絡み合う、縁
モニカが目を覚ますと、自分がベッドの上で寝ていることに気づいた。
体に当たるマットの感触が、暮らし始めた自室のものと違っていて、明らかに心地よかった。体に掛けられている布団も上質の生地らしく、しっとりとした肌触りで、軽やかに温めてくれている。
(ここ……、伯爵邸よね。そうか、私、酔って……)
初めての飲酒に、予想外の衝撃をくらって、眠ってしまったのだと思い至る。
抗えない力に意識をもぎ取られるような感覚は、今思い出すと恐怖が湧き上がる。
(大人は、なぜあんな怖いものを飲むのかしら……)
食べる時は感じなかった口から漂う酒の香りが、昔の記憶を思い出させた。
母が存命だったころ、母の周りには酒に酔った人間が多かった。
陽気になる男、暴力的になる男、子どものモニカに絡んでくる男、彼らと同じ匂いがして不快に思う。
酒は、モニカが蓋をして封印した記憶を、容易く引き出す効果がある恐ろしいものだと独りで体を震わせた。そして、見知らぬ部屋に独りでいることが、急に怖さを増幅させた。ここにいたくなくて、モニカはベッドを抜け出し、扉を開けて外に出た。
廊下は、しんと静まり返っていて、怖さがさらに増した。誰かを求め、歩みを止めることなく突き進む。
(もう、外へ行こう。通りに出れば、人がいる)
知らない貴族の家を歩き回ることは、したくなかった。
だから、モニカは出口を求めてさらに進む。
そして、玄関を抜け通りに出ようとしたとき、とまっていた馬車から人が降りてくるのが見えて、反射的に足を止めた。
馬車から颯爽と降りてきたのは、金髪で青い目をした、綺麗な顔立ちの青年だった。彼は一目で分かる身分が高そうな服を着ていた。ただの貴族ではない彼と鉢合わせして、モニカはどうしていいか分からず立ち尽くした。
「君は……、そんなに慌ててどうしたの?」
柔らかな落ち着いた声で、訊かれた。
モニカは、喉が引きつり声が出てこなかった。
「どうしたの? お兄様……」
「ミア、この子知ってる?」
「……いいえ、知らないわ」
ミアと呼ばれた、銀髪で紫の目の少女が、青年に手を添えて馬車から降りてくる。
幼さが残る少女は、見惚れてしまうような美しい容姿をしており、所作も洗練された見事なものだった。
ミアは、警戒心を露わにしており、モニカを冷たい目で見ていた。
場違いな場所に居合わせてしまったと、モニカは自分の失態に血の気が引いた。
「裸足で、靴はどこに置いてきたの?」
「あ……」
モニカは、裸足で部屋を飛び出してきたことに、今気づいた。
薄汚れた足を見ると、よけい惨めになってくる。
目の前の二人は貴族で、上等な服を着ていて、汚れなど無縁な格好をしている。対するモニカは、地味でシンプルな着古したワンピースで、汚れた足を晒している、平民感丸出しで、彼らと比べれば、みすぼらしさが浮き彫りになって恥ずかしくなった。
育ちの違いが可視化されて、モニカは打ちのめされた。
「大丈夫だよ、怖がらないで……」
「――――ひゃぁっ……」
モニカに有無を言わさず、青年はモニカを横にして抱き上げた。
俗にいうお姫様だっこというやつだ。
そして、青年はモニカを抱き上げたまま、邸の中へ入って行く。
「お兄様!?」
ミアの声が、あっという間に遠ざかる。
「アーデルベルト殿下? モニカさん! あぁ、良かった。見つかって……」
モニカを探していたらしい夫人が、安堵の声でやってきた。
「殿下」ということは、この青年は王族ということだ。
モニカは、すでに訳が分からなくなっていた。
「モニカ……、君はモニカというの?」
モニカは、殿下の腕の中で、頷いて答えた。
「そう。――――叔母上、モニカを運びます。案内を」
「――――はい、殿下。こちらへ」
殿下は、夫人が歩き出す後を追う前に、モニカに囁いた。
「モニカ、じっとしていなさい」
「……はい」
モニカが、何とか返事すると、ふっと微かに殿下が笑った声が聞こえた。
殿下はモニカを抱えたまま、足取り良く歩いて行く。そして、また再び、逃げ出してきた部屋に連れてこられた。そっと下ろされて、殿下は離れていった。
「アーデルベルト殿下、ありがとうございました」
夫人が殿下に礼を言うのを、モニカはベッドに腰をかけた状態で聞いていた。
「どういたしまして。ところで、モニカは叔母上の知り合いですか?」
「ブラウン先生の診療所で働いている方なの。今日は生け花教室の体験をしてもらって、話を聞かせてもらったのよ」
「へぇ……、モニカ、生け花どうだった?」
殿下は、普通に話を振ってきた。
普段は緊張すらしない質問なのに、王族に訊かれると重みが違う。
モニカは、緊張しながら答えた。
「……すごく、楽しかった、です……」
気の利いた答えなど思いつかず、当たり障りなく答えた。
「私も、生け花が好きで、叔母上に教えてもらっているんだ」
「そうですか……、私は初めて体験しましたが、奥が深くてすごいなと思いました」
「そう! 分かる! やればやるほど、私も奥深さは感じているよ」
正直な気持ちを出せて、モニカは内心ほっとしていた。
その気持ちの隙を逃さないように、殿下はモニカに言った。
「モニカ、良かったら私と一緒に生け花を学ばないか?」
「え?」
モニカは、なぜ殿下がそんなこと言うのか信じられなかった。
どう答えていいのか分からず、モニカが戸惑っていると、夫人が割って入ってきた。
「アーデルベルト殿下! 何をお戯れをおっしゃるのですか! モニカは独身の女性です。独身のあなたと同席するなど、双方の外聞が悪くなります」
「叔母上が黙っていれば、大丈夫じゃない? 私もたまには誰かと一緒に生けてみたいよ」
「お母様と生けていらっしゃるじゃないの」
「あーー、身内以外と生けてみたいって、言っているの。いいでしょ? それに、母上はいちいちうるさくて嫌なの」
「あぁ、もう……、ただでさえ秘密にしているのに、わざとばらして、モニカの退路を断つ気ね」
夫人が困惑を隠さず、呻くように言う。
「モニカが気に入ったよ。裸足で私の元にかけよって来るなんて、なかなかそそるものがあった。なのに、今も色気皆無なところもいい」
「な……っ」
(あ、殿下、サラッと私をディスった……、色気皆無、その通りですけど)
モニカが呆然としていると、夫人は怒りを露わにした。
「アーデルベルト殿下! いい加減にしてください!」
「叔母上、私は自由がほとんどない。唯一息抜きできるひと時の楽しみを求めることは、そんなにいけない事かな?」
「殿下は、生け花を嗜まれているのですか?」
「そうなんだよ、王族の威厳が揺らぐって、父上は秘密にしろってうるさくてね。モニカ、秘密にしておいてくれ」
「……はい、口外しません」
「うん、よろしく頼む。でも、知っちゃったから、生け花教室、付き合ってね」
「……」
(王族の権利行使……、こんなことで使わないでほしい……)
モニカが断れるはずもなく、承諾させられた。
夫人と殿下が次回の生け花教室の計画を話し合うのを、モニカは所在なくおもいながら、ただ聞いていた。
夫人が、追い出すように殿下を出て行かせてから、夫人はモニカに謝った。
「ごめんね、モニカさん。お酒の件も、アーデルベルト殿下の件も……」
「いいえ! お酒は私の不注意が原因ですので、申し訳ありません。アーデルベルト殿下の件も、口外しませんのでご安心ください」
王族に関わるなど、恐れ多くてあり得ない。
「あの子は、幼い頃から生け花をするのが好きでね。常に重圧を受ける立場のあの子の癒しの時間になるように、私が勧めたんだけど、あんなにハマるとは思わなかったのよ。」
「私も、初めて体験しましたけど、確かに花を見ていると、気持ちが軽くなるというか、癒される気がしました」
「あなたに良い影響があったなら、良かったわ。それより、ねぇ、どうして出て行こうとしたの? 理由を訊いてもいい?」
夫人は、心配顔をしていた。
初対面の夫人が、どうして親身に接してくれるのか、モニカには全く分からなかった。
「どうしてなのか、私もわかりません。でも、この部屋で一人になると急に怖くなって、人のいる場所に行こうとしました」
「そうだったのね、独りにしてしまって、悪かったわ。今は、怖くない?」
「はい、なんとか……、でも、ヘラさんを呼んでもらっていいですか?」
「ええ、呼びに行かせるわ」
夫人が目配せすると、控えていた侍女が頷き、部屋を出て行った。
「モニカさんは、一人暮らしだったかしら」
「はい、そうです」
「このまま帰すのは、少し心配ね」
「……」
「一人が怖いなら、独りにならない方法を取った方が良いと思うわ」
「どうにもならないので、仕方ありません」
「そうはいっても、放っておけないわ」
「……」
その時、ノックする音がして、入室の許可を出すとヘラが入ってきた。
「モニカ、気分はどう?」
「ヘラさん、大分醒めてきました」
ヘラと話すと、なじみが良い。
「ヘラさん、モニカさんね、さっき一人暮らしが怖いって言っていたのよ。どう思う?」
「モニカ、怖いの? 一人が?」
「……、は……はい……」
「なぁんだぁっ、早く言いなさいよ。あなた貸し部屋契約したばかりでしょう? どうしたいの?」
「慣れなきゃ……って、それに、……見られたくないし……」
「あーーー、そうね」
「何を、見られたくないと?」
「「あ」」
(不用意に話してしまいました。不味い展開です……)
モニカとヘラは、しまったという顔を隠せなかった。
それを察した夫人が、探るように訊いてきた。
「話せない事なの?」
ヘラがモニカに目配せして謝ってきた。これ以上隠す真似はしない方が良いと目が語っていた。モニカは覚悟を決めて話し始めた。
「夫人、他言しないと、約束いただけますか? ヘラさん家族にしか伝えていないことで、先生には特に知られたくありません」
「――――分かったわ、他言しないわ」
夫人の神妙な面持ちに、彼女の本気を見たような気がした。
「私は、身体に傷があります。それを見られたくなかったから、一人暮らしが良いんです」
モニカは、長袖口をグッとひきあげて腕の傷を見せた。
夫人はその傷を凝視し、表情を曇らせた。
「それは、どこで……」
「前の雇い主が、そういう性嗜好の方で……」
「……」
「ヘラさんの助言で、成人する前に病院へ通い治す予定です」
モニカは、周りの人がこの話を聞いて傷つくのが嫌で、淡々とした口調を意識した。
ヘラが、背中をさすってくれて、補足説明をしてくれる。
「モニカは、閉鎖された環境で就労していたせいで、子どもの医療費が免除になることを知りませんでした。その、配慮くださるとありがたいと思います」
「情報過多で追いつかない気がするけど、モニカさんを傷つけた相手、許せないわ。訴えましょうか?」
医師と同じことを、夫人が言った。
やはり、自分は劣悪な環境にいたのだと思い知らされた。
「ヘルトリング伯爵夫人、私は生きて逃げることが出来たので、それ以上は望みません。医師にも訴えないと伝えています」
「……モニカの身の安全を考えると、訴えない方が良いかと、私も思っています。モニカが口封じに殺されるのは、嫌ですから……」
「……そうね、正義を貫くばかりが最善策とはいえないものね。それに、夫がこのことを知ると、多分、昔の血が騒いで、調べまくると思うわ」
「大事にしたくないんです、あの家で、私を生かしてくれた人達を守りたい」
モニカは、それが犯罪のほう助に当たると分かっている。だけど、今もなお必死に生きている人たちには、あの場所が必要なのだ。
「――――私がモニカさんに会えたのは、その人たちのおかげよね。そう考えると、守りたい気持ちが分かるけど、あなたみたいに割り切れないわね」
「すみません、私のことで夫人の御心を煩わせてしまって」
「そんなこと言わないで! 私、こういう縁は大切にしたいの。だからね、モニカさん、伯爵家にいらっしゃい。傷を見られぬように配慮するから」
「「えええっ!」」
「ここから診療所へ通えばいい。私を頼りなさい、モニカ」
どうして、こんなことになったのか検討もつかなかった。
しかし、伯爵夫人が、真剣な顔で滞在するよう誘ってきたので、その迫力に押されて頼ることにした。裏がありそうだと疑いつつも、抗えない自分を情けなく思った。
アーデルベルト殿下の趣味は、最重要機密。
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