第9話 結婚式の日に
朝日が差し込む部屋で、私は鏡の前に立っていた。
純白のウェディングドレス。帝国式の刺繍が施された、美しい衣装。頭には銀のティアラが輝いている。
「姉様、綺麗……」
リーゼロッテが、涙ぐみながら言った。
「本当に、お姫様みたい」
「お姫様じゃないわ。今日から、皇妃よ」
そう言いながら、私自身も信じられない気持ちだった。
一年前、私は祖国で影のように生きていた。婚約者に成果を奪われ、三歩下がって歩けと言われ、自分の価値を見失いかけていた。
それが今、皇妃になろうとしている。
「フェリシア様」
エルザが入ってきた。いつもの冷静な表情だが、目元が少し赤い。
「お時間です」
「ええ」
私は深く息を吸い、立ち上がった。
大聖堂への道は、花で飾られていた。
馬車の窓から外を見ると、沿道に大勢の人々が集まっている。皆が手を振り、祝福の声を上げている。
「皇妃様、万歳!」
「おめでとうございます!」
私は窓から手を振った。こんなに多くの人が、私たちの結婚を祝ってくれている。
胸が熱くなった。
この国に来て、本当に良かった。
大聖堂に到着すると、荘厳な雰囲気が私を包んだ。
高い天井、ステンドグラスから差し込む光、香の匂い。帝国中の貴族が集まり、私の到着を待っていた。
扉が開く。
長い赤い絨毯の先に、グレイシア陛下が立っていた。
白い礼服に身を包んだ陛下は、いつもより凛々しく見えた。氷のような青い目が、真っ直ぐに私を見ている。
私は一歩を踏み出した。
ゆっくりと、絨毯の上を歩く。一歩、また一歩。
陛下の元に近づくにつれ、心臓が高鳴る。緊張と喜びが混ざり合って、足が震えそうになる。
でも、私は止まらなかった。
この人の元へ、歩いていく。それが、私の選択だから。
陛下の前に立った時、陛下が小声で言った。
「……綺麗だ」
たった一言。でも、その言葉に全ての感情が込められている気がした。
「ありがとうございます」
私も小声で返した。
司祭が祝詞を読み上げる。帝国の伝統に則った、厳かな儀式。
「グレイシア・フォン・アドラー陛下。この女性を妻として迎え、生涯を共にすることを誓いますか」
「誓う」
陛下の声は、いつもと変わらない。冷静で、揺るぎない。
「フェリシア・シュタール。この男性を夫として迎え、生涯を共にすることを誓いますか」
私は陛下を見た。氷のような青い目。でも、その奥に温かさがある。
「誓います」
私の声は、思ったより落ち着いていた。
「ここに、二人の婚姻が成立したことを宣言します」
司祭の言葉と共に、大聖堂に拍手が響いた。
私は、皇妃になった。
陛下が私の手を取った。
「フェリシア」
「はい」
「今日から、お前は俺の皇妃だ」
「はい」
「共に、この国を守っていく。いいな」
私は頷いた。
「はい、陛下」
「……グレイシアでいい」
私は驚いて陛下を見た。
「え?」
「二人の時は、名前で呼べ。お前は、もう俺の妻だ」
その言葉に、私は胸が熱くなった。
「……はい。グレイシア」
陛下の——グレイシアの目が、僅かに和らいだ。
披露宴が始まろうとした、その時だった。
大聖堂の扉が、勢いよく開かれた。
「陛下! 緊急の報せです!」
血相を変えた伝令が駆け込んできた。周囲がざわめく。
「何事だ」
グレイシアが冷たく問うた。
「ローゼリアで、クーデターが発生しました!」
私は息を呑んだ。
「クーデター……?」
「はい! 王太子エーリッヒが、父王を幽閉し、玉座を奪いました!」
会場が騒然となった。貴族たちがざわめき、悲鳴を上げる者もいる。
「静まれ」
グレイシアの声が響いた。一瞬で、会場が静まり返る。
「詳細を報告しろ」
「はい。王太子は昨夜、王城を制圧。父王と王妃を幽閉し、今朝、即位を宣言しました。反王太子派の貴族は、次々と拘束されているとのことです」
私は青ざめた。反王太子派。リヒター子爵も、その一員だ。
「リーゼ」
私は妹を見た。リーゼロッテの顔も、真っ白になっている。
「クラウス様は……」
「分からない。でも——」
私は言葉を詰まらせた。最悪の事態が、頭をよぎる。
「陛下」
ヴェルナーが近づいてきた。
「追加の情報です。新王エーリッヒは、帝国に対して宣戦布告の準備を進めているとの情報があります」
「宣戦布告だと?」
「はい。フェリシア様の身柄引き渡しを再度要求し、拒否された場合は開戦する構えのようです」
私は唇を噛んだ。
結局、私が原因なのだ。私がいるから、帝国とローゼリアの関係が悪化している。
「フェリシア」
グレイシアが私の手を握った。
「変な考えを起こすな」
「でも——」
「お前を差し出すつもりはない。何があっても」
グレイシアの目が、真っ直ぐに私を見ている。
「お前は、俺の妻だ。俺の国の皇妃だ。誰にも、渡さない」
その言葉に、私は涙が溢れそうになった。
披露宴は、予定を短縮して行われた。
祝いの席のはずが、重苦しい空気が漂っている。でも、グレイシアは動じなかった。
「諸君」
グレイシアが立ち上がり、声を上げた。
「ローゼリアでクーデターが起きた。新王は、帝国に敵対する姿勢を見せている」
会場が静まり返った。
「だが、恐れることはない。帝国は、いかなる脅威にも屈しない」
グレイシアの声は、冷たく、力強い。
「そして、俺の皇妃を脅かす者は、誰であろうと許さない」
その言葉に、貴族たちが頷いた。
「帝国万歳!」
「陛下万歳!」
「皇妃様万歳!」
歓声が上がった。重苦しい空気が、少しだけ晴れた気がした。
披露宴が終わり、私たちは皇帝の居室に戻った。
「グレイシア」
私は夫の名を呼んだ。まだ、少し照れくさい。
「何だ」
「……これから、どうなるのでしょうか」
グレイシアは窓の外を見た。
「分からん。だが、最悪の場合、戦争になる」
「戦争……」
「ああ。だが、それは避けたい。戦争は、多くの犠牲を生む」
グレイシアが振り返り、私を見た。
「お前に、頼みがある」
「何でしょうか」
「ローゼリアのことは、お前の方が詳しい。外交交渉で、力を貸してほしい」
私は頷いた。
「もちろんです。私にできることなら、何でも」
「……ありがとう」
グレイシアが私の手を取った。
「今日は、結婚式だった。本来なら、もっと幸せな夜のはずだったのに」
「いいえ」
私は首を横に振った。
「幸せです。あなたの妻になれて、本当に幸せです」
「……そうか」
グレイシアの目が、僅かに和らいだ。
「俺も、幸せだ」
その言葉に、私は微笑んだ。
その夜、私たちは並んで窓の外を見た。
月が、静かに輝いている。
「グレイシア」
「何だ」
「私、逃げません」
グレイシアが私を見た。
「どんなことがあっても、あなたの隣にいます。それが、私の誓いです」
グレイシアは少し黙り、それから口を開いた。
「……俺も、同じだ」
「え?」
「お前を、守る。何があっても、お前の傍にいる。それが、俺の誓いだ」
その言葉に、私は胸が熱くなった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん」
グレイシアが私の肩を抱いた。
「俺たちは、夫婦だ。共に戦い、共に生きる。それが、当然のことだ」
私は頷き、グレイシアの胸に頭を預けた。
この人の隣にいれば、何があっても乗り越えられる。
私は、そう信じている。
翌朝、緊急の報告が届いた。
「陛下、皇妃様。ローゼリアから、使者が来ました」
「使者?」
「はい。新王エーリッヒの使者ではなく……」
伝令が言葉を詰まらせた。
「誰だ」
「……リヒター子爵です。反王太子派の残党を率いて、帝国に亡命を求めています」
私は驚いた。
「クラウス様が……」
「そして、もう一人」
伝令が続けた。
「シュタール伯爵——フェリシア様とリーゼロッテ様の父君が、同行されています」
私は言葉を失った。
父が。あの父が、帝国に来た?
「……どういうこと?」
私の声は、震えていた。




