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三歩下がれと言われたので三千里離れた国へ逃げました  作者: 秋月 もみじ
第3章

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第10話 父と娘


謁見の間に向かう足が、重かった。


父に会う。あの父に。


私を影のように扱い、アルベルトの言いなりになり、私の成果を奪うことを黙認した父。


「姉様」


リーゼロッテが私の手を握った。その手も、震えている。


「大丈夫です。私も一緒にいます」


「……ありがとう、リーゼ」


私は深く息を吸い、謁見の間の扉を開けた。


そこに立っていたのは、私の記憶とは違う人物だった。


父、ハインリヒ・フォン・シュタール伯爵。かつては威厳に満ちた貴族だった。でも、今の父は痩せこけ、髪には白いものが混じり、目の下には深い隈がある。


「フェリシア」


父の声も、かすれていた。


「……久しぶりだな」


私は黙って父を見つめた。何を言えばいいのか、分からなかった。


「リーゼロッテも。二人とも、無事で良かった」


リーゼロッテが私の後ろに隠れるように立った。妹も、父にどう接していいか分からないのだろう。


「シュタール伯爵」


グレイシアが口を開いた。


「まず、状況を説明してもらおう。なぜ、帝国に来た」


父が深く頭を下げた。


「陛下。亡命をお許しいただき、感謝いたします」


「許可したわけではない。話を聞いてから判断する」


グレイシアの声は冷たい。当然だ。この男は、私を苦しめた張本人の一人なのだから。


父の話は、長かった。


ローゼリアで何が起きたのか。王太子エーリッヒがどうやって権力を掌握したのか。そして、父がなぜ逃げてきたのか。


「エーリッヒは、狂っています」


父の声には、恐怖が滲んでいた。


「父王を幽閉し、反対派を次々と処刑している。私も、危うく捕らえられるところでした」


「処刑?」


私は眉を寄せた。


「反王太子派の貴族が、処刑されているのですか?」


「ああ。リヒター子爵の父君も、昨日処刑された」


私は息を呑んだ。リヒター子爵の父。クラウス様の父親が。


「クラウス様は……」


「彼は、私と一緒に逃げてきた。今、別室で休んでいる」


父が言った。


「彼がいなければ、私も逃げられなかった」


「シュタール伯爵」


グレイシアが冷たく言った。


「お前が逃げてきた理由は分かった。だが、一つ聞きたいことがある」


「何でしょうか」


「お前は、フェリシアの父親だ。なぜ、彼女を守らなかった」


父が顔を歪めた。


「それは……」


「アルベルト・ヴァイスが、お前の娘の成果を奪った。お前は、それを黙認した。違うか」


「……違いません」


父の声が、小さくなった。


「私は、娘を守れなかった。それは、認めます」


「なぜだ」


「……弱かったからです」


父が俯いた。


「ヴァイス家は、ローゼリアで有力な家です。逆らえば、シュタール家は潰される。私は、家を守ることを優先してしまった」


「家を守るために、娘を犠牲にしたと?」


「……はい」


父の声は、震えていた。


私は黙って聞いていた。


怒りはある。当然、ある。でも、それ以上に、虚しさがあった。


父は、弱かっただけなのだ。悪意があったわけではない。ただ、弱くて、娘を守る勇気がなかっただけ。


「父上」


私は口を開いた。


「はい」


父が顔を上げた。その目に、涙が浮かんでいる。


「私は、あなたを恨んでいました」


父が顔を歪めた。


「当然だ。恨まれて当然のことをした」


「でも」


私は続けた。


「今は、もう恨んでいません」


父が驚いた顔をした。


「フェリシア……?」


「恨んでも、何も変わりません。過去は、変えられない」


私は父を真っ直ぐに見た。


「私は、もう前を向いています。この国で、新しい人生を歩んでいます。あなたを恨むことに、時間を使いたくありません」


父の目から、涙がこぼれた。


「……すまなかった」


「謝らなくていいです」


「いや、謝らせてくれ」


父が膝をついた。


「私は、お前を守れなかった。父親として、最低のことをした。許してくれとは言わない。ただ、謝らせてくれ」


私は黙って父を見下ろした。


かつて、威厳に満ちていた父。私を見下ろしていた父。その父が、今は私の足元で膝をついている。


「……立ってください」


私は言った。


「え?」


「立ってください。みっともないです」


父がゆっくりと立ち上がった。


「私は、あなたを許します」


父の目が見開かれた。


「でも、それは忘れるという意味ではありません。あなたがしたことは、覚えています。ただ、それに囚われて生きるのは、やめます」


私は深く息を吸った。


「私は、もうシュタール家の娘ではありません。アドラー帝国の皇妃です。過去ではなく、未来を見て生きます」


父との会話が終わった後、私は廊下に出た。


「フェリシア」


グレイシアが後を追ってきた。


「大丈夫か」


「……はい」


私は微笑んだ。でも、少し疲れていた。


「嘘をつくな」


グレイシアが私の顔を覗き込んだ。


「お前は、無理をしている」


「……少しだけ」


私は認めた。


「父に会うのは、辛かったです。でも、言いたいことは言えました」


「許すと言ったな」


「はい」


「本当に、許したのか?」


私は少し考えた。


「……分かりません。でも、許そうと思っています。それが、前に進むために必要なことだから」


グレイシアが私の肩を抱いた。


「お前は、強いな」


「そうでしょうか」


「ああ。俺には、できないかもしれない」


グレイシアの声が、僅かに震えた。


「俺も、父との関係は複雑だった。だから、お前の気持ちは分かる」


私はグレイシアを見上げた。この人も、何か抱えているのだ。


「いつか、話してくれますか?」


「……ああ。いつか」


グレイシアが私の髪を撫でた。


「今は、お前のことだけ考えろ。俺の話は、また今度だ」


翌日、リヒター子爵に会った。


「フェリシア様」


クラウス様は、疲れ切った顔をしていた。でも、その目には、まだ光がある。


「お悔やみ申し上げます。お父上のこと……」


「ありがとうございます」


クラウス様が頭を下げた。


「父は、自分の信念のために死にました。後悔はしていないと思います」


「……そうですか」


「それより、フェリシア様」


クラウス様が真剣な目で私を見た。


「ローゼリアを、助けてください」


私は眉を寄せた。


「助ける?」


「はい。エーリッヒは、暴君です。このままでは、ローゼリアは滅びます」


「でも、私はもうローゼリアの人間ではありません」


「分かっています」


クラウス様が言った。


「だからこそ、お願いしているのです。帝国の皇妃として、ローゼリアを救ってください」


私は黙った。


ローゼリアを救う。かつて、私を追い出した国を。


複雑な気持ちだった。


その夜、グレイシアに相談した。


「ローゼリアを救う、か」


グレイシアが呟いた。


「どう思われますか?」


「……難しい問題だな」


グレイシアが窓の外を見た。


「帝国が介入すれば、戦争になる可能性がある。多くの犠牲が出る」


「はい」


「だが、放置すれば、エーリッヒの暴政は続く。ローゼリアの民は、苦しみ続ける」


私は頷いた。


「私は……」


言葉が詰まった。


「私は、ローゼリアを恨んでいました。でも、ローゼリアの全ての人を恨んでいるわけではありません」


「ああ」


「リーゼロッテも、クラウス様も、ローゼリアの人です。彼らのような人を、見捨てたくありません」


グレイシアが私を見た。


「お前は、どうしたい」


「……ローゼリアを、助けたいです」


私は真っ直ぐにグレイシアを見た。


「でも、戦争は避けたい。別の方法があるなら、それを探したい」


グレイシアが頷いた。


「分かった」


「え?」


「お前の望みを、叶えよう」


グレイシアが私の手を取った。


「戦争を避けながら、ローゼリアを救う方法を探す。俺たちで、一緒に考えよう」


私は涙が溢れそうになった。


「……ありがとうございます」


「礼はいらん」


グレイシアが私の頬を撫でた。


「お前は、俺の妻だ。お前の望みを叶えるのは、俺の仕事だ」


窓の外を見ると、夜明けが近づいていた。


新しい一日が始まる。新しい戦いが始まる。


でも、私は一人じゃない。


グレイシアがいる。リーゼロッテがいる。エルザも、カロリーネも、クラウス様も。


仲間がいる。


私は、もう逃げない。


この国で、この人の隣で、戦っていく。


それが、私の選択だ。

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― 新着の感想 ―
私ももう少しこの後のこと知りたいな。ようやく結婚したばかり。これこらももっと手を携えて前に進んでいかなきゃいけないこと沢山あると思う。それらのことを私も見守って応援していきたいな。
途中までは凄く面白かっただけに、後半が残念。 緊迫した問題が山積みの状態なのに、この終わり方はないな… 申し訳ないけど☆減らしました
 亡命してくるのは自由だけど、Γ帝国を戦争に巻き込むな」と言いたい。   東宮別邸の警備、強化の割に緩すぎでは?  リーゼロッテの悲鳴が聞こえても、呼びに行かないと衛兵が来ないなんて。  少なくとも部…
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