第八話「月明かりの照らす場所」
赤い月夜に照らされて笑う二階堂。だが次の瞬間には元へと戻っていた。
しかしその変化をみていた村人たちの不安は一層強まり、限界がきた二階堂は村を飛び出した。
ゲートを出ると辺り一面草原がどこまでも広がっており、二階堂の言っていたとおりめぼしい所はない。
唯一あるとすれば、数百メートル先に壁のようにそびえ立つ大きな森くらいだった。そこに二階堂は衝動的に走り出したまま向かっていて、止まる気配はない。
二階堂を追いかける形で走っているが、何故か距離が埋まらずに差が開いていく。
「あいつッ、思いのほか、足速いじゃねぇかッ!」
俺は荒い息を漏らしながら舌打ちをした。
そういえばクラスの体力測定の時も他の生徒に囲まれてドヤっていた気がする。
段々と離されていく二階堂との距離と、それに反比例するように大きくなっていく森。ゆっくりとだが迫るその森は夜のせいで真っ暗で、月明かりに照らされて不気味に映る。
できれば入りたくはないが、二階堂は止まらない。
「二階堂ーッ!もう追ってきてないぞー!」
呼吸を何度も整えて二階堂に向かって叫ぶが、届いていないのか反応はなく止まらない。
二階堂は俺を離して森までもう少しだった。
徐々に近づいてくる森は大きく手を広げて、漆黒の闇がこちらを呑み込もうとしているように見えて思わずごくりと生唾を飲み込む。
真っ暗な空よりも黒く塗り潰された森がザワザワと大きく揺れて、木々や葉が重なり合わさって何事かと呟いている。
ただ風でそのように聴こえるだけなのに、視覚的恐怖から俺は森に入る事に恐怖する。
その思いとは裏腹に、二階堂は駆けたままの速度で森へと突入-まるで吸い込まれて行ったように大きな壁の中へと消える。
こうなったら俺も覚悟を決めるしかない。
迫る森の中、木々の間を見つけてそこから意を決して飛び込み森へと入った。
森へと入ると案の定真っ暗でよく見えない。せめてもと顔を手で覆うようにしてガードし暗闇を無我夢中で突き進んでいく。
何度も葉や木に手足を切っていくが構わず、「二階堂ーッ!」と叫びながら探す。
すると突然開けた場所に出たと思えば、下に延びていた木の根っこに足を掬われて派手に転倒。何メートルか地面を転がりそのまま大きな木にぶつかって止まる。
立ち上がろうと力を入れるが、痛みに目を開くことが出来ずに悶える。
暫くして立ち上がろうと気合いを入れるが、酸欠に全身打撲と満身創痍の俺は、視界が何度も揺れて大きな木に手を着きながらもようやく立ち上がることが出来た。
「二階⋯⋯ろう⋯⋯」
まだ回る視界に脳が揺れて呂律が上手く回らず声も掠れてそう発するのがやっとだった。
俺は一旦落ち着こうと目を瞑り、大きく息を吸って呼吸を整えて再び目を開けて真っ暗な森の中、辺りを見渡す。
最初こそ視界が殆ど効かなかったが、月明かりのおかげもあって暗闇に慣れてきて薄らと見えるようになった。
すると一際大きな木の後ろに膝を抱えた女性の後ろ姿。チラッと見える黒のミニスカートが二階堂のものだと悟りゆっくりと近づいていく。
近くまで行くと、二階堂は膝を抱えたままぐすんと嗚咽を漏らして身体を小さく揺すっていた。
俺は驚かさないように小さく声を掛けると素早く顔を上げた二階堂にキッと睨まれた。その目は赤く腫れあがり大きな瞳には涙を浮かべていた。
「あれ、瞳の色が-⋯⋯」
-戻ってる。
ふと隣に座ろうと腰を掛ける動作をするとさらに強く睨んできたので固まるが、再度しつこく腰を下ろそうとすると諦めたのか視線を逸らしてまたすぐ膝に蹲る。
俺は二階堂に触れない程度の距離に腰掛け木に持たれる。
「⋯⋯なんなの」
二階堂はこの世界に来てからの出来事全てをさらけ出すように零す。
「わからん。ただ、元いた世界じゃないってことくらいしか」
俺は情けない声で首を振ると、二階堂は自分ごと嘲笑うように「何それ。おかしいじゃん」と言う。
「どうやってここに来たのか説明できる?」
いつの間にか二階堂は、半分壊れた玩具のようにケタケタと笑いながら迫っていた。口は笑っているのに目は涙を流して恐怖に染まっていた。
きっと彼女は答えを求めている。今、この現状を打破できる希望を。⋯⋯ただ。
「⋯⋯わからん」
それにも俺は応えることは出来ず弱々しく首を振ると、二階堂は「ハハッ」と息を漏らしたように笑うとまた木に持たれて膝を抱えて蹲った。
「なんで追いかけてきたの?」
「二階堂が心配だったから」
「なにも出来ないのに?」
俺は何も返せずに黙り込んだ。
事実、この世界の事も知らない。
さっきも二階堂を守ることが出来なかった。それどころか自分は転生者として選ばれ、ゆくゆくは勇者となる存在なんて考え驕ってグリムへと挑んだなんて言えなかった。
ただ二階堂を連れて逃げ出していれば良かったんだ。もしかしたらまだ可能性があったかもしれない。
俺は自分の力で勝てると思い込んでしまった。
「もうどっかに行ってよ」
涙を啜り緩んだ声の二階堂に「危ねぇだろ」と言い返すが、それが良くなかった。
「危ない⋯って、これ以上何があるって言うのッ!」
グイッ、と襟首を掴まれて、二階堂は涙でぐちゃぐちゃの顔で叫ぶ。
「見ず知らずの土地でッ!ずっーと村の人から目が変だって言われて!いつの間にか紫色に変色してるし怪物が襲ってくるわもうたくさんッ!」
勇人は両手で叩いてくる二階堂を制して「落ち着けよッ!」と二階堂の声をかき消すように叫ぶが止まらない。
「さっきもね、おかしかったの!身体が言うことを効かなくなったかと思えば知らない人が両手で目を覆う感覚と身体中を真っ黒い何かが侵入して蠢いて、気づけば自分の意思とは無関係に動いて操作されて⋯⋯なんだっていうの⋯⋯⋯⋯」
枯れそうな声で、二階堂は力なく手を離したかと思えば膝から崩れ落ちて涙腺に溜めた涙をこぼす。
「もう⋯⋯⋯⋯沢山⋯⋯」
二階堂はもう涙を止めることは出来ずに大声で泣いた。
俺もどうしようかと考えたが自分に出来ることなど最初から何も無かった。
「もう本当にどっか行って!一人にしてッ!」
泣き叫ぶ二階堂は手で俺を押しのける。
でも俺はその手を掴んでその場で立ち止まった。
「なんでッ!?どうして一人にしてくれないの⋯⋯?」
もう涙で腫れあがった顔は普段の冷静な彼女の姿はどこにもない。ただ「消えたい」と二階堂の顔には書かれているようにも見えた。
離れていくのは簡単だ。でも本当に離れてたら二階堂は本当に消えてしまうんじゃないかと思った。
「⋯⋯⋯⋯一人だと怖いじゃん」
「はっ?」
俺は心から出た言葉が溢れ出す。
「だからッ!俺だって怖いんだよッ!ここがどこかも分からねえし森の中だし!離れるなんて出来ない」
二階堂は数秒の間、理解出来ないと言った表情をしていたが、ふと少し口角が上がったかと思うと「あっそ」と一言小さくつぶやき木に持たれてまた膝を抱えた。
「何その言い分。ダサすぎてきもい」
我ながら何とも自分しか見ていない言葉を口走ったのか。
心の中では自分が一番怖がっているんだと言ったようなものだ。
恥ずかしながら赤面して頭をかく俺に二階堂はもう何とも言わずにただ真っ直ぐに前を見つめていた。
隣に座ってももう何も言わない。
俺は木に持たれながらゆっくりと空を見上げてため息をつく。
数十メートルと伸びた木々の鬱蒼とした森の中、唯一なのかこの場所を照らす月の明かりはまるでまだあるんだぞ、と教えてくれる一筋の希望の光のようにも見えた。