第7話 大陸評議会の攻防
大会議場は、厳粛な空気に満ちていた。
円形に配置された席に、各国の代表が着席している。正面には議長席、その両脇にフロスティア連邦の紋章。天井から差し込む光が、大理石の床を白く照らしている。
私は帝国代表団の席に座っていた。隣にはハンスが控え、後方には帝国外務省から派遣された書記官たちがいる。向かい側には——ローゼリア王国の代表団。ヴィルヘルム宰相が、冷たい目でこちらを見ていた。
「第百二十三回大陸評議会を開会いたします」
議長の声が響いた。フロスティア連邦の首相が務める、中立の立場だ。
「本日の議題は、ローゼリア王国より提出された緊急動議。『アドラー帝国による自国民誘拐事案について』。——ローゼリア王国代表、ご発言ください」
ヴィルヘルム宰相が立ち上がった。
「議長、各国代表の皆様。ローゼリア王国は、重大な人権侵害について報告いたします」
彼の声が、会議場に響く。
「およそ半年前、我が国の貴族令嬢フェリシア・シュタールが、アドラー帝国によって誘拐されました。彼女は現在、帝国で『顧問官』なる地位に就いていると称していますが、これは誘拐と洗脳の結果に他なりません」
ざわめきが広がった。私は表情を変えずに聞いていた。
「我が国は、フェリシア・シュタールの即時解放と、帝国への厳重な抗議を求めます」
ヴィルヘルムが着席した。議長が各国代表を見回す。
「帝国代表、ご反論は?」
私は立ち上がった。
「議長、発言の許可を求めます。私自身が、証人として証言いたします」
ざわめきが大きくなった。「誘拐された被害者」が、自ら証言台に立つ。それが何を意味するか、全員が理解している。
「許可します」
私は証言台に立った。
全ての視線が集中している。ヴィルヘルム宰相の冷たい目、各国代表の好奇の目、そして——この場の全員が、私の言葉を待っている。
深呼吸をした。そして、口を開いた。
「私、フェリシア・シュタールは、誘拐などされておりません」
会議場が静まり返った。
「私は自分の意志で祖国を去りました。なぜなら——私の仕事を奪い、私の名誉を傷つけたのは、他ならぬ祖国だからです」
ヴィルヘルム宰相の目が鋭くなった。だが、私は構わず続けた。
「私はローゼリア王国外務省で五年間勤務しました。翻訳、条約草案の作成、外交交渉の補佐。その全てを、私は自分の手で行いました」
書類鞄から、業務記録の写しを取り出す。
「しかし、その功績は全て、当時の婚約者であったアルベルト・ヴァイス書記官の名義で提出されました。私の署名は書き換えられ、私の仕事は奪われました」
書類を議長に渡す。議長が目を通し、眉をひそめた。
「これは……」
「五年分の業務記録の写しです。原本は外務省にありますが、私は常に控えを保管していました。そして——」
もう一つの書類を取り出す。
「こちらは、フロスティア連邦の魔法鑑定士による検証結果です。原本と提出版の魔力痕を比較した結果、二十三件全ての文書において、私の署名がアルベルト・ヴァイスの署名に書き換えられていたことが証明されました」
会議場がどよめいた。各国代表が顔を見合わせる。
「この検証は、中立国であるフロスティア連邦の専門家によって行われました。公正な第三者の判断です」
私はヴィルヘルム宰相を見た。
「宰相閣下。私は誘拐されたのではありません。私は、自分の仕事を取り戻すために祖国を出ました。そして、実力を正当に評価してくれる国で、新しい人生を始めました。——それを『誘拐』と呼ぶのであれば、言葉の意味を辞書でお調べになることをお勧めします」
どよめきの中に、笑い声が混じった。ヴィルヘルムの顔が歪む。
「詭弁だ!」
彼が立ち上がった。
「その記録が本物である証拠はない。帝国で偽造された可能性もある!」
「偽造ではありません。検証を行ったのは、フロスティア連邦の魔法鑑定士です。帝国ではなく、中立国の専門家です」
「しかし——」
「宰相閣下」
私は一歩、前に出た。
「もし私の証拠が偽造だと主張されるなら、ローゼリア王国も同様の検証を依頼されてはいかがですか。外務省に保管されている原本を、フロスティア連邦の鑑定士に調べてもらえばいい。——できますか?」
沈黙が落ちた。
ヴィルヘルムは答えなかった。答えられないのだ。原本を調べれば、改竄の事実が再び証明される。それを分かっているから、彼は黙るしかない。
「議長」
私は議長に向き直った。
「私は、誘拐などされていません。私は自分の意志で帝国に来ました。自分の足で歩き、自分の力で地位を得ました。それを証明する記録も、検証結果もあります。——ローゼリア王国の主張には、何の根拠もありません」
議長が咳払いをした。
「各国代表の皆様、ご意見は?」
南方諸侯国連合の代表が手を挙げた。
「シュタール顧問官の証言と証拠は、十分に信頼に足ると考えます。フロスティア連邦の検証結果は、以前から公表されていたものであり、今回新たに偽造された可能性は低い」
フロスティア連邦の外務大臣が頷いた。
「我が国の鑑定士が行った検証は、厳正な手続きに基づいています。その信頼性を疑う理由はありません」
次々と発言が続いた。その大半が、ローゼリアの主張に否定的だった。
ヴィルヘルム宰相の顔色が、みるみる悪くなっていく。
「議長、採決を求めます」
連邦外務大臣の声に、議長が頷いた。
「では、採決を行います。ローゼリア王国の動議——『アドラー帝国による自国民誘拐事案の認定』について。賛成の方は挙手を」
沈黙。誰も手を挙げなかった。ローゼリアの代表団さえも、ヴィルヘルムを除いて動かない。
「反対の方は?」
ほぼ全員の手が挙がった。
「動議は否決されました。ローゼリア王国の主張は、根拠不十分として退けられます」
その瞬間、私は深く息を吐いた。
勝った。
評議会が閉会した後、廊下でフロスティア連邦の外務大臣に声をかけられた。
「お見事でした、シュタール顧問官」
「ありがとうございます。公正な場を提供していただいたおかげです」
「いえいえ。しかし、あの宰相の顔は見ものでしたな」
大臣が小さく笑った。
「国際社会の場で、あれほど完璧に論破されたのは初めてでしょう。ローゼリアの信用は、さらに落ちましたな」
「私は、真実を述べただけです」
「それが一番強い武器だということが、今日証明されました」
大臣が頭を下げ、去っていった。
私は窓の外を見た。午後の日差しが、会議場の庭園を照らしている。
勝った。評議会で、祖国の主張を退けた。これで、「誘拐された被害者」という虚偽のレッテルは剥がれた。
でも——まだ終わりではない。
宮廷内の内通者。オットー伯爵とヘルガ夫人。彼らの問題は、まだ解決していない。
「帰らないと」
小さく呟いて、私は宿舎への道を歩き始めた。
帝都で、待っている人がいる。そして、片付けなければならない問題がある。
評議会での勝利は、終わりではない。始まりだ。




