魔女の願望編 19
「飛んだぁ!?」
ーーつい叫んでしまった。
「まさか飛んで逃げるとはな、ワシも予想外だったわい。」
軽く息を切らしながらも咥えタバコで走るシガレット。
横には勿論ーー俺がいる。
「お前っ、あいつはっ、圧縮の魔女だってっ、言ってたよなっ!なんでっ、空なんてっ、飛べるんだよっ!」
なんで同じ速度で走って、俺だけ息が切れる。
矢張り、チェルシーの言っていた通りなのだろうか。
「認識の違いじゃな、ワシは存在を圧縮すると思っていたがーー実際戦ってみて分かったがクラリスの能力は空間を利用して潰すのが能力じゃったみたいじゃ。」
空間の利用ーーー?
つまりどういうことだ。
「うむ、何言っとるかわからんと言った顔じゃな、早い話見たものを圧縮する方法の違いじゃ、頭頂部と足裏から物そのものを圧縮するのか、空間の板を作って上下左右前面から圧縮するかの違いじゃな。」
何となくはわかったがーー
「それだと空を飛ぶっ、理由にはっ、ならねぇだろぉっ」
「あくまで仮定じゃがーー
空間利用をして圧縮を行う場合、圧縮する際にその中の空間はどこに行くのかと言う話じゃ。
間の空間は無くなるじゃろ、その間の距離を圧縮すれば空中に跳べる、あとは前方の空間を圧縮して、空を飛ぶというわけじゃな」
重力とかないのかと質問したかったが息が切れて言葉がうまく紡げない。
「その後の余波がどうなっておるかはワシも流石にーーーー」
その瞬間、叫び声が響く。
女性の声ーー民間人がまだーー?
突如魔女が失速する。
「…どうした?」
「嗚呼、そうかーー逝ったかクラリス。
じゃから、投降せいと言ったのにのう…。」
歩くスピードと変わらない速度まで落ちる。
今、逝ったーー死んだと言ったのか?
今の叫び声は圧縮の魔女の叫び声だった?
何が起きた。
先程逃したと言ってここまでの時間で10分程しかかかっていない。
そもそも何故、クラリスが死んだと分かった?
何故、追えるーー。
そう言えば初日に何か言っていた気がする。
死んだら何か分かるとか、なんとかーー。
ーーー駄目だ、頭がこんがらがってきた。
「疑問があるのは分かるが、すまん、質疑と応答は少し後じゃ。
ここから二箇所曲がって、まっすぐ行った先ーー壁の近くか?
そこでクラリスが死んでおる、筈じゃ。」
死んでるーー。
この悪夢の一夜を主催したあの魔女が。
リコとエンリケとシスターフランシスを無惨に殺した魔女が?
その前にも少なくとも数名を殺害した魔女が?
にわかには、信じ難い。
否、信じたくない。
そんな簡単に、くたばられてたまるものか。
そんな簡単に、殺されてたまるものかーー。
そんな簡単にーーーー。
急いで走る、二つ曲がった先。
遠くに何かが倒れているのが見えた。
そして、その横に佇む人影。
此方に気づいた様子で、両手を振り被る。
ーー何か持っているーー?
両手を降り下ろしたーー瞬間。
魔女の帽子のツバが切れる。
唖然ーーーとしている間に老人が消える。
真下に何かーーー風?
ーーーーナイフか何かが鉄製の何かにぶつかる音が響く。
「馬鹿もん、ワシとツレじゃ。」
そう言いながら涼しい顔で、魔女が煙管を使い片刃の細い剣を受け止めている。
刃の向く先はーー俺の首筋だった。
もしかしなくても、今魔女が俺を守らなければ俺は死んでいたのか?
首筋を撫で、ゾッとする。
「ーー何じゃい、お前か婆ァ。」
そう言いながら、細い剣を腰元の鞘に納め立ち上がった老人の姿をーーー俺は知っていた。
「っと、おお、お主生きておったんか!
すまんすまん、危うく素っ首斬り落とす所じゃったわ。
キヒヒッ、…シガレットに感謝じゃなぁ。」
魔女が、爺さんを見る。
「ーークラリスは?」
「はん、分かっとるじゃろ?
ワシに頼んだ時点でどうなったかはのぅ?」
顎で奥にある倒れた何かーーー、いや、誤魔化すのはやめだ。
恐らく人の死体であるものを指し示す。
結局何者だーーこの爺さんは。
「ーーーあんたは?」
「ヒヒッ、よく言うじゃろう若人よぅ?」
そう言いながら俺の目を見つつ、蓄えられた髭を爺さんが弄る。
名前を答えるつもりはないのか?よく言う?
ーーああ、成る程。
「ーー俺の名前は、シス、シス・セーロスだ。」
警察であることは伏せておいた、どう転ぶか分からない。
爺さんがウンウンと首を縦に振る。
「ワシは、カネサダ、カネサダ、オチカタ。
色んな渾名で呼ばれておるが、シガレットと一緒にいるのならこう名乗っておこうかのぅ。
『刃の魔女』彼方 兼定ーーー以後宜しくのうシス。」
オチカタ…カネサダ?
この辺りでは聞き覚えのない名前、そしてこの風貌ーー。
「お察しの通り、その男は東洋人じゃよ。
しかも、西のーー東の?まぁどちらでも良いわ、何方かの島国出身じゃ。」
魔女がそう口にする。
…そういえばこの爺さんと一緒にいた少女はーー?
「そうじゃーーーおぉい、出てきて構わんぞ、雪華。」
建物の影から真っ白い少女が現れ頭を下げた。
確かに先日爺さんの隣にいた少女だ。
「お?子供をこさえたんか?」
「馬鹿言え、婆。
この子は孤児ーーお前んところにいる、あー、煉?煉ろ?じゃったか?あの子と一緒ーーいや、魔女じゃないからちょいと違うか。」
若干イントネーションが違う気がするが恐らくネルのことだろう。
何かを頼んだとも言っていた。
ーーこの2人はもしかしなくとも知り合いなのかーー?
「キヒッ、面倒な思想じゃな、お主。
聞きたいことはパパッと聞かんと損するぞ?」
滅茶苦茶なことを言う。
知らない間に地雷を踏んでいたら目も当てられない。
自称魔女の爺さんーー刃とか言っていたが、今回の圧縮の魔女とのやり取りだけでも充分思い知った。
魔女はやはり化け物なのだと。
「ーーーそれよっと。」
そう言いながら急に爺さんがポケットの中に手を突っ込んですぐさま抜き取られた。
「オワッ!?」
情けない声が喉から飛び出る。
「ほー、使わずやり過ごしたか。
やるのう、コレがあって死相がマシになる程度じゃったのに、これ無しで切り抜けるのはーーキヒッ、なかなか見込みがあるじゃぁないか。」
その手に握られていたのは爺さんが押し付けてきたジプロックに入った白髪。
ーーそういえばそんな物もあった事を今思い出した。
クラリスと対峙した時は昂揚と恐怖で頭からすっかり抜け落ちていたが。
「ーーそれは、なんだったんですか?」
「急に、丁寧になったのうーーシス君。」
魔女の言葉に一瞬顳顬がぴくつく。
「キヒッ、魔女だと知って及び腰かぁ?」
追い討ちをかけるよう爺さんの言葉。
ーーああ、クソ。
コイツも人のことを揶揄うタイプの奴か。
語尾が伸びている分、タバコの魔女より鬱陶しい。
「これはなぁーー」
そう言いながら、近くの建物の壁にジプロックから取り出した髪の毛を投げつけた。
ーー瞬間、鈍い音と共に何かが壁に刺さりーー。
建物の壁が真横に断たれた。
ーーーー……ーー?
「その顔、今日だけで何度目かのう?」
魔女の言葉でハッと意識が戻る。
目の前で起きたことに頭の処理が追いつかない。
「彼方…お主そんなもん持たせとったんか、シス君に。」
「おう、これなら逃げる時間くらい余裕で稼げるじゃろう?」
若しかしなくても、あの時爺さんに向かって下手に投げていれば爺さんが真っ二つになっていたと言うことか?
魔女がため息を吐く。
「ーー彼方、クラリスが昼間に街の中で襲う可能性もあったとは思わんか?」
その言葉を聞いた瞬間、爺さんがポンと手を打った。
「確かに、その可能性を失念しておったわ。
今後はもう少し威力を調整したものをーーーん?」
クイクイとセッカと呼ばれた少女が爺さんの袖を引っ張る。
「お爺さま、アレで遊んでいいですか?」
ーーアレ?
少女がチラチラと見ているのは十数メートル先に転がっている遺体ーー恐らくクラリスの遺体だ。
アレで、遊ぶ?
何を言っているんだこの子は、人形とかじゃないんだぞ?
そもそも遺体で遊ぶ?
「ーーーそういえば、魔女の肉を斬らせた事はなかったのう。
死んでからだと人と変わらんが、それでも遊びたいか?」
少し残念そうな顔を少女がし、首を力なくフルフルと振る。
「それなら良いです。」
ーーこの言い方、遺体を斬った事があるのか?
こんな年端も行かないような少女が?
死体損壊罪ーーという言葉が頭を過ぎる。
「…ははぁ、自身の技術を継承したくなったんじゃな?」
自身の技術。
「は、よく分かったのう。」
「それ以外にお前が幼児を連れ回す理由が分からんーーまさか、捌け口でもあるまい。」
ーー捌け口?
爺さんが盛大に吹き出した。
「雪華、この婆ァを斬ってもいいぞ。」
ーーそう言いながら壁に刺さりっぱなしだった何かーー爺さんの持っていたのと同じ片刃の細い剣を抜き、少女に柄を向ける。
「ーーいいの、お爺さま?お友達ーーですよね?」
友達を斬っていいかという純粋な質もーーー
ーーいや、異質な状況に流されるな。何考えてんだ俺は。
本来、人を斬るなんて言うことは許されるものではない。
それも、こんな年端も行かない少女がーーー無感情になんて。
少女が柄をーーー。
「ーーちょっとーーー待ってくれ。」
ーー掴む前に、俺がその柄を握って止めた。
「…待つ理由は何かあるのかのぅ?」
体が先に動いていた。
しどろもどろになりながら、取り敢えず止めるための言葉を捻り出す為頭を回転させる。
爺さんと、少女の目線が突き刺さる。
いやーー目線で斬り殺されている感覚。
額を伝い、汗が目に入る。
ーーー言葉を間違えれば、死ぬ。とすら思える。
そんな、圧を感じる。
先程の魔女とはまた異質の、冷たい水を浴びせかけられるかのような殺意が左右から。
少女に手を出させるな?
ーー違う、この答えでは死ぬ。
恐らくだが、つまらん事をほざくな、とか言われて爺さんに斬り殺される。
取り敢えず話し合い。
ーーーこの答えでも殺される。
言い切る前に、笑われて、首が落ちる様がありありと見える。
魔女を殺す前に俺を殺せ。
死ぬ。
笑うことすらせずに今の表情のまま殺される。
ーーダメだ、どう答えても俺は死ぬ。
「ーーシス君をこれ以上揶揄うのはやめてもらって構わんかのう。
ただ戯れているつもりでも、今シス君は死を覚悟しておる。」
魔女の言葉。
ーーと同時に視線が解かれ体が軽くなる。
「キヒヒッ、スマンスマン。
ワシに公序良俗を説きたそうな顔をしておったからのぅ。
これに懲りたら考えなしに止めるもんじゃないぞ、若ぞーーー。」
「お爺さま?斬ってはいけないのですか?」
少女の口からの言葉。
そして、その言葉を聞いて、少女の方を見て。
見てしまって。
その目の中を見た事を後悔した。
ーー赤い瞳は濁ることの一切ない純粋な色そのもの。
人を斬ることに違和感など全く抱いていない。
「おう、婆ァを斬るのは止めじゃ止め。
雪華、代わりにーーアレは斬っていいぞ。」
そう言いながら爺さんが指を刺す先、クラリスの遺体を持ち上げる影が二つーー。
「ーーー」
は?と声を上げる前に、少女が俺が掴んでいた柄を持ち捻り剣を奪った。
一足、二足、三足で十数メートルの距離を詰め右上から左下に振り下ろす。
俺は声を上げる暇も無くその様子を見ることしか出来ない。
ーー黒い外套を纏い、顔を隠した2人は遺体を放り出し後ろに飛ぶ。
少女がもう一歩踏み込み横薙ぎに刃を振るう。
瞬間、強烈な光ーー!?反射で顔を逸らし目を覆うーー見えない最中、硬い物が切断される音が聞こえる。
徐々に真っ白になっていた目の前が回復して…目に入ってきたのは、顔を抑えうずくまる少女と消えた遺体、その奥の壁に入った傷。
そして、舌打ちする爺さんと苦い顔をする魔女だった。
「やられた、逃したわぃ。雪華!怪我はないかぁ!」
少女がその声に気づいたのか、此方に向き首を縦に振る。
「ーーおい、シガレット。」
「安心せい、キチンとクラリスの小指は此処にあるわい。」
ーー小指…?
魔女が開いた掌には、千切れた小指。
「なら安心じゃなぁ、早目に吸っとけよ。」
吸う?どうゆう意味だ?
「ーー彼方、なんか知っとるのか?」
「知っとるし、追っとる。
じゃが最近調べ始めたばかりで情報が少なくてなぁ、魔女の死骸を集めて回っとること位しか分からんのじゃわ。」
ゆっくりと此方に戻ってきた少女の手から爺さんが剣を受け取ると、剣が髪の毛に戻った。
「いるか?」
そう言いながら俺に髪の毛を揺らして見せる。
魔女に効くのであればーーいや、だが誰がそんな恐ろしいものをーー。
「シス君、よければ貰っておけ。
敵意を持って投げつけなければ危なくはないからのう。」
ーー喉を鳴らし、手に取る。
「さてーー」
少し大きな声で魔女が声をあげる。
「取り敢えず、小僧の邸宅に戻る前にワシの小屋に戻るとしようかのう。」
戻る、だが此処から戻るには取り敢えず廃棄区画から出てーーその前に車が破壊されたんだった。
となれば徒歩か?
「車がないしここから徒歩だと5時間はかかるぞ?
一旦署長の家に戻って、車を借りた方がーー。」
「安心せい、シス君。」
ーーー何を安心しろと言うのだろうか。
「あー、ワシらはそれじゃぁ此処らでお暇させてもらうか雪華よ。」
「そう言うな、彼方、お主らも強制招待じゃ。」
爺さんが逃げる算段?
一体何がーー。
刹那、目の前が真っ白になる。
「ぉーーワプッ!」
それは、触感があるほど濃い煙。
物理的に視界がーーー意識がーー塗りつぶされるーーー。





