼らの生存率を僅かながら上げたのだから。


絆されたグループは壊滅の憂き目に合い、強力な魔物と出会ったグループも潰える。

対峙して交戦を試みた者は例外なく死神の咢に噛み砕かれた。

悲鳴、転倒、持久力不足、精神薄弱、死を招くルールは無数にあった。


残った者は犠牲が出る度に学んでいく。

貪欲に、生き延びるために出来る事を探す。


極限状態と言うのならこれ以外にどんな状況があるのか。


やがてその半数が消えたころ、日没が間近に迫っていた。






「ほのぼの」とかどこ行ったんでしょうね。

でも当分このノリです、すみません。

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