表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三歩下がれと言われたので三千里離れた国へ逃げました  作者: 秋月 もみじ
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/30

第3話 舞踏会の一曲


鏡の中の自分が、別人のように見えた。


深い青のドレスに身を包み、髪は編み込んでまとめ上げられている。控えめだが上質な宝石のイヤリング。首元には——グレイシアから貰った婚約指輪と同じ、青い宝石のネックレス。


「お似合いです」


エルザが淡々と言った。彼女の「お似合いです」は、他の人の「素晴らしい」より信頼できる。


「ありがとうございます。でも、緊張します」


「当然です。今夜は皇帝陛下主催の舞踏会。帝国中の貴族が集まります。皇妃候補としての初めての公式な場」


分かっている。だからこそ、胃が痛い。


「一つ、覚悟しておいてください」


「何でしょう」


「おそらく、誰もあなたをダンスに誘いません」


予想はしていた。保守派の貴族たちにとって、私は招かれざる客だ。外国人で、爵位もなく、実力だけでのし上がってきた女。そんな相手と踊れば、保守派から睨まれる。だから誰も近寄らない。


「孤立する、ということですね」


「ええ。それでも、堂々としていてください。動揺を見せれば、彼らの思う壺です」


「分かりました」


深呼吸をして、部屋を出た。


大広間は、眩いばかりの光に満ちていた。


シャンデリアが天井から無数の光を降らせ、貴族たちの宝石が煌めく。楽団の奏でる優雅な旋律。笑い声と囁き声が混じり合う、華やかな空間。


私が入場すると、近くにいた貴婦人たちが一斉に顔を背けた。


分かっていたことだ。分かっていても、胸が痛む。


壁際に移動し、グラスを手に取った。飲む気はないが、何か持っていないと手持ち無沙汰になる。周囲の視線を感じながら、私は静かに佇んでいた。


一曲目が終わり、二曲目が始まる。誰も近づいてこない。


三曲目。四曲目。時間だけが過ぎていく。


周囲では、貴族たちが楽しそうに踊っている。カロリーネの姿も見えた。彼女は複数の貴公子に囲まれ、優雅にダンスを披露している。それが本来の皇妃候補の姿なのだろう。私とは違う。


「……大丈夫」


小さく呟いた。誰に言い聞かせているのか、自分でも分からない。


五曲目が終わった時、広間の空気が変わった。


ざわめきが波のように広がり、人々が道を空けていく。その先から歩いてきたのは——


「陛下……?」


グレイシアだった。


皇帝の正装に身を包み、無表情のまま真っ直ぐ私に向かってくる。周囲の貴族たちが息を呑む気配がした。


彼は私の前で立ち止まり、手を差し出した。


「一曲、踊れるか」


心臓が跳ねた。皇帝が自ら、皇妃候補をダンスに誘う。それが何を意味するか、この場にいる全員が理解している。


「……よろしいのですか」


「皇帝として、婚約者と一曲踊ることに問題はない」


建前だ。公の場での中立を保つため、彼は私に近づかないはずだった。それなのに——


「光栄です」


その手を取った。大きくて、温かい手。


楽団が新しい曲を奏で始める。ゆったりとしたワルツ。グレイシアの手が私の腰に添えられ、私たちは踊り始めた。


周囲の視線が集中しているのが分かる。驚き、困惑、そして——保守派の貴婦人たちの、隠しきれない憤り。


「注目されていますね」


小声で言うと、グレイシアが低く答えた。


「構わん」


「陛下の立場が——」


「俺の婚約者が、一人で壁際に立っている方が問題だ」


見ていたのだ。ずっと、見ていてくれたのだ。


「……ありがとうございます」


「礼を言うな。これくらいしかできん」


本当は、もっとしたいのだろう。でも、皇帝という立場が彼を縛っている。公の場では中立を保たねばならない。派閥争いに介入できない。それでも、この一曲だけは——


「想像より長い三ヶ月だ」


グレイシアが呟いた。その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「私もです」


「あと二ヶ月。……待てるか」


「待ちます」


「そうか」


彼の手が、わずかに強く私を引き寄せた。ほんの数センチ。周囲には気づかれない程度の距離。でも、その温もりが胸に染みた。


曲が終わりに近づく。名残惜しいが、これ以上は——


「次の舞踏会でも、一曲だけは踊る」


「え?」


「約束だ」


グレイシアの目が、真っ直ぐ私を見ていた。無表情の奥に、確かな感情が灯っている。


曲が終わった。私たちは離れ、互いに礼をした。


「ありがとうございました、陛下」


「ああ」


彼は踵を返し、玉座の方へ戻っていった。その背中を見送りながら、私は胸の高鳴りを抑えようとした。


周囲のざわめきが大きくなる。貴族たちが互いに囁き合っている。皇帝が自ら踊りに来た——その意味を、誰もが理解している。


壁際に戻ると、さっきまでとは空気が違っていた。何人かの貴族が、遠巻きにこちらを窺っている。敵意だけでなく、好奇や打算の目も混じっている。


「……少しは、風向きが変わったかしら」


独り言のように呟いて、私はグラスに口をつけた。


舞踏会が終わり、大広間を後にしようとした時だった。


回廊を歩いていると、曲がり角の向こうから声が聞こえてきた。


「——そろそろ、本格的に動きましょう」


足を止めた。聞き覚えのない男性の声だ。


「焦る必要はありませんわ、オットー伯爵。まだ時間は——」


ヘルガ夫人の声。私は咄嗟に柱の陰に身を隠した。


「しかし、今夜の舞踏会をご覧になったでしょう。陛下があの女を庇っている。このままでは、既成事実が積み上がってしまいます」


「分かっておりますわ。ですから、もう少しだけ——」


「ローゼリアからの連絡を待ちましょう。あちらの準備が整えば、一気に片がつきます」


ローゼリア。祖国の名前が出た瞬間、背筋が凍った。


「……そうですわね。では、連絡を待ちましょう」


足音が遠ざかっていく。私は柱の陰で息を殺していた。


ローゼリアとの連絡。「本格的に動く」という言葉。何かが企まれている。それも、私を排除するための何かが。


「……エルザさんに、報告しないと」


小さく呟いて、私は東宮別棟への道を急いだ。


部屋に戻ると、エルザが待っていた。


「お帰りなさい。舞踏会は——」


「エルザさん、聞いてください」


彼女の言葉を遮り、私は回廊で聞いた会話を伝えた。ヘルガ夫人と、オットー伯爵という男。そしてローゼリアという単語。


エルザの表情が、みるみる険しくなっていった。


「オットー・フォン・レーヴェンシュタイン伯爵……宮廷外務顧問です。かつてローゼリアに駐在していた経歴があります」


「つまり、祖国との繋がりがある?」


「可能性は高いですね」


エルザが窓の外を見た。夜空に星が瞬いている。


「今夜は、ひとまずお休みください。明日、詳しく調べます」


「でも——」


「焦っても仕方ありません。情報が足りない状態で動けば、こちらが不利になります。まずは、相手の動きを見極めましょう」


彼女の言葉は正しかった。前世でも、拙速な判断が失敗を招いた経験がある。今は情報を集める時だ。


「……分かりました」


「それと」


エルザが、小さな包みをテーブルに置いた。


「陛下の執務室から、また届いています」


開けると、今度は干し果物だった。そして、紙片が一枚。


『一曲だけですまなかった』


また、あの不器用な字。不器用な言葉。でも——


「……十分です」


呟いて、私は干し果物を一粒、口に含んだ。甘酸っぱい味が、舌の上に広がる。


三ヶ月のうち、一ヶ月が過ぎた。


残り二ヶ月。まだまだ先は長い。そして、どうやら——思っていた以上に、険しい道のりになりそうだ。


でも、待っていてくれる人がいる。見ていてくれる人がいる。


だから、負けない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ