表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三歩下がれと言われたので三千里離れた国へ逃げました  作者: 秋月 もみじ
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/30

第10話 皇妃の条件


修了式は、晴れやかな朝に行われた。


東宮別棟の大広間に、重臣たちが集まっている。正面には皇帝の紋章が掲げられ、窓からは春の光が差し込んでいた。三ヶ月前、この場所に来た時とは全てが違う。あの頃は孤立していた。今は——味方がいる。


「フェリシア・シュタール。前へ」


エルザの声に促され、私は広間の中央に進み出た。


「本日をもって、皇妃教育課程の全てを修了いたしました。帝国史、宮廷礼法、外交儀礼、領地経営——いずれも、基準を満たしております」


エルザが書類を読み上げる。淡々とした声。いつもと変わらない、実務的な口調。


「よって、フェリシア・シュタールを、皇妃候補としての資格を有する者と認めます」


重臣たちが頷く。中には、三ヶ月前は私に冷たい目を向けていた者もいた。今、彼らの目には敬意が宿っている。


「エルザ殿、一言よろしいですか」


「何でしょう」


「ありがとうございました。あなたの指導がなければ、私はここに立てていませんでした」


エルザが眼鏡を押し上げた。その口元が、わずかに緩む。


「合格です」


いつもの言葉。でも、その後に——


「……いえ、最初から分かっていました」


「え?」


「あなたは、皇妃にふさわしい。最初にお会いした時から、そう思っていました。ただ——」


エルザが小さく笑った。初めて見る、温かな笑み。


「それを証明するのは、私ではなく、あなた自身の役目でしたから」


胸が熱くなった。厳しく、時に冷たく見えた指導。でも、それは全て——私が自分の力で証明できるように、という配慮だったのだ。


「ありがとうございます。本当に」


「こちらこそ。——良い弟子でした」


重臣たちの拍手が響いた。


修了式の後、私は皇帝の執務室に向かった。


扉を叩くと、すぐに返事があった。


「入れ」


中に入ると、グレイシアは窓際に立っていた。いつもの場所。いつもの姿。でも、今日は何かが違う。空気が、少しだけ柔らかい。


「修了式、終わったか」


「はい。無事に」


「そうか。……よくやった」


「ありがとうございます」


沈黙が落ちた。グレイシアが振り返る。その目が、真っ直ぐ私を見つめていた。


「フェリシア」


「はい」


「あの時——最初に婚約を申し込んだ時、俺は嘘をついた」


「嘘、ですか」


「偽装だと言った。政治的な保護策だと。——あれは、嘘だった」


心臓が跳ねた。分かっていた。第1章の終わりに、彼は本心を明かしてくれた。でも、今また——


「今度は、本当のことを言う」


グレイシアが一歩、近づいた。


「俺の隣で、共に歩いてくれ」


「陛下……」


「皇妃としてではなく、お前として。フェリシア・シュタールという一人の女性として——俺の傍にいてくれ」


彼の手が、私の手を取った。大きくて、温かい手。三ヶ月前と同じ。でも、今はもう——偽装なんかじゃない。


「皇妃の条件なんて、どうでもいい。教養があるとか、血筋がいいとか、そんなものは関係ない。俺が求めているのは——」


言葉が途切れた。グレイシアが、珍しく言葉を探している。


「……お前だ。お前だけだ」


涙が溢れた。堪えようとしたけれど、無理だった。


「はい」


声が震える。でも、はっきりと答えた。


「はい。喜んで」


グレイシアの目が揺れた。そして——初めて見る、本当の笑顔。


「ありがとう」


その一言が、何より嬉しかった。


バルコニーに出ると、帝都の街並みが広がっていた。


春の風が心地よい。隣にはグレイシアがいる。彼の手が、まだ私の手を握っている。


「結婚式は、来月にしよう」


「来月……早いですね」


「待てない」


短い言葉。でも、その声には——照れが滲んでいた。


「陛下」


「グレイシアでいい」


「……グレイシア」


名前を呼ぶと、彼の耳が赤くなった。もう何度も見た光景。でも、何度見ても——可愛いと思ってしまう。


「来月。楽しみにしています」


「ああ」


街を見下ろしながら、私たちは黙って立っていた。言葉はなくても、伝わるものがある。そういう関係を、私たちは築いてきた。


「フェリシア」


「はい」


「……幸せにする」


「私も、あなたを幸せにします」


グレイシアが少し驚いたような顔をした。そして、小さく笑った。


「対等だな、やはり」


「当然です」


風が吹いて、髪が揺れた。春の匂いがする。新しい季節の、始まりの匂い。


部屋に戻ると、カロリーネとエルザが待っていた。


「おめでとうございます、フェリシア様」


カロリーネが微笑んだ。以前の儚げな雰囲気は消え、今は穏やかな表情をしている。


「ありがとうございます。カロリーネ様こそ——これからどうされますか」


「北部の修道院で、しばらく静かに過ごすつもりです。叔母様の騒動が落ち着いたら、また新しいことを始めたいと思っています」


「いつでも、力になりますよ」


「ありがとうございます。……友人として」


友人。その言葉が、嬉しかった。敵だった相手が、今は友人になっている。


「エルザさんも、ありがとうございました」


「私は仕事をしただけです」


相変わらずの口調。でも、その目は優しかった。


「結婚式の準備、お手伝いいたします。——皇妃殿下」


「まだ皇妃じゃありませんよ」


「来月にはなります。慣れておいてください」


エルザが眼鏡を押し上げて、くすりと笑った。


二人が去った後、机の上に手紙が置かれているのに気づいた。


見覚えのある封蝋。シュタール伯爵家の紋章。


リーゼロッテからだ。


封を切り、中を読んだ。


『姉様へ


評議会での勝利、宮廷での勝利、おめでとうございます。遠くからですが、ずっと応援していました。


姉様、私は決めました。帝国に行きます。


もう、この国にいる理由がありません。父上はまだ姉様を『取り戻す』ことに執着していますが、私はそれに付き合うつもりはありません。私も、自分の人生を選びます。姉様のように。


そして——お伝えしなければならないことがあります。


ローゼリアで、何かが起きようとしています。宰相閣下が失脚した後、宮廷内の空気が変わりました。王太子派と第二王子派の対立が激化し、不穏な動きがあるようです。詳しいことは分かりませんが、姉様にも関係があるかもしれません。


帝国に着いたら、直接お話しします。


もうすぐ、お会いできますね。楽しみにしています。


リーゼロッテより』


手紙を読み終えて、私は窓の外を見た。


リーゼロッテが来る。そして、祖国で何かが起きようとしている。


でも今は——今だけは。


左手の婚約指輪を見つめた。深い青の宝石が、夕陽を反射して輝いている。


三ヶ月前、東宮に来た時は何もなかった。味方も、居場所も、未来も。でも今は——全てがある。


信頼できる師がいる。友人がいる。そして、隣を歩いてくれる人がいる。


「ただいま」


誰にともなく呟いた。


ここが、私の居場所だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 国外追放になっているんだから、愚かな祖国で何がおきようと、いまさら関係ないって。  あとは、幸せになるだけのはず。
めっちゃ読みやすくて面白かった 無駄のない語りと分かりやすい状況説明と個性のあるキャラクターでテンポのいい物語を作り出していて、尚且つ中身が詰まってるので1ページ1ページをじっくり読み込めて、20ペー…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ