新生活
湊
周りのみんなは楽しそうなのにわたしは一人ぼっち。
今日は高校の入学式という晴れの日なのに。
人生の新しい門出だというのに、周りは新生活に胸を膨らませ楽しそうなのに、わたしは疎外感を感じながら一人さみしく座っている。
こんなことになっているのはこの高校にはわたしに知り合いが一人もいないから。
この春ずっと住んでいた東京からお父さんの仕事の都合でこの県へと引っ越してきた。東京で進学することもできたのだが、わたしは家族と一緒に行くことを決めた。だから、この学校どころか、この市、この県にはわたしの知っている人は一人もいない。
自分で選択したことだけれど、今更ながらちょっと後悔。
やっぱり向こうで進学すればよかったかな。そうすれば中学の時の友だちと一緒に高校生活を送れたのに。
はあああー、大きな溜息が出てしまう。
落ち込んでいきそうな気持を何とか奮い立たせるために、今日は持ってきたクマのマスコットをギュッと握りしめる。
これはママが造ってくれたもの。小さい時から強く握りしめると勇気が湧いてくるお守りのようなもの。
高校三年間ずっとひとりは嫌だ。
だから、友だちを作らないと。
その為には積極的に話しかけないと。
自分から何かをするのはちょっと苦手だから勇気を。
そんなわたしの耳に声が。
この表現にはちょっと語弊が。声はずっと教室内でにぎやかに聞こえており、聞こえなくてもいいのにわたしの耳に入ってきていた。そんな中で小さい音量だけど、よく通る、そして何処かで聴いたような声が。
声の聴こえた方を見る。
男子が二人。
その中の一人、あの紙芝居の男の子だ。
ええー? どうして? なんであの子がこの高校にいるの? 上演していたショッピングセンターは隣の市にあるのに? あの男の子もわたしと同じように隣の市から電車で通学するのだろうか?
いや、それよりも。
知っている人が一人もいないと思っていたのに、知っている人がいた。
と言っても紙芝居を上演しているのを観ただけだけれど。
それだけの接点しかないけど、孤独感はもうなくなった。その反対にちょっとだけうれしいような気持ちに。
どうしよう思い切って話しかけてみようかな、同年代の男子は苦手だけど、あの男の子なら大丈夫そうな気も。
そうだ、それよりも先に謝らないと、それからお礼を言わないと。
あの時言えなかったから。
クマのマスコットから勇気をもらわないと。
あの男の子に話しかけて謝罪とお礼と紙芝居の感想を告げ、そしてまた観に行ってもいいか訊かないと。いいと言ってくれたら今度は隠れないで観ることができると思う。
さあ、行くぞ。
勢い込んで席から立ち上がろうとした瞬間チャイムが鳴った。
航
特に親しいという間柄ではないが、新しい環境に見知った顔があるというのはなんというか安心感のようなものが。
高校生活の幕開け。
新しいクラスメイト。
まあ、この高校には俺の中学からは何人も進学しているから、結構見た顔がある。
そんな中で出席番号が近い同じ中学出身のと他愛のない会話を。
こういう時に誼を繋いでおけば、何かあった時、まあ具体的にはノートの貸し借りなんかで、この先有効的になるはずというのを昔ある人から教わった。
というのはまあちょっとした理由付けのようなもので、本当は暇であったからであった、というか所在のようなものがなかったからであった。小説の一冊でも持ってきていればそれを読んで時間を潰すということもできたのだろうけど、入学式だから特にそんなに荷物は必要ないだろうと考え、持ってこなかった。失敗したのかもしれないけど、これがもしかしたら将来的には意味のあるものになるのではという変な妄想じみたことを思いながら、時間つぶしのため意味のない、これは流石に言いすぎた、益体のない無駄話に興じた。
そうこうしているうちにチャイムが鳴り。今年一年担任を務める教師が教室へと姿を現す。
そこから高校生活の説明や部活動、校則の説明があり、そして自己紹介の時間に。
俺の番はまだまだ先。何せ出席番号が男子の最後から二番目。
そこまでまあ他の人のを聞く。
うーん、上手いのはいないな。ヤスコのもとで芝居というものを齧ったせいなのか他人の話し方というものにやや敏感になってしまっている。まあ、俺自身も鼻濁音や無声化、正しいアクセントで話せるのかと問われると正直ごめんなさいと言うレベルではあるが、それでも役者という人種は自分のことは置いておいて他者を非難するもの、そう教わってきたし、最近ではそれはちょっとと思うところはあるものの、気が付くとしてしまっている。今もそうだし。
順番が回ってきた。
湊
耳に全神経を集中。
配布された名簿だけじゃあの男の子の名前が分からないから。
見たら一目瞭然かもしれないけど、後ろを向いてジロジロと見たりなんかしたらコイツ何をしているんだと、あの紙芝居の子はもちろんのことクラス全員に思われてしまうから。だから耳に全集中。
この声は違うこの声も違う。
なかなかあの声が聴こえてこない。
本当なら、これから一年間一緒に勉学に励みクラスメイトの自己紹介を聴いていないといけないのに、男子は苦手だけど、名前を一応は憶えておいた方がいいと分かっているけれど、わたしの耳はあの声が聴こえてくるのをずっと待っている。
「○○中学から来た、結城航です」
聴こえた。
そうか、結城航くんというのか。
配布されている名簿に目を落とす。こんな字を書くんだ。
「趣味はポタリングと読書です」
ポタリングというのはよく分からないけれど、本が好きというのは共通点だ。これをきっかけに話しかけることができるかも。
「今年一年間よろしくお願いします」
こちらこそよろしくお願いします。
…………。
え、それだけ。
もっと色んなことを知りたかったのにな。
もっと結城くんの情報が欲しいのに、
誕生日とか血液型とか。
そういえば前にお母さんが言っていたな。あれは中学の時のクラス替えで名簿をもらい、それを見せたら「今は名前と読み方だけなの。住所とか電話番号は記載していないんだ」、ってビックリしていた。昔は個人情報なんか気にせずに載っていたみたい。今もそうだったら、もっと結城くんのことが知れたのに。
少し残念。
あっ、後、紙芝居をしていることは言わないんだ。
あれだけ上手なんだから特技として言ってもいいと思うんだけれど。でも、考えてみたらそれを言うのは少し恥ずかしいのかもしれない。観る側の立場だったけど、やっぱり高校生にもなるというのではちょっと恥ずかしいという気持ちがあった。だからこそ、結城くんに見られているとおもって隠れて観てしまった。
そんなことを考えていたら背中に違和感が。
誰かがわたしの背中を突っついている。
えっ? 何?
「順番。自己紹介の順番だよ」
考え事をしている間にいつの間にかわたしの番になっていた。
どうしよう。自己紹介の言葉のことなんか全然考えていなかった。
ああ、とりあえず皆みたいに立たないと。
立ち上がろうとした瞬間、机に脚をぶつけてしまう。
机を盛大にひっくり返してしまう。