外伝その2 ベレイクス卿の苦悩
外伝その2です!
よろしくお願いします
冥界において端緒の大悪魔たるヴェルクローデン=べレイクスは苦悩していた。
好きな菓子をつまみにしてブランデーを飲みつつ研究書を読むのはいつも楽しい。たった一人で、メイドの誰にも邪魔されず。
……そもそもの話、かのヴェルクローデン家の元当主が暮らす別邸だというのに使用人の数は極めて少ない。
理由は単純。べレイクス自身が使用人を無闇矢鱈と侍らせるのを好んでいない。
役立つ使用人であればメイドでも何でも構わない。
ただ、メイドという職業の者は暇さえあれば主人の目を盗んでどうでもいい、益体のない世間話をひそひそとする。中には堂々と話す者も過去にいたので速攻でクビにした。
だからこそ雇ったからには徹底的に黙らせる。側仕えと言うには同室させず、部屋の外で待機させている。
つまるところ、こちらからの指示以外に業務連絡以外は許していないのだ。
そのほか客人となりたい者も後を絶たないが、あえて拒否した者も多数。
来訪者すら滅多にいない、貴族の別邸の中ではそういった意味で大変有名である。何せ身内、血縁者ですら客間に通さないのだから。
そんな彼の自室に響くのは研究書のページを捲る微かな音のみ。
冥界学会の研究者達を管轄する立場になった(指名された)側としてもこの書はこの書物はそこそこ楽しめたし、有用であった。
——つくづく、寝食を必要としない種族で良かったと幾度となく実感したことか。
「…………ん」
これは……魔力の波長からして魔力念話だ。しかし誰から来たという問題がある。いずれにせよ、すぐに応答せねば。
何故なら、ベレイクス卿が魔力念話をする相手は非常に限られているのだから。
<我が主よ、御用があれば私を直接召喚してはどうだろうか?>
<余は暇でな。話し相手が欲しいのだ>
念話の相手は誰あろう、べレイクス卿にとって唯一の無二の我が主であった。
そうであるならば尚のこと直接召喚された方が楽だというのに。文句を伝えにくい立場がもどかしい。べレイクス卿はヴァルセアスの眷属でもあるのだから。
<我が主にお呼ばれされるなど感謝の念に堪えません>
<礼は結構。ときにべレイクス卿よ、そなたに余以外の友人はいるか? 来訪者すら拒む大貴族として著名であるからな。来孫のリーザベル卿は血縁者だから違うな。そしているのか? ほれ、余に言うてみよ我が友人よ>
<…………私を慕う者はいるが、その者が友人か否かは私には分かりかねる>
我が主と話すのは苦痛でなく、名誉ですらある。そう、冥界中の悪魔が憧憬の念を抱くほどの体験にはもはや慣れている。
……但し、面倒事を押し付けられなければ、の前提で。
思い出せばキリがない。
やれ冥界で最初の貴族となり冥界の土地を統治する協力をせよなど、人界の調査員の隊長になれなど。
信頼されているのは本心で分かっている。しかし他者をもっと信用した方が良いとも進言し、何度断念したか。
——いざ対面すると身が竦む錯覚にさせられる。
だというのに肝心の我が主からは友人扱い、時折エディフィスにて酌をしあう仲。
全くもって奇妙な関係になった。
……
……
…………
私の記憶は、始まりにかの存在がいつも在った。
この世界の絶対君主レリウーディロス=ヴァルセアス。とその妹リリートゥリス様。
べレイクスという名すらも与えたのは誰あろうヴァルセアスなのだから。
ヴァルセアスは尊大な態度ではあるが、傲慢でもなくばましてや高慢ではないし間違っても暗君ではない。実力と名声を兼ね備えた絶対者である。
誰よりも冥界と民のことを考え治世する生まれついての高貴なる明君。
ちなみに自分はどうやって生まれたかと訊けば、自然発生との返答。
『そうか……ならば己ら悪魔は繁殖する動物のような生物ではなく生命体だな』
そうベレイクスがこぼせば、それもそうだからそう定義しようと合議を通すこともなく決定されたこともあった。
そこから多数の個体を増やす、つまるところの繁殖方法すら一任された過去がある。繁殖と繁栄はまるで別物ではと提言すればすぐに採用された。そういった理由で冥界の住人数は人間ほど多くはないが、繁栄は続いている。
べレイクス卿の功績は枚挙に暇がなく、それらによりいかに冥界が発展したか学術的に解析した文書すら存在する程には。
しかし、同時にいかほど我が主より無理難題を押し付けられ……もとい拝命したかの証左でもある。
べレイクスという名を与えられ、いきなり貴族とかいう訳の分からない位階を叙任された。
なんでも貴族というものは主君を補佐し、市民達を統治する役目がある立場故に特権階級ではあるもののかなりの重責を担うと説明されて。
「そなたは余が目にした中でも特に聡明そうな顔立ちをしている。話し方も随分と理知的だ。頼むぞ、べレイクス卿」
などと高圧的に、しかしそれ以外の立ち居振る舞いが想像つかないヴァルセアス。
ちなみに、妹のリリートゥリスはというと。
「これはお兄様に深いお考えがあっての頼みなのだと思いますよ。べレイクス卿、どうか私からもお願いしますね・お手伝いできるかどうかはわかりかねますが」
兄の言葉を否定できず、しかしこちらを労わるように宥める姿は存分眺めが良い。
血を混ぜ、ガラスのカプセルにて個体を培養する繁殖方法が開発可能となった結果を報告した際にも。
「……なぁべレイクス卿よ、我が妹リリーはそなたにもどこの誰にもやらぬぞ」
「…………委細承知。少なくとも私に我が主に逆らう気など毛頭ないと宣言しておこう」
――などと凄まれ、釘を刺されたのも今となっては懐かしい。
主人の実妹を嫁入りさせようなどという不敬が過ぎる思惑は浮かばない。
思えばリリートゥリスは気の利く女性だった。
絶対君主の妹でありながらも下々の者にすら気遣う姿勢を見せる。
どれだけ華やかなドレスを纏おうと市井の民を想う姿はすぐさま人気が出た。
市民に直接姿を見せるバルコニーがエディフィスにあった方がいいと提言したのもリリートゥリスだった。
言ってしまえば優しいのだ。敬慕する実兄にはもちろんのこと、誰にでも。
ヴァルセアスとリリートゥリスが臨席するお茶会に参加した際もそう。
侍女に任せきりではなく、ポットからカップに茶を淹れる仕草を見せるなど、とてもこの冥界に君臨する双璧の片割れがする事とは俄かに信じ難かった。
そんな一般的な好意はべレイクス卿にも向けられた。
「リリートゥリス様よ、私にばかり任務を下賜されてどうも扱いにあぐねている。私は貴女様の兄君のようにバンのではないというのに」
「ベレイクス卿はお困りのようですね。これは個人の意見なのですがお兄様はあなたの事を信頼しているから何でもかんでもすぐに頼みごとをするんですよ。きっとではなく、絶対にそう。私は個人的にべレイクス卿を応援しますし、我が名の下に誓約したっていいのですよ?」
そうやってはにかんだ笑顔をされると、どちらからも信頼されている感じが伝わってきて返事に悩まされる。これは地位が違い過ぎるという話ではなく、主君とその妹君を前にすると単純に逆らえないのだ。
「リリートゥリス様、お気遣い有り難く存じます。そして私は決めたことがあるのです」
「こちらこそいつもありがとう。エディフィスでのお茶会にも来て欲しいので招待状を送りますね」
なんて満面の笑みで伝えられた日には礼を伝えるので精一杯だ。
――そう、決めたことがある。誓約とも呼べるそれ。
主君たるヴァルセアス卿およびリリートゥリス様より命令を受けた案件は可能な限り引き受け、遂行する誓い。
……それでも、その間にも様々な出来事が起こった。この冥界はこのお二方が生まれてから数百年が経ったらしい。
貴族ヴェルクローデン家の位階を与えられ、次に貴族へ叙任されたのは東部のナルキアス家。
ナルキアス家の役目は土地の統治だけではない。
重要な会合などの司会及び進行役だ。
そして北部にはムンデス家。南部は暫定で皇家の統治に落ち着いた。
――なら、ヴェルクローデン家の役目とは?
冥界全土の貴族階級全てを統括する役割。それではまるで貴族の上にもうひとつの序列があるかのよう。
それでも主君から直々に名だけではなく最初に貴族の地位を任ぜられたという名誉を思い出すたび、美酒を呷るかのようにベレイクスは密かに優越感を覚えていた。
「巷では自身が主君の右腕とも称されているらしいな。実に喜ばしい」
『それは、他の貴族達のまとめ役だ。そなたにヴェルクローデンの姓を与え、家名として認めたのはその為だ。余が最初に認めた貴族の家ならば誰も文句は言うまいよ。何せこの余が指名した我が友がヴェルクローデンの当主だからな。そうだ、そなたには新たなる任を与えることとしよう。冥界の維持には魔術という技術の発展が必要不可欠だと私は試案する。多少なりとも才ののある者を集め教育する機関を作る。その教示役をベレイクス卿、そなたに担ってもらうとしよう』
褒めていただき光栄ですなどと返す隙もなく、また仕事が増やされた。
ただでさえ趣味と実益を兼ねた魔術の研究及び開発で忙しいと言うのに。それを教示し喧伝させるだと?
「何、そなたが奮闘すれば魔術の歴史に名が残る第一人者になれるではないか」
――と指名され、これ以上有名になる気はないのに断れなかった。べレイクス卿の元で弟子となれば一流の術師になれるだとか噂が噂を呼び、志願者が絶えない状態を見越していたのか。
「時にべレイクス卿よ、妻子は? 必ずしも迎えよとは言わぬが、悪くはないだろう?」
「……ずっと考えてこなかった。ずつと我が主人の命をこなすことで手一杯。私は研究が出来る今の生活に満足しているが?」
つまりは婚姻しては妻と自分の血を混ぜて子を作れと。
カプセルによる繁殖方法を確立させたのは自身であるが、それをやってはどうかと言っているのだ。
――命令ではなく、提案。
かの方法で子は必ず成る。動物のように手間がかかることはない。使用人に世話を任せれば済む話。
「承知した……ところで私の髪の色は何故こうなっている?」
「何だその事か。気分が乗ってしまい、ヴェルクローデン家で特に魔術の才媛者が現れた場合、その髪色に似るよう調整しておいた。そなたの血が濃く現れた証拠だ」
「な、な、なんと…………」
それならそれで事前に伝えてほしかった。染髪する趣味はないので、まさか使用人の不手際ではと疑っていた状態で苦悩していた。
普段から食事は摂らないが、食卓につきたい気分となった。
フルコースでなくて構わないから一式作れと指図すれば、そう時間はかからず料理人が仕上げてくれる。
「理不尽な事があった、シチューを作ってくれ。それも大量にな」
「かしこまりました旦那様、すぐにお作りいたします」
西部に構えたヴェルクローデン家本邸にて。
ドアの外で待機していたメイドが素早く御用聞きに応じ、厨房に注文が伝わる。
理不尽な事があれば何かしらの料理を口にしないと気が済まない。
俗に言うやけ食いとも異なる習慣。
じっくりと鍋で野菜と肉を煮込んだシンプルなスープが特にお気に入りであり、今回もそれを作らせようと決意した。
そして資金の許す限り食べまくろうとも。
肉と野菜のバランスがどちらも非常にいい。
…
……
………
また、とある日。強制的にエディフィスへ招喚され来場してみれば。
「最近になって発見された人界の調査隊責任者を私に任せるだと?」
「実際に赴くのは隊員達だ。そなたは本邸の執務室にいたまま部下から出される報告書を読んでは書き直し、余に提出せよ。どうだ、簡単な仕事であろう?」
この時点でベレイクスは厭な予感がしていた。
人間などという生物と和解出来るはずがない。ちなみに主君の構想では条約を締結するところまで進んでいるらしい。
複数回にわたって人界の調査が行われ、その嫌な予感は見事に的中した。
そこそこ優秀な隊員からの報告書は端から端まで目を疑う単語の羅列でしかなかった。
寿命は精々100未満。
「長くても139年が限界? 病に罹ったり怪我による出血など身体の損傷といった些細な原因ですぐに命が果てる? ふん、あまりにも脆弱過ぎる」
隊員のひとりが記録に残したという一般的な民家など、流木で辛うじて家の形を成しているぼろ家ばかり。
「食料が常に不足しており、諍いが絶えない? 争う暇があったら畑を改善し、生産量を増やせばいいものを馬鹿馬鹿しい」
「召喚術を人間でも扱えるように改良、だと?」
「そうだ。調査の結果、わずかだが魔力を有する人間がいるのは事実。その為だ。新たなる術式を作るに最適なのはそなただとな」
「お言葉を返すようだが、生憎私は人間などに召喚されるのは不本意だ。私が我が主の命令で人界に召喚される未来もあると言うのか?」
「ふむ。ではべレイクス卿には召喚術の改造を命ずる。完成し次第実践だ……そしてそなたは、どうあっても人間に召喚されるのを拒むと」
「私の総意を汲んでいただき感謝する。私の思想は永らく変わっていない。私見だが、人間の連中はどうも好かん」
歩道すら碌に舗装されていない人界に足を踏み入れる行為すら嫌悪感しかない。況してや会話など以ての外。
特権。人界からの召喚拒否権の常時発動。
それがべレイクス卿に与えられた特権内容となった。
人界の調査隊の監視役を務める。これも与えられた任務だ。
べレイクスの人選で隊が結成され、本格的に異界の調査が開始したのだが……。
「なんだあの生物は! 少量の食料を寄越しても分け与えずに争い、その量が多くなるほど余計に争いが発展するではないか! 土地にしてもそうだ、住宅地以上の広さを求めるではないか!」
べレイクスは報告書を読み、それからすぐに激昂し高級なペンを執務室の机に投げつけた。
主上に献上する報告書を叩きつけなくて良かったとひっそり安堵する隊員だが、隊長の感情は非常によろしくない。
「た、隊長、ペンが……」
「あぁ済まない、目に余るあの愚かさに思わず感情が昂ってしまったが、君達に当たるつもりはない。君達はよくこの任務をこなしてくれた。今は休め」
「はい。お疲れ様です、隊長」
「あぁ、お疲れ。私は決めた。あの異界に絶対足を踏み入れるのは最大限遠慮すると。ましてや現地民と会話など冗談が過ぎる」
ブランデーを飲んで落ち着かせる。
……そんなある日。
「なんだこれは、ち、これがリリートゥリス様が大変苦しまれたという謎の状態か!」
「……そなたまで眠りに就くか。余の周囲にいる者には何ら罪もないというに。これも研究を頼んだ。しばし休まれ」
――そう。
ある日、かのリリートゥリス様に次いで深遠なる眠りについてしまい、一日の活動時間が激減。当主を始めとした人界の監視役など多数の業務に支障が出るようになった。
べレイクスは今まで睡眠を疎んで、自ら進んで摂ってこなかった。単なる時間の無駄ではないか、そんな理由で。
しかし不意の気絶以来、1日のおよそ三分の一しか起床していられない。況してや魔力の波も安定しない。体はどこも自由自在に動くというのに。
苦渋の決断でべレイクスは貴族の系譜にあたる妻を迎え婚姻して血を混ぜ、カプセルで子を成した。
その後目覚めたべレイクスは子に夜の集会の監督役を任せ、当主の地位を丸ごと(無理矢理にでも)承継させた。
かといって、術の研究が断たれた訳ではない。それだけは、何がどうあれ辞める理由もない。
弟子志望だった者の書いた論文の査読依頼が後を断たないので、起床している限り淡々とこなした。
そんな生活を送っているうち、眠りに入る予兆が感じ取れるようになった。
つまりその予兆が来るまでに寝台の上での研究などで時間を過ごせば良いのだ。
「父上、ご様子はいかがですか?」
「ふむ、いつも通りだな。デユタ、お前は私の心配をするより自分の学問と当主としての業務に全力でかかれ。そちらの方が余程心配だ」
デユタと名付けた子は難なく成長し、成人を迎えた。
周囲の環境に恵まれていただけではなく、父べレイクスの教育が功を奏したのだろう。
べレイクスが妻として迎え入れたデユタの母、コレティーナも使用人への指示だけではなく当主業務の一部を補佐しているとのこと。
これならヴェルクローデン家は安泰だ。
あとは、自分が眠りから完全に目覚めるのを待つだけ。
<聞いているか、べレイクス卿。目覚めているか?>
……主君から念話が飛んできた。
一体何の用事だろう。
<余の妹たるリリートゥリスが事あるごとに己を責めていてな、そなたが眠りに入ったのは私のせいだと言っては聞かん。このままでは眠りにつく者が今後も増えるのではないかと嘆いている。侍女も余もそうではないと幾度も言い聞かせているのだが、いかんせんそこから離れぬのだ>
何だと。リリートゥリス様が嘆いておられるなど。
彼女はただの被害者だ。
私は私なりの、何らかの理由でこうなっただけと思考している。妹君が憂う必要はどこにもない。
それが、リリー曰く『私が完全に目覚めなければ、今後も深遠なる眠りにつく者達が身分に関係なく増加する』とまで断言しているのだ。
ここまでご一読いただきありがとうございました!
追記:ちょっと加筆したりしました




