拍手と握手 3
航
待ち人、未だ来たらず。
紙芝居の開始時間、一時まではまだあと少し時間はあるけど、台座の前に置かれているベンチは三分の二ほど埋まっているけど、その中には藤堂さんの姿はなし。
まあ、前に観てくれた時はベンチにじゃなくてその先の柱の向こうにいたんだけど、そこにも確認できない。
もしかしたら、というか、やっぱりこれは壮大な悪戯だったのでは。そんな邪推のような考えが浮かんでくる。
藤堂さんが屋上に初めて足を踏み入れた時からそのプロジェクトは進行していた、また紙芝居をするように懇願し、それを承諾したら、今度は奈落の底へと叩き落とす、もっと酷い目に貶めるという。
疑心暗鬼が俺の中に急速に広がっていきそうだったけど、それを必死で阻止。
そもそもそんなことをして藤堂さんに何のメリットがあるんだ? あんなに時間をかけて。盛大な時間の無駄遣いだろ。
それにそんなに会話なんかしていないけど、屋上で一緒に過ごしていて藤堂さんがそんなことをするような人じゃないということは何となく判っている。
判ってはいるのだが、どうしてまだ来ないんだ。
まだ開始まではちょっと時間がある。その間に来てくれるんだろうか。
久しぶりの紙芝居で、上手くできるのかと緊張感よりも、藤堂さんの姿が全然見えないことにヤキモキしてしまう、気持ちが落ち着かない。
そんな俺にヤスコが、「じゃあ、航。最初はアンタね」、と。
ちょっと待てよ、まだ藤堂さんは来ていない。
藤堂さんがいなければ俺が紙芝居をする必要性はない。
けど、そのことを言っていない。ただ、復帰したというしかヤスコには伝えていない。
それを今からでも言うべきだろうか。
だが、そんなことしたらこの先ずっとこの件で揶揄われ続けるのは必至。
それに反論なんかしたらどんな暴言が返ってくるか判ったもんじゃない。
不承不承ながら渋々了承することに。
湊
急がないと。
紙芝居の上演時間になってしまった。
信くんの手を引っ張って紙芝居の上演する場所へと早歩きで。
本当は走っていきたいのだけど、それだと信くんが付いてこられない、それに他のお客さんがいるショッピングセンターでそんなことをするのは。それに足音が響いていたら紙芝居を観ている人の迷惑になってしまうし、上演している結城くんの邪魔をしてしまう。
できるだけ足音を立てないように、でもなるべく早足で。
早くしないと。
こんなことになるなら信くんを連れてじゃなくて一人で来た方が良かったかも。でも、わたし一人で観るのはやっぱり少し恥ずかしいような気がして、今回も一応幼い弟の付き添いという体で。
ちょっと姑息な手段を講じて、今日もまたお母さんの運転する車でショッピングセンターに来た。十分に間に合うはずだったのに直前に信くんがトイレに行きたいと言い出して、それでこんなことに。
「おねえちゃん、いたいよ」
引っ張る手が痛かったのか信くんがそんな声を。
ゴメンね。でももうちょっとだけ我慢して。
結城くんの声が聴こえたような気が。
もう始まっているんだ。
急がないと。後、少し。
信くんが大変かもしれないけど歩く速度を速める。
小走りでわたしのスピードに付いてきてくれる。
声がハッキリと聴こえた。
その声は前に観た時のようなよく通るじゃなくて、なんだか自信がなそうな、すぐに消えてしまいそうな音。
震えている、不安そうな声。
もしかしたら嫌なことをまだ払拭できていないんじゃ。
それなのに、わたしの我儘のようなお願いに応えようと上演してくれている。
足が止まりそうに。
もっと万全になってからの上演でよかったのに。
無理してする必要なんかなかったのに。
信くんがわたしを引っ張る、これまでと反対に。
そうだ、行かないと。
結城くんはわたしがお願いしたから紙芝居をしているんだ。
だから観ないと、絶対に。
止まりそうだった足を前へと。
結城くんの姿が見えてくる。
近いはずなのに、遠くにいるような感じ。
あの時は大きく見えて、映っていたのに、今は声同様に小さく、そしてちょっと暗く見えている。
目があったような気がした。
その瞬間、結城くんの声が変わったような気が。
気のせいじゃない。
ついさっきまでちょっと震えていて、小さかった声が途端に大きく、そして明るくなった。
航
台座の横に立ち、上演開始の時間が来るのを待っている間はとくになにもなかった。
入念に確かめた足の裏の感覚もちゃんとあったし、空気が身体の隅々にまで入っているもの確認した。
だが、いざ開始といった段になって急にその感覚が俺の中から消失。
目の前に座っている観客の目が、こないだのテスト時の三人の目よりも、何故だか怖く感じた。
ほんの少し先にいるはずなのに、すごく遠くに見えるよう錯覚に。
これは拙い、悪い兆候だ。
この感覚は以前にも経験していた、その時の上演は最悪なでき。
このままでは二の舞になってしまう、そう思ってはいるが、一度始めた紙芝居を途中で止めるわけにはいかない。
が、そんな状態で良い紙芝居の上演ができるはずもない。
不安な気持ちが声に乗ってしまう、自分でもハッキリと判るくらいに震えていた。
負のスパイラルに。
遠くに見えていたベンチがより遠くに見える。
眼鏡を外していのに、つまらなそうにしている子どもの顔、退屈そうにしているその親御さんの表情が見たくもないに見えてしまう。
声が思うように出なくなった。
遠くに見える観客に声を届けようともがくが、それとは反対に小さく、酷い音になっていく。
足元がふらつくような感覚に。
硬いリノリウムの床の上にいるのに不安定になっていく。
身体がふらついているからのか、それとも不甲斐なさというか情けなさで涙目になっているからなのか、判らないが、視界がゆがんでいく。
そのゆがんだ視線の先に……。
藤堂さんの姿が。
視力が悪いし、ゆがんでいる視界だけど藤堂さんの姿をハッキリと確認。
弟と一緒に来てくれたんだ。
そう思った瞬間、さっきまであったふらつくような感覚は消失して、足裏にしっかりとリノリウムの硬さを感じ取れて、小さな声も次第に大きくなっていき、そして音から不安定さが消え去った。
自信のようなものが急に俺に中に蘇ってきた。




