EX.シリル・エル・タリルタロス
シリル・エル・タリルタロス。
彼はタリルタロス家の末っ子として生まれた。
タリルタロス家は数いる子爵家でも割りと名の知れた家名だ。
何が知られているかといえば、その容姿と性質である。
血なまぐさいだとか、謀略だとか、そんなものとは正反対の印象を抱かせる言葉。
例えば、お菓子、それから綿毛、あるいは小動物の名を挙げる者もいるかもしれない。
見た目から兎に例えられることが多いだろうか。
イリアが目にすればズバリ、綿菓子一家、と言ってくれたことだろう。
父も母も、揃って背が低く、雰囲気は柔らかい。
そしてその性格も容姿を裏切らず温厚。
そんな容姿と性質は代々受け継がれ、タリルタロスの名は『愛される者』として広く知られている。
つまり、シリルには残念なことに、最初から彼には背が伸びる要素がなかった。
この家は、あまり血に悩むこともない。
多産でも知られている一族であり、当代も例外なく子どもに恵まれた。
彼らの子供たちは揃って母の薄紅色の髪を受け継いで、それはそれは可愛い子どもたちだった。
『タリルタロス』の名に相応しい、人形と言うよりはぬいぐるみのような愛らしさを振りまいて、周囲の人々を虜にした。
タリルタロス家の特徴は綿菓子のような容姿と温厚な性格と、多産であること、その他にもう一つある。
女系一家であるということだ。
男系継承が推奨されているこの国では珍しく、長女が婿を取る形で存続しているタリルタロス家だが、それすら特例として蔑まれることもなく成り立っているところにこの家の特異性があるのかもしれない。
逆に何代かに一度、男子が家を継ぐことがあるときには人々の口に上るほどの珍事として扱われるのだからその程度がわかる。
今代の当主夫婦もまた、女系の名に相応しく女の子ばかりを生み落したがそれに対して特に不満もなく、幸せな家庭を長らく築いてきた。
長女が婿を取って家を継ぐことが決定した後に生まれた、長男にして末っ子であるシリルの存在があってもそれは変わらず。
他家ならいざ知らず、タリルタロス家では長女が家を継ぐことに否やはない。
エンドレシア伯爵家では男子の血を繋ぐ為に、平民として過ごしていたニールを探し出したほどの事態が、タリルタロスにかかれば些末事に変わる。
シリルと言う、降って湧いた幼い男児の存在は不穏の影を踏ませすらしなかった。
代わりに、両親にとって初めての息子、また、年の離れた姉たちにとっても彼は玉の子でありその愛はシリルの身にこれでもかと降り注ぐことになった。
彼の容姿は姉たちと同じく、母の血を色濃く継いで、お人形のような可愛らしさ。
今となっては姉たちより少々灰味が強く、父寄りになってきた髪の色には深く感謝しているが、当時はまだ桃色の色素が濃かったのだ。
夢中にならないわけがない。
蝶よ花よ、人形よ。
「シリル、わたしたちのかわいいお人形さん」
とは当時のシリルの可愛がられ方をよく表す言葉だ。
大分大きくなるまで自分が男だと気付かなかった、と言えばその程度がわかるだろう。
着せ替え人形のように、毎日着ていたのは姉たちが選んだおさがりのドレス。
誰かの腕の中にいた以外の記憶がない。
これでもかと愛されて育った。
望む以上の愛を注がれ、満たないことを知らず。
そんな彼だから性格は引っ込み思案、照れ屋で恥ずかしがりの甘えん坊になった。
おずおずと母や姉のドレスの後ろから顔を出して頬を染めるだけで、労なく女性たちの盛大な関心と母性愛を勝ち取ってきたのだから当然とも言える。
シリルの表の性格はこうして形作られた。
柔らかな檻は心地いい。
愛を得るためにそれなりのあざとさもあったと思う。
多くの愛に囲まれて、構われない時間すらなく、不満もなく。
それに気付いたのがいつだったか、シリルは覚えていない。
それくらい最初からあったものなのか、あるいは馴染みすぎるほどにそばにあったのか。
暖かな腕の中に包まれて。
何もかもから守られて、安堵の中に眠り。
けれど、ふと。
シリルは胸の奥になにかがあることを思い出す。
不安とは違う、焦燥とも違う、ただ形を持たない靄のような『何か』。
「おかあさま、おねえさま。ここらへんが変です。これはなんですか?」
「まあ、かわいいシリル。痛いのは胸、それともお腹?大変だわ、お医者さんを呼びましょう」
「…いたい?…おねえさま、それはなにかちがう気がします」
「困ったわ、シリル。わたくしたちにはわからないの」
「とにかくお医者様に見てもらいましょう、万が一があったらいけないもの」
「ええ、そうしましょう。こちらへおいで、シリル」
それが何か、答えは長い間出なかった。
シリルに正も負ももたらさない、毒にも薬にもならない、何のためにあるのかもわからない、訳の分からないモノ。
無視をし続けて数年。
何一つ変わることのない不確かなそれは、答えを出そうとするにはあまりにもシリルにとって無害でありすぎた。
誰もが生まれた時から持つ当たり前のものなのかもしれないと、何となく受け入れていた頃。
転機はとある姉弟との出会い。
ニール・ウル・エンドレシア。
最初こそ社交界でも庶子と侮られていた彼は、今となってはシリルたちの世代を代表する貴族となった。
シリルがニールに近づけたのは育ててくれた人々のおかげと言ってもいい。
憎悪や蔑視や敵意、すべての悪感情から遠ざけられて育ったシリルにはニールを侮る心がなかった。
ニールはその生い立ちからそういった感情には殊更に敏感で、潔癖だった。
シリルはニールの厳しい観察眼に適ったのだ。
心躍る出会いだったと、今も思う。
聞いたこともない、知らない遊戯に夢中になって、そして招かれたエンドレシア邸で彼女に会った。
多くの出会いを経験するシリルの人生。
後にその全てを顧みても、やはり最も影響を与えたのは彼女、イリアだとシリルは断言できる。
イリアと引き合わせてくれたこと、シリルはニールに心から感謝している。
得て、やがてそれが当たり前になって、そんな今ならわかるのだ。
彼女が自分にくれたものが何なのか。
普通に貴族として過ごしていたなら絶対に得られなかったものをくれた。
それは魔力を操る技術や見たことも聞いたこともない魔術ではない。
イリアの城は、血も、身分も、育ちも、心の在り様も、何一つ考慮されない平等の庭だったから、出会った当初はひどく戸惑ったものだ。
武装を許されないあの場所では、裸の心は心許なく、まるで目隠しをされて剣の前に身を晒しているような気分にさせられる。
我が身可愛さに逃げ出さなかったのは、子供心に他の誰もが同じ状況だと気付いていたからだろう。
自分だけ根をあげるわけにはいかない、少年たちの意地。
同年代の少年と接することはとても疲れることで、何もかも自分の思い通りにはならない。
それはシリルに限らず、社交辞令で心を覆い隠すことを最初に覚えさせられてきた貴族子息全般に言えること。
距離を測りかねて、寄れば誰かを傷つけ、触れば誰かに傷つけられた。
けれどいつか知る。
得難いモノを、手に入れていること。
それは痛みを引き受けなければ得られなかったものであること。
それは互いに手を伸ばし、心を晒す苦痛を乗り越えなければ得られないものであること。
「よし、シリル行くぞ!」
「ちょっと待って、あっち見てよ!ほら、グレンが怒ってるよ!」
「なんだ、臆したか、シリル?」
「そんなんじゃないってば!もう、殴られても知らないからね!」
「そん時は共犯だぜ?一緒に殴られろよ?さ、行こうぜ」
「あ、こら!もう!……仕方ないなぁ」
この貴族社会に生きている限りほとんど成し得ない奇跡はシリルの身に降った。
憂うことなく笑い合える友、背を預けられる仲間、気に食わないことを相手に口に出せる信頼。
彼らと遊ぶことは姉たちとお人形遊びをしているより刺激的で、時間を忘れるほどに夢中になったものだ。
もちろん家族を疎んだわけではない。
与えられる無償の愛はいつでもシリルの心を満たし、それに応えようと思うだけの愛がシリルにはあった。
その頃からだ。
あの不可思議な『何か』が存在を主張するようになったのは。
長年そばにあって、変わることなく、シリルを苛むことなくそこにあった『何か』。
強く、その存在をシリルは意識する。
エンドレシア邸を後にする度に、アレがやってくる。
ずっと変わらなかったはずのあの『何か』が、眉を顰めさせるほどの強さを伴ってシリルを苛み始めた。
『何か』が、ついにその本性を現し、負に転じ、毒に変わったのだと思った。
それでもエンドレシア邸を訪ねることをやめなかったのは、それ以上の、心を向けるものがそこにあったから。
シリルにとって、彼らとの時間は決して失えないものとなっていた。
だが、エンドレシア邸から帰ってくる度に浮かない顔をするシリルに、家族たちはひどく心配したようだ。
態度に表していたつもりはなかったのだけど、さすが家族と言うべきか。
「シリル、あなたのかわいい顔を曇らせているのはだれ?」
「わたくしたちに教えてくださいませ、何もできなくとも話を聞いてあげることはできるわ」
シリルは優しい家族に抱擁で返した。
ここは居場所だ。
大切な、シリルの帰るところ。
「お姉さま、お母様、ぼくは大丈夫です」
「シリル、せめて心配くらいはさせてちょうだい」
「みんなはぼくに甘すぎますね」
「シリルがいい子だからよ」
柔らかな胸から顔を離し、似た顔を近付けて笑いあう。
「いとしいシリル、寒いときは温めてあげる」
「かわいいシリル、辛いときは抱きしめてあげる」
「やさしいシリル、悲しいときはずっと傍に居るわ」
『何か』がぶわり質量を増した気がした。
ここは、愛する家族の作る暖かな家は、正当な、自分のあるべき場所だ。
そう、心に刻む。
「ありがとう」
緩く目を瞑って言ったその言葉に嘘はない。
けれど、胸の奥底で眠っていたソレはもう、目を覚まそうともがき始めている。
家族のくれる心地良い暖かさを、シリルは困ったように受け止めた。
年を十数える頃のことだ。
唐突に答えを見つけた。
目の覚めるような、蒼天の下での出来事。
青い森と、青い湖と、青い空が目を焼くように鮮やかだったことを覚えている。
ルカリドの森での出来事。
その日、シリルは運命と出会った。
運命を変える、魔法と。
いや、運命を捻じ曲げる魔術と。
重力魔法。
空を飛ぶ、魔術。
誰も成し得なかった、飛行魔法の正体。
イリアが踊るように空を翔ける。
川の流れのような魔力が、その束が、渦を描く円環が、零れ落ちる文字列が、シリルには見えていた。
何一つ、把握できないことのないその魔術。
シリルは瞬き一つせずにそれを見ていた。
喜びより大きく。
恐怖より深く。
過ぎ去る記憶の中に微笑む愛を見る。
けれど、それらは嵐のような感情の波に浚われて、一瞬にして押し流されて消えて行った。
それを悲しいと思えない自分に諦念が生まれる。
そんな感傷すら一瞬。
抵抗しようという気さえ起きない、暴力的な熱が胸の中を暴れ回っていた。
揺さぶられる感情の名前をシリルは知らない。
決壊しそうな感情に、足を踏みしめる。
ぽつりと心から言葉がまろび出た。
熱い息と共に、シリルにとってはただの真実が声になっただけの事実確認。
「…ぼくの、魔法だ」
その言葉が聞こえるはずのない中空から、イリアがシリルを見た。
やってみろとは言われなかった。
言われるまでもなく、飛行陣が足元に広がる。
握っていた拳を解き放てば、濃密な力が垂れ流され。
望みを叶える方法を願えば、視認できるほどに圧縮された歪みのない円が浮かび上がる。
考えるでもなく作り出される、幾重もの円環。
それは純粋なる重力魔法。
発動呪文はいらない。
シリルの魔力は、呼吸をするかのように、それに置き換わる。
初めから知っていたかのように、シリルはどうすればいいかが分かった。
口の端を釣り上げる。
銀紅の髪がゆらり。
灰銀の瞳は空を見る。
その色を映して、シリルの目は空色に輝いた。
全身の細胞が目を覚まして、燃えるような熱さを覚えた。
ゆっくりと立ち上る浮遊感。
地面を踏みしめていた足の裏が、徐々にその接地面をなくしていく。
不思議と恐怖はない。
けれど。
―時が来た!
と歓喜が、いや狂喜が全身を覆うから。
どん、と胸の奥が鳴る。
その度に、みしりと歪む音と、ぴしりとひび割れる音。
亀裂の向こうから、叩き起こされた何かが低く、唸り声をあげた。
隙間から銀色に輝く凶器を見た気がする。
それは、いまにも飛び出そうと力を蓄える。
耳に響く声を聞いた。
うるさく、がなるような声。
胸が痛んだ。
内側から叩く音と衝撃が、シリルの目を眇めさせる。
体を突き破るのではないかと臆するほどの衝動が身の内から湧き出た。
胸の奥で響く声は最早、明瞭。
――出せ!
と叫ぶ声。
――ここを出せ!
と、胸を叩く音。
――この檻を開け!
と、何かが吠える。
耐えきれなくて、口を開く。
あるいは、出て来い!と、解放を叫んだのかもしれない。
「………っ!」
飛び出した声は音にすらならず、けれど空気を震わせる。
気付いた時、シリルは空にいた。
眼下には緑萌える大地。
呆然と見渡す光景の意味を、長い時間をかけて把握する。
生きていた時間を凌駕する感情がシリルの体を通り過ぎて、シリルは唯一許された表現でそれを示す。
「…ふ、…はは、」
笑う。
小さな声は、やがて空を震わせた。
「あははははははっははははは!あは、はははははっははは!」
感情が声になり、口から押し出されて止まることを知らない。
満ちて、溶けて、膨らんで、溢れて、増えて、狂おしいほどの感情が背筋を駆け上って、目の中から零れ落ちる。
これだ。
探していたのは、これだった。
「見つけた!見つけた、ぼくはここにいる!イリア!ぼくはやっと、ぼくになった!!」
シリルはもう、胸の中に『何か』を感じることはない。
自分を、自分でないかのように感じることもなく、毒を身の内に飼うこともない。
シリルは、たった一人の、確固たるシリルになった。
だから笑う。
自らの誕生を自分で祝う。
空はどこまでも広く、穏やかで、世界の端まで響けと願うシリルの咽び泣くほどの哄笑すら飲み込んでいく。
けれど、この空の全てはシリルのものだった。
シリルだけの、空がそこにある。
空に抱かれ、シリルは自分が何者であるのかを、やっと知った。
知らないままでも生きていけただろう、穏やかな未来を失ったことにほんの少しの寂寥を抱く。
それ以上の高揚が頭の中を焼き尽くす、ほんの少しの間だけ。
シリルは今も真綿に包まれたような愛の中にいる。
「シリル、今日はどんなことがあったの?」
「どうか危ないことはなさらないでね」
「わたくしたちはあなたが幸せならそれでいいのだから」
もう、シリルに憂いはない。
だから影を忘れた笑顔で応える。
「お姉さま、ぼくは幸せです」
とても、とても、幸せだ。
昔から、今も。
大好きな家族と共にいられる幸福は今も心を温める。
けれどシリルは失ってしまった。
それだけで満たされる心はもうない。
ここにある偽りもまた、愛しているけれども。
それ以上に、シリルには愛するものがある。
幸せだけど、それだけでは足りない。
この場所だけでは腐り堕ちてしまう。
身を切るような風と、肺を凍らせる空気と、見渡す限り遮るもののない広い空間と、目を焼くような青い色。
シリルはそれに恋をした。
だから、落ちることを、許容できるようなプライドはシリルにはない。
この心の在りようの、なんと悲しいこと。
なんと、寂しいことか。
とても、残念なことだ。
そう思うのに、そこに沈鬱な響きはない。
あるのは愉悦。
優しさで包まれて、心に強く宿るのは、銀色のきらめき。
暖かな腕に抱かれて、伏せた顔の口の端には薄い笑み。
細められた目には、愛を甘受する少年には持ち得ない鋭い光。
これが自分だと、シリルは自らを肯定する心しかない。
昔から胸の奥で叫ぶ声があった。
今なら聞こえる。
耳を傾けることなく、聞こえてくる。
それはあの日、空を知った日にシリルそのものとなった声。
途切れることなく聞こえる音はシリルを駆立てる。
――爪を砥げ!
――牙を磨け!
獲物を屠る凶器を掲げよ。
――翼を広げよ!
誰よりも速く、誰よりも巧みに、飛ぶことこそが至上命題。
絶えることなくシリルを掻きたてる音。
それはきっと、止まりたくはない、自分の声に他ならない。
空が見たいと、シリルは思った。
だから目を閉じる。
「シリル?あら、眠ってしまったのね」
「ふふ、いつまでも甘えん坊さんだわ」
「あらあら、わたくしはいつまでも変わらないままでいて欲しいと思っていてよ?」
「…男の子ですものね、無理とはわかっているけれど」
「いま少し、このままで」
「おやすみ、愛しいシリル」
世界を渡る意識の端。
優しい声は遠く、がなりたてる叫びは近く。
―敵を滅せよ!
―愚者を地に這わせよ!
遮るものを地に落とし、立ち塞がる者に血の雨を。
「…ああ、残念だなぁ」
シリルは躊躇うことなく、甘い優しさより、この耳障りな声に手を伸ばす。
ゆっくりと目を開けば、そこはもうシリルを守る者のない地。
愛の中に閉じ込められていた攻撃性がきっと本性。
守られて喜ぶ弱さは、元よりシリルにはなかったのだ。
苛烈な勝利への執着と、敗北を許さないプライドこそがシリルの根底。
――もっと強く、もっと速く。
立ち塞がる者は心得よ。
地に落ちる運命と心得よ。
シリルは自由の空を飛ぶ度に心を躍らせる。
立ち塞がる敵は多い。
だが、出会うたびに心は歓喜する。
心が叫ぶ。
誰にも負けぬ!
誰にも劣らぬ!
この翼を駆り、誰よりも強く。
この空を翔け、誰よりも速く。
――疾く、翔けよ!
この姿を畏怖と共に、その目に焼き付けよ!
「ぼくの前を横切るなんて、きみはなんて愚かなんだろう」
空を征く。
唇に宿る笑みは純粋にして邪悪。
「空にある限り、ぼくに敗北はない」
純然たる事実をシリルは口にする。
今は叶わない妄言は、やがて真実になるだろう。
なぜなら、そうすると、シリルが決めた。
「きみに許された未来はただ一つ」
シリルは美しい滞空を見せながら指を一つ立てる。
優しく言い聞かせるような耳に心地いい声は、その声に相応しからざる内容を示した。
「地に落ち、這いつくばることだけ」
地を指さし、裂ける様に笑う彼に温厚な血の面影はない。
シリルは心の赴くままに空を翔ける。
それこそが生きる意味。
「さあ、共に飛ぼうか。速さ比べだよ」
空は思うより優しくない。
そこにあるだけで他者を拒む、過酷な場所だ。
それでも、その峻烈な在り方に焦がれてやまない。
シリルは唯一になりたい。
この空を支配する、唯一のものに。
空を往く何もかもを地に落とし、この空に抱かれるたった一人になったのなら、どれほどの陶酔を得られるだろうかと、シリルはよく夢想する。
「冥途の土産に教えてあげるよ、ぼくの名を―」
紅の混じる銀色の髪が風に翻る。
風はシリルの敵ではない。
他者を跪かせることに躊躇はなく。
誰かを踏み台にのしあがることに禁忌もなく。
力を揮うことを厭わず。
並び立つものを許容しない。
そんな者を何というか?
やがて世界は知るだろう。
空に君臨する、唯一にして絶対の、至高の支配者。
――空の王、その者の名を。
過激派シリル。
猫科の肉食獣です。




