第三章 プロローグ「長きより醒めた者」
魔族襲撃から二ヶ月後。
街は殆ど修繕が終わり、勇人と天は日課となっていた大きく作り替えられた浜辺へと出向く。
明日にはサンライズと共に王都アクアシアへ。
住み慣れた天は躊躇うが、それでも帰る為、進むために王都に行く覚悟を決めた。
勇人と天の二人は
気付けばぼんやりとした空間に、僕の意識は蕩けていた。
いつから此処に居たのだろうか、いつから此処に存在していたのかは分からない。
ただずっと目の前を”見ていた”のだと直感した。
ふと感じるのは、俯瞰するような下から見上げているかのような不安定な浮遊感。
今は存在しているが、いつの間にか存在しない空間。
曖昧な存在がこの空間であり、その中でももっと曖昧な存在は僕なのだ、と。
はっきりと言えるのは、今僕はこの景色を見ているということだけ。
ボウッ⋯⋯
向けば、たゆたう炎がバチッと燃えて辺りを照らしていた。
暗闇の中、景色なんてものは見えない。
それでもぼんやりとした空間と思ったのは、あの炎が辺りを照らしていたのだ。
刹那、自分の存在を確立したように手足が”生える”。
生えるという表現をしたのは、さっきまで意識しか無かったから。
僕は身体を持ち合わせていなかった。
空間と一体となっており、また数分して消え失せる⋯⋯そんな存在。
また消える?
僕は前にも訪れた経験がある?
頭には何も浮かばない。
ただ身体は憶えているみたいで、恐怖からか震えていた。
僕は何度も此処に現れては消える、不確定な存在だったのだ、と。
だけど今、手足が生えた。チャンスだ。
歓喜に両手を顔に近づければ-ほら、顔が出来た。
その顔を下に向ける。さすれば胴が現れる。
身体は恐怖に震えているんじゃない。
動けと僕を奮い立たせている。
何処か触れる度、そこの存在が確立して僕の身体は少しずつ形作られていく。
そうして大方触れれば、僕の存在が出来上がった。
「ふぅ⋯⋯」
小さめだけど声も出る。今動かないといけない。
再び奥の炎へと目を向けた。
僕は生えた手足を上手くバタつかせて泳ぐ。
この空間はどこにも重力が存在しないようで、これが一番効率よく歩を進められた。
炎に辿り着くと、風もないのに揺らいでいることに気が付く。
僕は呼吸をせずとも生きられている。
ならここは何処だ?
ボウッ、とまた炎は膨れ上がって強く燃える。
まるでそこに答えがあると言わんばかりに。
僕は引き寄せられるように其の中を覗けば、何処かの情景が映り込んでいた。
それはノイズがはしり、炎同様に揺らめき、フッと息を吹きかければ消えてしまいそうだ。
-これは恐らく僕の記憶。
思い出されるのは⋯⋯遠い過去となった風景。
魔王により侵攻された街の様子を。
「⋯⋯行かなくちゃ」
僕は何かを思い出した。
いつの間にか情景は炎の中で霧散して、違う風景が映し出されていた。
見えるのは、海のように透き通った青色の髪。
どれだけ解いてもうねるこの髪は母譲りのものだ。
右頬には一雫の水色の痣が大きく描かれている。
それは使命。これが宿った時には既に宿命づけられていたのだ。
そして目の前の僕は、”見ているのにまだ目を開いていなかった”。
それは僕自身が、自分の正体を思い出していなかったからだと思う。
でもやっと思い出したよ。
おかげで閉じられていた瞳が満を持して開かれる-。
重厚な瞼を動かして開かれた瞳の色は-金色。
その瞳は、まるでこの世の全てを見定めたように神々しく輝きを放つ。
あまりの眩しさに思わず目を瞑りそうになるも僕は耐える。
この瞳は選ばれし者の定め。
神から賜った唯一魔王に対抗する力を宿した証。
決して逃げる事など許されない。
この瞳の色が金色に輝き、痣が現れた時から魔王を倒す事を運命づけられたのだ。
これが浮かんでいるという事は-まだ終わっていない。
「行かなくては-」
僕は迷わず炎に手を突っ込む。
炎はより一層燃え上がった気がした。
刹那、炎に揺らめく景色は僕の身体に入る。
「あぁ⋯⋯」
思い出される-僕が眠る前の記憶。
炎自体は熱くなく、ただ僕の身体に入っていく。
それが身を焦がす程に内部から記憶の欠片を溢れさせて火照らせる。
この温かさ⋯⋯-いや、熱は。
僕に再び剣を持てと叫ぶ熱の他ありえない。
「フッ-」
懐かしい思いが湧き上がり笑みがこぼれた。
懐かしい⋯⋯王子として、そして王としての振る舞いを教えてくれた彼の熱を。
そしてその熱で僕を救ってくれた彼-兄さんの姿を。
「-行こうか」
僕は柔和に笑って、三度覚悟の言葉を告げる。
目の前の炎、それが全て身体に入ったど同時、身体から溢れ出した熱で視界を塞ぐ。
だけど僕は目を閉じない。閉ざさないよ。
目を閉じれば、また眠りについてしまうかもしれないから。
それがどれだけ熱かろうと関係ない。
この身は全て-ダーナステラに生きる人々の為に。
瞬間、僕を包み込んでいた炎は熱さを失い、暖かな光となって抱擁し辺りを眩く照らす。
「あぁ-⋯⋯ようやく⋯⋯」
僕は最後呟いたのだろうか。
次の瞬間には、その空間から僕は居なくなった。