ヘルトリング伯爵邸、訪問 ② モニカside
「今日生けるのは、ガラスのグラスよ。これに、綺麗に洗った白い石を、三分の一くらいまで入れます。これは、園芸店で購入したものですが、家の敷地内に落ちている綺麗目の石を集めて使っても構いません。石で、ガラスを割らない様に、こう、片手にグラスを傾けて持って、静かに入れていきます。この石が、花茎を留める役割をします。まずは、そこまで、やってみましょう」
「「はい」」
コロコロとした白い石は、触るとひんやりしていて気持ちが良い。こんな風に石を触ったのは初めてかもしれないと思うと、モニカの頬は自然と緩んだ。
「ふふ、ただ石をグラスに入れるだけなのに、何だか新鮮です」
「そおねぇ、普段は石ころなんて、摘まんでみないものねぇ~~」
二人で話しながら石を入れていくのを、夫人は微笑みながら見守ってくれていた。作業が終わったのを見計らって、再び夫人が説明を始めた。
「石が上手く収まったので、水差しで水を入れます。最初は、六、七分くらいまで水を入れます。生け終えてから、グラスを飾る位置に置き最後に水を適宜足します。暑い時期は、九分から並々まで。寒い時期は、少なめに、最高八分までで、自分の好みの量で決めていいです」
「どうして、気温の違いによって、水の量を変えるのですか?」
モニカが、疑問を夫人に投げかけると、彼女は満面の笑みで説明してくれた。
「良い質問ですね! 生け花は、水も花と同様、鑑賞の対象と考えます。もちろん、この花器であるグラスも同様です。季節によって花が変わるのと同じ、水や花器も季節に合ったものにする心遣いをします。だから、暑い時期は、涼しさを感じるために水を多めに入れて、寒い時は水を控えめに入れるのです。花器も、暑い時はガラス製や色の爽やかなものを選び、寒い時期は温かさを感じる素焼きのものを選ぶという感じで、心を配ります」
夫人が、水差しの口にタオルを添え、グラスに注ぐ。注ぎ終わりの水をタオルで拭って、グラスに飛び散らない様にしている。その所作が美しくて、モニカは見入ってしまっていた。
「さぁ、水を入れて、花を選びましょうか」
夫人から水差しを受け取ったヘラが、危なげなく水を注いだ。へらから水差しを受け取り、モニカも水を注いだ。
「先に、私がお手本を生けてみます。ただし、この見本と同じように生ける必要はありません。大事なのは、その花が望むように、生けることです」
夫人はバケツからカーネーションとギボウシの葉を一本づつ取った。
まず、ギボウシの葉を目の前に持って来て、指先で転がすように回しながらじっと見た後、茎の下を鋏で切った。
そして、すっとグラスに入れると、葉は挿したままピタリと留まった。そっと指先で気を送るように、葉を離すときの余韻のような動きに、モニカは息を飲んだ。次にカーネーションを目の前に持ち先程と同様にして挿す。何か固めるものを加えたかのように、不安定そうな細い花茎をピタリと花留めするのを見て、モニカは圧倒されていた。
「はい、このような感じで、一花、一葉に魂を込めて生けてみて下さい」
モニカは一瞬背筋が凍るような感覚に襲われ、緩めていた気を一気に引き締めた。夫人がどうしてか、この世の人でない感覚がして、危険を知らせる警鐘が頭の中で鳴り響いた。そんなわけないと否定しても、強い何かの思念がモニカに彼女は危険だと、気をつけろと囁く。
夫人に動揺を悟られぬように、モニカは無表情を貼り付けた。
ヘラと共に花が入ったバケツの前に行き、花と葉を一本づつ選ぶ。ヘラがさほど時間をかけずに選んだのを見て、モニカは良く分からないが、色が綺麗だと思ったものを選んだ。
席に戻り、夫人がしていた真似をして、葉の挿し位置を決める。そして、見よう見まねで花ばさみで茎を切った。花ばさみのシャキッという軽い音が、耳にやけに響いた。そして、ギボウシの葉を思った角度になるように挿し、手を離したが葉はクルリとグラスの口を滑り、全く違う角度で止まった。もう一度挿したが、同じように回ってしまい上手くいかなかった。
「モニカさん、茎口を斜めに切って見て。その方が小石の隙間にひっかかりやすくなるわ。それに、茎の切り口の面積が大きいほど水を良く吸って、長持ちするのよ」
「はぇ~~、そこまで心配るってすごいですね」
モニカではなく、ヘラが感心する声を上げた。
「せっかく生けるのだから、長く楽しみたいじゃない? 斜めに茎を切るだけで違うなら、実践しようという気になるでしょう?」
「そうですね、それは、私もそう思います」
「でしょ?」
ヘラと夫人は年が近いからか、気の合う友達のように話していた。
ヘラのコミュニケーション能力の高さを、モニカは再認識していた。
しかし、夫人は生まれも育ちも貴族のはずなのに、花一本にも気遣いを見せて、長く持たせるとか貧乏くさいことを平気で言うことに、モニカは戸惑っていた。細かいことを気にするとか、贅沢になれた人間はしないという認識があるからだ。
夫人の視線を感じながら、モニカは花ばさみで葉の茎を斜めの切り口になるように切り、息を止めて、留まってくれと思いながら、ギボウシの葉を挿した。すると、今度は嘘みたいにピタと生けれたのだ。
「すごい、とまった。留まりました」
不思議な達成感に包まれ、モニカは嬉しくなり声を上げた。
「すごいねぇ、良かったね」と、ヘラが。
「飲み込み早くて、嬉しいわ」と、夫人が微笑む。
「次は、カーネーションを生けましょう。カーネーションが美しいと思えるところを正面にして、かつギボウシの葉と調和するように生けます」
「調和……」
「そう、一体感を出す。種類の違う草花がお互い引き立つような雰囲気を出してみて」
モニカは、カーネーションを取り、くるくる目の前で回して姿を確かめる。
よく見ると、モニカが選んだカーネーションは、首というのか、花のつけね辺りが曲がっていた。ぼんやりと知識の中で知っているカーネーションより、本物の茎は微妙な曲線を作っており、随分違うと感心した。当然の美しさを誇る花びらより、曲がった茎に目がいってしまうことにも驚いた。花より葉の方を可愛いと褒めた夫人の気持ちが、少し今の自分とシンクロしたような気がした。
モニカは、花の正面を決めて挿した。花は正面と決めた位置で留まったのだが、何かしっくりしていなかった。なぜなのか分からなくて、花をじっと見つめていたら、夫人が訊いてきた。
「どうしたの?」
「花の正面を決めて挿したのですが、どうも違和感があって」
「ちょっと、見せてもらえる?」
「どうぞ」
夫人がモニカの隣にやってきて、モニカが見ている目線で花を覗き込んだ。
「あー、これは、向きはあっていても、花の面が上を向いていて、良い所が見えてないからよ。こういう場合は、自分の方へ傾けて、こう、入れると――――」
夫人が少しカーネーションを傾けると、激的に見える印象が変化した。
「あっ、すっごく良くなった!」
「ね、角度をつけてやれば、花の綺麗な面が真っ直ぐ目に飛び込んでくる。……あぁ、綺麗で可愛く生けれたわね! モニカさん」
「はい」
褒められてくすぐったいなと、モニカは思った。
今まで感じたことのない面白さを、モニカは肌で感じていた。
「ヘラさんは、あら! 良いわね、本当に初めて?」
「いや~~、実は、花はよく夫が贈ってくれるので、普段から扱ってます」
「んまぁ! 旦那様が!? それは素敵ね、そのおかげね! きっと」
夫人に褒められたヘラは、珍しく恥ずかしそうにしていた。
真っ直ぐな褒め言葉は、調子を狂わすらしい。
「さぁ、みんなの作品をここに集めて鑑賞しましょうか!」
教壇の上に、同じグラスで同じ花材を使った作品を並べる。
すると、どうだろう。
たった一花、一葉の作品なのに、とてもよく見えた。
「ちっとも、貧相に見えない。こうやって集まると、迫力すら感じる」
モニカが正直な感想を述べると、夫人は「分かる~」と激しく同意してくれた。
「そうねぇ……、とっても良いわ。見ているだけで楽しくなってきちゃう」
ヘラも、しみじみと呟いた。
「ふふふ、そうでしょう、そうでしょう」
(夫人……、二度繰り返したわ……)
夫人は、「っしゃ!」と握りこぶしを作り、振り下ろした。
狙い通りの反応を引き出せたと、夫人はどや顔で一人の世界に浸っていた。
ヘムルートが、夫人のことを「変な人」と言っていた理由は、こういうことかと納得した。
「花と向き合っていたらね、花はとても素直に話してくれるの。その声に耳を傾けて――――」
生け花を語る夫人が、急に黙り込んだ。
そして、モニカの方を見た。
その顔は、何処か驚いているかのようだった。
「どうされましたか?」
ヘラが、心配になって声をかけると、夫人ははっと我に返ったように、ヘラに笑いかけた。
「あぁ、すみません。とにかく、生け花は心を整えてくれる波動を、人に与えて癒してくれる、素晴らしいものだと、お伝えしたいのです。ヘラさん、モニカさん、来てくださってありがとう。今日という日を迎えられたこと、神様に感謝したい気持ちになっております」
「ヘルトリング伯爵夫人、大袈裟ですよ」
調子を戻したヘラが、神様迄引き合いに出して喜ぶ夫人を軽く揶揄った。
モニカは、二人のやり取りを聞きながら、自分が生けた花を眺めて達成感に浸っていた。
ヘラの旦那であるマルクは、実はラルフの隠れファン。
花を贈るのは、ラルフに影響受けた。
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