15.弟たちと遊び場
さてはて、結局それが日の目を見たのはそれから季節を跨いでから。
思った以上に調整に手間取ったのだ。
その間に弟たちはすでに10の年を迎えて行動に制限がかかり、段々とイリアの元から足が遠のいていた。
しかし、それを寂しいと思うにはイリアはやることが多すぎた。
完成さえさせてしまえば万事解決だと思っていたことも大きい。
ストレスを溜めていたのは弟たちの方だったと気付いたのは無理を言ってみんなを呼び寄せて顔を合わせた時。
「久々だな」
「ああ、近況はどうだ?」
「どうもこうも、肩が凝ることばかりだよ」
どこか疲れた雰囲気で語り合う少年たち。
かつての世界ではいまだ小学生の域を出ない少年たちの台詞とはとてもではないが思えない。
それは昔からだけども。
こちらの世界の特色なのか、人々の成長、特に貴族の血を引いている者は肉体的成長が早いように見える。
彼らは部屋の主の許可を取ることもなく、思い思いの場所に腰を下ろす。
それは絨毯の上だったり、ソファの下だったり。
椅子とソファ以外に座ることなど、礼儀と見栄で出来た貴族社会では許されるはずもないが、ここにいるのは身内だけで、ここはイリアの城だ。
「そういや、お前らって家での魔法の実技どうしてるんだ?」
ウィルがふと思い出したように聞けば、そういえばと口々に答えが返る。
それぞれに対策をしていて、誰がどうしているのかを聞いたことはなかった。
「どうもこうも、出力を抑えるように努力してるよ」
「相変わらず大雑把な力技だな。…出来るところがすごいけど」
「おれは専用の陣を作って、魔法を使う時は全てその陣を任意で通すようにしてる」
「僕と同じだな、まあ、任意ってとこが違うけど。僕は魔法を発現させるときは完全に自動」
「おれは全部幻術で誤魔化してるよ、炎を出せと言われたらニセモノ出して。おかげでかなりうまくなった」
「みんな苦労してんだな」
「私は常時身に着けている品に術式を書き込みました。いろいろ試したけどこれが一番効率がいい」
「へえ、見せてくれよ。参考にしたい」
「いいですが、改善点があったら教えてくださいね」
「おう、まかせろ」
唯一、全力を出し切れるイリアの元への訪問もままならなくなった最近では魔術を使うことすらできない。
訓練や鍛錬すらままならないことに苛立ちは大きかった。
自らの成長の上限が見えている者は皆無。
目指せる頂は遥か遠く、そこに至るために必要な時間もわからないというのに、悪戯に時間を消費しなければならない苦痛は耐えがたいものがある。
なぜそれを阻害されなければならないのか、頭では自分たちの力が隠すべきものだと理解していながらも理不尽に湧き上がる感情は如何ともしがたい。
たまに所構わずに魔術を放ちたい気分になるらしい。
「なんだか大変ね…」
思わず呟いたイリアの一言に弟たちは揃って姉の顔を見詰め、図ったかのように同時に溜息を吐いた。
明らかにこの現状の要因である彼女はその意識があまりにも薄すぎる。
貴族が幼い頃より入念に何重にも掛けられる神の枷。
それが魔法を縛る前に、その概念をまるっと捨てさせたイリアは弟たちの苦労を慮ってはくれても共感はできないのだ。
「でもいいことを聞いたわ」
それならば自分のお節介だけで終わらないだろうとイリアは両手を合わせて顔を輝かせた。
きっと喜んでもらえるはずだと、イリアはこの度完成したゲームを早速披露することにした。
必要なものは事前に言っておいた。
だが、弟たちに言わせれば持ち歩いていないことがないそれを今更持って来いと言われても困惑が先に立つ。
「ちゃんとランド・アトラスのカードは持ってる?」
もちろんだと弟たちは頷いた。
今日も着いて早々、ランド・アトラスで一戦していることから互いにそれを持っていることも知っている。
それでも証拠を見せるようにイリアにカードを掲げた。
薄緑の、光すら通す美しいカードは現存10枚。
そのうちの8枚がきちんと揃っていることを視認してイリアは頷いた。
それを持ち物指定するということはランド・アトラスの新機能でも開放するのかとわくわくとイリアを見ると、イリアは予想外の望みを口にした。
「じゃあそれを持ったまま眠ってちょうだい」
「うん?」
「あ、カードは絶対に離さないでね。迷子になるから」
「まい、ご?…うん?」
「カードに場所を書いておいたの、自力ではたどり着けないだろうから地図代わりよ。もちろん最初は私も誘導に力を貸すから心配しないでね」
「地図?…うん?」
「条件は場所を知っていること、カードの正式な持ち主であること、ランド・アトラスに領地を持っていることの三つよ。」
つまりカード一枚で事足りる。
つまり。
「うん?」
まったく訳がわからない。
「さあ、早く寝て。楽しみだわ、早く一緒に遊びましょう」
言葉通り、イリアからは感情が目にみえるような気がするほどうきうきそわそわが漂っている。
遊ぶのになぜ寝るのか、という疑問は早々にソファに座ったまま目を瞑ったイリアにはぶつけられず。
「ニール」
実の弟に答えを求めても彼はゆるゆると首を振って答えた。
「どうせすぐにわかる。…きっと思いもよらないことだろうけど」
いつでも、イリアは想像の上を行く。
斜め上とも言うが。
「つまり何が起こるかわからない、と」
「…心構えは無駄ってことだな」
「ま、イリアのことだからとんでもないもの用意してるんだろうな」
「でもきっと、ぼくたちのためでしょ?」
最後のシリルの呟きにみなが口を閉ざして視線を宙に飛ばす。
「よし、寝るか!」
振り回され慣れた弟たちはもう説明を求めても無駄だと悟って、素直に従った。
が、今が何時かと言えば太陽高い昼間である。
すぐに眠れるわけもなく。
「ね、寝ろと言われて寝られるやつが羨ましすぎる!」
「同感…」
「おい、リィンとランスが普通に寝てるぞ」
「図太すぎる…」
「いや、姉さんももう寝てるからな?」
「俺たちがおかしいのか?」
「んな訳ないだろ!」
「…よし、みんなで眠りの魔法をかけ合おう、自力で眠れる気がしない」
「賛成だ」
「抵抗すんなよ?一人だけ残って眠れなくなる羽目になるからな」
「わかってるよ」
眠りの魔法程度の軽い術は意識して受け入れないと、弾いてしまうくらいには異常状態に対する抵抗力が身についてしまっている。
イリアの新作にはすでにいくつかの問題点があるようだが、彼らは自力で解決した。
要改善である。
そうして強制的な眠りについた弟たちが次に目を覚ましたのは知らない街中だった。
「「「…は?」」」
声を揃えて出た言葉は彼らの驚きを端的に示している。
がやがやと話し声のする、街中でよく見かけるごく普通の広間。
中央には噴水が配置され、人々が憩うための腰掛には人待ち風情や恋人たち、家族連れや友人同士であろう町人が座っている。
露店や屋台で買ってきた食べ物を片手に立ったまま話し込んでいる者もいる。
けれど、突然現れたはずの彼らを不審がる人はいない。
よくある光景は、いま、この時ばかりは異様だった。
「…どういうことだ?」
眠りについたところまでははっきりと記憶にあるのに、いま自分たちはしっかりと地面に足をついて立っている。
「転移?」
「まだ空論の域だろ」
「…イリアならできるかなって」
「まあ、否定はしないけど」
互いの顔を見合わせて、足りない者がないことを瞬時に見て取りながらも誰も答えを持っていないことを表情から読み取る。
実の弟であるニールですら目を見開いて辺りを見回していた。
非常識の塊であるイリアと、長くなった付き合いの中でもこれほどまでに驚いたことはない。
「とにかく!どこだ、ここ!」
混乱のさ中、それでも経験の賜物か。
どうせイリアが元凶に決まっているから、自然彼らはイリアの姿を探した。
イリアはすぐそばに居た。
そして満面の笑みで告げる。
会心の作品の名を。
「さあ、『ワールド・アトラス』にようこそ!」
手を広げた先には果ての見えない大地が広がっている。
どこまでも、続いているように見える世界。
イリアの作った世界。
仮想世界、ワールド・アトラス。
それがイリアの新たなゲームだった。
「だって、経験ってやっぱり必要でしょ?」
それがワールド・アトラスを製作した理由で。
「でも実戦って危ないじゃない?」
だから死なない世界を創ったのだと、彼らの姉は簡単にのたまった。
「世界を、作った?」
理解不能。
けれどなにか、その身に余る奇跡が、あるいは悪夢が起きていることだけはわかる。
手が震え、足が震える。
息すらままならない弟たちが、彼女がしたことの大きさを物語っていた。
それは最早、人の範疇ではない。
神の領域である。
発狂してもおかしくない出来事を目前に、現実逃避もできなかったメルなどは実際にその場で言葉にならない声で絶叫した。
グレンは泡を吹いて倒れるし、セオは白目を剥いて、リィンは嘔吐感に苛まれる始末。
ウィルは自分の頭がおかしいのかと頭痛をお供に自問自答して、シリルは乾いた笑いを続けている。
何の行動もせず、その目になにも映さないランスはただの思考停止。
この時ほど、彼らはイリアの異常性を痛感したことはない。
畏れ慄き、何ものかに懺悔したくなるのは幼い頃からの教育がいまだにこびり付いているからか。
それでも少なくとも神に助けを求める言葉を誰も口にしなかった。
彼らも十分規格外ではあった。
少し様子見をしていたら、勝手に立ち直ってイリアにとりあえずの説明を求めるくらいには冷静になったらしい。
イリアの与り知らぬことだが、これが弟たちでなければ意識を体から引きはがした瞬間に廃人になっている。
この世界の人間にとって肉体と精神はイコールで結べるほどに固く結合していた。
よしんば肉体と精神の乖離に成功したとしても、あるいはワールド・アトラスに辿りつけずにどことも知れない空間を漂うことになっていたかもしれない。
彼ら以外に、現実世界以外を受け入れられるほど、柔軟性を持ち合わせた精神力の持ち主はいない。
「一体ここはどこなんだ」
急かすように求める答えはまずはここから。
世界を作ったと軽く言われてもまったくわからない。
世界とは、彼らの概念ではたった一つなのだから。
「うんと、説明って言っても。ええと、ここはつまり、とある場所に作ったゲーム世界なんだけど」
「とある場所ってどこ?どこの国?地名は?許可は取ってあるの?」
どこかでそういう話ではないのだろうと思いながらも一縷の望みに縋って口にしてみる。
「ああ、そういう心配はしなくて大丈夫。現実のどこでもない場所だから。」
あっさりと潰されてしまったけど。
「…イリア?ちょっと待とうか、冷静に話し合おう」
「ええ、わたしは十分冷静なんだけど。あなたこそ大丈夫、メル?顔色が悪いわ」
イリアに言わせればつまりは似非ネット空間みたいなものである。
そこに場所の名前さえ付ければ無限に広がる電脳世界。
本当にこれが電脳世界なのかはわからない。
そんな感覚で作ったら出来ただけの話。
もちろん説明しても誰一人として理解してくれるものはいなかった。
当たり前の話だ。
この世界にはそんな概念がまだ芽吹くどころか種にすらなっていない。
イリアとて、かつての自分が当たり前のように使っていたからぼんやりと概念を持っているだけで、それがどのような理論によって構成されて、どんな原理と法則によって構築されているのかなど知ったことではない。
大事なのはそういうものが『ある』、と『知って』いること。
存在する、のだ。
イリアの中では当然のように。
ならば、そこに至らない理由はない。
「つまり、異次元?に、似たような世界を再現した?感じですか」
「まあ大まかに言えば」
イリアは説明の限界を悟って、ニールがたどたどしくまとめた台詞に乗じた。
ここまで近づけただけでも大喝采ものである。
「そこに転移してきた、と?」
転移と言うよりダイブ、あるいは潜ったと表現する方が近いだろうか。
「ええと、転移は違うかな。みんなの体は実際にはわたしの部屋で寝てて、意識だけここに連れてきた感じ」
だからこの世界で何をしようが、現実にある肉体が死ぬことはない、という理屈。
「で、では今のこの体は一体なんだと言うんです?」
「投影?再現?あ、つまりアバターかな」
とてもわかりやすい説明だとイリアが自賛していたが、生憎と誰一人としてそれに同意する者はいない。
むしろ反対。
「あー、おれパス」
「同じく、諦めるわ」
お手上げである。
もう誰もついて行けない。
ついて行く努力が無駄な事だと悟ったともいう。
「簡単に言うとね、ランド・アトラスあるでしょ?あの中にみんなで入り込んだようなものよ」
体感型ゲームの一言で終われないのがじれったい。
イリアの言葉に、荒野や樹海、平地に王国、様々な舞台を映し出すランド・アトラスを弟たちが脳裏に浮かべる。
ランド・アトラスを一つの世界と仮定することは難しくなかった。
それがこの世界。
「なるほど」
普段から接しているランド・アトラスという基盤の上に乗せて考えてみれば多少は抵抗力が和らぐ設定になって、ようやく心を落ち着けることができた。
意識だけを世界転移させた、との説明も、皆で話し合った末に納得できる答えを得た。
禁術に類する魔術の種類で、精神に干渉するものがあったが、その亜種のようなものだろう。
「みんなで同じ夢を共有してると思ってもらえればいいかな?」
最終的にざっくりした説明になってしまったが、弟たちが納得すればいいのだ。
「よし、大丈夫だ。もう深くは考えまい」
ぱんと自分の頬を叩いたのは現実主義者筆頭のメルだ。
出発に大分時間を取られているなと苦笑しながらイリアはメルの結論に頷く。
「大事なのは、ここで死んでも現実では死なないこと。だけどある程度のフィードバックはあること」
「待って、それは聞いてない。ちょ、え、」
「あら、当然じゃない。でないと何のためにワールド・アトラスを作ったのかわからないもの」
全部とは言わないけど、世界を跨いで得られるものはある。
経験と知識は当然持ち帰れる。
それでも充分大きな収穫だ。
それ以外にも筋反射などはできるだけ肉体に帰るように設定してある。
全部を繋げてしまうと、こちらの世界で飛び跳ねたら向こうの世界でも肉体が勝手に飛び跳ねることになる。
現実では夢遊病どころではない騒ぎになるだろう。
ので、最大限の譲歩として脳から送られる電気信号を少し許す程度になった。
これで、こちらの世界で習練して得た動きもまったくの無駄にはならないはずだ。
ただし筋肉痛にはなるかもしれない。
「ここはあなたたちの為に作った遊び場だもの」
今回は少々ワールド・アトラスに来るための手伝いもしたが、そのうち自分たちだけで来ることもできるようになるだろう。
そうしたら、彼らは自分たちの魔力を偽ることもなく、自分を抑えることも必要ない、空を飛ぶ練習だって、広囲魔術だって所構わず放っても問題ない世界を手に入れることになる。
イリアのもとに遊びに来ずとも、顔を合わせ、会話をして、それだけで肩の力を抜くことができる友と会える場所。
遠くにいながら、繋がっていられる世界。
家と、血と、派閥と政敵と周りの目。
そんなもの気にも留めず、のびのびと過ごせる場所。
否応なく鎖が絡まっていく弟たちに、世界をまるまる一つ。
離れていくばかりだろうと思っていた彼らを繋ぐもの。
冷たい貴族社会でやがて心は凍り、友と過ごした日々は幼い頃の夢のような思い出になるのだろうと諦めていた現実はもう一つの世界で続くのだとイリアが言う。
弟たちの為に世界を一つ作った人間は後にも先にも彼女だけだろう。
そこには崇高な思想などない。
あるのはただその手に収まる大事なものを守ろうとする彼女なりの努力。
たくさんの願いを込めて作ったのだ。
たくさん、たくさん、弟たちにしてあげたいこと、教えてあげたいこと、心躍る冒険や伝説、英雄譚、無数のシナリオを詰め込んだ。
「楽しんでくれると嬉しいわ」
遊び場と言うには広すぎる世界で、イリアが望むのはそれだけ。
「…ありがとう」
それ以外に言う言葉が見つからない。
イリアは満足そうに笑ってくれた。
「始まりの町、クレシオン。ここがスタート地点よ」
さあ、チュートリアルを始めよう。
ご都合主義のタグを足しておきます(;´∀`)




