2-1 外出と新たな出会い
この章を書いていると甘いものが食べたくなってきます
コーヒーも存在する世界ですがケーキのお供としての主流は紅茶です
なんでも紅茶派閥とコーヒー派閥が存在するとかなんとか
「さて、話もいいけど教えることがあるついでに買い物に行きましょう」
「お買い物であれば私が参りますよ! 何用でしょうか?」
「レンカに教えたいことがあるから貴女には留守番をよろしく頼むわ」
「お嬢様がそう仰るなら。それでは行ってらっしゃいませお嬢様、レンカさん」
確かに買い物はメイドの仕事の一環ではあるが、どうやらリーザベルに思惑があるらしい。そうでなければシトニを使いに出していただろう。挨拶をし、厨房へ赴いたシトニを見送る。
冥界での買い物は初めてで、それだけでもレンカの胸は鼓動を確かに刻んでいく。ロビーを通り、凝った姿形の両面開きの玄関扉を開けてもらい建物の外に出た。
見渡す限り、濃紺色の空が一面に広がっている。
「暗いです。この世界、ずっと夜なんですか?」
「ずっとという訳ではないけど、朝と夜しかないわ。朝と言っても少し明るくなる程度でしかないのよ。人界でいうところの夕方になっても夕焼けは見られないからそこは諦めて頂戴」
「夕焼けは普通ですね。好きでも嫌いでもないくらいです。その分、夜は好きです! 落ち着くというかなんといいますか」
「あら、そう。何にしてもこの世界の空にも慣れてもらわなければと思っていたからその点は容易そうね」
現在の時刻的は未明くらいだという。
成程、言われてみれば空の明るさは大きく変わっていない。間違いなく夜だが、不思議なほど暗く見えることがない。視覚まで変わったのだろう。夕焼けがないのも元からそういう世界らしい。
弱いが、確かに風も感じる。
「冥界に太陽の光は殆ど届かないわ。術師が空の明るさを調整しているに過ぎない。というわけで街まで買い物に行きましょう。翼で空を飛んでね」
「翼でですか?」
「そうよ。まず翼を出して。飛べるようになると色々楽になる、具体的には森に入っても迷わないようになるわ」
「は、はい!」
そういえば、あの時の召喚に応じた主人は身の丈よりも立派で威厳のある翼を広げていた。
自分にも翼が生えているというのか。信じ、翼を顕現させてみる。
分厚い布の翻る音を立て、レンカの背には両腕を広げたのと同じ幅の、暗色の翼が現れた。しかし、重みに類するものは一切感じられない。
「翼がなくても空中飛行は可能だけど、あるに越したことはないわ」
そのまま飛びたいと念じると魔力が反応し、翼が羽ばたきふわりと宙に浮き上がる。
視線が自然と上がり、森の木々が同じような目線となる。改めて見直すと助け出され案内されて食事を摂ったりした主人の所有する建物は左右に幅広く、れっきとした邸のようだ。
「うわぁ、私翼で飛んでます! でも怖くない!」
「飛行の魔術は使ったことないの?」
「ありますけど、こんなに高くて長い時間飛んだことなかったです!」
不慣れな高度で滞空しているというのに、恐怖心は不思議とない。視線を木々から遠くに移すと、すぐ近くに煌々とした明かりの灯った街が広がっている。どうやら邸を郊外に構えているらしい。
「そこは西の第二都市と呼ばれているところで最大の店通りよ。今度第一都市にも案内するわ」
「村とかではないんですね、ぜひ案内お願いします!」
「そうね、市町村という概念は薄いわ」
主人曰く、冥界においては東西南北で最も盛んな都市から順に第一都市、第二都市、第三都市という区分けがなされているという。そして帝都が中央に存在しているとのこと。
傾向としては第一都市に領主の邸宅が多く商業も盛んで人通りが多いという。
よく見れば滞空している主人も翼を広げていた。あの夜召喚したときと同じく、身幅よりも広く立派な翼が。
「さぁ、行きましょう?」
流麗な語りにより、飛行による移動を開始する。
飛行は思っていたより快適の一言に尽きた。足で地面を歩いたり走ったりするより疲れにくいし、魔力の消費も微々たるもの。むしろ殆ど消費していないと言っていい。
それから街のある方向へ飛ぶ。途中で高度を下げふわりと地面へ、街の入り口と思しき場所に降り立つ。通行人は複数いるが誰も振り返ったりしないあたり、飛行で移動は珍しくないものらしい。
「わぁ……! 広いです、こんなに街が広いなんて」
「ここで驚いていたらレンカは第一都市でどんな反応をするのかしら? 帝都も更に広くて沢山の店が並んでいるというのに」
「それはその……考えておきます!」
「いい返事ね。そういうの好きよ」
くすくすと辛抱堪らずといった様子で遅れて降り立った主人が微笑む。レンカが行ったことのある町と言えばこじんまりとした食料品店などが数件立ち並ぶだけの小さなものであった。
しかし第二都市最大の街だというここは違う。食料品店はもちろんのこと、飲食店、家具屋や仕立て屋、花屋、その他にも数階建ての宿屋、喫茶店や衣料品店などが詰め込まれている大型の建物も並んでいる。
「レンカは大きい建物の中に店があるなんて見たことある?」
「いいえ、ありませんよ! そういうのも驚きです」
「貴女を驚かせるために訪れたと言っても過言ではないわ。順調ね」
街の中は人通りも多く、行き交いが激しい。店は途絶えることなくどこまでも続いている。綺麗に舗装された馬車道が続いており、喫茶店が併設されている駅もいくつか見受けられた。
馬車道があるとは思わず、レンカは目前を悠然と通り過ぎる馬車に目を奪われていた。
「あの、ご主人さま。この世界、馬車があるんですか? 皆さん空を飛べるのに」
「あら、確かにそうとも言えるわね。レンカの言う通り、空を自由に飛んで早く移動ができるわ。だというのに馬車がある理由分かる?」
「そうですね……。馬車を好きな人がいるからでしょうか?」
「その通りよ。馬車は駅と駅の間などの旅行気分を楽しむ目的で稼働しているわ。私も好きでよく乗るしそれだけではないわ。そこの馬車を見るといい」
「何でしょうか。って、えぇっ!」
レンカはリーザベルの指差した先を凝視する。その先には以前のレンカであれば目を疑ってしまう可能性が高いが、今のレンカなら信じられる光景が広がっていた。
乗客を乗せ駅を出発した馬車がそのまま馬車道の車輪を走らず、ふわりと宙に浮き始めたのだ。そしてそのまま行先であろう方面へ飛び去って行った。その光景は先程まで空を飛んでいたレンカ達の姿に酷似している。
「なるほど、空を飛ぶ馬車ですか」
「そうよ、通称で飛行馬車とも呼ばれているわね。一番の利点は馬車道を利用しなくていいから路線が自由になることかしらね」
まるで飛行船か気球のように馬車は次々と軽々飛んでいく。
「飛行馬車もいいとして、会う予定の人がいるのよ」
「どんな方でしょうか?」
「幼馴染で婚約者よ。そこの建物の喫茶店で待ち合わせをしているわ」
リーザベルが向かった先は建物の中に複数の店が入っているところだった。中に入ると階段を使わず、軽く空を飛んで2階の喫茶店に向かう。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですね」
「えぇ。2名で」
リーザベルが番号を告げると受付の担当者に応対され、紅茶の香りが漂う喫茶店の奥まった部屋へ案内された。そこはどうやら特別席らしく、同じ喫茶店内でもテーブルの木の質や椅子の座り心地が異なっている。
それから程なくして紅茶とケーキが運ばれてきた。
「こんばんは。リーザベル嬢…そちらがレンカという少女か」
「あら、アルヴィ。来たわね。こんばんは」
「リーザベル嬢に呼ばれたとあってはね」
予約専用席に訪れたのは、背が高く爽やかな青年だった。
未明の夜空に映える前髪の長い白銀の髪はまとまっており、肩まで伸びている。理知的な深いルビー色の双眸を飾る長い睫毛。頭部にはもれなく、見慣れた角が一対。
縫製のしっかりとした上質な紳士服を着用している。首元のアスコットタイと暗色のロングジャケットが印象的だ。
「こちらが会いたい人よ」
「初めまして、レンカです! よろしくお願いします」
「私はリーザベル嬢の婚約者、フォスファ=アルヴィベリトという。しがない貴族だ。どうか気軽にアルヴィと呼んで欲しい。こちらこそ宜しく。さて、リーザベル嬢が第一の契約をしたと聞かされては出向く他なかった。となると本格的にパーティーを開く予定なんだろう?」
「その話? いずれにしろパーティーを開くように当主が言うでしょうね。小規模にしろ、それなりの人数が集まるはずよ」
「であれば準備を手伝うよ。フォスファ家の子息だからというのもあるが、私個人としてもパーティーに尽力したい」
「感謝するわ。招待状のばら撒きはしないで敢えて広く来てもらおうと思っているの。レンカのドレスも用意しなくてはね」
「えっ、私ですか?」
「そうよ。貴女には主賓の一人としてパーティーに出てもらうわ」
「むむむー。パーティーと言われても、出たことのない私にはどうすればいいか分かりません!」
「そうだったのね、素直で結構。お披露目だから基本的には出てくる料理を食べたりすればいいのよ。自己紹介ももちろんしてもらう。そう、知り合いを増やして交流を深めるのも手だわ」
「私も知り合いを呼ぶとしよう。何、親しみやすい者を呼んでおくとするよ」
「アルヴィは貴族としても有名だから頼むわ。フォスファ家のアルヴィベリトの伝手、アテにしているわよ」
「……そのあだ名は初めて聞いたぞ。まあとにかく、リーザベル嬢とレンカが主賓になるな。パーティーのことなら周囲に任せるといい。私達が先達となろう。あとはリーザベル嬢の手ほどきを受け、本番であっても主賓席でゆったりくつろぐといい」
「むむ、そんな気概でいいんですか……」
「いいのよ」
「いいんだよ」
二人仲良く即答されてしまってはそうするしかないのだろう。レンカは想像する。華やかに着飾った貴族と市民が区別しきれず、大勢の数えきれない客人達が集う大規模なパーティー。
よい香りの漂う、皿に盛られた色とりどりの料理。
そして途中で舌を噛んでしまう自己紹介。
……それではまるでパーティーが台無しではないか。
豪勢な料理も、シャンデリアの輝く華やかな大広間も、全てが台無しになっては元も子もない。
ちなみになぜレンカがパーティーを想像できるのかというと、それなりのもので給仕の仕事をしたからである。なのでパーティーに出席したとはならないのだ。
「お二方が色々教えてくれるのはいいのですが、やっぱり不安でいっぱいです!」
「それもそうね。パーティーまでまだ数日はあるし、やれることはやっておきましょう。不安な気持ちにさせてしまったわね。但し自己紹介のところは自分で考えてもらうからそのつもりで。他にも説明することがあるし、パーティーのことは後回しで結構」
「自己紹介なら簡素で構わない。重要なことさえ伝われば十分だ」
「はぁ……」
リーザベルが店員を呼び、紅茶とケーキのお代わりを全員分持ってきてもらう。どうやら定額制らしく、店にいる限りはお代わりはいくらでも自由だという。
気分を落ち着かせるために梨のケーキへにフォークを刺し、かじり付く。砂糖と蜂蜜、果物の混じり合った程よい甘さが安心感を与えてくれる。
「このケーキも美味しいです、ありがとうございます」
「そのケーキは気に入ったようね。好きなだけ食べるといいわ」
「はい!」
「それでは一先ず解散かな。私はもう一杯紅茶とケーキをお替りしたら帰るとするよ」
アルヴィベリトとリーザベルはお揃いのチョコレートケーキを注文した。クリームは勿論のこと、スポンジ生地までチョコレートが使われている。梨のケーキを食べ切ったレンカも同じケーキを注文した。単純に生クリームがふんだんに使われているケーキを食べたくなったからである。
思えば、レンカのいた人界ではチョコレートにしても生クリームにしても希少だった。それこそ貴族でしか口に入らないほどに。この世界ではこうして民間でも流通しているのだろう。
ここまでお読みいただきありがとうございました!