第七話「真っ赤な月、星空の下舞う君」
魔物に対して迎撃と好奇心に駆られて挑むが、勇人は返り討ちに逢い己の弱さを知る。
絶体絶命の中、二階堂の紫色の瞳が妖しく光りだした。
「え-」
口から漏れたのはなんとも呆けた声だった。
俺から見て二階堂はグリムの大きな体に隠れて見えなかった筈なのに、今は見えているからだ。
二階堂はグリムの胸から腹にかけてコンパスで切り取ったように空いた穴から覗いており、妖艶に光る紫色の瞳でこちらを見やると不敵に笑う。
次の瞬間「ゴボボッ⋯⋯」という泡でも噴いたのか、グリムから漏れる声と、身悶えるように震えたかと思えばズシンと音を立てて膝から崩れ落ちる。
グリムは壊れた機械のように口をガタガタと震わせると紫色の瞳をカッと瞳孔が開いて色を落とす。そして数秒も経たずして身体中紫色の粒状へと変化させると、砂の城が崩れていくように地面へと吸い込まれていき消えた。
-ほんの少しの間。静寂がまた戻る。
グリムは圧倒的な強さだった。
抗えない力の差に絶望していた矢先の事だった。
いつの間にか真っ赤に染まった満月を背後に二階堂は立っていた。
堂々と、さっきまで地面に伏していたとは思えないほど恍惚な表情を浮かべて-。
そして手にしていたなにかを喰らった。それがなにかの臓器なんだと理解するまで数秒掛かった。
「二⋯⋯階堂?」
俺は伸ばしかけた手を引っ込めて口を噤む。
嬉しそうに頬張っては時折見せるギラついた瞳はこちらの背筋を凍らせるには十分だった。
何処からか吹いた風が黒いセーラー服を揺らす。それは襟立てたマントのようにも古びたマントの様にもみえたが、二階堂から放たれる邪悪なオーラだと気付く。
そのオーラはまるで崇拝しているのかのように二階堂の中心をぐるぐるとまわり、日が沈んだ辺りの暗闇よりも真っ黒な闇を展開していた。
先ほど以上の警鐘が動けずにいる俺の身体を駆け鳴らす。奴は危険だと本能が訴えかけていた。
二階堂は手にしたものを食べ終わると、口を拭って辺りに目を配る。彼女の瞳は睥睨にこちらを見やるが、景色に目をやると変わった。
その紫色に光る瞳を爛々と輝かせて、まるでこの世界に来たのが初めてようにキラキラとした瞳をみせる。次第に身体を回し、手を広げ、無垢な少女のように嬉しそうに笑って舞う。
-それは星空の下、ステップを踏み、世界に誕生できた事に感謝を伝えるように。
綺麗なはずなのに、”恐ろしいモノ”と捉えている自分がいる。
真っ赤な満月の下、血濡れたかのように映る彼女の舞う姿は、生命を冒涜しているかのように不気味で恐怖以外のなにものでも無かった。
簡単に全てを覆してしまう程の力-。
脳裏にその存在を言い表すに適した単語が浮かび上がる。
あえて形容するならば-”魔王”
あのグリムの身体を貫通した風穴から覗く不気味な笑顔が頭からこびり付いて離れない。
あれは二階堂天本人だったのだろうか。そして今、そこにいる二階堂も本人なのか。
舞っていた彼女はくるりと何度かステップを踏み回るとぴたりとその足を止めてこちらに向き直った。
そしてクラスの皆に見せるような笑顔を貼り付けた。
いつもと変わらない屈託のない笑顔だった。
-あぁ、だめだ⋯⋯。
綺麗なはずの彼女の笑顔に邪悪さが垣間見えてしまう。俺の身体は恐怖しガタガタと震わせて目が離せない。
今、目を離してしまえば”死”がそこに迫ってくると思えるほどの圧力にごくりと生唾を飲み込むことしか出来ない。
動けずにいる俺向かってに二階堂に纏わり付いていた闇が影を伸ばす。ゆっくりとだがにじり寄るそれは、辺りの空間を侵食して腐らせていき、触れてはいけないとすぐに理解した。
まるで触手のようにうねうねと動いて迫る数本のそれが触れる瞬間、音もなく崩れて砂粒のように地面に吸い込まれて消えていく。
それと共にドサッと何かが倒れる音にハッとしてそちらを向くと、二階堂が倒れていた。
「二階堂ッ!」
さっきまで動けなかったはずの身体は、まるで金縛りから解かれたように自由となり、俺は弾かれたように走りだす。
躊躇する間もなく駆け寄るが、二階堂からは先ほどまでの何もかもを呑み込みような闇のオーラがない。
二階堂を抱き抱えて二階堂の身体に目をやる。
パッと見た感じ外傷はない。しかし動かない。
胸元に耳を寄せると心臓の鼓動はトクン、トクンと一定の感覚で打っていたので安堵のため息をつく。
「⋯⋯んっ」
数秒もしないうち、二階堂から口をまごつかせて声が漏れる。
「二階堂ッ!!」
俺は意識を取り戻そうと叫ぶと「うぅ⋯⋯」と二階堂は薄ら目を開けたと同時に発狂したように飛び上がると叫び散らす。
「落ち着けっ!落ち着けって!」
今にも飛び出しそうな二階堂を必死に抑えて何度も宥めるが、聴こえていないのか二階堂は何事か喚き散らしたまま止まらない。
-ザッ⋯⋯。
お互い叫び合う中、ふと足音が混じり嫌な気がして俺はそちらを見やる。
振り返るとそこには、倒れていた男達が立っていた。
さらに出てきた男たちも合わせて数十人はいる。
男たちは全員鍬を持っていて、倒れていた男たちは互いに肩を抱き合いながらもこちらを強く睨みつける。
そしてその後ろ、顔を覗かせる女や老人を含めると、殆ど全員がこちらに強い怨嗟で睨みつけていた。
鍬を構える男たちは震える足取りでにじり寄る。
さっきまでと違うのは、怒りや恐怖などではなく、最早こちらを呪い殺しそうな殺意の塊が充満している。
「⋯⋯なんだってんだよ」
曲がりなりにも村を襲ったグリムを討伐したんだぞ?
愚痴のようにこぼす俺に一人の男が堰を切ったように声を上げる。
「やっぱりてめぇ魔の者じゃねぇか!」
その声に連鎖して村の住人が罵詈雑言をこちらに浴びせる。
「殺すしかねぇ!」「力が無い今のうちにッ!」と物騒な事をほざいていやがる。
「ちょっと待ってくれ!というか魔物を倒したのは二階堂だ!感謝されることはあれど恨まれる覚えはねぇぞ!」
「ふざけんなッ!そこの女の瞳を見たか!?全てを呑み込む魔力の塊の瞳をよ!そもそも紫色の瞳は魔の者だって決まってんだよ!」
「そんなむちゃくちゃな⋯⋯」
俺は悲しい事に大きく反論できなかった。
同じようにそう思える部分があったからだ。
尚も続く村人たちの口撃に逃げ出したい気持ちに駆られたが、服の裾をぎゅっと引っ張る二階堂の方をちらりと見やる。
二階堂は恐怖と混乱で今にも散ってしまいそうな花のように思えた。
さっきまではそうだったが今はそんな気配は無い。
何より今の二階堂はこれ以上耐えられない。
「いやぁぁああああああああああああああッ!」
ふと、辺りを震撼させる程に木霊する絶叫が響く。
思わずそちらを見やると、突き飛ばされて気絶していたのかサーヤちゃんがノロノロと立ち上がる。
そしてゆっくりとした足取りで数歩前へと歩を進める。
「サーヤちゃん⋯⋯」
か細く漏らす二階堂の声は、もはや幼い少女にすら縋り付くほどに弱い。
サーヤちゃんは男たちの前まで来ると立ち止まる。
そして今にも泣き出しそうな顔でこう言った。
「-きもちわるい」
「え-」
それは残っていた二階堂の微かな希望を打ち砕くものだった。
サーヤちゃんは堪えていたものを爆発させるように強く睨みつける。
「イヤだ!またマモノさんッ!ママをかえしてッ!きえて!いますぐきえてぇぇええええっ!」
残念だが俺たちにそんな覚えはない。
だが隣の二階堂はサーヤちゃんから言われたのがよほど応えたのだろう。「そんな⋯⋯」とわなわなと口を震わせて目の焦点が合わない。
だが無情にも鍬を持った男たちは俺たちを待ってはくれない。
「-殺せぇぇええええッ!」
サーヤちゃんに伝染させられたように一人の男が恐ろしい野太い声を上げる。
もう男たちは鍬を持って襲ってくる!
「嫌ぁぁああああッ!」
動けずにいた俺よりも早く、二階堂は弾かれるように俺の手から強引に抜け出すと、そのまま村のゲートを抜けて行く。
「二階堂ッ!」
遅れて俺も二階堂を追いかけてゲートを抜ける。
鍬を持った男たちの圧に思わず後ろを振り返ると、もう彼らはゲート前で止まり追っては来ない。-ただ。
「きえて!はんざいしゃ!ママをかえせぇえええええええええええっ!」
只々、サーヤちゃんの悲痛な叫びが辺りに響いた。