EX.メルヴィン・ウル・クラーク
彼は自己評価が低い。
仲間内での彼の重要性は彼以外の誰もが認めていたというのに、当の本人はあまり自覚がない。
どうしてか?
「だって、私、おかしいでしょう?」
何を当たり前のことを、とメルヴィン・ウル・クラークは穏やかに笑うのだ。
メルヴィンも生まれた時から自覚していたわけではない。
けれど、成長するに従い、周りとの接点が増えるたびに疑問も増えていった。
メルヴィンは所謂『良い子』だった。
大人の言うことを良く聞き、良く理解し、行動を弁える子供。
例えば同じ年頃の子ども達が集められたとして、いつもメルヴィンは世話役に回る。
だから賢い子供、というのが周りの評価。
そんなメルヴィンであったが、大人が言うように、自分が賢いとはとてもではないが思えなかった。
なぜなら、世の中はわからないことであふれている。
特に同年代の子ども達の感情の爆発は理解し難い。
どうしてだろう?
なぜ、言うことを聞かないのか。
なぜ、感情を制御できないのか。
なぜ、我慢が出来ないのか。
自分が当たり前に出来る事が彼らには出来ない。
その理由がわからない。
疑問は疑問のまま、メルヴィンの時は経つ。
その頃、メルヴィンは少々対処に苦慮していることがあった。
両親の自分を見る目がおかしい。
どこを見ても、同じような目を向けられている子供はいない。
参考にするものがないから、状況が不穏だとわかっていても行動ができない。
けれど、答えは唐突に差し出された。
両親から離れたがらない子ども。
その子どもに向ける両親の慈愛の目。
パーティーの隅での一幕は見慣れた光景だった。
昔はあの目を自分も得ていたような気がすると思い返して、メルヴィンはやっと気付いた。
両親の目に込められた感情の色。
あれは困惑。
得体のしれないものに向ける生理的恐怖。
理解し難き者に対する忌避。
そうして、メルヴィンは真実に行き着いた。
異端は、自分だ。
なぜ言うことを聞かず、なぜ感情に振り回され、なぜ我慢ができないのか。
疑問に思う子どもはいない。
疑問に思う大人もいない。
なぜならそれが当たり前で、それが普通で、それが子供という生き物だからだ。
故に、疑問に思う自分は、共感できない自分こそは、逸脱している存在であるのだろう。
そう、メルヴィンが抱くべきだったのは、他人への疑問ではなく、自分への疑問であるべきだったのだ。
なぜ言うことを聞き、なぜ感情に振り回されず、なぜ我慢を苦痛と感じないのか。
答えは初めからそこにあったかのようにメルヴィンにはわかった。
―どうでもいいからだ。
大人が自分を利発と称する行動は、メルヴィンにとって苦痛ではない。
両親と離されることを嫌がる子供たちの行動には、それを良しとしない熱を持った感情が小さな体に押し込められている。
その熱が、メルヴィンにはなかった。
感情に波はない。
だから言われた言葉に逆らう意味もない。
だから従う。
傍にいる自分の両親を見上げる。
目線に気付いた両親は引きつった顔を取り繕って笑顔を向けた。
「ど、どうしたの?メルヴィン」
その目にすら、そんな目を向けられることにすら、痛みはない。
彼らが両親だと認識は出来るのに、湧き上がる感情の一欠けらも見出せない。
なんと言うことだろう。
自分は明らかに異常だ。
生んでくれたこと、育ててくれていること、貴族としては十分に両親から向けられる愛情も感じていたというのに。
ありがたいと、思う心もある。
なのに、彼らの存在が心を揺らすことはない。
感情に繋がらない。
ぼんやりと思った、たった一つの残酷な感想。
―なんてかわいそうな両親。
それは憐みだった。
せっかくの息子がこんな欠陥品で申し訳ないと思うのに、そこに付随する熱も痛みもない。
せめて秘匿されるべき事実であろうと、メルヴィンは健全な人間として発露されるべき感情の起伏を演じはじめた。
普通の子どもを真似てみることにしたのだ。
メルヴィンは憐れな両親のために仮面を被った。
ハズレを掴まされた不運な彼らに、出来る限りのことはしてやるべきだ。
効果のほどは覿面。
両親は喜んだ、泣くほどに。
善良な人格だと思う。
普通と違う息子を受け入れられないことに人知れず苦しんできたのだろう。
メルヴィンの在り方はそれほどまでに彼らを不安にさせていたらしい。
感情を演じるたびに笑顔をよみがえらせていく両親。
それを嬉しいと。
――本当に思えたらいいのに。
けれど演じる自分は本当の自分と取って代わることはなかった。
残念なことだが、多分、それが自分という人間なのだと、メルヴィンは自己を認識する。
薄情者。
それが長らくメルヴィンの、自分自身に対する評価だった。
「お前ほど他人と自己評価が違うやつも珍しい」
自分はおかしいからと口にしたら呆れた顔が帰ってきた。
「自己評価が高すぎて現実と折り合いがつかない奴はよく見るけど、その逆はたしかに珍しいかもな」
「とにかく、考え方がかたっ苦しいんだよ、お前」
「せめて真面目と言ってやれ、真面目と。」
同意に乗せて軽口を挟んでくる友人たちに面食らう。
なぜだろう、自己分析は得意だ。
長らく考えてきたことだ、言葉を受けて考え直してみても改善点は見当たらない。
家族に恵まれなかったわけでもなく、生活に不自由していたわけでもなく、足りないものがおよそ思いつかないほどには充実した環境の中を生きてきて尚、決定的に欠けたものを抱えるその身。
「どう考えても人間の出来損ない、のような気がするのだけどね」
神が泥を固めて人型を作り、風に晒し火で焼いて、水で潤し、闇で眠らせ瞳に光を灯して、魂を込めたというのなら、その工程のどこかで不備が生じたのではないだろうか。
「出来損ない……」
まるでその言葉の意味を確かめるように、あるいはその言葉の意味を取り違えていただろうかと確認するように、友人たちは一様に呟きながら宙を見上げた。
「「「………どこが?」」」
それはそれは固い顔で、心底疑問に思っていることがわかるような顔で、メルヴィンを見た胡乱な目の数。
「ふふ」
揃えたかのような表情と意図せず奏でた疑問符のハーモニーに、知らず漏れる笑いがある。
柔らかで暖かな熱を感じた。
思えば、異常を抱えるのは自分だけではなかった、とメルヴィンは思う。
例えばイリアは世界に対して異常なまでの無関心を。
例えばニールは姉に異常なまでの執着を。
例えばウィルは家に異常なまでの嫌悪を。
例えばシリルは生まれた時より縁のないはずの攻撃性を秘めていた。
だから安心したのかもしれない。
だから居心地がよかったのかもしれない。
メルヴィンの身の内に初めて潜り込んできたのは、生んでくれた両親でもなく、血を分けた兄弟でもなく、自分と同じくどこかおかしいイリアと友人たち。
自分の人生で、僥倖と呼べることがあるのなら、彼らと出会えた事こそを言うのだ。
「友達」と呼べる存在は初めてで、口にする度にそれはメルヴィンに感じたことのないくすぐったさをもたらした。
今湧き出す形を持たない何か。
じんわりと体を巡る何か。
多分人より小さいけれど、それでも揺れる『心』を感じる。
それは大事なことだった。
メルヴィンにとって、死ぬことより大切なことだ。
長らく、波風のない湖面のように動かなかった水鏡。
そこに少しでも湧き出すものがあるから、メルヴィンは必死に目を凝らす。
演じない心がそこにはある。
メルヴィンはそれが嬉しかった。
イリアの話を思い出す。
熱とはエネルギーの一つなのだと戯れに話してくれた事。
エネルギーとはあらゆる事象が起こるに必要な仕事量を示す物質量だという。
つまり魔法も、きっとエネルギーの形態の一つであるのだろう。
エネルギー保存則が成り立つのだとしたら、魔法は魔力をエネルギーに発動した事象であるはずだが、それにしても自分たちが使う魔術は魔力に対して大き過ぎる効果を得ている気がしてならない。
「今なら、実験中の魔術も成功しそうな気がするな」
「何を突然」
唐突に話を変えたメルヴィンに怪訝な顔が向けられた。
けれどメルヴィンにとっては根拠のない話ではない。
話の流れも、彼にとってだけは自然なものだった。
「私が『人でなし』ではなくて、『薄情者』だったという話です」
今、心が揺れたのだ。
それは人でなしではない証拠に他ならない。
感情とは、心とは、それすなわち人間と呼ぶのだと、メルヴィンは疑っていなかった。
だから『心』を感じることは、生きる価値を得ることと同義語。
心に熱が宿った。
そう、例えば、この胸に生まれる熱。
これもまたエネルギーだと言えはしないだろうか。
イリアが教える魔術は強く、大きく、魔力だけで説明のつかない事象を現実とする。
頭脳派を気取るメルヴィンが主張するには少しロマンチック過ぎる気がするから、それに対する自分なりの答えは口に出したことがない。
けれど、説明がつかないのならば、イリアが自分たちに教えたのはきっと魔力を効率的に使うことだけではないのだろうと思う。
例えば、無限に湧く感情を燃やす方法がそれだとしても不思議はない。
メルヴィンは思っている。
魔力と共に糧にされているのは心に宿る熱ではないだろうか。
感情とは、人間に与えられた唯一無二の無限エネルギーだ。
なぜなら人が人である限り、感情は生まれ、尽きることはない。
心とは、ある種の独立したエネルギー製造機関ということはできないだろうか。
「薄情者って、自分の事か?」
「そうですよ、それ以外に誰がいると言うのです?」
「俺が知る中で、お前ほど情が深い奴もいないと思うがな」
「……どこをどう見て、何をどう考えたらそうなるのですか?目が悪い?それとも頭?」
反論された方は怒る以前に呆然と目を見開いた。
「言っても無駄だ。こいつ、心底真面目に言ってるわ」
目も当てられないと友人がいまだ呆然自失している彼の肩を叩く。
「…なあメル。お前さ、俺たちが例えば…ええと、裁判で処刑を言い渡されたとして、どうする?」
「当然、助けますよ」
「無実の罪じゃなくて、だぞ?」
「死んでも助けますよ?」
「なら、助けたら、他国と戦争になるとしたら?」
一体何を彼は聞きたいのか。
答えなら最初から言っているというのに。
「何がどうなろうと、助けますよ?」
首を傾げてそれでも答えを求められるからメルヴィンは口にする。
当たり前で、明確で、ありきたりの、普通の答えを、繰り返す。
「…これで自分を薄情者とか言ってる意味が分からないんだが」
「だがらメルは自分はおかしいって言ってるんだろ?」
「違う、メルの話は『薄情者だから自分はおかしい』って話だった」
「ってか、この問答に何の疑問も抱いてないぞ、あいつ。」
友人たちが何やら傍でうるさいが、メルヴィンは一つもおかしいとは思わない。
「薄情者にも情はありますよ。薄いですがね。」
ゼロか1か。
あるかないか。
メルヴィンの心を傾け得るものは少ない。
限りなく少ない。
だから、『その他』を切り捨てることに躊躇いがない。
なるほど、薄情とは言わずとも歪ではある。
が、『1』である自分たちは、『その他』ではない自分たちは、絶対に切り捨てられない側で、どうしたって彼を薄情者だなんて言える訳がないのだ。
「あなた達は私の貴重な熱源です。自分にとって他人より価値があるのは当たり前でしょう?」
彼らは自分が人間である証左。
何も生まれないはずの心を動かす、メルヴィンの生きる意味なのだ。
「つまり、何か、俺たちが大好きだって話か?」
「他には何もいらないくらい大切だってことでしょ?」
「ま、悪く言っても愛の告白にしか聞こえないな」
他の何物にも代え難い、失えない命なのだと言われていると、理解出来ないものはいない。
当の本人以外は。
「一体いつ、私がそのようなことを?」
どう意訳したらそんな結論に至るのか。
頭痛を耐えるような仕草でメルヴィンが呆れた声を出す。
「いま言ったよな?」
「言った」
「確かに聞いたよ」
「まあ、とっくに知ってたけどな?」
「これが無意識だってんだから怖いね!」
こんな時だけ異様な団結力を見せる彼らはメルヴィンをダシにとても楽しそうだ。
ならば、からかいの種になるのも我慢しようではないか。
反論の口を閉じたメルヴィンに悪戯っ子のようなからかいの色を含んだ目が向けられた。
「メル、大丈夫だよ。変でも、歪でも、おかしくても、それこそ狂っていても、メルはメルだから」
「そそ、そんでもってメルがメルならぼくたちはそれでいいんだ」
「メルが何と言おうと、俺たちの知ってるメルが本当のメルってこと」
「自分が何者かなんて阿呆なこと、悩む前に聞けよ。俺たちが教えてやるのに」
自分は心のない化け物かと、思っていたのだ。
人間の群れの中に紛れた人型の泥人形なのではないかと、本気で思っていた。
彼らといると、心が灯る。
心の在り処を示すのはいつも彼らの言葉。
橙の柔らかに瞬きを繰り返す、これは、『嬉しい』という感情だ。
はじめて心動かされた、あの時の感動を忘れない。
心が動く、今この瞬間が奇跡だということを、メルヴィンは知っている。
ああ、失えないなあ。
つくづく思う。
エネルギー源で、人間である証拠で、生きる意味で、無二の存在である彼ら。
きっと自分が本当の怪物だったとしても、それをメルと呼ぶだろう彼ら。
――失ってたまるものか。
だからメルヴィンは数えられるほどしかない、自分の心を動かすものを守りたいのだ。
ワールド・アトラスの師匠の話まで書きたかったのですが、行き着きませんでした(´д`)
また後日にでもリベンジできたらいいなー。




