3-7 ナルキアス=イレーユ
久々の更新です
話しているうち、当のイレーユの来訪がシトニによって知らされる。和やかな雰囲気は一瞬にして温度が下がったかのように一変し、レンカは緊張を感じた。リーザベルは平常通りだが。
「お嬢様、ナルキアス=イレーユ様がお訪ねになられました」
「いいわ。案内して入れて、シトニ」
かしこまりましたと丁寧に返すシトニの言葉からすぐ、淑やかなドアのノック音が聞こえてきた。
「私の訪問に応じていただき感謝いたします、リーザベル卿、そしてレンカ。改めて自己紹介をいたします。名をナルキアス=イレーユ。本家の令嬢ですの」
「初めましてイレーユ様。私の名はレンカです」
「いらっしゃい、イレーユ。貴女は私に話したいことが沢山ありそうね」
まず聞こえてきたのは滑らかに語り出し、衣服の裾を摘まみ一礼する気品を隠すつもりのない流暢な挨拶。
雪花のごとき肌に紅色の唇。薄桃色の長い髪を後ろで二つにまとめ、横に尖った耳、頭部には無論一対の角。
最早見慣れつつあるものの、ガーネット色であるその双眸も今は眉ごと釣りあげている。
シトニの案内と自己紹介、そして貴族特有の袖の膨らんだ長袖の装いからして間違いなく、現れたのはナルキアス=イレーユだ。
「えぇ、勿論ですわ。貴女に関する噂を聞きつけてまいりましたわ」
「東のご令嬢は随分とスケジュールに余裕があるのね。心づかい痛み入るわ」
なるほど。執念を燃やした双眸という報告に間違いはない。イレーユは口調こそ丁寧だが、計り知れないほどの怨念と熱気が感じ取れる。
「全く……かのリーザベル卿が外遊しているとは聞き及んでおりましたが、まさか人界にまで赴いて人間達と交流していたですって!?」
「外遊くらい特別なことではないわ。それに、ただの人間ではなく魔女よ」
「ほとんど同じじゃありませんの!」
「違うわ。別物よ」
「その魔女もいずれ獣になりますわね」
「……。そうそう、貴女がレンカですってね。装いの良さは認めさせていただきますわ」
勢いも良く怒気をはらんだ声音にも関わらずリーザベルは余裕があるからなのか、見目麗しい立藤色の髪の一束へ触れながら絶対零度の声音で即座に返すのに留まっている。
そしてイレーユの怒りの矛先はレンカへと向けられる。
「そうです! ご主人様の弟子でもあるんですよ」
「リーザベル卿にお仕えしていてそれに弟子、ですって?よくもまぁ抜け抜けと……」
「イレーユ、それは私から説明しなかった私の非。レンカを責めても意味がないわ。間違いなくレンカは私の眷属であり弟子よ」
「な……っ、そこのレンカ、どこの高等学院を卒業したんですのっ? リーザベル卿の弟子になるというのは高等学院で主席卒業するくらいの条件を満たさなければーー」
「私、高等学院は出ていませんよ。というよりこの世界の学院はどこも通ったことがありません」
「そん、なっ……」
イレーユは結われた薄紅色の髪を揺らし、その場に崩れ落ちる。表情は窺いにくいがこの場にいる誰も察せられる。
“そんなの絶対に有り得ない”と――
涙など流していない。もしイレーユが涙の流す種族であれば悔し涙を流していたことだろう。
「た、確かに魔力はあるようですわね。ですが、魔術は我々のみの資産。それを守り通すのが使命――リーザベル卿、まさか人界に外遊して見つけた魔女こそそこのレンカじゃないでしょうねっ?」
「うわ、すごいです。ご主人様と私との関係を一発で言い当てちゃいましたよ。イレーユ様って聡明な方なんですね」
「あら、イレーユは勘が鋭いこと。そう、私が探し求めていた魔女こそレンカよ。それに前々から思っていたけど術が同胞のみの資産? 資産なんていつの間にか減るからその都度記録しなさいって習わなかったのね……経理係に丸投げしかできないなんて。貴女も含め、何の為に論文を書いていると思っていて?」
「経理係に魔術を記録……流石はこの冥界で最高の称号”至高の大悪魔”を冠するお方リーザベル卿のお考えですわね」
「私は資産という単語から発想しただけに過ぎない。それに、私は気付いたら”大悪魔”の称号を下賜されただけのこと。これからも冥界に貢献するつもりはあるけれどね」
「ぐっ……ぐぬぬ」
「ねぇイレーユ、どうせなら“大悪魔”の称号を今すぐ貰って来なさいよ。貴女は殆ど達成しているのだからきっと賜れるわ。言っておくけど単に論文の提出だけでは達成できない程度の知識、イレーユならとっくに蓄えているでしょう? ふっ、ふふふっ」
「ぬぬぬ……」
「そういう時期があったからその気持ち、分からなくもないわ。あるわよ、私が今よりひどく女々しかった頃がね。それさえ戴けたならば如何に光栄だろうと」
求める理由は千差万別のようでいて、大同小異。市民も貴族も関係なしの称号。望みさえすれば永続的に領地と邸宅を保有も可能なのだから。元が貴族なら更なる領地拡大、市民であれば永続される貴族の地位、領地、邸宅の保有。更にはある程度自由ある人界の土地の統治権というおまけ付き。
高嶺の花。栄えある称号。
「ーーもう良いでしょう? なりたくてなれるものではないのよ、気付いたら成っていた、帝家より下賜された称号。どうか理解して、ナルキアス=イレーユ?」
「その件につきましてはいずれ拝受いたしますわ、えぇ。さてお話はレンカについてでしたわね。そうであれば私に教えてご覧なさい。レンカ、アナタは召喚したリーザベル卿に何を願ったと言いますの!?」
立ち上がったイレーユの、尋問するかのような鋭い視線がレンカへ一身に注がれる。
人間のままであればそれだけで体が凍り付きそうなこれは一言も話せないまま終わるだろう。
だが今は平気だ。隣にはリーザベルがいるので臆する必要はない。
期待に応えるべく口を開く。
「それは、私自身を悪魔にして下さいって願いです。人間の寿命のままじゃ研究が続けられないから私はイヤでした。なのでご主人様を召喚してそう願い、叶えてもらったのですよ」
「自分を悪魔の同胞に……はい? 何ですって、そのような契約内容、聞いたコトがありませんわ!」
「イレーユ。たった今、貴女は自分の耳で聞いていたじゃない。そして叶ったからここにいる」
「確かにリーザベル卿であればその規模の願いも叶うでしょうね。ですが、大半は獣を経るじゃありませんの! 確かにナルキアス家でも元獣はお抱えにおりますけど……」
「無暗に契約したら獣となる過程を踏むという知識があるならば、それをすっ飛ばしたいと思い至るのは至極当然な流れではなくて? とすると、誰かがレンカに獣という過程を教えたということになるわよね? 無論、知っている人間は居ないと思って頂戴。ちなみにレンカの存在は西方の戸籍に登録済。ちなみに後見人は主人である私だけれどレンカを知って貰うために出かけたりもしたわ」
「そこまで済ませていらしたのですね。ちなみにリーザベル卿の、出かけられたところとは?」
「えぇ。ヴェルクローデン=ベレイクス卿の邸宅へよ」
その名を聞いて、顔を青ざめるイレーユ。
「あの方のところへ……」
「それだけではない。もうアルヴィベリトにもルーノディアナにも紹介したわ。後は現当主の夫妻くらいかしら」
「そこまでされますか……私の出る幕がないじゃないですの! はぁ~~……その賢明さ、徹底した手数の豊富さ、やはり間違いなく貴女は他より格の高い存在ですわね」
「そう思ってくれるならそれでいいわ」
……レンカは高等学院どころか初等学院さえ卒業していない。だからリーザベルはレンカを認めてくれる存在を増やしていこうと思索し実行に移した。実に単純だが、結果として大きく出る策だった。
シトニが淹れた紅茶のカップに口をつけ、茶菓子を一口だけ口に入れソファに座り直したイレーユが口を開く。
その視線は風のない草原のように穏やかだ。諦観も含まれていそうではあるが。
「私は、筆頭として獣の撲滅すら視野に入れておりました。人間の術師には魔術を学ぶ資格などないと……」
「今更獣達の命を奪う? それは不可能よ、彼ら彼女らは既にこの世界で生きる資格を得ている。少しばかりの魔力さえ与えれば同胞になる仕組みを編纂したのは他ならぬべレイクス卿よ。今更どうこうするつもり?」
「獣達には、その条件付きで住まわせているので確かにそうです、わね……」
「まさか、私達の力を借りて獣になるという過程すら抹消するつもり? それは契約の仕組みそのものに干渉、いえ改竄といっていい極めて高度な術式よ。組み上げるだけではなく、中央にそれを進言するお覚悟があるようね」
「あの、イレーユ様。質問したいことがあるのですが」
「質問したそうな顔ですわね。勿論お答えいたしますわ。それで、その内容とは?」
「ですから、イレーユ様はご主人様を通じて、私のことが気になったはずじゃないかと考えました。だから私にああまで言ってきた。イレーユ様は名家のご令嬢、多忙な方だと聞いています。そうでしたら、使い魔を使役して探知すれば私がこの世界に相応しいかそうでないか簡単に判断がついたのじゃないです?」
「ぇ……あ、あれ? そ、それは……えーと」
辛うじて返事をしているであろうイレーユの言葉に、絶対的な自信は微塵もない。
リーザベルは紅茶の注がれたカップに手を付けていない。持ち歩いているという扇子を取り出し、口元を隠すように塞ぎ肩を震わせている。レンカはその挙動から察した。即ち、吹き出さないよう笑いを堪えているのだ。
「諦めなさい、イレーユ。レンカはとっくに、最初から私との契約が成立した時点で、貴女が蔑むような存在ではないと。いかなる術を覚えようとも、魂が人間である限りこの冥界では生存不能。無論、人間としてのレンカは存在しない。ここにいるレンカは人間としての生と訣別した歴とした私の弟子で、直属の眷属なのよ」
扇子を閉じ、肩を震わせるのをやめ顔つきが一変する。
「交渉決裂を言い渡すわ、イレーユ」
「……あぅ」
たった一文字の言葉だけ洩らしたかと思えば薄紅髪の令嬢は顔を俯かせ、そのまま動かない。彼女なりの用意していた散弾はすべて切り裂かれ、精一杯の反論がなす術もなく棄却されたのだから。
とはいえ、彼女の持つ思想に基づくそれらはむやみやたらという反論ではない。
ヒトの実情を鑑みれば当然としてそういう意見は掘れば掘るほど出てくる。生存年数に極端といっていいくらい差がありすぎる。器があまりにも矮小すぎる。イレーユはただ、同意見を持つ者達の代表として懸命に述べたに過ぎない。
数多の署名の連名がそれを物語っている。彼女は後継者である身ながら、どれほど奔走してその直筆の署名を集めたのだろうと思うと単純に全てなかったことにするのは違うのではないか。
「そ、そうですわね」
立ち直りの早さに定評があるというイレーユはようやくばっと顔を上げ、皿に並べられていた菓子に手を伸ばす。ここ数日間、レンカという少女について考えを巡らせていたのだろう。
「リーザベル卿がどこまでもするというのならそうしますわよね! 私の読みが甘かっただけに過ぎないのです! はぁ、承知いたしましたわ。レンカがリーザベル卿といった方々に認められた存在であることは。よろしい? レンカ、リーザベル卿の眷属にして弟子というのは誰もが乞い願う地位でありますわ。それを努々忘れないようにしていただきたいもの。ヴェルクローデンの領民以外は全員がそうですが、ナルキアス家の令嬢たる私にはそれが叶いませんの」
「勿論です、イレーユ様! イレーユ様の分、いやそれ以上に誰よりも精進します! ところでご主人様、私に教えていただける魔術にはどんな候補があるんですか? 気になります」
「異界構築かしらね。習得すると色々と便利よ」
「異界、構築ですか……? 聞いたことない魔術ですね」
「異界構築ですって!?」
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