第三章 第十四話「水の勇者ネレウス・アクアシア」
戦闘になると速攻飛ばされる勇人。
フウカによってなんとかなるが、もう一体の魔族と交戦中。下には王国軍騎士団の人達が横たわっている。増援は望めない。
身体だけじゃない⋯⋯頭も回せッ!
勇人は魔族ヤバウにタイマンを仕掛ける。
俺がニタリと口角を持ち上げたとほぼ同時だった。
「調子に乗るなあああああああーッ!」
ゴリラの如く地面に拳を叩きつけて地面を揺らしてこちらの機動力を削ぐと駆け出す。
「阿呆が-」
もう横っ飛びに飛んでんだよ。
だがそれは奴の範疇、思考の外を突けていないのは半月のように切り開かれた口が物語っている。
「ははぁッ!見えておるぞぉおおお!」
後手でも先手でも速度が違ぇ。だが後手だと死ぬ!
視界いっぱいに広がる奴は嬉々とした顔でその剛腕を振るう。
だが次に驚愕の表情を見せたのは奴の方だった。
「なぬっ!?」
俺は拳を斬り裂かんと剣を地面に突き立てていた。
「へっ⋯⋯こいよ」
瞬間、剛腕から放たれた大砲のような一撃。それは刺しが甘かった剣を吹っ飛ばしてしまう。
当然掴んでいた俺も飛ばされそうになるが-さっき圧は経験してる。
「おらあああッ!」
合わせるように上体をくねらせて一回転、奴の攻撃を利用して放たれた神速の唐竹割りが奴の腕を斬り裂く。
「ぐぅうッ!」
奴は痛みのあまり咄嗟にもう片方の手で薙ぎ払う。だがもうそこにあるのは俺の残像、とっくの昔に地面を転がって三半規管をやられている最中だ。
「おぉ⋯⋯ッ!」
-止まるな!すぐ意識を奴に向けろ。
俺は無理やり立ち上がり、また奴を正眼に構える。
さっきので視界はぐるぐるとまわり歪む。
転げた際の打ち身で至る所が悲鳴を上げている。もはや全身打撲で鈍痛が襲う。
それでも立ち続ける理由は視界に捉えたままの奴の姿。これだけは何としても目を逸らせられない。
「防具も無しに⋯⋯勇気があるなぁ」
「褒め言葉として、受け取っておくよ」
ようやく治まった視界に映る奴の姿は、未だ万全と呼べる状況にあるみたいだ。
地に刺した剣に突っ込んだ拳は少ししか切れておらず、頼みの綱だった渾身の一撃は、腕を縦に抉ってはいるものの、行動を妨害出来るほどではない。
「ハハハッ!殺すには惜しいなぁ!」
奴はブンブンと腕を振り回して準備運動のように身体を解して温める。
まぁ、知ってた。このくらいの状況は。
こんな事くらいでいちいち絶望してたら、生きていけない。
「殺すだって?誰かから依頼でも?」
奴はハッとして口元を塞ぐ。ん?図星?
俺は首を傾げつつも警戒は解かない。
わざわざ俺を狙う?なんで?
「ハハハハハハッ!」
奴はまたしても拳を振りかぶって地を蹴り疾く。
同時に俺も地を蹴り上げてそこから退避する。
俺にまっすぐ突っ込んで来て大振り-なら避けられる。
だが奴は口に何かを含んだかと思えばブッ!と吹き出す。それを視認する間もなく身体は反射的に逸らして避ける。だがそれは間違いだった。
「ククッ」
奴の低い笑い声につられるように放たれたそれは、急に弾道を変えて眼前に迫る。
「は-」
とっさに剣を構えるも遅い-気色悪く広がった溶媒が剣で受けきれず頬を擦過する。
「え-」
-それは、一瞬の出来事だった。
脳が擦り切れそうなほど熱くなり、身を焦がさんばかりに熱を放つ。
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!」
あまりの熱に思考が埋め尽くされる。
さっきまでの自信は無様なほど力無く膝を崩して、情けなく地面に伏すと悶えのたうち回る。
手足は玩具のように勝手にダンス、身体は汗か小便か分からないくらい混ざり合って気持ち悪い。
顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃとなるが、そんな事はもう気にならない。
-いたいいたいいたいいたいいたいいたいッ!
もはや身体は痙攣を起こして言う事を効かない。
それでも手は、何かに触れようと必死にモゾモゾと動く。
灼熱を纏った地獄の業火の中、グチュ⋯⋯と肉が爆ぜたような痛みが地面に触れる頬に走る。
転がりながらもようやく辿り着いた手は顔に触れる。
「あ”?」
なんだよ⋯⋯⋯⋯これ⋯⋯。
頬が⋯⋯ねぇ⋯⋯。
柔らかな肉と歯に当たる感覚。そこにあるべき皮膚は無惨にも溶けて無くなっていた。
「ハハハハハッ!どうやら、俺の勝ちのようだな」
聴こえるのは、まとわりつくような気味の悪い声。
だが水の中のいるのか声はこもり、聴こえにくい。
かろうじて動く目は白く濁っていてトロい。
何とか視線を持ち上げれば、真っ黒な足元だけが不気味に浮かび上がる。
そこに立っているのは間違いなく魔族ヤバウだ。
「さすがにもう動くのも厳しいんじゃないか?」
ガシッと髪を掴まれて持ち上げられる。
まるで頭皮を剥がされる痛みに声にならない声が上がる。
「ハハハ。いいツラじゃないか。イキがってた頃よりよっぽどお似合いだぜ」
顔の近くにヌっと奴の顔が迫る。
抵抗しようにも、だらしなく開いた口からは涎が垂れ流したまま力が上手く入らない。
「中途半端じゃ苦しいだろう?せめて一思いに送ってやる」
奴は重たい空気もろとも持ち上げて拳を空に掲げる。
-ボッ。
どこかで何かが爆ぜる音が森全体を揺らし轟き響かせる。
それは、俺を持ち上げていたヤバウも思わず手を離してしまうほど。
「な、なんだッ?」
落とされた俺の顔は地面に後頭部を打ち付けて仰臥する。
痛み⋯⋯よりも、辺りを見渡し焦った様子を見せる奴に目がいく。
まもなくして、奴は見つけてしまったのだろう。
「ぬお⋯⋯お⋯⋯」
-自分にとっての絶望を。
ザッ、と小枝を踏み抜く音が聞こえる。
それはこちらに向かってくる足音だと気付いた時に俺の目に光が戻る。
止まることは無い。軽快にも淡々とも取れるその足取りに、微かな希望を見いだし、魔族に挑む無謀さや得体の知れない恐怖にゾッとする。
誰だ?
フウカ?なのか?
ヤバウはそちらを見つめたまま、依然として固まって閉まっている。
よく見れば、その巨躯は僅かに震えすら伺える。
仮にも魔族、フウカ相手に怯えるとは思えない。
「-せっかく人が十年ぶりに会いに来たっていうのに⋯⋯はぁ、邪魔だなぁ」
この場所には似つかわしくない男の声。
陽気なようでどこか調子が良く、ため息混じりに吐き出された陽気なその声に憶えがあった。
俺は抉れた顔も構わずに、痛みすらそっちのけに希望を見やる。
そこには真っ白なローブに身を包んだ、長身の男が立っていた。
「おっ、君は-お金を出してくれなかった方の人!」
いやに酷い覚えられ方だな。
だがこれで確信した。
奴は昼間に会った男で間違いないだろう。
「やれやれ、再会がこんな所でなんて酷いね」
「ぐ⋯⋯うぉ⋯⋯」
男は陽気に近付いてくる。
相変わらず顔は魔法のベールに包まれて黒に染まり見えない。
だが魔力を抑える効果があるにも関わらず、この魔族には効果覿面らしく、はっきりとその正体が分かっているようだった。
「貴様は⋯⋯なぜ、死んだ、はずじゃ⋯⋯」
「死んだ?あぁ、じぃが上手くしてくれていたんだね」
そして、男は何事もなく歩いて魔族の前で立ち止まる。
「⋯⋯君相手なら、流石にフード取らないと駄目だな」
男はグイッと、躊躇うことなくフードを脱いだ。
魔族の顔色は真っ青に染まった。
そこには、海のようにウェーブ掛かった綺麗なうねる髪をした美青年の顔が現れる。
瞳は海を反射したように綺麗なアクアマリンをしており、右頬には波のような痣が浮かんでいた。
「おぉ⋯⋯」
男から放たれる神々しさは、まさに伝説上のポセイドンを思わせる風格を持ち合わせていた。
「やぁ、こんにちわ。僕は水の勇者-ネレウス・アクアシアだ。お初にお目にかかるかな」
刹那、男の瞳は金色に輝きだした。




