第十話「村の追手」
周囲に眩い光を放つ獣が目の前に現れた。
襲われる訳でもなくそいつは森の奥へと消えていったが、これまでの出来事が祟って眠気に負けた二人は眠りについてしまうのだった。
ーガサッ。
なにか自然とは違うものが揺れる音で勇人は目を覚ます。
いつの間に寝てしまっていたのか、空を見上げたまま眠りについてしまっていた。
むくりと上半身を起こすと一気に身体が冷え込んでブルっと震わせる。
ふと視界の端に映るものに目を向けると、先ほどの自分と同じように二階堂も横たわって目を閉じていた。
「二階ど-」と思わず掛けそうになる声を引っ込める。
口からはすーすーと吐息が漏れ、その表情は安心したように眠りについていた。
あれだけの事があったのだ。疲れも相当に溜まっていることだし仕方ないだろう。
伸ばしかけていた手を引っ込めて、勇人は優しく頭を撫でた。
ガサッ。
再び聞こえたその音に勇人はサッと身を屈めて辺りを警戒するように視線をまわす。
風で揺れたり擦れたりする木々の音とは違い明らかに人為的な行為だとすぐ理解した。まるで鬱蒼とひしめき合ったこの森を抜けようと手でかき分けているような音。
数秒後、ザッザッと地面を踏む足音も共に聞こえてきてそれは確信に変わる。
今度はさっきの鹿とは違い周囲が明るくならない。
本当に村の連中が追ってきたのかもしれない。
勇人は額に冷たいものを流しながら恐る恐る辺りを見渡すために顔を上げる。
周囲は真っ暗で夜目が効いているとはいえ見えずらい。だが関係無かったようで、視界をまわすと数十メートル離れた茂みから温かなオレンジ色の光がこぼれているのが見えた。
誰かがあそこにいる。そう確信した勇人は近くにあった手頃な木の棒を掴んで茂みへと物音を立てないように入る。
息を殺して潜んでいるとその音の正体はやってきた。
「あれ?この辺りに人の足が見えたんだけどな⋯⋯」
男は縦線の入った大きめのボーダーに前開きのケープに身を包んでいた。頭にはターバンのようなもので包み、背中には大きめのリュックがあった。
「見間違いかな⋯」と手にしていたオレンジ色の光を放つランタンに照らされた顔は困ったように眉を寄せていた。
明らかに身なりからして村の連中とは違う。
だが勇人はそう簡単に警戒を解かない。万が一、村から向かわされた敵である可能性もある。
男はぐるりとランタン片手に辺りを見渡すので、勇人は咄嗟に頭を下げる。
そしてあっと声を上げる男は何かを見つけた。
ガサガサと屈む勇人の近くを通り男はお生い茂る草木から脱出するとある場所で立ち止まった。
俺はいつでも背後から攻撃できるように構える。
「お⋯おぉ⋯⋯」と男は気持ち悪い声を垂らして興奮しているのか手にしていたランタンが揺れていた。
次第にわなわなと身体を震わせて徐ろに二階堂へと手を伸ばす。
もしかして二階堂を襲う気なのか?
「お、女の子⋯⋯⋯⋯いや」
男は震える声を漏らしながら二階堂へと伸ばした手が触れそうになる。勇人はもう茂みから飛びだして男に飛びかかっていた。
「ニカイドウ-」
「えっ」
今、二階堂って-。
「ん?」とガサッとした茂みの音と漏れた勇人の間抜けな声に男が気付いてこちらに振り返る。
「なっ-」
男はなんとも大きな顔をこれでもかと引っ張ったように驚いた表情を見せる。
しかし振りかぶった木の棒を途中で止めるなんて器用な事は出来なかった。
俺は間抜けな表情のまま心の中で精一杯男に謝罪しながら吸い込まれるように木の棒が男の頭目掛けてクリーンヒット。「ガッ」と男は短い悲鳴をあげて仰向けに倒れていく。そして追い打ちをかけるように勇人は振りかぶった勢いのまま男の腹へとダイブして最後の息の根を止めにかかる。
ドスンッ、と大きな音を立てて倒れたせいで二階堂は目を覚ました。
「グゴッ⋯⋯ガッ!」とまるで機械が故障したように口から泡を吹いて倒れる男。
「ヒィッ!」と短い悲鳴と驚愕の顔を貼り付ける二階堂。
「痛てぇ⋯」と倒した張本人の俺は痛みに耐えかねて男の隣で必死に腹をさすっていた。もうカオスだった。
「だっ、誰ですかぁ!?」
そう最初に声を発したのは男だった。ハッとして目を覚ました男は恐怖に震えながらもこちらにぷるぷるとした指を向ける。
「えっ⋯⋯と、俺は刀道勇人。あの、さっきはすみません」
勇人はペコりと謝って許される事ではないがとりあえずの謝罪をする。
「そうですよ!さっきの⋯⋯イタタタタタッ!」
「あぁ、あぁ、すみませんすみません」
万が一、村の追手かもと疑って殴ってすみません。
俺は申し訳程度に「大丈夫ですか」と駆け寄ると「ヒィッ!」と怖がられてしまった。
それ以後もぶつくさと何か文句を垂れていたが聞こえないふりして固まったまま二階堂へと声を掛ける。
「誰⋯⋯なの、あの人」
震える二階堂の声音には恐怖が滲み出ていた。
この世界に来て会った連中は村の人達だけだから、同じように感じるのだろう。
「いや知らんのよ」
「「じゃあ誰?」」お互い顔を見合わす俺たちに「ミカ⋯⋯さんですよね」と男が声を発した。
「⋯⋯⋯⋯は?」
正直俺もさっきは二階堂と同じリアクションだった。
「えっ⋯⋯どうして、私の名前」
「俺も思った。誰なんだあんた」
得体の知れない恐怖に襲われ逃げ出そうとする二階堂の手を掴んだまま俺は男を睨みつける。
勢いに押されていたが、もう片方に握った木の棒をまた強く握りしめて男へとその先端を向ける。
「えっ⋯⋯ははっ、ご冗談を。いやぁ十年ぶりくらいですかね。ネーチス・ボーダナーですよ」
男は照れくさそうに自身の頭に触れて握手しようともう片方の手を二階堂へと差し伸べる。だが当然の如く二階堂が知るはずもない。
「だれ、なんですか⋯⋯?」とこぼして、訳が分からないと今にも二階堂は泣きそうだった。
その発言にネーチスは少し寂しそうな表情をみせて伸ばした手を引っこめる。
「覚えていませんか?あの時も最初の出会いは森で金髪で長身の人と一緒に居たじゃありませんか」
男はつらつらと懐かしそうに目に涙を浮かべてそう語る。
「そんなの知らないッ!」
空を切るように二階堂は言い放つと「気持ち悪いっ!」と叫んでその場から離れようとする。
「なんで止めるの!?危ないって!逃げよッ!?」
必死に振りほどこうとする二階堂を制して俺は男に言い放つ。
「なぁネーチスさん。他人の空似とかじゃないのか?」
「いえいえ!そんな事は無いですよ。それほど綺麗な方そうそうに忘れません!」
キリッと言い切った男は嘘をついているようには見えない。
「だってよ。十年前この人に会った記憶とか-」
「-あるわけないじゃん!」
「ですよねー」
ぐいっと二階堂に引っ張られて近くの木の影まで行くと顔を寄せられる。
「昔にこんな世界に来た覚えなんてないし、絶対他人だって!」
「でも間違えるはずないって言ってたぜ?」
「記憶にないッ!きっと村の連中の一人で私達を捕まえようと追って来たんだってば!」
叫び散らして興奮する二階堂をまぁまぁと落ち着かせながらちらりとネーチスを見やる。男は不安そうな悲しそうな表情をしていた。
「多分村の人じゃないと思うぞ」
「絶対ないッ!」と断言する二階堂を残してネーチスの元へと戻る。
「えーっと。申し訳ないんだけど二階堂が知らないって言ってまして」
ネーチスは「そうですか⋯」と悲しそうに声を発する。
「⋯⋯それでも、それでもせめて街までは送らせてください」
今度は勇人よりも頭を下げてこちらにお願いしてくる。
「どうしてそこまで?」
そう聞くと男はゆっくりと顔を上げて言った。
「私無しではこの森を抜け出せないからです」