5-4 お茶会はここまで
日付が変わる前に眠るようにと両親から言われているマノンと別れ、ゼグは1人になった。
今の森には誰もいない。魔女や術師ですら気配を感じ取れない。時折、うっすらと野獣の気配がするのみ。
野獣の気配を探る必要などない。残った任務は主人への報告のみなのだが――
……気が重い。それはもう途轍もなく。”あの“お嬢様へ世界を隔てて魔力念話を行うのだ。
マノンという少女に説明した通り、極めて別嬪で品のある素晴らしい令嬢だとは思う。気まぐれではないものの気難しい大悪魔の一人だと思う。
「そういや俺、お嬢様以外の大悪魔についてよく知らないんだったなぁ」
そもそも当主の差を継承していない令嬢でありながら、冥界における政の中枢に大きな関わりを持つ権利を有しているのだ。元人間の術師で獣を経た自分ごときが使い魔となり、そのように壮大な存在と魔力念話をしたことがあるという事実が稀なのだ。
それを言うならば、お嬢様を召喚したレンカと言う少女については例外すぎる。
……それに、お嬢様との血縁もある大悪魔の一角たるべレイクス卿はそもそも召喚されることをひどく嫌い、召喚されないという特権を行使しているんだったな。
ならば三人いるというもう一人の大悪魔って、どのような存在だったっけ。そもそも名前にしても、何だったっけ?
――話を戻す。
至高なる大悪魔、ヴェルクローデン=リーザベルの貴重な時間を潰し、マノンに関する報告をしなければならないという話である。マノンに関する報告は使い魔として果たすべき義務だ。
とは言え、狩人兼使い魔風情が友人や知人と楽しいお茶会で談笑しているとしたら?
ご機嫌を損ねたくない方針とは大いに反するではないか。そうしたらまたあの、魂に痛みを与えるなどと言う最悪の罰を受けることになる。
人間の魂を食べることはできても、同族の魂は互いに食べられない。
だというのに、魂に干渉する魔術なんて術師の端くれたる自分から見てもとんでもなく難易度の高い術だが、それも数ある魔術の一つでしかないのだろう。それこそ、無限と思えるほどの。
……あまりにも雑念が多すぎる。こうなったらさっさと繋ぐ方が早い。
<さて、ご多忙のところ恐れ入りますが失礼しますぜ。お嬢様。ご機嫌麗しゅう>
世界を隔ててすら繋がる魔力念話の欠点は、無駄な思考ですら相手に読まれ伝わることだ。ゼグは出来る限り使用人らしい主人への敬拝が伝わるよう誠意を込め、繋ぐ。
<あら、誰かと思ったらお前じゃない。用件があるのね。良いわ、そこそこの誠意はあるようだし報告を主人として聞きましょう>
お嬢様はこちらの誠意に応じてくれた。いつも通り温度の低い声色で(実際には声帯を介していないが)。一安心したいところだが気が抜けない。
<村に入り、近づけたマノンにはおおよそのことを話したぜ、俺が人間じゃなくなった存在だってことも>
<まさか人間の魂を狩る専門の狩人だとは思わせなかったでしょうね? 今はそういう情報は余計だわ>
ゼグに突き付けられた刃は、鋭い問いかけだ。ほぼ詰問に近い。相手は冥界の邸にいるだけだというのに。何もかも違う、違いすぎる。
<そこまでは話してないっす。あーほら、魂と言う概念自体、普通の人間達に知識としてありませんし。俺のこと、農奴としてさらいに来ただとか思ってたらしいです>
<農奴、ね。下らない制度をよくも悪しき方法で運用できる程度の才はある人間共の考えそうなこと。他に情報はないのかしら?>
<特にありませんよ>
<そう。では次の用件を言いつけるわ。教団の本部に潜入しなさい>
<……はい? お嬢様、俺が入る意味あるんですか?>
こちらの予想を大いに覆す命令だった。てっきりまた魂を狩るよう命じられると思っていたのに。
<私も気配を隠して無機物の使い魔を飛ばしているけれど、どうも肝心の聖者に関する情報が乏しいのよ。教団を探れば自然と集まると思ったのにとんだ誤算だわ。だから、生身のお前が最適よ。気配も魔力も消す術を送っておくから、すぐさま習得しなさい>
<はー、それはご命令ですから従いますって。教団のことは俺も知りたかったから丁度いいってこと。お嬢様から教わることがあるなんて、お嬢様に連なる血族の方々は懐が深いってつくづく思います>
冥界でも一、二を争うどころかほぼ序列が一だと称賛してもいいほどのヴェルクローデン家だが、仮初とはいえ主となってもらった現当主のジャンテリオン卿――旦那様――は意外とゼグに寛大であった。
<それでは私、レンカとシトニを連れて出かける場所があるから>
<シトニ先輩を連れるって……>
<その様子だと分かったようね>
マノンへの対処に関してレンカが安堵しているうちに、急に――
…
……
………
「使い魔より魔力念話が来たから通話するわ。レンカ、静かにしてくれると助かるのだけれど。その間は紅茶と茶菓子でつないで」
「は、はい。そうします」
リーザベルからそのような話を聞き、静かにすることになったレンカだが。
当のリーザベルは茶菓子こそ口にしないものの、時折紅茶のカップに口をつけている。随分と器用すぎる。
それにしても魔力念話の出来る使い魔は出来が良すぎる。主人が術で造り出し、行使しているのだろうか。レンカにそこまでの技術はない。
教えてもらうことは可能だとしても、使いこなせるかは別の話であるからだ。
感覚を研ぎ澄ますと、リーザベルからほとんど魔力念話の痕跡が感じ取れない。時折魔力が突出している瞬間はあるが、恐らくではなく間違いなく偽物だ。大規模な魔術を行使したと相手に勘違いさせ、魔力念話を隠すための高度な技術だとレンカは思った。
魔力念話も魔術の一種。つまり、主人は最低でも一度に二つの術を同時に展開できるということだ。
<レンカさん、お嬢様のお言葉に甘えて紅茶のお替わりはどうですか?>
<あっはい、飲みきったのでお願いします!>
<レンカさんも馴染んで来られましたようで何よりです。では早速お入れしましょう!>
溌溂としたシトニの魔力念話が飛んできたが、難なく受け入れ応じることができた。
割と食べたつもりのタルトだが出来立てとほぼ変わらないまま数切れ残っている。その他にもクッキーが並べられているので淹れたて紅茶の相棒には事欠かない。
「レンカ、シトニ。こちらは終わったわ」
「あちゃー、ご主人様に察知されましたか。お疲れ様です」
「お嬢様には内緒話できなくて全部筒抜けなことくらい、承知していますよ!」
「……レンカ、シトニ。二人には話があるし二人についてきてもらう所がある。出かけるわよ」
さてどちらから実行しましょうか、とリーザベルはひとりごちる。
「お出かけですかー! お嬢様となら久しぶりですけど、レンカさんとも一緒となると初めてですね」
「それで、どうお話が進みそうになっているんですか?」
「そうね、外出から戻ってきてから改めてしてもいいけれど、貴女達だから意味があるのよ」
「私たち……ですか? えーっとご主人様との縁があって」
「レンカさん、私達お嬢様の眷属となったじゃないですか。きっとそれ関係ですよ」
なるほど。シトニにはある程度主人の考えが読めたらしい。直属で長年仕えているメイドの功績から成る勘は鋭いらしくて。
「そうよシトニ、貴女の予想はほぼ正しいわ。レンカにとっては短いながらも魔術講座になるわね」
「全く意味が分からないんですけど、異空間構築より簡単なんですよね?」
「どちらかと言うと私が使う魔術だから違うわね。眷属召喚と呼ぶのだけれど、魔女や術師の使う召喚術の原型となったものよ。今は名称だけ覚えておいて。早速だけれど、外出する支度をしましょう」
「かしこまりました、お嬢様!」
「もちろんです! シトニ、手伝ってください……ところで、どちらに出かけるのですか、ご主人様?」
「私より後に大悪魔となったバスティカ家の当主の元へよ。パーティーには子息のリオクが代理で参加していたわ」
「バスティカ家と言いますと、ゼブタイト卿ですかー」
「ふぇえ……」
レンカは不安しかない。列せられた順番はどうあれ、大悪魔は他の一般市民とは桁違いの存在だ。
べレイクス卿より接しやすいといいのだが……心配だ。
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