第三章 第三十五話「不穏な影を落として」
魔族VS勇者
まるで実力は拮抗しているように思われた。
刹那、現れるのは同じ顔をしたもう一人の勇者。
それは重なり、本来の力を取り戻す。
「あれ、股間から水出てるよ?」
あっけらかんと言い放つネレウスは、なにかに気付いて目を見開く。
「⋯⋯もしかして、”基本”は人間か?」
刹那、悲痛な顔を見せると徐ろに手を伸ばす。
その目に浮かぶのは慈愛に満ちた優しい、女神のような温かさ。
「待っててね、すぐに解放してあげるよ」
掌に、水の魔力が集まり形を成していく。
それも大きく、大きく膨らませて、やがて家を丸ごと呑み込むほど巨大な水球が出来上がる。
「君を一瞬で送るには、これくらい必要だね」
その問いにもはやスライムは答えない。
目の前の圧倒的な越えることの出来ない力に言葉を失って、ただ立ち尽くす事も出来ずに膝から崩れ落ちた。
「-さよなら」
その言葉と共に、ネレウスから水の魔力が放たれる。
それは轟々と音を響かせて、辺りを呑み込まん勢いの吸引力を誇る。
その魔力の先-向けられたスライムが躱す術は無い。
だが彼はとうに諦めていたのか、身動き一つ取らずにそれをただ眺めている。
まるで自分の死を受け入れたかのように抵抗などしなかった。
やがてそれは、辺りを空間をも支配するほど強力な破滅的な音を奏でてスライムに殺到する。
その攻撃の威力に反して、水の魔力はとても美しかった。
もう間もなく触れる水の魔力。
接近するそれに反射するスライムは、今から死ぬとは思えないほどとても穏やかな顔を見せていた。
「-死ね」
次の瞬間、その攻撃はスライムごと周辺の地面を押し潰して静寂-コンマ数秒もせず爆発を起こして辺りをふきとばす。
その威力はとてつもなく、周辺の建物を倒壊させて空も貫通せんばかりの水の柱を作る。
辺りに響くのは破滅的な破壊音。
まるでこの世の終わりを思わせる地響きすら木霊する。
数十秒、ネレウスは地面を見やり、完全に身体が消滅したのを確認する。
「一応、分裂とかされても倒せるだけ溜めといて良かった」
そこでようやく、張り詰めた緊張の糸を解くようにため息を漏らした。
「んー」と身体を伸ばして、また辺りに警戒を飛ばす。
「さて-」
残る大きな魔力は二つ。
五大推進円柱にそれぞれいる魔族のみ。
さっき魔族と交戦中のところを助けたシントも、敵に囲まれていた巫女も助けた。
互いに五大推進円柱へと向かっていってくれたから心配要らないだろう。
しかしそれだけではなく、不穏な気配は辺りに残っていた。
発見しずらく小さくも、確かにドス黒い魔力を感じる。
-そして、もう一つ。確実なものが。
ドス黒い魔力渦巻くこの王都に、残花の如く咲く一輪の黒い華。
まるで魔族との戦闘、この王都の惨状を糧に呼び覚ましてしまったような黒よりも黒い魔力-。
こちらも小さく、散り際の筈なのに、確かな存在感。
十年前に見たダークネシアでの光景が、鮮明にネレウスの頭に蘇る。
「どうして、この反応が近くに」
気付けば、ネレウスの身体はぐっしょりと汗をかいていた。
「-気付きましたね?」
「ッ!?」
振り返っても、そこには誰もいない。
だがこちらを嘲笑うように「ククク」と不気味な声が脳を侵すように響き渡る。
ネレウスは怒りに煮えたぎった鬼の形相を見せる。
「相変わらず姿を見せないなんて。インフェルは臆病だね」
「ククク、煽っても無駄だよ。捉えきれないと自分から吐露してどうするの?」
こちらの挑発も、インフェルは平然と透かしてそう返す。
「君は今回も傀儡を使っての襲撃、つまりは自分は安全圏からの侵略ってところか」
「ご名答。勇者となんて直接やり合うのはごめんだ。様子見させてもらったよ」
見渡すもやはりそこには誰もいない。先ほどの消し飛ばしたスライムの残った魔力から会話を飛ばしているのだろう。
「様子見-つまりは”スパイ”が送り込まれてるってわけだね」
しかしそれに返事はない。だがネレウスは構わずに畳み掛ける。
「偵察隊だって空を確認しているし、回遊軍も海から周辺に警戒を張り巡らせている。これを掻い潜り、更には王都に仕掛けてある魔力石に対抗する為、魔族に足袋を履かせていたのを見ると-内情を知っている王都側の人間だと解る」
「そして-」とネレウスは一呼吸おいて告げる。
「-なにより、僕が居ることを、知っている人物なんてもう一人しかいない」
もうそれは誰だが確信めいた発言だった。
「そこまで分かっているのなら、もう検討ついてるんじゃない?」
堪らずインフェルはため息混じりにそう呟いた。
「ふぅ⋯⋯今回は誤算だったよ。まさか水の勇者が魔力の総数を偽っているだなんて」
それにネレウスは「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「ダークネシアで確認した時だろ?もう既に半分は王都にあった。残念だったね」
「さて-⋯⋯残念なのは、どっちかな?」
その意味を、ネレウスはすぐに理解していた。
「俺は判るよ。この反応-間違いないッ!」
インフェルは興奮気味に声を上げる。理由は分かっている。
王都に充満していたドス黒い魔力がはけていく-その中で、より濃く、一際大きな存在感を放つものが確実となって姿を現す。
ネレウスは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。
「⋯⋯本当に、奴の反応なのか」
「ククク、やはりアサガナで感じた魔力反応は本物だった!さぁどうするどうする?さっさといかないと余計に酷い未来が待ってるよ!?キャキャキャキャキャキャキャッ!」
人の神経を逆撫でするような奇怪な声音を王都に残して、インフェルの存在はこの場から消滅する。
そんなことはどうだっていい。
「ここで倒さなきゃ」
ネレウスは胸に覚悟を決めて、感じる魔力反応に向かって駆け出した。




