創作タイム
湊
朝はあんなにも重たくて進まなかった自転車が軽やかにすいすいと走ってくれる。
気が付いたら、家の前に到着していた。
こんなにも軽くなったのは結城くんのおかげだ。
それにうれしい情報も教えてもらったし。
ああ、すごく楽しみ。
「ただいまー」
自分でもちょっとビックリするくらい大きな声が出た。
「お帰りー。ああ、お弁当箱出して。今洗い物しているから一緒に片付けちゃうから」
キッチンからお母さんの声が。
あ、食べてない。それどころかそもおもお弁当箱を蓋も開けてもいない。
結城くんの紙芝居を観るのに夢中になっていて、休憩の間は話をするので忙しくて、あんまりお腹も空いていなかったから食べるのを忘れていた。
「食べていない」
「体調でも悪かったの?」
「ううん、ちょっと食べ損ねただけ。今から食べるから」
スポーツバッグの中からお弁当箱を取り出して食べ始める。
美味しい。
ここ最近ずっと食欲がなかった、食べても味がしなかった。それでも無理やりお腹に中に収めていた。残したりなんかしたら心配をかけてしまうと思って。
それが今はどんどんお腹の中に入っていく。
「そんなに無理に食べなくて。それにもうすぐ夕飯なのに」
「平気、まだ入るから」
わたしの言葉にお母さんは唖然としたような表情に。
でも、この言葉は本当だ。まだまだ食べられる。これまでの食欲を一気に取り戻すかのように胃が食べ物を求めてくる。
朝とは比べ物にならないくらいに元気になった。
こんなに元気になれたのは、絶対に結城くんの紙芝居のおかげ。
「今日は休まずに来たなー」
月曜日の朝。恵美ちゃんがわたしを見て開口一番に。
「ゴメンね、昨日は行けなくて」
あれからケータイで謝ったけどもう一度。
突然サボったんだから。
「別にいいよ、昨日のは自主練だったんだし。みんな参加するって言っていたけどさ、結構来なかった人もいたし。それに体調が悪い時に無理すると怪我をしやすくなるし」
「うーん……でも……」
サボった身でなんだけど、わたしは一番下手だから。
「休む時は、しっかりと休むのも練習のうち。だってさ、ここのところ湊ちゃんずっとえらそうな顔していたし。一昨日までと違って今朝はすごく良い顔しているし」
すごく良いことがあった。だからこそ、こうして元気になれた。
でも、偉そうな態度だったかな、わたし。ああ、違う。そうじゃない、このえらいは、この地方の言葉だ。辛いという意味で使う表現。周りの人はみんな使っているけど、私はどうも違和感があって、あんまりピンとこない。理解するまでちょっと時間がかかってしまう。
「……そんなに酷く見えたの?」
自分では上手く隠していたつもりだったのに。
「うん。すごく酷かった」
間髪いれずに恵美ちゃんの返答。
「……そんなに酷かった?」
「ここんところずっと。いつもはきれいにしてる髪もなんか手入れがあまりよくなかったし。顔色も悪い。それだけなら体調が悪いのかなと思うくらいだけど、全然表情が無かったから」
指摘されてようやく気が付く。そういえば昨日の夜、ブラシをかけていたら引っ掛かりが多かったような気がした。ということは、昨日はあまり手をかけずに家を出たんだ。結城くんの前に酷い髪でいたんだ。今更ながら恥ずかしくなってくる。
それにしても、そんな風に周りからは見えていたんだ。
平気なふり。上手く誤魔化していたつもりだったんだけどな。
そうだ、今度紙芝居を観に行った時に、結城くんに演技のことを聞いてみよう。
そう考えると、なんだか楽しく、面白くなってくる。
「おお、また笑顔になったな。何を考えているの? 教えてよー」
「ええー、駄目。秘密」
自然と笑みが浮かんでくる。わたしの顔を見て恵美ちゃんも笑う。
そこに電車がやって来た。
結城くんの背中がわたしの目に入ってくる。
先週まではこの背中を見るのが辛かった。
見ないようにいていても入ってくる。その度にわたしの胃は、見えない手で握り潰されたみたいで鈍い痛みが襲いかかってきていた。それから逃げるために結城くんの背中から目をそらすけど、罪悪感で痛みはもっと酷くなっていた。
でも、今はそんなことはない。
昨日、結城くんのする紙芝居を観たから。
それから話をしたから。
結城くんが停学する前まではこの背中を授業中よく観察していた。
痛くなくなったからその観察を再開。
あれ?
気のせいかもしれないけど、ちょっと様子が。
あっ。
そうか、昨日ヤスコさんが言っていた、教えてくれた紙芝居の創作について結城くんは色々と考えているのかもしれない。
きっと、そうだ。
どんな話を考えているのだろうか?
興味が湧いてくる。
休み時間に訊いてみようかな。
……駄目だ。教室で話しかけたらまた迷惑をかけてしまうかもしれない。
わたしは結城くんと学校で話すことができない。
だから、心の中で密かに応援をすることに。
航
考える。
紙芝居について。
本音を言えば、書きたくない、創りたくない、助っ人なんだから演るだけで十分なはずなのに、ヤスコが藤堂さんの前で余計なことを話してしまった。
俺が紙芝居の創作をしていると聞いた瞬間の藤堂さんの顔。
そんな顔を見ていたら、このまま有耶無耶にしたままでなかったことにしてしまうのは。この目の前の笑顔を、俺の創る紙芝居でもっと大きな、輝くようなものにしたいと思うのは、好きなこの前で良いかっこをしたいという見栄のようなものも含まれていると思うけど、それでも男子としては当たり前の思考であろう。
けど、俺に創作なんかできるのか?
停学期間が明けた後、一応は書こうと試みてみた。ヤスコには停学処分を受けた翌日に言われたけど、その一週間はずっと課題に追われていた。そんなことを、余計なことを考えている余裕なんかなかった。
晴れて自由の身になってからは、まあほんの少しだけど創作に脳と時間を費やしてみた。
これまでの人生でまあそれなりの、多分同世代の人間よりも、多くの書き物に触れてきた、読んできた。だから割と簡単に書けるんじゃないかと思っていた。
甘かった。全然アイデアが浮かんでこない。
全然書けない、一文字も書けない。
書けないということがまあこんなにも苦しいなんと想像もしていなかった。
正直、考えているのに何も出てこないというのはこんなにも苦痛とは思ってもみなかった。
俺はマゾじゃない。
世の中そういうのが好きな人もいるけどそんな趣味は持ち合わせていない。
スイスイと書けるのなら兎も角、全然書けないのにそれに従事するのは苦痛以外に何ものでもない。
苦しみに快感を覚えるような性癖の持ち主なら、この状況もでもそれなりに楽しめたかもしれないけどそんな趣味は俺には無い。
だから、いつしか紙芝居の創作について思考するのを止めた。
創作の苦痛から逃げ出した。
それについてヤスコもなにも言わなかった。だから、あの時言ったことを忘れていると思っていた。
それなのに突然、藤堂さんの前でヤスコが言いやがった。
……。
書かないと。
多分これまで書けなかったのは本気じゃなかった、本腰を入れていなかったからだ。
真面目に取り組めばスラスラと書けるはず。
あの人やヤスコはいとも簡単に書いていたから。
俺も絶対にできるはず。
普段もろくすっぽ聞いていない教師の授業の声を完全に脳内で遮断して、紙芝居の創作に没頭する。
まだ誰も観たことがないような物語について考える。
脳みそをフル回転。
考える、脳を使うというのは存外カロリーを消費するものだ。
まだまだ昼には程遠いというのに胃が空腹を、身体がカロリーを求め訴えてくる。
無視をするのは体に悪いということは重々承知しているけど、早弁をするものなんだし、それにした場合は今度は昼に食べる分がなくなってしまう。だから我慢。
我慢しながら少し頭の働きをセーブしながら紙芝居についてあれこれと思考を巡らせた。
あっという間に放課後に。
一日中考えていたというのに全然アイデアが浮かんでこない。
全然出てこない。
けど、落胆する、悲嘆にくれるというようなことはなかった。
こんなことをするのは初めてだ。
最初から早々上手くいくはずがない。
まあ、こうやって考え続けていたらそのうち出てくるだろう。
そんな風に気楽に考えていた。




