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イリアの世界  作者: 一集
第一章
15/75

11.魔法と神の枷

シリルとランスが来るまでの二三日の間、イリアは大人しく待った。

雇った人々に迷惑をかけた自覚はあるし、元から部屋に籠ることが苦痛ではない。


やることがあったのも幸いした。

持ってきた盤面遊戯、シュミレーションボードであるが、少々考えるところがあり、名前を付けた。


ランド・アトラス。

安直だが、まあ覚えやすくていいだろう。


ボードの側面に名を刻みいくつかの機能を追加。

本当にやりたかったのは、そんな細かなことではなく、弟たちがたくさん遊べるように、同じものを作ることだ。


複製を二台作り、それぞれをリンクさせることに大変苦労したが、何とか弟がやってくる前に完成した。

これでかわいい弟たちが順番待ちで退屈することはなくなったはずだ。


余った時間は、先の出来事から考えさせられたことを頭の中でこねくり回す。


この世界の概念はおかしい。


魔法一つ取っても、人々はまるで自分に制限をかけるかのように多くのルールを作り、出来る事を自ら狭めているように見える。


神の枷。

イリアはそう呼ぶことにした。


神さまとやらに授けられた魔法を使う者は、そのルールに縛られるのか、あるいは神が人にそう思い込ませているのか。

自分の魔法は神の授けた魔法ではないのか、あるいは他人にはないこのもう一つの人生の記憶が神の枷を引きちぎったのか。


そのどちらであるかは大きな違いがあったが、イリアはこの問題には答えを出さなかった。

なぜならイリアにはどうでもよかったのだ。


イリアの世界はいまだ狭く、大切なものは少ない。

その少ない大切なものは、イリアと同じく神の枷を持たない。


だから神の枷を持つ者のことを考える必要はなかった。


そうしてイリアは弟たちに『自分が知る魔法』を教えて満足していたが、それだけでは不十分だということに気付いてしまった。

気付かされた。


実際に、自分が命の脅威にさらされた時に出来た事はなにか?

何もなかった。

驚きに目を見張り、纏まらない思考で魔法を行使できるわけもなく、そしてそんな時間は命を差し出しているのと同意義。


神の枷にも意味があると認めたのは今回が初めてだった。

例えば、魔法を発動させる『鍵』を『言葉』として設定する意味だとか、今まで考えなかった発動時間だとか。


あの時、纏まらない思考に足を引っ張られて魔法が発動しなかった。

『言葉』で無理矢理発動させたが、それを実現するのにかかった時間は思いの外長かった。

何属性のどんな現象を、どの程度の魔力を使い、どの程度の規模で、どの方向に、どんな速さで、どれだけの持続力と威力を持って、発動させるのか。

今まで全てを頭の中で適当にやっていた。


神の枷はそれを見事にルール化しているという点においては優秀だった。

だが、問題はルールを逸脱できないこと。


神の魔法と自分の魔法、まったくの別物なのか、同じものであるのかは気になるところであるが、それを知るには神の魔法を使う者に神の枷を外してもらう必要がある。

そんな知り合いはいないし、どうしても答えを知りたいわけでもない。


どちらにしても、自分の魔法の方が優秀であるということに変わりはなかった。

逸脱できないルールを持つ神の魔法。

ルールを設定できる自分の魔法。


万が一のために魔法発動の『ことば』を定めておくことは有用。

最も必要なのは咄嗟の対応力。

そのために必要なのは経験。

繰り返しの実戦。


実際に、デルファベル学園に入れば課外授業がある。

姉が、なぜ自分がこの足で歩き、野宿をし、魔物と戦わなければならないのかと授業の免除を父に食って掛かっていたことを覚えている。

伝統であると父は答え、王族だろうが庶民出身であろうが、例外なく必ず履修しなければならない必須科目であると説かれ姉も嫌々参加していた。


だが大人に守られながらの授業であるというのに、時には死傷者が出る。

魔物と言うものがどれほど危険なものかわかるというもの。


不測の事態など、起きては困るのだ。

弟たちの身に何かがあっては。

それにはやはり経験を積んでおく必要がある。

しかし弟たちの命を危険にさらしたくはない。


そんな思考を纏めていた頃に、連絡通りシリルとランスが到着した。


「来たよ、イリア!」

「いらっしゃい!シリル、ランス!」


二人は初めから大変はしゃいでいた。


伯爵家の別荘を駆けて見て回る様子はまるで近所の子供。

イリアはその様子をにこにこと眺めていたが、雇いの者は驚愕に表情を崩さないように、しかし興味を引かれて眼球だけが彼らを追いかけていた。


ルカリドの人々は貴族に接する機会が殊更に多い。

貴族の貴族たる行動も心得ていた。


そんな彼らだからこそ、貴族の威厳と礼節を忘れたかのように笑い転げながら走り回る子供には余計に驚く。

客人の個室はほとんど使われることなく、イリアの部屋には絨毯の上に毛布が敷かれて、一つのブランケットを被って三人が寝ている場面を見た時には、貴族を偽る詐欺師かと疑ったものだ。


とりあえず様子見をしようと決めたのは、お茶を所望されて部屋に邪魔した午前中のこと。

絨毯に座っているのは相変わらずいただけなかったが、彼らの真剣な表情で勉学に励んでいるのだとわかった。

その内容はとても庶民の自分たちが理解できるようなものではなかった。

「いんりょく」がどうとか「じゅうりょく」がどうとか、聞こえてくる単語すら綴りがわからない。


昼には厨房を貸してくれと言う要望で、ナイフを握る令嬢にやはり新手の詐欺を疑い、彼女の周りをちょろちょろと忙しなく動き回る少年たちに、母親の手伝いをしたくてたまらない村の子供たちの日常風景を垣間見て和んでしまった。


三人は簡単な昼食を持って湖に出かけて行った。

供は断られた。


この別荘の管理人であり、エンドレシア家の者が泊まりに来る際は執事役をこなす壮齢のアーシュレイはイリアに関する記憶があまりない。

幾度か訪れたことはあるはずなのだが、あまり家族と行動を共にせず、遅れて来て、早く帰る大人しい末娘という印象が主。

要望の多い他のエンドレシア家の者の為に奔走しているアーシュレイには、彼女がわがままを言わない分霞んでしまっているのだろう。


湖はそう遠くない。

敷地内にあることからもわかるように、均された林道をほんの五分も歩けば大きな湖に当たる。


「お父さん」


アーシュレイに困惑気味の声をかけたのは娘であり、メイドとして雇っているアンジェ。

彼女には彼らに暖かい紅茶を届けに行ってもらったはずだ。


「よく、わからないことがあるのだけど」


彼女の要領の得ない話はこうだった。

もちろんアンジェは仕事をさぼることなく、湖まで届け物をしにいった。


が、目当ての人は居ず、戸惑いながら広い湖の周辺を捜したという。

小舟でも出して湖上で遊んでいるのか。

あるいは舟が転覆を?

そんな焦燥もあって、急いで桟橋に行き、そこに繋がれている小舟はちゃんと揃っていることを確かめた。


ほっとしたところで、湖に浮かぶ小島から手を振っている人物に気付き、まだ暖かなお茶はその場所に置いておいてくれればいいという指示に従い帰ってきたのという。


「あの方たちは、どうやってあそこまで行ったのでしょう?」

「……」


アーシュレイは答えられなかったが、案外あっさりと答えが出たのはその夜だった。


夕食を外で取ると言って持ち運べるものを要望された。

沈む夕陽は美しく、それを眺めながらの食事は貴族がよく望むものであったから特に思うところはない。


相変わらず供は必要ないと言われたが、料理人の友人と自分の執事の意地として、あとでデザートと食後の飲み物だけはお持ちすると約束を取り付けた。

冷たいものは冷たく、暖かいものは暖かく。

それが食べ物に対する礼儀というものだ。


ルカリドの夜は早い。

夕刻を過ぎるとあっという間に夜の帳が下りてしまう。

夕陽も美しいが、太陽が姿を隠してから現れる光景も負けてはいない。

満点の星が薄闇を作り、夜道を明りなく歩けるというのはこの地の者の自慢だ。


時間を見計らい娘と共に最後のメニューを届けに歩いているときに、異変に気付いた。


湖の方が仄明るい。

星明りとか、そういう類ではなく。


歩を進め、その光景を目にして二人は足を止めた。

彼らは湖の畔にマットを敷いて、何でもないように食事を進めている。


だが、紛れもなく異常な事態が起きていた。

小さな無数の灯りが湖と、彼らの周りを飛び回っている。


薄闇の中、軌跡を引いて光が瞬く。

湖の上を走るように、空に絵を描くように。

広い湖は自ら発光しているかのように神秘的な柔らかい水色を湛えていた。

息を飲むほどに美しい光景だった。


求愛行動に自らを白く発行させて飛び回る虫がいたが、そうではないとアーシュレイは気付く。

仄かに光るそれらは様々な色を灯してからだ。


まるで祝福のように、喜びを表すように、はしゃぐ光が不意に二人の目の前にも飛び込んできた。


目が合った。

目が、在ったのだ。


羽を持つ、手の平より小さな命が、儚い光を宿していた。

人の姿に似たそれはアーシュレイ達を見て、首を傾げた。

首を傾げて、何をするでもなく仲間たちの元へ帰っていく。


「…お父さん」


喘ぐようにアンジェが呼ぶ。

あの光は悪いものではない。

それは本能の理解するところ。


だが、畏怖と奇跡も、本能が理解する。

アーシュレイは娘の疑問に応えた。


「精霊さま、だ」


隣でアンジュが息を飲んだ。

叫び出しそうな声を自らの手で口を覆って留めたところは自分の娘ながら称賛ものだ。


ルカリドは風光明媚な土地であるが、人々は自然をねじ伏せようと思ったことはない。

共に生き、時に恵みを、時に脅威をもたらす山と森を、畏怖と共に敬愛していた。

自然、すなわち精霊を。


ルカリドは精霊信仰においては深い土地だった。


「よく、見ておけ。一生に一度あるかの奇跡だ」


こくこくとアンジュが頷く気配がする。

アーシュレイも目を皿のようにして光景を焼き付ける。


この僥倖を一つも逃してなるものかと食い入るように。


そんな奇跡の光景のなか、呑気に食事をしていた手を止めて、イリアが空に手を掲げてタクトを振るかのようになぞった。


アーシュレイ達には見えていた。

その手の先から漏れ出す靄の様な力。


小さな光がぽつぽつと灯る。

精霊が現れる瞬間。


アーシュレイは瞬時に悟った。


「グルン・ルグリート!」


まさかと思う。

神と魔法を信仰する貴族にそのような者が現れるなど。


だが。

と肯定する声もある。


最初から彼女の様子は他の貴族とは違っていた。

それはつまり、彼女が『グルン・ルグリート』であった故ではないか。


ならばもしかしたら。


「父さま、次があったら、ミーアにも見せてあげたい、いい?」


そう、次があるかもしれない。

この奇跡は、今日だけではないかもしれない。


彼らが滞在する間、その可能性があるということに聡い娘が気付く。

メイドとして共に働いている幼馴染の名前を出してアンジェが囁くように聞いた。


「他の貴族さまに知られないようにと誓うなら」

「もちろんわかってるわ。異端が知られれば、どうなるかわからないもの。グルン・ルグリートを害されるなど、あってはならないことよ」


そうして、彼らが別荘をあとにする際には、来年も必ず自分たちを指名するようにと懇願するアーシュレイ達の姿が目撃されることになる。


盛大にそんな誤解を現在進行形で振りまいていることには気づかず、イリアは美しい光景に囲まれて夕食をゆったりと取りながら二人の弟に話しかけた。


「どう?課題はクリアできそう?」

「…難しいけど、でも、みんなが来る前には算段を立てておきたいかな」

「そうだな、せっかく先に取り組めるんだから少しは先んじておきたい」


これから就寝まではランド・アトラス解禁だ。

が、先に課題を開示してしまったため、どうやら二人ともそちらに夢中らしい。


午前中は座学を。

午後は魔法の練習を。

夜はランド・アトラス。


と言っても、座学は長くやるつもりはない。

シリルとランスはもう必要ないだろう、明日からは早速自由時間となる。


今回の課題は実に簡単。

湖の真ん中に浮かぶ小島まで魔法を使ってたどり着くこと。

付け加えた条件は、浮くこと。


この条件は初めはなかったのだが、グレン辺りが湖の上に結界を敷いて歩いて小島までたどり着きそうだなと思ったので付け加えた。


本当の目的は重力魔法を使いこなすこと、なのだが、イリアはこれにはあまり期待していない。

出来たらいいな、程度だ。


故に、課題も重力魔法を使え、ではなく、もっと広範囲に湖を渡れとした。

浮くための手段はなにも重力魔法だけではないからである。


というのも、重力と言うのがまず、教えるのが難しい。

リンゴが落ちるのはなぜでしょう?と言われて、引力の存在を知っていたとしても説明が難しいのと同じ。

イリアにとっては当たり前に存在する常識を言葉で語るには、イリアは知識が足らず平凡すぎた。


それでも四苦八苦しながらそういう概念があるのだと教えたが、二人の反応はあまりよろしくない。


仕方なく、昼には自らがそれを使ってみせた。

飛行して小島まで行って、湖の上に波紋を残しながら跳んで帰って見せた。


二人の唖然とした顔ときたら、今思い出しても笑えるほどだ。


「うそだろ、飛ぶって、だって、飛竜に乗る以外に方法はないって」


竜騎士と言えば国のエリート中のエリート。

魔法を扱う貴族の中でも、魔術師とまで呼ばれる実力を持ったものだけがその資格を得る。

ほんの十体ほどしかいない飛竜を操る騎士が憧れを持って人々に称賛されるのは、それが翼を持たない人類が唯一空を支配する手段だからだ。


浮くことが出来る魔術師はまれにいる、だが、飛竜なしにいまだ飛行といえる飛行に成功したものはいない。

それが世間一般の認識。


更にデモンストレーションとして、一人ずつ、イリアは自分の腰にしがみつかせて重力魔法を使ってみせた。

自分に触れている弟を含めて、魔力が及ぶ範囲を設定して、ふわりと浮かんだ時にはイリアの腰に回された腕は痛いほど締まった。


が、緩やかに飛んで見せた時、それは子供特有の順応力と言えばいいのか、あっと言う間にその目には活力が宿っていた。


自由に空を飛ぶ、それは長く人々の夢だったのだ。


「この分だと、飴はいらなかったかな?」


少しだけ失敗したとイリアは呟いた。

こんなに喜んでくれるとは思わなくて、これが出来たらランド・アトラスの機能を一つ開放するという約束をしていたのだ。


「まあいいか。みんなが楽しければ」


結論、イリアは弟たちが笑っていればそれでいいのだ。


ルビの振り方をやっと学びました。

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