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三歩下がれと言われたので三千里離れた国へ逃げました  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第3話 働き方改革、始めます


ギルド本部に採用されてから、一週間が過ぎた。


「人事顧問見習い」という肩書きをもらったものの、最初の数日は居場所がなかった。古参職員たちの視線は冷たく、廊下ですれ違うたびにひそひそと声が聞こえる。


「皇帝陛下の紹介状だって? 何者なの、あの女」


「貴族のお嬢様が、冒険者の何を知っているのかしらね」


聞こえるように言っているのだろう。私は気づかないふりをして、観察を続けた。


ギルド本部は、想像以上に混乱していた。受付には依頼の山が積み上がり、冒険者たちは疲れた顔で列を作っている。人気の依頼には人が殺到し、不人気の依頼は放置されたまま。報酬の計算を巡るトラブルも、一日に何件も起きていた。


「お嬢、何か分かったか?」


ギルド長のハインリヒが声をかけてきた。赤毛の大男で、顔中に傷がある。元A級冒険者だという話だが、納得の迫力だ。


「いくつか。まとめて報告してもよろしいですか」


「ああ、頼む」


一週間後、私は会議室で改革案を提出した。


「まず、依頼の適正配分システムを導入します」


並んだ古参職員たちの顔が強張る。ハインリヒだけが、腕を組んで黙って聞いている。


「冒険者のスキル、経験、体調を数値化し、依頼との相性を判定します。人気依頼への殺到を防ぎ、不人気依頼の放置を減らせます」


「そんなこと、できるわけが——」


「次に、休息日の義務化」


口を挟もうとした職員を遮り、私は続けた。


「連続稼働七日で強制休暇。現在の事故率を確認しましたが、過労による判断ミスが原因のものが三割を超えています。休ませた方が、長期的には効率がいい」


「素人が——」


「報酬の透明化。手数料の内訳を書面で明示し、冒険者に渡します。現状では何にいくら引かれているか分からず、不信感の原因になっています」


会議室が静まり返った。古参職員たちは顔を見合わせ、ハインリヒは眉を上げている。


「最後に、メンタルヘルス相談窓口の設置。仲間を失った冒険者が、翌日には次の依頼を受けている現状は異常です。元冒険者のカウンセラーを配置し、定期面談を行います」


沈黙。


「……で、それをどうやって実現するんだ?」


ハインリヒが口を開いた。敵意はない。純粋な疑問だ。


「一ヶ月、時間をください」


私は真っ直ぐにギルド長を見た。


「一ヶ月で成果が出なければ、私は辞めます。それでよろしいですか」


古参職員の一人が鼻で笑った。「素人の思いつきで現場を引っかき回されては困る」という顔だ。


構わない。結果で黙らせる。


一週間後。


ギルド本部の空気が、明らかに変わっていた。


「フェリシアさん、このマッチング表、すごく分かりやすいです!」


受付の若い職員が、目を輝かせて報告してくる。依頼配分システムの試験運用を始めてから、受付のトラブルが激減していた。


「得意な依頼を回してもらえるようになった」「休みが取れるなんて初めてだ」——冒険者たちの声も、少しずつ変わり始めている。


「事故率、二割減だってよ」


廊下で、古参職員たちがひそひそと話しているのが聞こえた。一週間前とは、声のトーンが違う。


「報酬の透明化も、文句言ってた連中が黙ったらしい」


「……マジかよ」


私は聞こえないふりをして、次の書類に目を落とした。口元が緩みそうになるのを、必死で堪える。


「お嬢」


ハインリヒが歩いてきた。腕を組み、私の顔をじっと見ている。


「すまなかった」


「……何がですか」


「見くびっていた。貴族のお嬢様が何を知っている、とな」


ギルド長が、深々と頭を下げた。周囲の職員たちが目を丸くしている。


「あんたの改革、本物だ。これからも頼む」


「……こちらこそ、よろしくお願いします」


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


五年間、誰にも認められなかった。自分の仕事に、自分の名前がつくことはなかった。でも、ここでは違う。一週間で、成果を見てもらえた。


やっと、私の居場所ができた気がした。


その日の夕方、執務室で書類と格闘していると、扉が開いた。


振り返ると、銀髪の男が立っていた。氷青の瞳が、真っ直ぐに私を見ている。


「陛下……?」


皇帝グレイシアだった。入国審査以来、直接会うのは初めてだ。なぜ、ギルド本部に。


「視察だ。構わなくていい」


素っ気ない声。けれど、その手には盆が載っていた。湯気の立つカップが一つ。


「……それは?」


「茶だ。喉に良い」


皇帝が、盆を机に置いた。


「会議で声を使いすぎていた。枯れていただろう」


私は目を瞬いた。確かに、今日は会議が長引いて、喉が痛かった。でも、なぜそれを。


「陛下、なぜわざわざ——」


「厨房に命じる暇がなかった」


早口だった。皇帝が、早口。無表情のまま、視線がわずかに逸れる。


……嘘だ。


皇帝が自ら厨房に行くわけがない。命じる暇がなかったなら、誰かに頼めばいい。なのに、自分で持ってきた。


「……ありがとうございます」


カップを手に取る。温かい。喉を通る液体が、疲れた体に染み渡っていく。


「悪くないか」


「はい、美味しいです」


皇帝は無表情のまま頷いた。けれど、どこか満足そうに見えるのは気のせいだろうか。


「改革の報告は読んだ」


話題が変わった。皇帝が懐から封書を取り出し、机に置く。


「開けろ」


言われるままに封を切る。中には、皇帝の署名入りの書状。内容を読んで、私は目を見開いた。


『フェリシア・シュタールの改革案を、帝国全土の冒険者ギルドに展開せよ。必要な予算と権限を与える』


「……全土、ですか」


「不満か」


「いえ、その……」


予想外だった。一つのギルドで試験運用しているだけの改革が、帝国全土に。


「やれるか」


皇帝の目が、真っ直ぐに私を捉えている。試しているのではない。純粋に、問うている。


私は、深く息を吸った。


「……やります」


逃げる理由はない。三千里下がってきたのは、自分の力を試すためだ。


皇帝が、わずかに口角を上げた。


「悪くない」


二度目の、その言葉。なぜか、胸が少しだけ跳ねた。

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