第一章 第一話 「どこなんだそれは」
九月頃、何十年振りかの皆既日食。
生まれて一度も見たこと無かった主人公-勇人は学校から見ようと放課後残るが、それが運の尽きだった。
教室に居た正体不明の覆面の男によりナイフで刺されてしまった。
隣には赤点で居残りとなっていた二階堂天の姿も。
しかし、真っ赤な血が身体から流れ出していた。
どちらも助からないと悟った時、皆既日食が完成する。
刹那、同時に意識は闇へと落ちて二人とも死亡する。
-いつの間に目を閉じていたのだろう。
温かな日差しが優しく瞼越しにも伝わり、身体は包み込まれているような暖かさが全身を覆い、それは天使の羽衣に抱擁されているような気分だった。
さながら天国にでもいるような感覚に浸りながら、俺は思いだす。
-そうだ。俺は覆面の男に刺されて死んだのだ、と。
「まだおねんねしてるのー?」
ふと羽が跳ねるような可愛らしい声が聞こえる。
その純粋すぎる声音に、まるで天使に話しかけられたのかと錯覚する。
同時に影が瞼越しにも見え、そこに誰か居るのだと分かる。
だが俺は反応する事なく意識を溶かしたまま、再び暖かな世界へと身を任せる。
ごめんな。まだこの心地いい感覚に浸っていたいんだ。
「おーい」
その天使は勇人の頬をつつく。
どうやら俺に跨っていみたいで、瞼越しの影が色濃く映り、声も近くなる。それにしても軽い。
「おーきーてーよー⋯⋯」
何度もつついては、ふと顔に触れか触れないかくらいのうぶ毛が当たる感覚。顔を寄せているに違いない。
「むぅ⋯⋯」
そのムスッとした声につられて思わず目を開けそうになる。
子供特有の可愛らしい頬を膨らませた表情が目に浮かぶ。
フッ⋯⋯負けたよ。
それにこれ以上放置するのは可哀想だと、勇人は仕方なく暖かな世界から離脱するように目を開けた。
「-え?」
-目の前に広がるのは、晴れ渡った世界などではなかった。
十字に組み込まれた木の柱と緩く回る天井のファン。それは何処かの部屋の中だった。
「あっ⋯⋯え?」
天国じゃ⋯⋯ない、のか?
もしかして天国って、こんな庶民的な感じなのか?
それとも俺が生死の狭間に見せる幻想?
「おーきーてーっ!」
困惑する俺の視界を覆い尽くすように一人の少女が大の字になって飛んできた。
悲しいかな。布団を両手に入れている俺に受け止めるすべはなく、「うりゃあ!」と可愛げのある声とは裏腹に、鳩尾含めたお腹全体から伝わる衝撃に「ぐぇっ!」とカエルが潰れたような声が絞り出る。
「こっ、こら-」
あまりの痛みに怒鳴りそうになるが、俺の胸に顔を埋めては「ぱぁっ!」とこちらを向く少女のくりっくりな大きな瞳がそれを阻む。
「うっ!?」
それどころか「えへへ」と天使とも思わせるその無邪気な笑顔にキュンッと胸を射抜かれた-可愛い。
「こ⋯⋯こらぁ~!」
勢いに任せて少女の頭を撫でると、少女は気持ちよさそうに身を委ねてもっと撫でてとせがむ。可愛い!
やっぱりここは天国なんじゃないだろうか。
「天使だぁ⋯⋯」
思わずニヤけた口元から心の声が漏れてしまった。
「天使?さぁちゃんまだ天使じゃないよぉ~?」
少女-さぁちゃんはぷくーっと頬を膨らませて、怒ったような表情をみせては「生きてるもん!」と頬を赤らめる。それがまた可愛らしい。
「サーヤ?ここにいるのか?」
コンコンと部屋の扉を叩く音に「どうぞ」と反射的に返す。
扉が開くと20代くらいの男が現れる。
男は麻で作られた簡易的な服を纏い、こちらに形式的なお辞儀をする。
「目を覚まされたのですね。お身体の調子はどうですか?」
そういえば、と自身に起こった事を思い出して布団を捲れば、服は元通り真っ白なカッターシャツになっていた。
「えっ?」
俺は素っ頓狂な声を上げて、弾かれたように急いで上服を捲った。
「⋯⋯ない」
-おかしい。
ナイフで刺された箇所がない。それどころか傷一つ見当たらなかった。
まるで夢でも見ていたかのような。それは今も同じだけど。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか肩で息をしていた俺を気遣い、男は「サーヤ」と少女に水を取ってくるように言う。
呼ばれた少女-サーヤは一緒に居たいと身体にしがみつくが、引き剥がされて渋々部屋を後にする。
「あの、ここはどこですか?」
知らない部屋、まずは周囲の把握をと、極めて典型的な質問に男から返ってきたのは異例だった。
「ここはアサガナ村ですよ」




