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三歩下がれと言われたので三千里離れた国へ逃げました  作者: 秋月 もみじ


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7/10

第7話 私がいないと仕事が回らないそうですね


書類の齟齬が発覚してから、数日が過ぎた。


帝国法務省が過去の外交記録を精査した結果、問題は想像以上に深刻だった。


「過去5年間の外交文書を照合しました」


法務官が、分厚い報告書を机に置いた。皇帝の執務室。私と皇帝、そして法務省の高官が数名。


「結果、ローゼリア王国から提出された書類のうち、23件に齟齬が確認されました。全て、アルベルト・ヴァイス書記官が担当した時期と一致しています」


23件。5年間で23件。私が外務省で働いていた期間と、ぴったり重なる。


「齟齬の内容は様々です。数字の改変、日付の修正、署名欄の書き換え——」


法務官の説明を聞きながら、私は確信した。これは偶然ではない。意図的な改竄だ。そして、改竄されたのは——私が作成した書類だ。


「フェリシア」


皇帝が、私を見た。


「心当たりはあるか」


「……はい」


私は頷いた。隠す理由はない。


「これらの書類は、私が外務省時代に作成したものです。原本は私が書きました。しかし、提出された書類では、署名がアルベルト・ヴァイス様のものに変わっています」


法務官たちがざわめいた。皇帝は無表情のまま、続きを促す。


「つまり、私の仕事が、彼の名義で提出されていたということです。そして、その過程で数字や日付が改変された可能性があります」


「証拠は」


「あります」


私は、懐から鍵を取り出した。


「帝国に来る時、外務省時代の業務記録の写しを全て持ってきました。私が作成した書類の下書き、作業日誌、提出前の最終稿——全て保管しています」


皇帝の目が、わずかに見開かれた。法務官たちは顔を見合わせている。


「なぜ、そのようなものを持っていた」


「官僚としての習慣です」


私は答えた。


「自分が作った書類は、必ず写しを取っておく。何かあった時のために。……まさか、こんな形で役立つとは思いませんでしたが」


沈黙が落ちた。皇帝が、静かに口を開く。


「法務省は、フェリシアの業務記録と、帝国側の外交記録を照合しろ。改竄の証拠を固める」


「はっ」


法務官たちが頭を下げ、退出していった。執務室に、私と皇帝だけが残る。


「5年分の証拠か」


皇帝が、窓際に歩み寄った。


「よく、持っていたな」


「偶然です。……いえ、偶然ではないかもしれません」


私も窓際に近づいた。皇帝の隣に立つ。夕日が、帝都の街並みを染めている。


「どこかで、気づいていたのだと思います。自分の仕事が奪われていることに。だから、無意識に証拠を残していた」


「復讐のためか」


「いいえ」


私は首を振った。


「復讐するつもりはありませんでした。ただ、いつか——自分の仕事に、自分の名前をつけたかっただけです」


皇帝が、こちらを見た。氷青の瞳に、何かの感情が揺れている。読み取れない。けれど、冷たくはない。


「……そうか」


それだけ言って、皇帝は黙った。


翌日、状況は急変した。


「祖国が正式に抗議声明を出しました」


報告を持ってきた官吏の顔は、青ざめていた。


「『帝国は根拠のない言いがかりで、ローゼリア王国の外交官を侮辱している』と。さらに——」


官吏が言葉を切った。私を見る目に、困惑が浮かんでいる。


「フェリシア・シュタールの身柄引き渡しを要求しています。『婚約を放棄して逃亡した罪人』だと」


心臓が、冷たくなった。


「アルベルト・ヴァイス書記官は、『書類の齟齬はフェリシア・シュタールの捏造である』と主張しているそうです」


捏造。私が、証拠を偽造したと言っている。


「帝国内にも、一部から声が上がっています。『一人の官吏のために、隣国との関係を悪化させるべきではない』と」


当然の反応だ。私一人のために、国家間の関係が揺らいでいる。


「陛下」


私は皇帝に向き直った。


「私が出頭すれば——」


「黙れ」


皇帝の声が、鋭く響いた。


私は言葉を呑んだ。皇帝の表情が、初めて崩れていた。怒り——いや、違う。もっと複雑な何か。


「馬鹿なことを言うな」


皇帝が一歩、近づいた。


「お前を差し出して得られる平和に、何の価値がある」


「でも、陛下の治世に——」


「傷? 有能な臣下を守れぬ皇帝に、何の価値がある」


皇帝の声が、わずかに震えていた。


「俺は、お前を守りたいんだ」


心臓が、大きく跳ねた。


「皇帝としてではなく、俺が。俺個人が。……分かるか」


分かる。分かってしまった。


この人は、私を——


「陛下……」


「グレイシアだ」


皇帝が、私の手を取った。大きな手。温かい。


「二人の時は、そう呼べ」


喉が詰まって、声が出なかった。頷くことしかできない。


「俺は、お前を手放さない」


皇帝——グレイシアの目が、真っ直ぐに私を捉えている。


「これは皇帝としての判断ではない。俺個人の、意志だ」


その夜、さらに悪い知らせが届いた。


祖国からの正式な外交文書。封を切り、内容を読んで、私は息を呑んだ。


『フェリシア・シュタールの身柄引き渡しに応じない場合、ローゼリア王国は帝国との通商条約を破棄する用意がある』


通商条約。帝国と祖国を結ぶ、最も重要な経済協定。これが破棄されれば、両国の貿易は大打撃を受ける。


私一人のために、国家間の経済関係を壊すのか。


「フェリシア」


グレイシアの声がした。いつの間にか、隣に立っていた。


「その顔をするな」


「……でも」


「俺は、お前を渡さない」


グレイシアが、文書を取り上げた。一瞥して、机に投げ捨てる。


「通商条約を盾に取るなら、こちらにも考えがある。第三国の魔法鑑定士による書類検証を提案する。公正な場で、どちらの主張が正しいか明らかにすればいい」


「第三国……」


「中立国フロスティア連邦に依頼する。両国の書類を検証し、魔力痕から実際の作成者を特定する。捏造かどうか、白黒つけてやる」


グレイシアの目に、冷たい光が宿っていた。皇帝としての——戦う者の目だ。


「逃げるな、フェリシア」


「……はい」


「お前の戦いは、俺の戦いでもある。一人で抱え込むな」


胸が熱くなった。涙が出そうになるのを、必死で堪える。


「……ありがとうございます、グレイシア」


初めて、名前を呼んだ。皇帝の——グレイシアの耳が、かすかに赤くなった。


「……礼は、全てが終わってからでいい」


そう言って、グレイシアは窓の外を見た。夜空に、星が瞬いている。


戦いが、始まろうとしていた。

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