ひねくれ頑固医師、謎の少女と出会う
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「ブラウン先生! 聞いてください! うちの人ったら――――」
時間制限を設けて、患者が夫の不満をぶちまける。とりあえず要点だけを聞いて書き止め、あとはすべて聞き流して適当なところで相槌を打つ。
それが私、ヘムルート・ブラウンの仕事だ。
心療内科医は、人の心にある歪みを見つけ、患者にそれを受け入れさせ、これ以上歪まないようにアドバイスする。
軽いものや重いものまで人の悩みとは、色々なものがあり複雑そうに見えるが、根本はみんな同じ、自分の欲求が満たされないことから来るものであり、心が満たされている人間は、心が病むことはないのだ。
「……でしょ? 先生も、そう思いません?」
「それは、大変な思いをされているのですね」
「えぇ、えぇ!! そうなのよ!」
ヘムルートは、患者に同意せずに、苦しみだけを受け止めた言葉をかける。
それを患者は、同意したかのように取ってしまうのだが、訂正はしない。
患者は、自分が正しいと肯定されたくて、金を払って悩みを吐露しに来ると理解しているからだ。一瞬の救いを、金で得ようと、皆必死になる。
(こんなに感情を激しくするなんて、疲れることをするなぁ……)
ヘムルートは頭の中でそう思って、患者とは真逆に心がどんどん冷えていくのを感じていた。
「夫人、ご主人に対して嫌な気持ちを持ってしまったら、自分がまた嫌な思考に陥ってしまったと、必ず、その都度流さずに感じてください。そして、気持ちを落ち着けたら、自分自身に大丈夫だよといたわりの言葉をかけてあげるのです。それが出来たら、どうしたら嫌な気持ちにならなくて済むのかを、考えてみてください。解決できなくていいから、真剣に考えてみるのです。そうしていくと、気持ちが楽になるはずです」
当たり前のことを言っているだけだが、感情に囚われた人間は驚くほど視野が狭くなっているものだ。それに気づかせることが、治療の第一歩なのだ。
「できるかしら、そんなこと……」
「やってみるのです。初めから上手くしようと思わず、少しづつやってみて下さい。きっと、あなたならできますよ」
患者に頑張れとは決して言ってはいけない。心を病むまで頑張っている彼らにとって、これ以上無理を強いる言葉をかけてはいけないのだ。
「先生……、そうよね、やってみるわ……」
患者が前向きな発言をしたところで、制限時間がやってきた。
一定時間になると、オルゴール曲が流れる魔道具の音が診察室に流れた。
「夫人、次回の予約を受け付けでして帰って下さい。お気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
押し込めていた感情を発散できて、患者は入ってきた時より落ち着いていた。その様子に、ヘムルートは深く考えずに、表面上良かったとだけ思う。
人の感情に触れずに、感情移入しないことが、この仕事を続けるコツだ。患者の感情にシンクロしてしまうと、自分の心に負担がかかり、自分自身がしんどくなってしまうからだ。
仕事があるから、感情を消してしまっても大丈夫だと思える。
感情に気分が左右されないから、気持ちが楽だから仕事にのめりこむ。
そうしないと、自分はきっと壊れてしまうから、自分を守るために、今日も感情を殺して生きている。
ヘムルートは、診察室の片づけをして、待合室に出た。
「先生、お疲れ様です」
受付と事務を担当してくれているヘラが、にこやかに笑った。
「ヘラさんも、お疲れ様。今のが、最後の人だよね?」
「そうです、あの方、一か月後に予約されて帰られました」
「分かった、ありがとう」
「あの子、今日も来ていましたよ。さっき、帰ってしまいましたけど……」
「何か、言っていた?」
「いいえ、昨日と同じところに座って、じっとしていました」
「……」
二人が話題にしているのは、数日前から、姿を現すようになった、近所の孤児院に制服を着た少女のことだ。診察時間内にふらりと現れて、待合室のソファに座って、じっと様子を伺っている、ちょっと不気味な存在だった。
「明日も来たら、声をかけた方が良いですか?」
少女を気遣い、ヘラが心配げに訊いてきた。
「あの制服を着ているなら、孤児院の子どもなのだろう。気分転換に来ているだけだろう? 悪さをするわけじゃないなら、放っておいたらいい」
「そういうもんですかね……」
「あれくらいの子どもで救いを求めるなら、真っ先にヘラさんに泣きついているはずだよ。それをしないってことは、私らの助けは要らないってことだと思うよ」
「先生が、そう言われるのなら、見守るだけにします」
「そうだね、彼女もそれを望んでいるはずだ」
下手に構って、少女のやっと見つけた居場所を奪うことはしたくない。
彼女は、自分自身の心を平常に保つために、ここに来て、気持ちを整えているのかも知れないからだ。
その証拠に医師であるヘムルートと顔を合わせないようにしてやってきている。少女は、明らかにヘムルートに用がないのだ。
「ヘラさん、片付けて帰っていいよ」
「はい、もう片付け終わりましたので、失礼します」
ヘラは、さっさと自分の荷物を持ち、帰っていった。
ヘムルートも背伸びして固まった体を軽くほぐしてから、閉所作業をしていき、診療所を後にした。自宅に帰る途中に、少女が暮らしているであろう孤児院の前を通り過ぎた。
外からは、様子を伺い知ることは出来ないが、少女はこの建物の中で、色々な出来事を対処しながら生きているのだろうなと、ヘムルートはぼんやりと思った。
次の日、少女はまた診療所に姿を現した。何食わぬ顔で診察の順番を待つ人に紛れ、ソファに座っていた。
ヘムルートは心療内科医だが、その患者は午後から完全予約制で受けていて、午前中は風邪などの内科の患者を先着順で診ている。だから、午前中は待合室は混雑している日が多い。
ヘムルートは当然少女に意識を向けることはなく、他の患者の対応に集中した。
昼を過ぎて、ようやく午前中の受付の患者を捌き切り、ヘムルートが診察室を出ると、待合室にあの少女がまだいた。
少女は、茶色の髪に茶色の瞳で、ヘムルート自身と同じ色を持った子供だった。かつて愛した彼女と上手くいっていれば、この少女のような娘が自分にもいたかもしれないと考えてしまい、未練たっぷりな自分に思わず苦笑いした。
ヘムルートがじっと見ると、少女はしまったという顔をして、目を逸らした。その時、ヘムルートの好奇心が大きくなり、気まぐれに少女に声をかけていた。
「ここの所、毎日来ているが、何か用か?」
「……」
少女は、明らかに目を泳がせた。
やはり彼女は、ヘムルートに用事があるから待っていたのだと確信した。
「早く言ってみろ、言葉は分かるか?」
「――――か?」
「え?」
「先生は、結婚していますか?」
「いいや、独身だ」
「お願いがあります」
「何だ?」
「早く結婚して、幸せな家庭を築いてください」
「――――はあああぁっ!?」
少女らしくない予想外の願いに、ヘムルートは思わず変な声で叫んだ。
「転生令嬢は華の心で冷徹侯爵令息を癒します!」のスピンオフ作品になります。
そちらを先にお読みいただいてから、本作をお読みいただくと、よりブラウン医師の拗らせ具合が分かるかと思います。
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