第三章 第十二話「明るく不気味な森」
魔法が使えるようになりご機嫌な天。
その前を忙しく通り過ぎる勇人とライドは、急遽、王国軍騎士団の要請を受けて正門を抜けた森を目指す。
多くの和気あいあいとした人混みの中、人々の背を掻き分けるように重厚な門がちらりと見える。
まもなくたどり着くと、そこには誰も居らず、既に開け放たれた正門がもう出発したのだと物語っていた。
「王都を出ればすぐに森だ。いつでも出せるようにしとけよ」
ライドの声にふざけた様子はなく、だからか引き締められるように胸がぎゅっと締め付けられる。
俺はごくりと生唾を呑み込んで、ネックレスを手にかける。
「⋯⋯おうっ!」
俺はキッと正門を睨みつけて走り続けて正門を突破する。
開かれた正門をくぐり抜けると、そこにはアサガナで見たような草木の短い草原が横殴りの風に煽られて身体が大きく傾く。
「おぉっ!?」
思わず倒れそうになる身体をライドは舌打ちしながらも手を強引に引っ張り事なきを得る。
「だから油断するなって!」
叱咤するライドに俺はビクッと身体を竦ませる。
「ご、ごめん⋯⋯」
こいつ、後ろも見ずに俺の行動を把握してる。
それだけ集中しているということか。
ライドは前のすぐに迫る森だけを見据えて視線を逸らさない。それだけヤバい事態が起こってるって事なのか。
そうして森に突入するもすぐにライドから身を屈めろとの指示があり従って身を伏せる。
ライドは四つん這いになりながら後方に下がると、俺の隣に来ると小さく口を開く
「いいか、俺がいいって言うまでここから四つん這いで移動する」
ライドの表情にいつものちゃらけた所が一つも無い。
俺はその顔を見たままこくりと頷くことしか出来なかった。
「よし。なら着いてこい」
ライドの声に俺は後方からついて行く。
森はアサガナ村からほぼ近くにあった”迷いの森”とはうってかわり鬱蒼としておらず、陽の光をよく取り入れた明るい世界が広がっていた。
海上から十キロ、他の地域と違って”陽光”が近いせいもあるだろうが、木もそこまで大きくなく、まばらに生えているおかげで明るさが維持できているのだろう。
あとは突き抜けた雲たちの上に存在する王都だからか、当たり前だが空には雲一つ浮かんでおらず、寧ろ宇宙の方が近いんじゃないか?
遮るものがないから、ほぼ直射日光となっており森は暗がりを経験することが少ないのだろう。
暫く歩き続けると、辺りが薄暗くなった気がする。
「⋯⋯ったく、成長しすぎ。長いんだっての」
ライドは「チッ」とまた舌打ちする。
おそらくこの森のことを言っているのだろう。
「元々はこんなに森は無かったのか?」
「ん⋯⋯あぁ。この”陽光”が近いせいだろうなぁ」
ライドは「はぁ、うっぜぇ」と毒を吐く。
-まるで女神が世界に干渉しようとしているみたいで気持ち悪い。
そんなライドの姿に、二ヶ月ほど前にヴィランダさんのこぼした一言を思い出す。
「なぁ、ヴィランダさんもだけど、もしかしてお前も”陽光”は嫌いなの?」
「あぁ?」ライドは俺の声に反応すると、少し押し黙ると口を開く。
「嫌いってわけじゃねぇけど。別に好きでもない。どっちかって言われると嫌いだな」
「なんで?」
「⋯⋯神頼みなんて無意味だからな」
「ん?それはどう言う-」
刹那、耳を塞ぎたくなるほど悲痛な叫びが森全体に響いて草木を揺らす。
「止まるぞ」
ライドの低く小さくひねり出された声に、半分ビビって身を縮こませる。
おかしい。くそっ、慣れたと思ったのに。
この明るい森の中で、何が起こっているんだ。
続けて聞こえる悲鳴は痛々しくて思わず耳を塞いで目を閉じる。
「だめだ、塞ぐな」
ライドの強い叱責につられて強引に手を離す。
「状況を把握しなきゃいけない。目を閉じるな。耳を塞ぐな」
だがなおも続く地獄のような断末魔に、本能が、ここから逃げろと訴えかけている。
ドクンドクン、と心臓が大きく脈打ち始めているのを感じる。
昂るように踊る心の臓は果たして緊張からか恐怖心からか。
焦るように大量の流れつたう汗が、それは警鐘だろうと決定づけている。
「体勢はそのまま。五感を最大限働かせろ」
ライドは四つん這いのまま最小限の首の動きと目の動きで辺りを情報を入れる。
俺は意を決して閉じかけていた目を開き、塞ぎたくなる手を離してそばたてる。
-絶え間なく聴こえるのは、向かった王国騎士団の苦しそうな叫び声。
さらに小さくも抵抗しているのか、鍔迫り合いのような弾きあう金属音が重なる。
目は変わらず、温かく安らかな森の姿を映す。
どこにもそんな戦火が広がった様子は見られない。
でも耳は捉えている。
-シャアアアアッ⋯⋯。
「ん⋯⋯なんだ?」
まるで蛇が近くに居るような声。
「し~⋯⋯」
ライドは咄嗟に指を俺の前で立てる。
「どこだぁ⋯⋯?」
ライドもさらに集中して目を細くして見渡す。
ふと、鼻にツンとした匂いが鼻腔をくすぐる。
嗅いだことのない匂い-だがねっとりと纏わりつくようで気持ち悪い。
「-ッ」
チクッ、とまるで針が刺さるような痛みに思わず下を向くと、小さな金属片が指の先に刺さって血が流れ出していた。
「それ、王国軍騎士団の装備の欠片じゃねぇか」
ライドはぶつぶつと何か呟くと、「こっちの方だな」と九十度ぐるりと身体の向きを変える。
すると、キラリと光る何かが”陽光”により視界を遮る。
-ザッ
だがそれは覆い尽くさんばかりの暗闇が遮断する。
「え-?」
突如、近くから聴こえた足音と共に暗くなる視界。
身体の血が一気に沸騰するような感覚にゾッとして、反射的に地を蹴っていた。
ビチャ。
一瞬、何が起こったか分からなかった。
地面を蹴り上げて飛び上がる俺の視界に映るのは-、黒い塊のような屈強な身体を持った化け物。
そいつは隣にいたライドを掴み上げると、ボッと空を切り裂かんばかりの遠投で飛ばす。
そして俺が先程までいた所には、濃緑色が広がっていた。なんだはあれは!?
「-ッ!」
驚きのあまりに受け身もまともに取れずに地面を転がり、ふらつく足取りで強引に立ち上がり睨みつける。
「ふぅー⋯⋯。一発で終わりだと思ったんだがなぁ⋯⋯やるねぇ」
まるで地の底から湧き上がったような、何十にも重なった男の声が不気味に響く。
そいつは真っ黒な身体に、プロレスラーを大きくしたような体躯。
グリムよりも一回り大きいその身体に怖気が襲う。
「なんだ⋯⋯お前」
俺の声に化け物は角張った顔を前に突き出して無精髭を触り、エラくご機嫌な様子で口を開く。
「俺か?俺はヤバウ!魔族ってやつだな」
そう言って化け物-魔族ヤバウは、おっさんのように豪快に笑った。