第三章 第二十七話「湯けむり事件」
夕食を終えると一週間振りにライドと出会う。
夜風に当たりたいとバルコニーに足を運び、二人は明日の英雄生誕祭を守り抜こうと誓い合った。
暫く筋トレをしてから風呂に行くと、もうライドの姿はなかった。
「もう出たか」
大きなお風呂に一人、寂しい思いをしながら身体にお湯を掛けて風呂に足を入れようとする。
-チャプン⋯⋯。
前から広がってくる波紋にピタッと足を止める。
「鼻歌⋯⋯?」
波紋が来た先-風呂から突き出た柱の向こうに誰かがふんふんと歌っていることに気が付く。
もしかしてライドか?湯けむりで見づらいな。
俺は風呂に入らずに迂回して、誰かを確かめる事にした。
ぺたぺたぺた。
徐ろに近付いていく俺に気付いた柱に隠れて見えない誰かが、こちらに気が付いて声を上げる。
「だれ?」
ん?ライドってそんな可愛い声だったっけ?
思考するよりも足が早いか、柱までやってきた俺はその誰かを視界に捉えた。
「-は?」
そこにはライドとは程遠い、世にも艶かしい姿の女性がいた。
湯けむりにより奇跡的に局部は隠れてはいるが、その他が丸見えの状態だった。
スラリと伸びた細い腰から描かれた曲線は、小さな肩へと繋がっていて、まるでモデルのようなスタイル。
その体型に見覚えがあり、恐る恐る視線を上げれば、文字通り口をあんぐりと開けた天の顔が貼り付いていた。
「-やっ」
その顔はみるみるうちに赤みを帯びて、目にはうるうると涙を浮かべる。
「あっ、いや!そのッ-」
ヤバいッ、叫ばれる!
と思った矢先、ガララッと勢いよく扉が開かれる音。
そのほぼ同時、俺は本能で風呂に飛び込んでいた。
「あっ、誰かいる。静かにしなきゃ」
入ってきた者の声に聞き覚えがあった。
「お口ちゃーく」と言って普通の声のトーンで喋るのは間違いなくルミナスだ。
「⋯⋯なに来てんのよ」
「⋯⋯ごめん」
天はもう怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら鋭い眼光で突き刺す。
だとしてもバレる訳にはいかない!
その一心で柱に身を寄せれば天と肩が触れ合う。
「ッ!?」
ほぼ反射的に伸びた天の手に、気付けば視界は風呂の中へと切り替わる。
「ボボボボボボッ⋯⋯」
ちょっ、溺れる溺れるっ!
「ばっ、ぽべんなざい!」
聴こえる声はおそらくルミナスの声。「ごめんなさい」と言ったんだろうが水の中じゃ分からない。
「ぼっ、びびぼぞんばぼ」
たぶん「いいよそんなの」と言った気がする-あ、だめだ。息がもたない!
「ぷはぁッ!」
「あ、こらっ!」
再び沈められそうになる手から逃れて、俺は息を整える。
「あれ?他に誰か居るんですか?」
「ええっ!?誰もいないよぉ!?」
天はテンパりながらもこちらを睨みつけて、「早く沈め!」と小声で命令。
「ちょっと待ってくれ!まだ息が-」
しかし事態は深刻化、ルミナスは「あちっ」と湯に足を入れると、じゃぶじゃぶ音を立てて近付いてくる。
「バレるじゃん!」
天はぐいぐいと俺の頭を掴んで風呂に押し込もうとする。
「無茶言うなよ!まだしんどいんだって!」
だが負けじと俺も抵抗する。急に風呂に突っ込まれて湯を飲んでしまって辛い。
そんな事も知らないルミナスはぐいぐい近寄ってもうすぐそこだ。
「隣いいですか?」
「う、うんっ!」
天の力により、俺は頭ごと沈められた。
刹那、子供の柔肌が俺の視界を埋め尽くす。
なんか真っ平ら-⋯⋯だな。いやいや違う違うッ!
そして、よりにもよってなにやら談笑し始めた。
「同じ城に居たのに挨拶まだでした。ルミナスって言います!」
「私の方もごめんね。二階堂天と言うの」
「え、ニカイドーテン?あっ、もしかしてトードーが言ってた人かな?トードーと一緒で変わった名前!」
「トードー?あぁ、刀道勇人のことね。あいつと一緒にされるのは癪だけど」
「不快にさせたならごめんなさい。⋯⋯でもおねーさん話しやすい!なぁんだ、もっと早く話しかければ良かった!」
「私の方もごめんね。ちょっと臆病になっちゃってて」
⋯⋯てな事を話している気がする。あくまで水の中、憶測だ。
「⋯⋯ボボッ」
あ、やべ。
「ん?あれ湯の中に誰か-」
「あー!いない!いないよぉ!?」
下を向こうとしたルミナスの視界を奪うように天はわざと湯面を叩いて誤魔化しに掛かるが⋯⋯-ごめん、俺の方がキツい。息が持たないッ!
「ぶっはぁッ!」
苦しい中から脱出しようと、俺の身体は大きく飛び上がった。
「⋯⋯はへ?」
-やっちまったぁ⋯⋯。
最悪な事に、俺はルミナスに自分の物を見せつけるような形となった。
「へ?えっ?トー⋯⋯ドー?どう、して⋯⋯ここにっ」
⋯⋯下を向けば、ルミナスは目をぐるぐると回して目の前の光景を処理できていない。
「いつまで立ってんのよ!」
ゴッ、と股間を突き上げるなにかの衝撃に頭に火花が散る。
「グフゥッ⋯⋯」
すぐ身体からは力が抜けて、俺は男に産まれたことの後悔し始める。
次の瞬間、惰性に倒れる身体は前にいるルミナスに覆い被さる。
遠くなる意識と耳が最後に捉えたもの。
慌てふためく天とルミナスの絶叫にも似た声。
そして、ガラッと扉が開かれた音。
それを最後に、俺の意識はプツリと途絶えた。