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イリアの世界  作者: 一集
第二章
37/75

EX.セオドール・エル・アーカンドール

グループの半分以上が一瞬の間に消えてしまった。

もし生きていたとしても、救出に費やしている時間はない。


惨劇を予感する。

見捨てる命はこれから何度も繰り返す場面の一つになるのだろう。


あまりの出来事に身動きすら出来ない残ったグループメンバー。

彼らと同じように身動きせずに、けれどセオドール・エル・アーカンドールはこんな時ですらふと仲間たちに思いを馳せる。


今日、多くの人が死ぬだろう。

目の前で。

あるいは救えるかもしれない場面で、置き去りを選んで。

それは誰かが助かりたいがための裏切りかもしれない。


大丈夫だろうか。

そのことに彼らは耐えられるだろうか。


答えは自分の中にあった。

大丈夫だろう。


今さらだった。

死は、いつも身近にある。

苦い経験とも言える、数々の記憶が、今日自分たちを救う。


「まったく、よくできている」


セオドールは嘆息した。

覚悟は胸にある。

誰かの、何ものかの死は、その行動も、思考も鈍らせることはない。


自分たちが「死」というものを誰よりも多く知っていると確信して言える訳。

ワールド・アトラスの話だ。

あれはまさしく、本当によくできた、自分たちのための(・・・・・・・・)世界だった。


それが今日証明される。


かつて、ワールド・アトラスでは人は何度でも蘇った。

自分たちが死ねば、状況は戻る。

死んだ仲間は変わらずにそこにいて、蹂躙された村もその痕跡はなく、散った命もない。

すべては元通り。

それが当たり前だった。


失敗したらやり直せばいい。

何の疑問もなく、セオドールはそう思っていた。

気付かなかった自分を責められはしない。

世界は完璧な虚飾を施していたのだ。


だからそれがあの世界の在り方だと信じていた。


疑問を抱いたのも、気付いたのも、ただ一人。

メルヴィン、ただ一人。


あの時のことを思い出すたびに陰鬱な気分になるくらいには、衝撃的な事件だった。

何を根拠にか、泣き喚きながらメルヴィンが叫ぶ。


死んだ人間は自分たち以外誰も蘇ってはいない、と。


あの血を吐くような声は一生忘れられない。


どういうことだと問い詰めれば、セオドールのAIはあっさりと答えをくれた。

それはワールド・アトラスという世界を作る、根本的なシステム。


当たり前で、効率的で、けれど自分たちにとっては残酷な真実で、そして彼らAIはそれを残酷だと捉える感情を持たず、だからそれを悲劇と呼ぶのだ。


半狂乱のメルヴィンを宥めるために、セオドールは世界の在り方を変えた。


そもそも、メルヴィンは異様に情が深い。

彼は薄情だと自分を称するが、セオドールからすれば何の冗談かと笑えるほど頓珍漢な評価だ。

そんな彼だから、懐に入れた人間には恐ろしいほどの思いを込める。


メルヴィンが大事にしている人間の全てをセオドールは把握していた。

イリアと、自分たちと、そしてワールド・アトラスの住人である男が一人。

それだけ。


一番最近、メルヴィンが身内に迎え入れたワールド・アトラスの住人の男はメルヴィンが師匠呼ぶ人物だった。

セオドールもメルヴィンの友人として彼と会ったことがある。


頑固な親爺で、職人気質で、弟子に厳しく、人に厳しく、自分にも厳しい。

不器用で、無愛想で、無口で、そして押しかけてきた弟子を諦め半分に面倒見るような男。

優秀な弟子とは言い難く、だがその常識にとらわれない発想に光るものを見つけて、歪な彼をなんとか育てようと日夜奮闘してもいた。


誰よりも優秀な鍛冶師にして錬金術師であった男の、生涯ただ一人の弟子にして唯一の後継者。

それがメルヴィンだった。


天涯孤独の偏屈な男が、初対面のセオドールに茶の一つも出してくれたのは、きっとメルヴィンを実の息子のように思っていたからだろうと思うのだ。


彼が死んだのはいつだったか。

戦争に巻き込まれたか、魔物に殺されたか、とにかくメルヴィンは彼の死に際に立ち会った。


救うことが出来なかった命を嘆いたメルヴィンは当然やり直す。

果たして、彼の師匠は変わらずにそこに蘇った。


メルヴィンは喜び、そして徐々に違和感を覚える。

生前の師匠を見知っているセオドールも、メルヴィンに頼まれて対面したりもした。


「多分気のせいだと思うけど」


そんな風に苦笑しながら、けれどメルヴィンの表情には拭いきれない不安が滲んでいた。


正直、セオドールにはメルヴィンが何に疑問を抱いているのかまるで分らなかった。

なぜなら、セオドールの知る頑固親爺は、やはり寸分違わずそこにいるから。


姿も、記憶も、確かに彼。

けれどついにメルヴィンは耐えられなくなったかのように口を開く。


あんなにも敬愛していた、親とも呼べる男に。


「お前、誰だ?」


そしてセオドールとメルヴィンは初めてワールド・アトラスの仕組みを知った。

AIが語る事実にセオドールは眩暈を覚え、メルヴィンは絶望に瞳を曇らせる。


ワールド・アトラスに存在する命は全てが作りもの。

肉体を作り、記憶を植え付け、役割を与えて、最後に魂を投影して一個として目覚める。

それが人間を作る過程。


問題は魂の投影だった。

ワールド・アトラスには無数の住人がいる。

これほど多くの人間の人格を、一つとして同じものなく作り上げる労力は一体如何ほどか。


ワールド・アトラスはそれを解決する方法として、単純に再利用を選んだ。

つまりすでに出来上がっているものを、そのまま利用しようというのだ。

それがすなわち、現実世界にいる人間の(・・・・・・・・・・)魂の投影。

そして、あろうことかそれはランダムに行われる。


いや、あろうことか、という表現は相応しくない。

当然の話と言うべきだ。

投影する肉体と魂をマッチングする必要性などどこにもない。


不都合が、ない。

その事実一つで、世界のシステムは組み上げられた。


だが、ワールド・アトラスには自分たちがいる。

失敗をやり直す機会を与えられたセオドールたち。


世界は蘇らせる。

同じ肉体、同じ記憶、同じ役割。

完璧に形作られる。


魂だけが別ものだ。

かつてその住人を作っていたパーツと同じパーツを探す方法はない。

それは星屑の一つを探すに等しい。

時間もない。

意味もない。


最初から世界は区別していなかった。

魂など、世界にとって人間を自律的に動かすための部品の一つ。

同じ肉体、同じ記憶、同じ役割を持つならば、それは同じ個体と認識した。


事実、蘇った彼らが取る行動に違いはなく、なおさら同じ肉体と同じ記憶がセオドールたちを惑わせた。


人は完璧に蘇るものだと世界は答え、彼らもまた、そうなのだと思いこんだ。


取る行動に違いはない、話す内容に違いはない。

だが、小さく、僅かでも、変わるものはある。

例えば小さな癖、例えば選ぶ言葉。

それは魂に刻まれた色が織りなす、個性だ。


そんなものに気付いたメルヴィンは、きっと、その魂の色ごと、彼の師匠を愛していたのだろう。


目の前にいる師匠は、メルヴィンが心を預けたその人ではない。


けれどAIの答えは違う。

それはその人そのものだと。

あるいはその小さな違いに何の意味があるのかと。

仮定、別人だとしても、容姿も記憶も、出来る事すら同じであるならば、それが一体何の問題になるのかと。


問う。


「事実、友人と呼び仲間と呼び、すでに何度も死に別れ、蘇り、連れ立ったワールド・アトラスの住人達を、あなた方は同一の人間と認識していたではありませんか」


問題はなかったはずだとAIが言う。


「気付かなかった時と、気付いた後では話が違う!」

「申し訳ありません、私にはその違いがわかりません」


セオドールが、彼らが人間ではないと思い知った瞬間だった。


どうにもならない世界のシステムなのだと認識したメルヴィンが取った行動は、過激で、そしてメルヴィンの情の深さをよく示していた。


「ではやり直しましょう、何度でも」


そういって、セオドールの目の前でメルヴィンは師匠を殺し、自ら命を絶った。


メルヴィンは死に続けた。

何度も何度も。

本当の師匠が、もう一度現れるまで、やり直すのだと。


メルヴィンがやろうとしていることは明確だ。

だが、一体現実世界にどれほどの人間がいると思っている?

メルヴィンは再び同じ魂が投影される可能性に縋り、セオドールはその確率の低さに戦慄した。


「メルを助けてくれ!」


これではメルヴィンの精神の方が先に死ぬと、セオドールはAIに縋った。

メルヴィンの行動をまったく理解していないAIを説得するのには長い時間がかかった。

いっそワールド・アトラスを破壊することの方が簡単なのではないかと、そんな可能性すら視野に入れて。


メルヴィンのAIも彼の精神状況が良くないことはわかっている。

しかし行動を理解できない彼らはその解決方法もまた持たない。


一方、セオドールはAIの至上命題を知っている。

その命題故に、世界の根本(システム)にアクセスする権利、あるいは議題を掲げる権利を彼らが有しているのではないかと踏んでいた。


そこが付け込みどころだ。

何一つ、人間というものに対して、彼らが理解を示さなくても、彼らはメルヴィンを救う義務がある。

その方法が杳として知れないのならば、AIたちに事実上選択肢はない。


そしてワールド・アトラスは再び形を変えた。


セオドールはそれからの長いワールド・アトラスの歴史上、最初で最後にして唯一の、世界の在り方を変えた人間となった。


最早、人は蘇らない。

蘇る可能性に縋ることのないように、同じ人間は二度と作られない。


パーティーの仲間が死んだなら、彼と出会うはずだった場所にいるのは、違う姿の、まったく別の記憶を持った、けれど同じ役割をこなせる、別の誰か。


そうしてワールド・アトラスでも、「死」は「覆せない命の終わり」になった。




だから、仲間たちはみな、死には慣れている。


「大丈夫だ」


言い聞かせるように呟いて、恐慌に陥りつつあるグループメンバーを見る。


こんな時に思うことがある。

セオドールは、ワールド・アトラスの在り方を変え、メルヴィンを救ったが、その実、救われたのは自分だったのではないか、と。


イリアが教えてくれた言葉の一つに自分を長く縛ってきた過去を示すものがある。


心的外傷(トラウマ)と言うらしい。


セオドールは仲間が好きだった。

メルヴィンのように盲目的ではないけれど、彼らと世界を秤にかければ明らかな結果が生まれるほどには彼らを大切に思っている。


それでもセオドールは自分を孤独だと思っていた。

どうしても、超えられない壁。

疎外感。

そういうものが、彼らと自分とを隔てている。


理由は明らか。


自分が人殺しだからだ。


まだほんの15、6年ほどしか生きていない自分にとってすら遠い昔と思える過去。


それは衝動ではなかった。

明らかな殺意だった。


かつて、セオドールの両親はおしどり夫婦と呼ばれる程、仲が良かった。

父は愛妻家で息子を溺愛し、自分たちのテリトリーに他人が入ることを嫌がって、住込みの使用人すら雇わない、家庭を殊の外大事にする男。

母は美しく、優しく、情が深く、家を立派に切り盛りする家庭人だった。


表面上だけのこと。

なんてことはない、良くある話。


父は死んでしかるべき男だったと今も思う。


使用人は夕食を作れば帰っていく。

なぜか?

見せられないものがそこにはあるからだ。


嬲り者にされる母は、それでも懸命に息子だけは守った。

貞淑な母はいつも肌の露出を極力抑え、その身持ちの固さを謳われたものだけど、彼女はそうせざるを得なかっただけ。

痣だらけの体はいつも強く息子を抱きしめる。


階段の下、ゆっくりと笑みを湛えながら降りてくる夫を見上げ、母は怯えたように動けない。

これから起きることなど明白で、母の顔色は白を通り越して青く、そうしてセオドールはその日、階段の上から父を突き落した。


階段を転げ落ち、動かなくなった父の横を抜け、母の呼ぶ声に応えてセオドールはその腕に飛び込む。


「大丈夫よ、セオドール。あなたは何も心配しなくていいわ」


母にとって、夫の突然の死に動揺しても、息子だけは相変わらず守るもの。

あの男が自らのために作り上げた家庭円満の虚像は、いとも簡単に母とセオドールを事故で夫を亡くした可哀そうな母子に仕立て上げてくれる。


実家に出戻った母とセオドールを、祖父母は温かく迎えてくれた。


イリアたちと出会ったのはこの頃だ。

大切な友達が出来たことを、母も祖父母も我が事のように喜んでくれた。


やがて幾年かの後、後妻ではあるけれど本当に優しい貴族に望まれて母は再び嫁いだ。

相手の貴族も母も、共に家に入ることを望んでくれたがセオドールは年老いた祖父母が心配だと理由を付けて断った。


これ以上、母の幸せの邪魔にはなりたくない。

相手貴族には亡くした前妻の残していった幼子がいたこともある。

血の繋がらない自分を養子に迎えて、やがて子供たちと家督争いに明け暮れるのは御免だ。


母にはこれほどいい環境もないだろう。

彼女は子供が好きなのだ。

セオドールは時々母を訪ね、子供たちと遊び、そして幸せそうに笑う彼女を見るのが好きだった。


もう彼女の人生に重荷(自分)はいらない。

寂しさはない。

幸せを喜ぶ心だけがある。


だが結局、母は自らの子を生むことなく、床に着くことが多くなり、そのまま衰弱するように亡くなった。


多分、自分のせいだろうとセオドールは思っている。

まだ若かった母が二度と子を儲けなかったのも、その死すら、セオドールの罪が心を蝕んだ結果ではないかと。


どこまでも、いつまでも付きまとう影。


死の床に着いた母は、セオドールに穏やかに愛を伝えた。


「夫には内緒よ?あなたを生んだこと。あなたがわたしの息子であること。それが一番の幸せだったわ」


学園に入り、セオドールを支えてくれていた祖母も亡くなった。

そのあとを追うように、祖父もまた一年前に逝ってしまった。


「セオドール、さみしがりの坊や、どうか幸せになって」

「お前を一人にするのは心配だ、心配でどうにも死にきれない」


彼らもまた、愛を置いて行った。


「大丈夫、おれには友達がいるから」


セオドールは彼らにそう伝えた。

心の底から、欠片の偽りもなく伝えられた言葉に、彼らは満足して微笑を残した。


もう一人ではない。

母を亡くしても、祖父母を失っても。


その頃のセオドールにはもう、かけがえのない友がいた。


ワールド・アトラスの変化を一番喜んだのは多分罪深い自分だろう。

死が、死になった。

それだけの事実は、大切な友人たちを懊悩させた。


国家間戦争も、生き残りをかけた種族間争いも、ワールド・アトラスでは頻発する。

これまで簡単に狩りとってきた命が、唯一無二の命になったことで、彼らの剣先は劇的に鈍った。


人が死ぬ。

殺したのは、その手。

自分。


本当に殺さなければならなかったのか。

他に道はなかったのか。

奪う覚悟はあったのか。


セオドールの心は歓喜した。

やっと、同じ場所に来てくれた彼らを、心から歓迎した。

もう彼らと隔たる壁はない。


その手は同じ色に染まり、その苦悩を共有し、その歩みを共に。


やがて彼らは再び剣を取る。

覚悟を胸に、背筋を伸ばし、乗り越えていく。


いいのだと言われている気がした。

それは乗り越えるべきものだと、言われている気がした。

一緒に行こうと、呼ばれている気がした。


「おれも、いいかな」


彼らのように、囚われることをやめてもいいだろうか。

すべてを過去に。


もう、歩き出したいのだ。


「いいんじゃないの?」


答えは不意に隣から聞こえた。


「僕は、そうする」


強い目で宣言した友。

その言葉で初めて気づいた。


瞠った目から流れ落ちる。


多分、セオドールは初めから一人ではなかった。

もう一人、いたのだ。

過去に囚われた者が、すぐ傍に。


「ごめん、気付かなくて」


一人殻に閉じこもって、孤独に身を震わせて。

目を凝らせば、手を取り、温もりを分け合えた友人がそこにはいたのに。


一人にしてごめん。

さみしさに気付かなくてごめん。


彼は肩を竦めた。


「別にいいよ。だって、今はみんな一緒だ」


セオドールはワールド・アトラスの明けていく空を挑むように睨む友たちの背を見詰めた。

ニールと、肩を並べて長いこと。


誰かと同じ場所に立てる幸福を想った。





「な、な、な、なにが、なんで、こんなことに!」


目の前の惨状に呆然自失していたメンバーがやっと時を動かし始めた。

彼らと同じく身動き一つしなかったセオドールだが、特に動揺はない。

友に思いを巡らせる余裕すらあった。


警告は伝わった。

次にやることは一つ。


「さて、おれも生き残る努力をしないと」


セオドールはのん気に伸びをする。


目の前で、叫んでいたメンバーはもういない。

血だまりだけが残っていた。


頭上から伸びてくる影を指さして、尻餅をついた少女が絶望を示している。


「大丈夫」


誰にともなく呟いた。


大丈夫。

何があっても、自分たちは、乗り越えていくだろう。


「い、いや!こっちに来ないで!誰か助けてー!」


――他の誰かが生き残れるかは別にして。


自らが生き残る覚悟は、出来ていた。






セオだけ貴族位を継いでいる模様。

アーカンドール男爵。

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