開演 2
湊
さっきの女の人の紙芝居も知らないお話だったけど、今度は知っているお話。
「注文の多い料理店」
柱に後ろに隠れていても、ここまでよく通る良い声で男の子が今からする紙芝居の題名を。
知っているけど、どんな内容か分かっているけど、気になってしまう。
観たい。
けど、見られたくないという気持ちも変わらない。
声で聴いているだけでも楽しめるけれど、目でも楽しみたいような心境になってくる。
頭をまたこっそりと柱の外へと。
紙芝居の正しい見方というのは知らないけれど、おそらく台座の中の絵を見るのだと思う。けど、わたしの視線は台座の中の絵ではなくて、台座の横に立つ人物、つまりあの男の子へと。
まるでお芝居をしているみたい。
東京から狩りに来ている二人の紳士がこのお話の主人公。一人は痩せていて、もう一人は恰幅のいい、ちょっと悪い言い方をすれば太っている人。
この二人の声を見事に演じ分けている。痩せがたの紳士は神経質そうな声で、太っている紳士はややこもったような音。
それを瞬時に使い分けている。
それだけでも十分すごいのに、もっと分かりやすくするためなのか痩せた紳士の時は左を見ているし、太った紳士は反対に右を見ながら台詞を言うという感じに。
すごいな。
そうだ、信くんの様子はどうだろう?
幼い弟の付き添いでこの紙芝居を観ているのだ。どんな反応で観ているのだろうか。
台座の一番前の真ん中に座っている信くんの背中を。
集中して観ている。紙芝居が始まる前に買ってあげた紙コップのジュースを飲むのも忘れてしまうくらいに。
わたしが偶にする絵本の読み聞かせの時とは全然違う反応。
まあわたしはあんなに上手に読めないから当然と言えば当然なのかもしれないけれど。
そうだ。今度読んであげるときちょっとあの男の子の真似をしてみようかな。もちろんあんな風に上手く、そして声を変えて読むなんてことはできない。でも、首を左右に振って登場人物のどっちが話しているのかを真似するくらいなら何とかできるかもしれない。あ、でもそうしたら何処を読んでいるのか分からなくなってしまうかも。
ただでさえ下手なのに余計にグダグダになってしまいそう。
そんなことを考えているうちにとある疑問が浮かんでくる。
二人だけの会話なら左右に首を振ってどっちが話しているのかを表現することができるけど、三人目の登場人物が出てきたらどうするんだろう。
確かこのお話はこの先で重要な存在が出てくるはず。
航
この紙芝居は東京から狩猟に来て、道に迷ってしまった二人の紳士が主人公。
この二人を演じ分けるために一応声を変え、そしてそれだけでは心許ないというわけではないが、首というか身体を左右に振りながら、二人の違いを演出する。
これは普通の紙芝居の上演方法、さっきのヤスコのしていたような演り方とは異なるが、俺独自の方法というわけでもない。
これはとある人の演り方、それを幼いころから見て育ち、教わり、曰く落語からの踏襲らしいが、落語のように厳密にルールは作らずその場の思い付き解り易さ優先、それを引き継いでいるというのにはまだまだレベル不足ではあるが、なんとか近付こうと実践している。
そしてそれだけではなく台座の横で演技、芝居も。
紙芝居は画を観るのが正しいのかもしれないが、画だけでは動きが分かりにくい作品もある。そんな時に動き、というか芝居を一緒に行っていれば観ている側に伝わりやすく、また顔芸なんかを必要とするものなんかでは笑いをとりやすい。
身体の向きと一緒にできる範囲でだが姿勢を、それから足、つま先の向きも変える。こんなところを観ているお客さんはまずいない、自己満足のような芝居かもしれないがこれもあの人から学んだことであった。
道に迷い案内人も犬もいなくなり途方くれている二人の紳士が山の中で一見の料理店を見つけ、そこに入店。
入店したはいいが、そこでおかしなアナウンスが流れる。
俺は読んだことはないけど、原作ではアナウンスではなく文字らしいが、それでは紙芝居で伝わりに難いのでアナウンスを。
この三番目の音は。地の分と同じように、正面を見ながら、そして感情というものはなるだけ排除した無機質な、機械的な音を。
湊
三人目、アナウンスの声は地の分と同じように真ん中で。
普通に考えればそうだよね。後ろを向いて紙芝居をするわけにはいかないもんね。そんなことしたら観客側に声が届かなくなってしまう。でも、この男の子だったらそれでも明瞭な音を届けてくれるような気もするけど。
それにしてもこんな声も出せるんだ。なんというかフラットな、ちょっとだけ不気味な音を。
紙芝居は進む。
料理店から次々とおかしなことを言われ、それに戸惑いながらも、なんとか理由を見つけ出してこなしていく二人の紳士。
宮沢賢治原作のこの物語の内容は知っている。けど、先が気になる。
この男の子がどんな紙芝居をするのかワクワクしながら観る。
航
上演を進めながらも頭の片隅にはとあることが。
それはあの柱の向こうの少女について。
ヤスコの紙芝居の時にはその身体を柱の後ろに隠したりなんかしなかったのに、俺の上演を時には時折身を潜めている。
これは俺の視線を感じてそうしているのだろうか。
ならばと思い、意識はするが、この紙芝居を選んだのは同年代の女子に最後まで観て、楽しんでもらいたいから、なるだけ視線を外して上演する。
変な注文に応えていく二人の紳士。
しかし常に頭の中にはおかしい、疑念が生じているけど、あれこれと理由をつけて無理やり納得して、その注文をこなしていく。
けれど、おかしいという感じや不安は徐々に大きくなっていく。
それを少しだけ心掛けて芝居を、紙芝居を進行していく。
目線を外しながらも少女の姿を確認。
よし。今回は隠れていないぞ。
と、思った矢先に大きな姿をまたも柱の後ろへと。
見ていないつもりだったけど、見ているという気配のようなものを感じ取られてしまったか。
ならば声だけでも楽しんでほしい。
そんなことを思いながら上演。
二人の紳士の徐々に不安になっていく心境を、やや震えた声で表現しようと試みようとしたけど、あの子のいる位置にまでその声を届かせるのはやや自信がなく、まあこれは俺の技量不足であの人やヤスコならそれも可能かもしれないけど、結果ちょっと中途半端な変な音になってしまった。
湊
また目が合ったような気がしたので急いで体を隠す。
隠しながらも耳はしっかりと男の声を。
台座の横のお芝居を観ていないのに、声だけでも段々と不安になってくる様子が伝わってくる。
伝わってはくるけど、耳で聴くだけじゃ物足りないような気が。
悪いことをしているわけじゃないけど、何となく見つからないようにこっそり盗み見るように。
声だけよりも断然面白い、楽しい。
本当にお芝居を観ているみたいだ。
紙芝居はどんどん佳境へと。
二人の紳士はようやく自分たちの今の状況に気が付く。
注文の多い店というのは、お客さんが多いというのではなく、店側が来店した二人に多くの注文を出すということ。
そしてもっと大事なことに気が付く。
このお店は料理を来た人に食べさせるのではなくて、来た人を料理にする店だということに。
航
食べる側だとばかり思っていたら、実は最初から食べられる側。
そのことにようやく気が付く二人の紳士。
これから自分たちの身に起きることを想像して恐怖におののき動揺し、震えた声を。
今度は出せた。
明瞭な音を届ける必要はない、怖さが伝わればいい場面であるから。
そして観ている側にも怖さが伝わるように意識しながら。
一番前の真ん中から悲鳴が上がった。
これが俺の意図通りに上がって恐怖に悲鳴の音ならば万々歳なのだが、そうじゃなかった。
一度始めた紙芝居は最後まで上演しろという指導を受けてきたけど、予想外の声に思わず止まってしまった。