第一章 第一話 「どこなんだそれは」
-いつの間に目を閉じていたのだろうか。
気付けば温かな日差しが優しく瞼越しにも伝わっていて、身体は包み込まれているような暖かさが全身を覆い、さながら天使の羽衣に抱擁されているような気分だった。
まるで天国にでもいるような感覚に浸りながら俺は思いだす。
-そうだ。俺は覆面の男に刺されて死んだのだ、と。
「まだおねんねしてるのー?」
ふと羽が跳ねるような可愛らしい声が聞こえ、天使にでも話し掛けられているのかと錯覚する。
同時に影が瞼越しにも見えてそこに誰か居るのだと分かる。
だが俺はそれに反応する事なく意識を溶かしたまま、再び暖かな世界へと身を任せる。
ごめんな。まだこの心地いい感覚に浸っていたいんだ。
「おーい(ツンツン)」
その声の主はズイッと顔を寄せて勇人の頬をつつく。
どうやら俺の身体に馬乗りとなって跨っていみたいだ。それにしても軽い。
「おーきーてーよー⋯⋯」
声音的に子供なのだろう。
何度かつついてはふと顔に触れか触れないかくらいのうぶ毛の感覚。顔を寄せているに違いない。
そして耳元で聴こえる呼吸音。⋯⋯呼吸?天国でも必要なのか?
「むぅ⋯⋯」
その声の主のムスッとした声に思わず目を開けそうになる。子供特有の可愛らしい頬を膨らませた表情が目に浮かぶ。
ふっ⋯⋯負けたよ。
それにこれ以上放置するのは可哀想だと勇人は仕方なく暖かな世界から離脱する。
「⋯⋯え?」
目の前に広がるのは真っ青な晴れ渡った世界ではなかった。
十字に組み込まれた木の柱と緩く回る天井のファン。それは何処かの部屋だった。
「あっ⋯⋯え?」
天国?じゃ⋯⋯ないのか?
もしかして天国ってこんな庶民的な感じなのか?
それとも俺が生死の狭間に見せる幻想?
「おーきーてーっ!」
困惑する俺の視界を覆い尽くすように一人の少女が大の字になって飛んできた。
悲しいかな。布団に両手を突っ込んでいる勇人に受け止めるすべはなく、「うりゃあ!」と可愛げのある声とは裏腹に、勇人の身体全体を襲ったとてつもない衝撃に「ぐぇっ!」とカエルの潰れたような声が漏れる。
「こ、こら-」
あまりの痛みに顔を歪めながらも怒ろうとするが、それは俺の胸に顔を埋めては「ぱぁっ!」とこちらに向く少女のくりっくりの大きな瞳がそれを阻む。
それどころか「えへへ」と天使とも思わせるその無邪気な笑顔に勇人はキュンッと胸を射抜かれた-可愛い。
「こ⋯⋯こらぁ~!」
勢いに任せて少女の頭を撫でると、少女は気持ちよさそうに身を委ねてもっと撫でてとせがむ。可愛い!
やっぱりここは天国なんじゃないだろうか。
「天使だぁ⋯⋯」
思わず漏れた俺の言葉に少女は小首をかしげる。
「天使?さぁちゃんまだ天使じゃないよぉ~?」
少女-さぁちゃんはぷくーっと頬をまた膨らませて少し怒ったような表情をみせては「生きてるもん!」と頬を赤らめるのがまた可愛らしい。
「サーヤ?ここにいるのか?」
コンコンと部屋の扉を叩く音に「どうぞ」と反射的に返す。
扉が開くと20代くらいの男が現れる。
男は麻で作られた簡易的な服を纏い、こちらを見やるとお辞儀をする。
「目を覚まされたのですね。良かった。お身体の調子はどうですか?」
優しく微笑んむ男にそういえば、と自身に起こった事を思い出して身体を見やる。
「えっ?」
素っ頓狂な声を上げた俺は何かに弾かれたように急いで上服を捲った。
「⋯⋯ない」
-おかしい。
さっきナイフで刺された箇所がない。それどころか傷一つ見当たらなかった。
ふと気付けば服すら真っ赤な血で汚れていたはずなのに、普段と変わらない真っ白なシャツのままだ。
まるで夢でも見ていたかのような。それは今も同じなのだが。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか肩で息をしていた俺を気遣って「サーヤ」と男は水を取ってくるようにお願いする。
呼ばれた少女-サーヤはまだ一緒に居たいと勇人の身体にしがみつくが、男に引き剥がされて渋々部屋をあとにする。
「あの、ここはどこですか?」
知らない部屋、まずは周囲の把握をと極めて典型的な質問に男から返ってきたのは異例だった。
「ここはアサガナ村ですよ」