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次の日、俺は家に帰った。軽く走って、大体朝方には家に着いた。
俺の愛する嫁、メルはすでに台所に立ち朝ごはんを作っていた。その背中に向かい、俺は恐る恐る声をかける。
「た、ただいまー」
野菜を切る手が止まり、彼女はこちらを振り向いた。
「……ちょっとは落ち着いたの?」
呆れたように、ため息まじりで問いかけてくる。
「あ、あぁ。レンに会ってきた」
メルの耳がぴくりと動く。
「また、変な事企んでるんでしょ?」
メルはレンのことを知っている。
何を隠そう、この嫁も『鷹の爪』のメンバーだったのだ。回復魔法の達人で、千切れた腕ぐらいならくっつける事ができる。メルのおかげで助かった奴は多い。俺もその一人だ。
「あの子ももう成人なんだから、ほっといてあげて。心配しなくてもちゃんと成長してるわ。あの子の人生よ。あなたも親なら背中を押してあげなさい」
とてつもない正論だ。
「もう反対しない。ただ……『陰ながら見守る』という選択肢を提案されたんだ。危険な目に遭わないように、影から手助けをする」
正直に話した。嘘をついてもバレる。バレなかった事がない。
メルは頭もキレる。レンに会ったと言った時点で、大体の予想はついているはずだ。隠す事は無意味だ。
「却下よ」
即答だった。
「どうせ、戦いにならないように先回りでもするつもりでしょ」
「……何が悪い?」
その質問は、彼女の逆鱗に触れた。
「あの子の人生を奪う気なのっ!!」
すごい形相で睨みながら、メルは怒鳴りつけてきた。
『あの子の人生を奪う気なの?』
その言葉は、心臓をえぐられるぐらい深く響いた。
「お、俺は……ただ、あいつが怪我をしないようにだな……」
「あの子は大丈夫よ。怪我くらい、私が治せるわ」
妻のメルは、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「あの子を見守ってあげて。あなたの娘を信じてあげて!!」
「……ぐっ」
『ぐうの音も出ない』とは言うがぐっは出た。
俺は言葉を詰まらせた。
「私とあなたの子よ? 信じてあげて」
目に涙を浮かべながら紡がれたその言葉は、俺の脳を激しく揺さぶった。
何も言い返せない。娘を信じていなかったわけではない。だが、「できる」とも思っていなかった。
過保護と言われればそれまでだ。俺は娘に、ただ穏やかに過ごしてほしかった。剣など振るわず、血など見ず、綺麗な世界で生きてほしかったのだ。
俺がかつて戦ってきた相手は、どうしようもない人間のクズや、凶悪な魔物たちだ。
今の娘があの世界に飛び込めば、待っているのは「死」か、それよりも酷い「慰み者」になる未来だけだ。
そう考えて暗い顔をする俺を、メルは見透かしたように言った。
「あなただって……最初から強かったわけじゃないでしょう?」
その言葉が、封印していた記憶の蓋を開けた。
――そうだ。俺も成人の日、死にかけたのだ。
孤児院で育った俺は、成人になると同時に施設を出なければならなかった。親の顔は知らないが、そこそこ大事に育てられたと思う。
俺は希望に胸を膨らませ、小銭を握りしめて街へ出た。
だが、現実は甘くなかった。
『重たくて運べない荷物があるんだ。若い兄ちゃんなら大丈夫だろ? 手伝ってくれたら、今晩泊めてやるよ』
親切そうな男に声をかけられ、俺は疑いもせずついて行った。
結果はご想像の通りだ。裏路地で5人の男に囲まれ、ボコボコにされて奴隷商人の元へ売り飛ばされた。
手錠で繋がれ、体はボロボロ。俺はこの時、世界への絶望と、弱肉強食の理を骨の髄まで味わった。
地獄の3日間だった。
商人の機嫌が悪ければ蹴られ、ストレスの捌け口にされた。俺はサンドバッグだったが、隣に繋がれていた女の扱いはさらに酷かった。
『お前は処女でもないし、いくらヤッても値落ちはしねぇよなぁ? 妊娠しねぇことを願うんだな! ギャハハハ!』
クズを絵に描いたような商人に、女は毎日のように犯された。
女は抵抗することも諦め、死んだ魚のような目で、ただ終わるのを待ち続けていた。
さらに3日が過ぎた。
ボコボコの顔で、ガリガリに痩せこけた俺を買う物好きはいなかった。
隣の女も、すでに生きているのか死んでいるのかわからないほどボロボロだった。当然、誰も買わない。
『いつまでたっても売れねーじゃねーかッ! 愛想の一つでも振り撒け!』
商人は苛立ち俺を蹴り、その足で女の腹を蹴り上げた。
何の反応も示さない女に対し、商人は再びズボンを下ろし、女に覆い被さる。
『クソッ、早く売って新しいやつを仕入れねぇとなぁ……』
商人が欲望を吐き出しながら、女の顔に自分の顔を近づけた、その時だった。
女が、カッ! と目を見開いた。
その瞳には、憎悪を瞳に写しいているかのようだった。
ガブッ!!
女は商人の喉笛に食らいつき、その肉を噛み千切った。
鮮血が噴水のように吹き出す。
『こ、このぉ……ッ……』
商人は声にならない音を喉から鳴らしながら、腰の短剣を抜き、女の胸を突き刺した。
それでも、女は笑っていた。
口元を鮮血に染め、「ざまぁみろ」と言わんばかりの笑顔で、事切れた。
商人は悔しそうに何かを呟きながら、俺の目の前で崩れ落ちた。
その光景は、今でもスローモーションのように脳裏に焼き付いている。
俺は震える手で死体から鍵を奪い、脱出した。
……そう、俺も弱かった。だからあんな目に遭った。
娘にあんな思いをさせろと? 俺が人生を奪う?違うだろ‼︎いつだって、弱者の人生を奪うのは「他人の悪意」だ。
過去の記憶が俺を臆病にさせる。
しかし、メルは優しく、だが狡猾に囁いた。
「考えてみて? レナは『お父さんは私を信じて送り出してくれる』と思っているのよ。それなのに、裏で手を回して安全な道しか歩かせなかったら? あの子だって馬鹿じゃないわ。いつか気づく。そうしたら……」
「そうしたら……?」
「『私のこと信用してなかったんだ』って傷ついて、二度と口を利いてくれなくなるでしょうね」
グフッ!
俺は心臓に見えない矢を受けた。
娘に無視される未来。それは死よりも辛い。
「どうしようもなくなってからが、あなたの出番よ」
メルが悪魔的な提案をする。
「娘を信じて、ちゃんと見守るの。そして本当にピンチになった時、あの子が助けを求めたその瞬間に、あなたが颯爽と現れて助けるの。少々の怪我なら私が治せるわ」
「そ、そうすると?」
「あの子は一生、『お父さん大好き!』ってなるでしょうね」
「それでいこう!!!」
俺は即答した。
『お父さん大好き』の魔力には勝てない。勝てるわけがない。
そうと決まれば、方針転換だ。レンには悪いが、あの計画は白紙だ。
「名付けて、『お父さん大好き作戦』に変更だ!!」
「ええ、そうしなさい」
見事に操られ、俺は深く納得した。
素晴らしい作戦だ。メルは天才か。
「しかし悪いことをしたな……。昨日レンと相談して、『鷹の爪』のメンバーを招集することにしたんだ。もう手紙を出しているはずだから、無駄足になるな」
「あら、そうなの? ちょうどよかったわ」
メルがふわりと微笑んだ。
「あの人たちにも、ちょっと『お話』があるから」
その笑顔は美しく、そして背筋が凍るほど恐ろしかった。
†
数日後。
かつての仲間たちが、次々と我が家を訪ねて来た。
あいつらは玄関先で「レナちゃんが心配だ!」「冒険者なんてダメだ!」と殺気立っていたが、メルに「あなたは外で待ってて」と言われ、家の中に吸い込まれていった。
そして数分後。
「へへ……お兄ちゃん大好きかぁ……」
「おじさん大好き……たまんねぇな……」
屈強な男たちが、ニマニマとだらしない顔で呟きながら出てくるではないか。
「じゃあボス、また今度!」
「任せてくださいよ、遠くから見守りますから!」
かつて世界を震撼させ、伝説と呼ばれた『鷹の爪』の最高幹部たちは、レナからの「大好き」を想像し、鼻の下を伸ばしながら明るく帰っていった。
その背中を見送りながら、俺は確信した。
この組織の真のボスは、間違いなく俺の妻であると。




