屋上タイム
湊
先週まではこの階段を上る時、ずっと足が重たかった。
けど、今はその反対。
足がすごく軽い、すいすいと階段を上るというか駆け上がっていける。
足が軽くなったというよりも背中に羽が生えたみたい。
あっという間に屋上のドアの前へと到着。
こんなに事になったのはこのドアに向こうにいる人のおかげ。
さあ、結城くんとどんな話をしようかな。
訊きたいことはたくさんあるし、話したいこともいっぱいある。
でも、どれから話そうか全然考えていなかった。
けど、もしかしたら結城くんの顔を見たら自然と言葉が出てくるかもしれない。
まずは屋上に入ろう。
ドアの手をかけようとした瞬間、左手が塞がっていることに気が付いた。
今日は、というかこれからは必要ないのに。ここに来るための勇気を注入する必要なんかないのに、以前までの癖でつい持ってきてしまった。
お守り代わりのクマのマスコット。
でも、この子のおかげで結城くんの紙芝居がまた観られたんだ。
今日はこの子と一緒に結城くんの横にいよう。
航
正直半信半疑だった。藤堂さんが来るかどうか。
また屋上に来たいと言ってくれたけど本当に来てくれるのかどうか一抹の不安というか猜疑心みたいなものが少しあった。
昨日握手した時の感触を思い出しながら待つ。
階下から足音が聞こえてきた。
その音は先週までとは違ったちょっとリズミカルだったけど、これで藤堂さんが来てくれたことを確信。
ついさっきまであった猜疑心のようなものは一瞬で何処かへと吹き飛んで行った。
勝手に顔がにやけてしまう。
いかんいかん、こんな顔では。
気合を入れるというのもちょっと変だが、表情に出てしまっている気持ちを無理やり隠して、いかにも今まで通り、普通に来るのを待っていましたというような芝居をしながらドアが開くのをやや期待しながら待った。
湊
ドアを開けるといつもの場所に結城くんが座っている。
さあ、話をするんだ。
まだ何を話すか決まっていないけど。
あっ……。
……そうだ、わたしにはしないといけないことがあったんだ。
浮かれすぎて忘れていたけれど。
それをまずはしないと。
じゃないと、この先結城くんとお話をすることができない。先に進めない。
しなといけないのは分かっているのに、それをする勇気が出てこない。
左手に握ったままのクマのマスコットをギュッと握りしめる。
ほんの少しだけ勇気のようなものがわたしの中に湧いてくる。
それを無理やり燃料にして。
口の中が乾く。
言わないといけない言葉はあるのに、それが声になって出てこない。
けど、言わないと。
「……あ、……あの、……ごめんなさい……」
航
え?
なんで?
ドアを開けて屋上へと足を踏み入れた藤堂さんの表情が最初は明るかったのに、俺の顔を見るやいなやすぐに曇っていって、俺藤堂さんに何かしたかと記憶の棚をひっくり返している最中に出たのがさっきの謝罪の言葉。
どうして藤堂さんが俺に謝るんだ?
謝るとしたらむしろ俺のほうなのでは。
昨日の紙芝居は終わった時は上出来のできのように思えたけど、後で自室で鑑みてみると天衣無縫、何一つ瑕疵のない上演であったとは到底言えず、まだまだ改善の余地が、もっと良い上演ができたのでは脳内で一人ダメ出しを。
だから、満足の行くような上演でなくてごめんなさいと謝罪するのは俺のほうなのに。
どうして、藤堂さんが俺に謝るんだ?
解らない。
解らないままで藤堂さんの垂れ下がっている長い髪と頭を見ている。
湊
下げていた頭を上げる。
結城くんの戸惑った顔が。
ああ、そうだ。
わたしがどうして謝ったのか分からないんだ。
わたしはただ謝罪の言葉を言っただけ。
理由を説明しないと。
さっきよりも少しは動くようになった口で。
「あ、あの……あの時信くん、弟がジュースをこぼした時に片付けをしなくて、結城くんに全部任せてしまって、本当にごめんなさい」
最後は頭を下げながら。
やっと謝ることができた。
この春からずっと、胸につかえていたことを、ようやく言うことができた。
航
藤堂さんがいきなり俺の謝罪した理由が判明。
ああ、あの時のトラブルか。
そんなの全然気にしなくてもいいのに。
あの件で紙芝居の最後がグダグダとまではいかないけど、締まらなかったのは完全俺の力不足だし、上手くやるだけの技量があればそれを上手く利用してもっと盛り上げることもできたはず。それにそう多くはないけど時折ああいうトラブルは上演中に起きるもの。大事に至らなかったから問題はない。
けど、そんなことをずっと気にしてくれていたのか。
……良い子だな。
あれ?
なんかヤバい。藤堂さんの顔をまともに見られない。
湊
「それから……ありがとう」
謝るだけじゃない。
お礼も言わないと。
あの時助けてくれてありがとう。
それから昨日はわたしの無理なお願いを聞いてくれて、紙芝居を上演してくれて本当にありがとう。
航
直視できなくて、視線をちょっと藤堂さんから外した俺の耳に、感謝の言葉が聞こえた。
今度のはなんとなくだけど解る。
さっきの話の流れで俺がジュースを片付けたことへの感謝の言葉であろう。
それも気にする必要なんかないのに。
まあ、あの時はちょっと片付けてくれとは思ったけど、勝手の知らない場所でそんなトラブルに遭遇した時どうしていいのか判らずに戸惑ってしまうのは至極当然。これが大人ならば無責任となるのだろうが、俺たちはまだ学生、これは間違った使用らしいけど、という身分だから、社会経験が足りずに対処できなくてもまあ仕方がない。判っている人間が対処しただけの話だ。それにあの時のことを非難するのなら藤堂さんではなくヤスコ。アイツは面白がって何もしないでいた、傍観者になって事態を楽しんでいたからな。
まあ、これもそんなに気にしなくても構わないのに。
そのことを言おうとしたけど、なんだか口の中がすごく乾いてしまって声を出せそうにもない。
湊
やっと言えた。
ずっと言えなかったことが。
……でも、これで安心したら駄目だ。
続けて言わないといけないことが。
わたしがここに来た理由はそれだけじゃないから。
「あのね……実は結城くんに訊きたいことあるの……」
想いを言葉にした途端チャイムの音がした。
航
訊きたいこと?
それは何だろうと思って訊き返そうとしたらチャイムの音が校内に鳴り響いた。
屋上という静かな、ある意味楽園、場所から出て教室という喧噪が渦巻く空間へと戻らないといけない合図。
あ、藤堂さんの表情がちょっと曇っている。
チャイムで質問のタイミングを削がれてしまったからだろう。
「あ、……明日でいいかな?」
質問を聞くのは明日でもいいか問うてみる。
これには打算みたいなものが。
明日もまた屋上に来てほしいという俺の下心。
昨日、また屋上に来たいと言われたけど、それはもしかしたら一回だけという可能性もある。それではなんか悲しいというか虚しい。
下心という程下品なものではないけど、そう思っている、これから藤堂さんが来たいと望むのであればこの屋上の空間で一緒に過ごしたい。
だから、布石のようなものを打ってみる。
俺の言葉を聞くと、藤堂さんの表情が一変した。




