17.ワールド・アトラスと弟たちの迷走
ステータス画面の下に表示されているログアウトを選択して、視界が反転したと思えばそこは見知った光景にかわっていた。
「うわあ、なんか変な感じ!」
現実で飛び起きてシリルが自分の体を確かめる。
先ほどまで心地よい倦怠感と傷の痛みにさらされていたその体の一切合財が綺麗なもの。
ワールド・アトラスでの自分は実際の体ではないと聞かされていたが、聞くのと体験してみるのとでは現実味が違う。
自分たち貴族子息があんな大怪我を実際にしたなら、大事件として扱われる事態になるとわかっている。
信じていなかったわけではないが、ほんの少しの不安が取り除かれて誰もがほっとした雰囲気に包まれた。
もちろん心配だったのは調査が入った際にイリアの元を訪れていたと知れて、疑いが彼女に向くことだ。
わきわきと手を動かしたり、腕を振ったり、軽く飛び跳ねてみたりして体の様子を確かめているみんなも同じ気持ちだろう。
騒がしかった町の喧騒もなく、穏やかなイリアの部屋で、柔らかな日差しが時間の経過を示している。
ワールド・アトラスで寝泊まりした時間はこちらでは本当にほんの数時間。
無限とは言わないが、かなりの時間を自由に使える。
誰に憚ることなく、力を使える。
なによりも、この身を危険に晒すことができる。
そして、失敗が許される。
何回でもやり直しが利く。
「…試したいことが、たくさんあったんだ」
でも出来ないことが、たくさん。
しみじみと、シリルが呟いた。
言葉に振り向けば、自分の手の平を見詰めていたシリルは零れ落ちる笑みを耐えて少し泣きそうにも見えた。
「ありがとう、イリア」
それは万感の思いの詰まった言葉。
イリアは何度も思った心を新たにする。
ああ、頑張ってよかった。
ワールド・アトラスを作ってよかった。
それから彼らはワールド・アトラスについて、いくつかの問題点を挙げた。
「カードの重要性が増したから、持ち歩きにもう少し便利にしてほしい」
「現実の時間経過に合わせて、ワールド・アトラス内で任意のアラームを設定できないか?」
「眠たくない時にワールド・アトラスに入るのが困難だ」
言われてみればもっともな話である。
イリアは少し考え込んだ。
カードについては、その四隅の一つに穴をあけて鎖を通し、首から下げられるようにして。
アラームについては今後の改善の約束をする。
確かにうっかりワールド・アトラス内に留まり過ぎると日常生活に影響を来す。
「ワールド・アトラスへの行き方は、変えないわ。」
最後の問題にはそう答えた。
実の所、どうしても寝なければならないわけではない。
今回そうしたのは、眠ることが一番肉体と意識を離しやすい状況だっただけのこと。
目的地をワールド・アトラスとしっかりと定めて、意識を体から引き離し、ダイブすれば辿りつける。
そのうち、目を瞑るだけで行けるようになるだろう。
「慣れてね」
にっこりと言われてしまえば訓練しないわけにはいかない。
その日から彼らはランド・アトラスの時と同様、ワールド・アトラスに夢中になった。
イリアは最初の一週間程度を見守り、それからは気まぐれにログインするだけ。
姉がいつも行動を見ている、というのもやりにくいだろうと思ったのだ。
イリアが把握しておかなければならない重要なことは、たまに出向いた時にAIから報告がある。
弟たちは与り知らぬこと故に少々の罪悪感があるのだが、保護者としての義務と割り切った。
ワールド・アトラスは言ってしまえば、まだ未完成の世界。
弟たちが必要としているものを取得するために、何もない空間に世界を広げていく。
さすが自分と褒めるべきところか、AIたちはイリアを基にしているだけに危なげなく世界を作っているようだ。
弟たちもイリアが見守っていた当初はみんなで行動していたようだが、ある程度ワールド・アトラスに慣れた後は好きにしているらしい。
それぞれに気になるルートや、選択できるシナリオが異なってきたからだろう。
意外だったのはメルだろうか。
錬金術師の弟子入りを志願して、頑固親父の試練に四苦八苦の様子。
てっきりこのまま付与術士としての道を歩んでいくものかと思っていたのだが。
「以前、自分のブレスレットに魔力の出力低減式を練り込んでいた時に興味を持ちまして。この際、やれるところまでやってみようかと」
イリアにも見えないことはある。
例えば弟の興味の向く先だとか。
自分の予想とは違う未来を見ているメルに少し嬉しくなった。
「と、いうか…」
少し考えるように宙に目を彷徨わせてからメルがイリアを見降ろす。
いつの間にか、彼にすら背を追い越されていたと気付く。
「付与の出来る錬金術師って、最強だと思いません?」
にやりと笑うメルが、珍しく悪戯っ子のような目をした。
「…あと、回復薬とか、買う費用が馬鹿にならないからいっそ自分で作れたら安上がりだとも思いましたがね」
どちらが本音かはわからないが、地味に現実的なところにメルの本質を見た気がする。
ニールは自分の武器を探し求めて旅をしていたようだ。
これと思った武器職人をやっと見つけたが、素材を持ってきたら作ってやると言われて、中々無謀な素材採取に挑んでいるらしい。
ちなみにその道中にメルと偶然出会って、目的が同じであることに気付いて共闘中なのだとか。
ニールの選んだ武器職人はつまりメルの弟子入り志願の錬金術師で、無下にしても食い下がるメルに折れて出した条件がニール同様、とある素材を取ってきたら考えてやる、とのこと。
「ニールも目が高いな。私の師匠に頼むとは」
「まだお前の師匠じゃないだろ」
「すぐになりますよ。この課題、確かに私だけでは戦力不足は否めませんがね。あなたがいれば不可能じゃないでしょう、ニール?」
「…言ってくれるな」
にやりと笑い返すニールもまんざらではなさそうだった。
楽しそうで何よりだ。
ランスとシリルは腕試し。
自分より強い奴に会いに行くと、どこかをさ迷っている。
ランスは剣闘士と言えばいいのか、拳闘士と呼べばいいのか、どこに向かっているのかわからない、…わけではない所が悲しい。
獣王と呼ばれる最強の戦士の噂を聞いたとかで東の森へ向かってからワールド・アトラス内では音信不通である。
「いまどこにいるんだ?」
と聞かれて。
「さあ?わかんね」
と答える残念なヤツである。
サバイバルに明け暮れている様は、野宿を嫌がっていた当初を考えると進化したのか退化したのか。
シリルはどうしても欲しい称号があるらしく、それの奪取に夢中。
「必ず、絶対、『空の王』になってやる!あの称号はぼく以外が持つべきものじゃない」
ぎらぎらと目を光らせながら舌なめずりをするシリルは、小さな肉食獣のようだ。
シリルは温厚で有名な一族の末っ子、家族が見たら卒倒するかもしれない。
とにかくシリルは日々、空を飛び回ってその強さと速度を競っている。
先日ちらと見に行った際には、その恐ろしい進化に、目を瞠ったものだ。
「歩くより飛んでる方がラク」
最近そんなことを言い出した。
イリアは少し心配になった。
この頃、グレンが頼み込んできたのが、ワールド・アトラスに入っているとき、現実で起きていることに対しての警告が欲しいという事。
どうやら、寝ている彼を起こしに来た家族が、まったく反応しない彼にすわ病気かと大騒ぎになったとか。
切実な話だったので、傍に人の気配があるとき、誰かが体に触れた時等、それぞれにアラートを設定できるようにした。
強制ログアウトやアラートの種類、音の大きさは自分で変えられるので、皆が自分の環境に合わせて便利に使っているようだ。
話は戻って、ワールド・アトラス内の話。
弟たちの中で、リィンほど劇的に戦闘方法が変化したものはいないだろう。
武器を使うのが苦手なリィンは当初ごく普通に魔法による攻撃をしていたのだが、とある試練で一対多になった際、対応しきれずに開眼したとのこと。
現在の職業欄は精霊術士となっている。
「昔から作りなれてたからさ、二体だろうが三体だろうが任意に動かすのは難しくない」
手足を増やす感覚で、いつも通り精霊を作り出したところこれが強い強い。
リィンがその王子然とした容姿で肩を竦めると大変様になるのだが、彼からは少々疲れが見て取れる。
「予想外なこともあったけど…」
自嘲と諦めが混じった表情。
「イリア、なんでこいつら勝手に動くんだと思う?」
「……さ、さあ?」
助けを求めるようなリィンの目にイリアは思わず後退る。
イリアにもどうしてこうなったのかわからないのだから、解決策を示すことは出来ない。
『何を言うか、創造主どの!そなたらが我らを作ったのであろう!』
光の塊が喚く。
「しかもしゃべるし、うるさいし」
『うるさいとは何ごとじゃ!わらわに対する侮辱ぞ!』
水の人型がくるくると回る。
怒りを表現しているつもりかもしれない。
「で、でも!勝手に戦ってくれるなら、ほら、リィンが制御する必要ないし!お得じゃない!」
「…本当にそう思ってる?慰めならいらないんだけど」
どんよりとしたリィンの雰囲気が浮上しない。
「自分で制御する方がよっぽどマシな気がする。こいつら自分勝手に動きすぎて先が読めない…」
そのせいで何度死んだことか。
「あー、あー、あー、とにかく頑張って!きっとそれがリィンの試練なのよ!」
ファイト!と肩を叩いて退散した。
触らぬ神に祟りなし。
臭いモノには蓋をしろ。
の、沁みついた日本人精神の賜物である。
セオとグレンは西の果ての更に先に目的地を定め、長い長い旅の最中だ。
途中には深い森あり、高い山あり、しまいにはワールド・アトラス最大の砂漠を越えていかねばならず、その旅立ちの準備にすら多くの時間を強いられる長距離移動。
ちなみに、ワールド・アトラスの仕様として、セーブポイントが一つ持てる。
それからログインの際に選べる、任意に設置できる出現ポイントが一つと自動で決まっている場所が一つ。
死に戻りできるのはセーブポイントと任意出現ポイント、それから自動で決まっている、始まりの町クレシオンの噴水前、ワールド・アトラスに初めて現れた例の場所の三つ。
AIの薦めにより、例外なく皆がそれぞれに拠点を作り、そこに持ちきれないアイテム等を保管。
そこを任意出現ポイントとして固定している。
それから旅先でログアウトする際、あるいは試練に挑む前にセーブポイントをこまめに設置し直す。
これでアイテムが足りなければ拠点から始めればいいし、旅の最端であるセーブポイントから始めてもいい。
更にパーティーを組むと、このセーブポイントを共有できるという利点がある。
セオとグレンはパーティーを組み、それぞれの時間を使って、進んでいる方のセーブポイントから先へ先へと地道に歩を進めているのだ。
イリアは便利な移動手段、いわゆる自由なテレポーテーション的なものは作るつもりがなく、固定式の移動装置も弟たちがワールド・アトラスの全容を知るまでは設置するつもりはない。
おかげで弟たちが野生児化してきているような気もしないでもないが、単に逞しくなったのだとイリアは自分に言い聞かせている。
セオとグレンの目的地は西の果てから海を渡ったところにある幻の島、らしい。
イリアは作った覚えがないからAIたちがつくったのだろう。
なんでも黄金の国という謎に包まれた国があるとか。
「…どこかで聞いた話ね?」
何をしにそこに行くのかと聞けば。
「シノビという諜報活動に特化した精鋭がいると聞いたので」
「オンミョウジなる胡散臭い術を使う者たちがいると聞いたので」
前者がセオで、後者がグレンである。
「…聞き覚えのありすぎる名前、ね」
冷や汗が止まらない。
AIがイリアを基にしているなら、その知識だって共有しているのだ。
ジパングはそこから作り出されたのだろう。
セオとグレンの成長先がまったく見えなくなった瞬間だった。
最後のウィルは、他の者とは違う目的を持って奔走している。
「ウィル、あなたは一体どこを目指してるの…」
遠い目をするイリアと困ったような気配の彼のAI、固体名『アリア』。
命名はもちろんウィルである。
現在、ウィルは彼女を「相棒」と呼んで憚らない。
AIの声は元々中性的で波のない、つまり感情を乗せない淡々としたものだったのだが、特に深く考えることもなく、設定を変えられるようにしたイリアが悪かったのか。
その機能を早々に発見したウィルは耳に心地いい女声に変えたことで情が湧いたらしい。
更に名前を付けて、現在は「君に自由を」と意識体に肉体を与える方法を探しに旅をしている。
「俺の相棒は君以外にいない!」
と、ゆくゆくはパーティーを組んで共に戦いたいのだそうだ。
AIの説得にも耳を貸さず、彼女の困惑が状況を端的に物語っていた。
イリアはこの弟の扱いに心底困っている。
更に、ウィル発信で声の設定を変えられることを知った弟たちは各々好きにいじっているようだ。
ランスとグレンは男声。
リィンとシリルは女声。
セオはどちらにも聞こえる中声、初期設定寄り。
メルも中声、ただし感情が少し豊かに聞こえる。
ニールだけは設定を変えていない。
AIに名前を付けているのは他にリィンとシリルだけ。
女性と認識すると名前を付けたくなるものなのかもしれない。
ちなみに、リィンのAI名は『イリーズ』。
それを聞いた途端にニールの目が何故か剣呑になった。
「ふーん、『イリーズ』と『アリア』、…ね?別に、何も言わないけど。わかってるよね?」
笑いかけるニールの周りの空気が絶対零度。
リィンとウィルはさっと目線を逸らして決してニールと目を合わさなかった。
彼らは実際に顔を合わせる機会をほとんど持たず、世間的には昔は交流があった今は縁遠い幼馴染と認識されているらしい。
やがて彼らも学び舎に入る年を迎える。
遅筆な自分ですが、初の三日連続投稿を完遂してやりましたw(゜∀゜)w
少しでもブックマークをしてくださっている方、評価をしてくださった方に感謝の心が伝われば幸いです。
EXを書こうか迷っていますが、とにかく本編はこれにて幼少期編は終了です。
疲れた!(笑)




