カクという行為
航
意気揚々と自分の部屋へと凱旋し、ここ最近はずっと遅々として進まない創作活動に悶々としていた椅子へと座り、机の上に置きっぱなしになっていたノートに一気呵成に物語を書き記すつもりだった。
つもりだったのだが、シャーペンを持った俺の右手は全然動かない、文字を書き連ねることができない。
これは椅子に座った瞬間に、それまで保っていたアイデアが、突然脳内から消失してしまったから、というわけではない。
まだ依然、俺の脳内に。
それこそ生まれた時よりも、より克明に、鮮明に存在している。
それなのに書けない。
ノートの上に一文字も。
いや、これはちょっと違う、語弊がある。正確にいうと、書くには書いた。
だが、それは俺の中のあるアイデア、イメージとはかなりの齟齬が。大きく乖離しているような。
これじゃないと書いた文章、文字を消しゴムで消す。
そして頭の中にふさわしい文章を構築しようと頭を捻る。
書く。
なんか違うな。
消す。
もう一度考える。
日本語以外の言語で書こうとしているわけじゃない、産まれた瞬間から慣れ親しんだ、十数年の付き合いのある母語で書こうとしているの、それなのに書けない。
アイデアを生み出す才能だけじゃなく、文才もないのか、と落胆を。
しかし悲嘆にくれたところで物事が進展するわけでもなし。
考える。
机の前を離れたり、夕飯を食ったり、風呂に入って気分転換を図ったりと、アイデアの、頭の中のイメージの、言語化に勤しんでいたのだが、全然書けない。
ノートは未だ白色のまま。
その内集中力が切れ始める。
さらにずっと脳を酷使し続けていたからなのか、いつもの就寝時間のかなり前に、脳が睡眠を要求してくる。
それに抗いながら書こうと努力するのだが、人間の三大欲求にはなかなか抵抗できない。
睡魔が襲いかかってくる。
しかしここで負けてしまったら、もしかしたら起きた瞬間にアイデアが脳内からきれいさっぱりと除去されてしまっているかもしれない。
抗う。
抵抗するが、抗えない。
頭の中が白くなっていく。
最後の抵抗を試みる。
といっても、禁断の薬に手を出してとかじゃない。
まあ、そんなものを買うような伝手も金もないけど。
では何をしたのかというと、最後の抵抗として、脳内のアイデアの断片的なメモ。いやそれにも達していないような走り書きを。
ノートに、クマ、声、この二文字だけを書き、睡魔に負けてしまった。
目が覚めると同時にしたことはアイデアが消えていないかの確認。
大丈夫、まだ脳内に存在している。
だとしたら昨日のあのメモ書きは必要なかったかも。睡魔に抗いながら必死にしたため、といってもたった単語二つだけど、のに。
いや、もしかしたら次の瞬間に忘れてしまうかもしれない。
とにかく、昨日は書けなかったけど、もしかしたら今日は心機一転で書けるかもしれない。
起き抜けに、まだ顔も洗っていない、飯も食ってないのに、さっそく机の前に。
書けない。
やはり、ノートの上に文章を、それどころか文字すら書けない。
うんうんと唸るが、一向に脳内のアイデアというかイメージを文章化することができないでいる。
そんなことをしているうちに出ないといけない時間に、学校へと向かわないと遅刻が確実な時間に。
だがこのままサボって粘るという手もありと言えばありだよな。なんというかもうそこまで出かかっているような気がしている。
しかしながらこれ以上サボるというのは。停学処分を喰らっているし、その前にもわりサボっていたから出席日数という問題が。
本来考えないといけないことを少し後回しにして考える。
考えた結果、登校することに。
停学処分に加えて留年というのは流石にちょっと。
大急ぎで制服に着替え、部屋を飛び出し、自転車に飛び乗った。
忘れてしまった、ものの見事に。
といっても恐れて事態が起きてしまったとかではなく、消え去ったのは別のもの。
自転車での登校。身体を動かしたことで脳が良い具合に活性化されたのかどうか判らないが、兎に角ペダルを回すとともに序盤の文章が生まれ、それをきっかけにこれまで全然進まなかった創作活動が一気に進展、全体とは流石に行かないけど、それでも三分の一位のところまで文章を構築することが。
自転車の乗ったままでこの頭の中で構築した文章を書き起こすことはできない、携帯を持っていれば口述で行けたかもしれないけどないものは仕方がない、ので自転車の速度を上げる。
一刻も早く学校へと辿り着き、ノートに記さないと。
登坂時のフルームもかくやというハイケイデンスでペダルを回し、校舎へと駆け込み、廊下を駆け上り、教室へ、自分の席へ。
席に着くと同時にバッグの中からノートを取り出し、いざ書こうとした瞬間、さっきまでの厳然と存在していた文章が消失。
頭の中には一文字も残らずに消えてしまった。
なんでなんだ?
何とか思い出そうと、記憶の復元を行うけど、上手くいかない。
どれだけ必死になって脳内の記憶の棚をひっくり返しても全く出てこない。
だがしかし、先にも述べたようにアイデアは消去されていない。
まだ存在してくれている、残ってくれている。
感謝をすると同時に、さっきまでの文章はきっと愚にもつかないような駄文だったはずと思い込む。あんな文章で紙芝居を創っても、きっと藤堂さんは喜んではくれないはず。
そう思い込んで自己防衛を。
そんな風に思い込まないと悲しみのあまり精神崩壊しそうだったから。
……でもやはり、惜しいような気が。
再度思い出そうと挑戦を。
……出てこない。忘れてしまった文章はもちろん、新しい文章も。
授業なんかそっちのけで思い出そうとする、同時に考える。
こんなに頭を使っているんだ。もし神様がいるとしたら、少しくらいはこの哀れな子羊にお恵みをくれてもいいものなのに。それなのに何にも出てこない。
一向に出てこない文章を考えるのが嫌になってくる。
何でこんな目に合わないといけないんだと理不尽な気分に。
この気持ちをヤスコに向けてぶつけてやりたいような心境に。アイツがあんなこと言わなければこの苦しみを経験しなくてもすんだのに。
しかしながらヤスコは当然ここにはいない。まあ仮にいたとしたら、恨みつらみをぶつけたとしてもその何倍もの報復を喰らうのは必至だろうけど。
シャーペンを握りしめたままで苦悩する。
やはり俺には文才もない。だから最初からオリジナルではなく、既存の物語を紙芝居に落とし込む練習を、文書を書くための訓練をした方が。
誰だったかは忘れたけど、小説も模写して文相の練習をした作家の話を聞いたことある。
遠回りかもしれないけど、基礎を固めてから書いたほうが。
しかしまだ俺の脳内に鮮明と存在しているアイデアは。
練習をしている間に忘れてしまうかもしれない。
どうしよう?
本来考えないといけないことは別のことなのに思考はそちらに傾いてしまう。
どっちにすべきか?
何気なく教室を見渡していると藤堂さんの姿が目に。
一瞬目が合った。
微笑みかけてくれた……ような気がした。
そうだ、俺は藤堂さんを楽しませるために紙芝居を創るんだった。
さっきの微笑みよりも、もっと輝く笑顔になってもらいたいんだ。
文章のことばかりに囚われていてすっかり失念していた。
だったら、創るべき作品は、書くべき紙芝居はこの脳内にあるもののはず。
絶対にこの作品を書き上げる。
決意を新たにして、俺はまた苦しみの中へと舞い戻った。これだけもがき足掻いていれば、いつかは絶対に書けるはず。
そう信じて。
湊
昨日の結城くんはなんだか様子が変だった。
それが今日も続いている。
どうしたんだろう?
こんなことなら昨日訊いておけばよかったかも。先輩には怒れるかもしれないけど、それで話しをしていれば、もしかしたら今の結城くんはなかったかも。
どうしようもできない状況に、はらはらしながら結城くんの背中を見ていたら、結城くんが振り返り、一瞬目が合ったような気が。
そうしたら結城くんの背中が少し変わったような気が。




