2-5 深遠なる眠り
説明パートはもう少し続きます
睡眠も食事も必要とせず、不老不死であるはずの悪魔の欠点とは――
……果たして自分は目の前でクッキーをかじっているべレイクスと和解したのだろうか。そのような考えがレンカの頭をよぎる。別に喧嘩したわけでもないだろうが、あそこまできつく詰め寄られるとは思いもしなかった。端的に言えば自分から口を開きにくいのだ。
自己の口にした願いが、誰かの感情をあそこまで動かすとは考えつかなかった。
きっと誰でも魔女や術師ならば願ったかも知れないから無事に叶えられるだろうと思っていた。
それはある意味で見方が甘かったのだろう。
召喚が出来て願いが叶ったのはそれこそ願ったり叶ったりだが、その願いが世界の誰かに影響するかまでは視野に入れていなかった。
——―そこで初めてレンカは、些細な願いなどではないとようやく理解できたのだ。
「…………」
「…………」
苦し紛れにレンカはカップに残っている紅茶を一口飲む。冷めてしまってはいるものの、いい茶葉を使っているらしくその香りはさほど変わらない。そろそろ紅茶のお替わりが欲しいところ。
話によればべレイクスは貴族だが、この邸にメイドはいるのだろうか。姿も見かけないし、誰かが出入りしている様子はない。
いつから自分は貴族になったというのだろうかと思い直し、頬を軽く叩いて再び紅茶を少量飲む。自分は市民ではないか。
こういう経験はしたことがない。両親とも友人とも村人とも難なく会話ができていた。何とももどかしい。自分から話題を振るのも気が引けるのだ。
「ところでレンカ、君はいつから魔女になったのだ?」
幸運としか言いようがない。黙って好物のクッキーをかじっていたベレイクスの方から話題を振ってきたのだ。こちらから何を質問すればいいのかも分からなかったのでこれは非常に助かる。質問が来たならそれに答えればいいだけ。
「へ? あぁえっとですね、気づいたらです。祖母の時代から術師の家系でした」
「魔術の知識は親からとその備忘録からか?」
「困ったときや空いた時間に読んでいました。大半はベレイクス様が書かれたんですよね?」
「そうだ、そしてリーザベル卿に渡したものだ。集会に参加した経験はあるのか?」
「集会ですか? ありますよ。ただ、悪魔と契約したのは家系で私が初めてらしいです」
「ふーん。なぜ契約しなかったのだろうか。その様子を見るに親も契約していないと察せられる。いや、集会に参加したからと言って契約する義務もないのだがな」
「それは私にはわかりません。多分、生活には困ってなかったし向上心がなかったのかも知れないです」
「ふむ……生活苦でもなければ、向上心もないと来たか。金銀財宝を求められても地道なコツしか教えられない私にとっては丁度いいのだが。尤も、魔女や術師らしく魔術の究明を乞われても親切には教えないからな? そういうのはリーザベルに頼むといい」
「そうだったんですか? てっきり弟子に甘いものかと思っていました」
「そう見えていたとは驚きだ。集会に参加しないし、私が師匠だった時なんて術式の概要を簡単に記したメモを投げ渡し、質問には一つ二つ答えただけ。それだけでリーザベル卿は上達し、冥界の歴史的な術師を遥かに超えた術式を使いこなしてみせた。君のご主人はそういう存在だ。私の元を離れて随分経つものの、その腕前は全く劣らない。実感したり、薄々感じたりしていたのではないか?」
質問に答えてくれるだけでも十分親切なのでは。そう口にしかけたが頑張って飲み込む。
主人たるリーザベルが普遍的な悪魔ではないとは感づいていた。召喚術式を行使した際に感じた魔力ですら、その一端でしかないのだろう。だとしたら、リーザベルの魔力量はいくらあるのだろうか?
「何となく、ですけど」
「レンカ、君は自身の魔力を測るくらいはできるのだろう? 私の前でやって見せて」
「はい!」
それはベレイクスなりの魔術指南だろうか。レンカは返事をし、即座に自身の魔力量を測る。
魔力量を測るのは容易だ、いかなる術師であっても基礎である。
そしてレンカは自身の魔力が大幅に増えていることに気づいた。
「え、魔力が増えてる? こんなに」
「ふむ、やはりそうか」
測ってみて、レンカは驚異で声を上げる。一方のベレイクスは納得したらしい表情で静かにうなずく。
契約する以前の魔力量と言えばたかが知れていた。言うなれば一度に使い魔3体の使役で限界だったほどだ。しかし今は以前とは比べ物にならないほどまでに魔力が増大している。使い魔も、今ならば10体くらい使役してもなお余裕があるくらいだ。これは一体どういうことなのだろうか。
「我が弟子に代わり説明すると、術師は契約した悪魔の魔力に比例して魔力が増大する。だから多くの魔女や術師は挙って契約をし、新たな力を得ようとする。これは不変の法則と言っていい。つまりはより魔力の強い悪魔を探して契約すればいいが、そんなのは困難に等しい。そして君の場合、一度に膨大な魔力を必要とする術を同時に幾つも行使できるリーザベル卿と契約できた。結果は言うまでもないだろう?」
「そういうことですか! 道理でこんなにも魔力が沢山だったとは。後でたくさんの魔術をお習いますね!」
「そうするといい、彼女もそう望んでいるだろう。ともかくリーザベル卿に見初められるとは実に君は運がいい——―そうだな、今なら夜の集会で君は契約相手について自慢できる。鼻を高くしてな。だが君はそういった行動を好まないと見ているが、実際にはどうだ?」
「そうですね、私がご主人さまと契約できてとても嬉しい。ご主人さまが誇らしい。だけど、それとこれは別。自慢するなら強力無比な術、極めて高度な術を使えるようになってからでも遅くないと思います。寿命がないのは喜ばしいけど」
「寿命、か。さて我が弟子は君に”深遠なる眠り”について説明しただろうか?」
「……いいえ、名称こそその備忘録にありましたけど詳しくは何も知らないんです」
「ふん、我が弟子ながら説明しないときた。全く、とんだ怠慢ではないか」
”深遠なる眠り”
それはあの手記に併記されていた。ただしその名称だけで、詳細は一切記述がない。
試しに集会に参加していた魔女や術師に訊いてみたことがあるものの、誰からもそれらしい返事は返ってこなかった。契約相手だろう彼ら彼女らにはとても怖くて質問を投げかけることはためらわれた。
「ベレイクス様、その”深遠なる眠り”……って何ですか?」
「それは私が解説するとしよう。幾星霜の中でそれなりの人数がなってきた、風邪のような病と縁がない悪魔が唯一かかるという病のようなもので、前兆は突然の気絶だ。そして一日あたり数時間しか目覚められない。終わったと確信できるのは数百年後だ」
魔力の行使は通常通り可能だが、日常生活に多大な支障を来すとのこと。
一時期は魂の食べすぎだとか逆に魂の食べなさすぎなどど言われていたが、その説は否定された。仮説こそ雨後の筍のように乱立されたが、あまりにも未知数でこれと確信できるものはなかった。。
冥界にいるからなるのだから人界に長期逗留すれば防げるという説も提唱された。だがしかし、それでも”深遠なる眠り”に落ちる者がおり、ますます予防不能な病としての地位を確立した。
研究者ではない一般市民も学会に参加したが研究は一向として進まなかった。
「薬とかはどうなんですか?」
「悪魔に薬なんてものは効かないな。特効薬なんてものもない。薬草から人間に効く薬を作ることはできるがな。唯一の救いは、眠りから目が覚める、そして二度とならないと分かっていることだけなんだ」
引き続きクッキーを齧っていたべレイクスが淡々と説明していく。レンカは紅茶を飲むことすら忘れ、黙って聞き入っていた。
悪魔になれば病なんてものにもかからず、睡眠も食事も呼吸も必要とせず好きなだけ悠々自適に魔術の研究ができると思っていたが実際は違うようだ。
本当に見込みが甘い。
「気絶するのだから人間や動物のように定期的な睡眠を摂ればいいという説もかつてはあった。すぐに否定されたがな。これはとある誰かの体験談の一つなのだが、感じるのは自身に対する無力感だ。いくらどれだけ永い時を生きることができて豊富な魔術が行使できると思ったところでそれは突然襲い掛かってくる。気絶なんて普段では絶対に有り得ないにしても、だ。そして一日の大半を眠ってしまう。その間家を空けるわけにもいかず、仕方なく子を残すのだ」
「…………」
なるほど。永い時を生きる種族が子を残すというのはそういう事情込みの話があるかららしい。
きっとそれはとてつもなく寂しいのだろう。
――その寂しさは、一体どうやって埋めればいいというのか。側に誰かがいればいいというのか?
「君だって——」
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