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三歩下がれと言われたので三千里離れた国へ逃げました  作者: 秋月 もみじ
第3章

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第9話 結婚式の日に


朝日が差し込む部屋で、私は鏡の前に立っていた。


純白のウェディングドレス。帝国式の刺繍が施された、美しい衣装。頭には銀のティアラが輝いている。


「姉様、綺麗……」


リーゼロッテが、涙ぐみながら言った。


「本当に、お姫様みたい」


「お姫様じゃないわ。今日から、皇妃よ」


そう言いながら、私自身も信じられない気持ちだった。


一年前、私は祖国で影のように生きていた。婚約者に成果を奪われ、三歩下がって歩けと言われ、自分の価値を見失いかけていた。


それが今、皇妃になろうとしている。


「フェリシア様」


エルザが入ってきた。いつもの冷静な表情だが、目元が少し赤い。


「お時間です」


「ええ」


私は深く息を吸い、立ち上がった。


大聖堂への道は、花で飾られていた。


馬車の窓から外を見ると、沿道に大勢の人々が集まっている。皆が手を振り、祝福の声を上げている。


「皇妃様、万歳!」


「おめでとうございます!」


私は窓から手を振った。こんなに多くの人が、私たちの結婚を祝ってくれている。


胸が熱くなった。


この国に来て、本当に良かった。


大聖堂に到着すると、荘厳な雰囲気が私を包んだ。


高い天井、ステンドグラスから差し込む光、香の匂い。帝国中の貴族が集まり、私の到着を待っていた。


扉が開く。


長い赤い絨毯の先に、グレイシア陛下が立っていた。


白い礼服に身を包んだ陛下は、いつもより凛々しく見えた。氷のような青い目が、真っ直ぐに私を見ている。


私は一歩を踏み出した。


ゆっくりと、絨毯の上を歩く。一歩、また一歩。


陛下の元に近づくにつれ、心臓が高鳴る。緊張と喜びが混ざり合って、足が震えそうになる。


でも、私は止まらなかった。


この人の元へ、歩いていく。それが、私の選択だから。


陛下の前に立った時、陛下が小声で言った。


「……綺麗だ」


たった一言。でも、その言葉に全ての感情が込められている気がした。


「ありがとうございます」


私も小声で返した。


司祭が祝詞を読み上げる。帝国の伝統に則った、厳かな儀式。


「グレイシア・フォン・アドラー陛下。この女性を妻として迎え、生涯を共にすることを誓いますか」


「誓う」


陛下の声は、いつもと変わらない。冷静で、揺るぎない。


「フェリシア・シュタール。この男性を夫として迎え、生涯を共にすることを誓いますか」


私は陛下を見た。氷のような青い目。でも、その奥に温かさがある。


「誓います」


私の声は、思ったより落ち着いていた。


「ここに、二人の婚姻が成立したことを宣言します」


司祭の言葉と共に、大聖堂に拍手が響いた。


私は、皇妃になった。


陛下が私の手を取った。


「フェリシア」


「はい」


「今日から、お前は俺の皇妃だ」


「はい」


「共に、この国を守っていく。いいな」


私は頷いた。


「はい、陛下」


「……グレイシアでいい」


私は驚いて陛下を見た。


「え?」


「二人の時は、名前で呼べ。お前は、もう俺の妻だ」


その言葉に、私は胸が熱くなった。


「……はい。グレイシア」


陛下の——グレイシアの目が、僅かに和らいだ。


披露宴が始まろうとした、その時だった。


大聖堂の扉が、勢いよく開かれた。


「陛下! 緊急の報せです!」


血相を変えた伝令が駆け込んできた。周囲がざわめく。


「何事だ」


グレイシアが冷たく問うた。


「ローゼリアで、クーデターが発生しました!」


私は息を呑んだ。


「クーデター……?」


「はい! 王太子エーリッヒが、父王を幽閉し、玉座を奪いました!」


会場が騒然となった。貴族たちがざわめき、悲鳴を上げる者もいる。


「静まれ」


グレイシアの声が響いた。一瞬で、会場が静まり返る。


「詳細を報告しろ」


「はい。王太子は昨夜、王城を制圧。父王と王妃を幽閉し、今朝、即位を宣言しました。反王太子派の貴族は、次々と拘束されているとのことです」


私は青ざめた。反王太子派。リヒター子爵も、その一員だ。


「リーゼ」


私は妹を見た。リーゼロッテの顔も、真っ白になっている。


「クラウス様は……」


「分からない。でも——」


私は言葉を詰まらせた。最悪の事態が、頭をよぎる。


「陛下」


ヴェルナーが近づいてきた。


「追加の情報です。新王エーリッヒは、帝国に対して宣戦布告の準備を進めているとの情報があります」


「宣戦布告だと?」


「はい。フェリシア様の身柄引き渡しを再度要求し、拒否された場合は開戦する構えのようです」


私は唇を噛んだ。


結局、私が原因なのだ。私がいるから、帝国とローゼリアの関係が悪化している。


「フェリシア」


グレイシアが私の手を握った。


「変な考えを起こすな」


「でも——」


「お前を差し出すつもりはない。何があっても」


グレイシアの目が、真っ直ぐに私を見ている。


「お前は、俺の妻だ。俺の国の皇妃だ。誰にも、渡さない」


その言葉に、私は涙が溢れそうになった。


披露宴は、予定を短縮して行われた。


祝いの席のはずが、重苦しい空気が漂っている。でも、グレイシアは動じなかった。


「諸君」


グレイシアが立ち上がり、声を上げた。


「ローゼリアでクーデターが起きた。新王は、帝国に敵対する姿勢を見せている」


会場が静まり返った。


「だが、恐れることはない。帝国は、いかなる脅威にも屈しない」


グレイシアの声は、冷たく、力強い。


「そして、俺の皇妃を脅かす者は、誰であろうと許さない」


その言葉に、貴族たちが頷いた。


「帝国万歳!」


「陛下万歳!」


「皇妃様万歳!」


歓声が上がった。重苦しい空気が、少しだけ晴れた気がした。


披露宴が終わり、私たちは皇帝の居室に戻った。


「グレイシア」


私は夫の名を呼んだ。まだ、少し照れくさい。


「何だ」


「……これから、どうなるのでしょうか」


グレイシアは窓の外を見た。


「分からん。だが、最悪の場合、戦争になる」


「戦争……」


「ああ。だが、それは避けたい。戦争は、多くの犠牲を生む」


グレイシアが振り返り、私を見た。


「お前に、頼みがある」


「何でしょうか」


「ローゼリアのことは、お前の方が詳しい。外交交渉で、力を貸してほしい」


私は頷いた。


「もちろんです。私にできることなら、何でも」


「……ありがとう」


グレイシアが私の手を取った。


「今日は、結婚式だった。本来なら、もっと幸せな夜のはずだったのに」


「いいえ」


私は首を横に振った。


「幸せです。あなたの妻になれて、本当に幸せです」


「……そうか」


グレイシアの目が、僅かに和らいだ。


「俺も、幸せだ」


その言葉に、私は微笑んだ。


その夜、私たちは並んで窓の外を見た。


月が、静かに輝いている。


「グレイシア」


「何だ」


「私、逃げません」


グレイシアが私を見た。


「どんなことがあっても、あなたの隣にいます。それが、私の誓いです」


グレイシアは少し黙り、それから口を開いた。


「……俺も、同じだ」


「え?」


「お前を、守る。何があっても、お前の傍にいる。それが、俺の誓いだ」


その言葉に、私は胸が熱くなった。


「……ありがとうございます」


「礼はいらん」


グレイシアが私の肩を抱いた。


「俺たちは、夫婦だ。共に戦い、共に生きる。それが、当然のことだ」


私は頷き、グレイシアの胸に頭を預けた。


この人の隣にいれば、何があっても乗り越えられる。


私は、そう信じている。


翌朝、緊急の報告が届いた。


「陛下、皇妃様。ローゼリアから、使者が来ました」


「使者?」


「はい。新王エーリッヒの使者ではなく……」


伝令が言葉を詰まらせた。


「誰だ」


「……リヒター子爵です。反王太子派の残党を率いて、帝国に亡命を求めています」


私は驚いた。


「クラウス様が……」


「そして、もう一人」


伝令が続けた。


「シュタール伯爵——フェリシア様とリーゼロッテ様の父君が、同行されています」


私は言葉を失った。


父が。あの父が、帝国に来た?


「……どういうこと?」


私の声は、震えていた。

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