魔女の願望編7
2日前の夜。
ーー午後22:30
彼は、少しも悩む事なく一つの部屋を目指していた。
彼とは勿論、フレッチャーである。
ロークタウン警察署きっての軟派男。
彼は元々は鳴り物入りで入ってきた人間で優秀な警察官だった。
だった、と言うのも幼稚園から始まり小中高一貫の男子学校の寄宿舎で学生生活を送ってきた彼は母親と学校関係者以外の異性と出会うことが極端に少なく、授業で習う程度でしか女性とのまぐわいについて詳しくなく、彼が異性を性的に意識し始めたのは警察学校に入ってからであった。
それまで、ストイック且つ成績優秀であった彼は全幅の信頼を置かれ警察学校に入った。
だが、警察学校に入り2日目に同期の人間にこっそりと持ち込んでいた成年向け雑誌を見せられたことにより、実際の知識があまりにも乏しかった結果、行為に及べば『必ず』女性も自身も気持ちよくなれる物だという風に本の内容を誤解した。
結果、警察学校を主席で卒業した後軟派男の地位を築いてしまったのである。
ーーーそう、彼は童貞でもあった。
そして、今日。
生まれて初めて見かけ、一目惚れをした女性に彼は夜這いをかけることを決意したのだ。
署長から言われ、護衛の任務のためにスードラ警視と共にイースタン邸に辿り着いたのが7時間前。
郵便局に足を運んだシガレットの付き添いにスードラ警視と一緒に行って帰って来たのが5時間前。
食事を取ったのが3時間前。
その後、広大な土地の端にある監視小屋を借り受け、形ばかりの邸内の警備をしていた。
形ばかりと言うのにも理由がある。
そもそも邸外には至る所に監視カメラが仕掛けられており、その場で即行動できる人員として遊撃隊のような役目を二人は言いつけられていた。
先ほども記載したが、フレッチャーは非常に優秀な巡査である。
戦闘技能で言うのならば逮捕術、拳銃術ともにロークタウン警察署の中で五指には間違いなく入るだろう。
だが、全幅の信頼を置くことができるかどうかの判別の為に、今回この役目に抜擢された事を彼は知らない。
お目付役兼教育係としてスードラ警視が付いているのも今回の件での査定が含まれているからである。
だが、そんなことはフレッチャー自体は全く気づいておらず…。
ついに2分前、スードラ警視が邸内にある巨大な浴場に汗を流しに行ったことを確認し、「変な行動をするな」と釘を刺されたにも関わらず彼はすぐさま外へと飛び出した。
現在の彼の頭の中に夜這いという言葉はあれども、強姦という言葉はない。
そして、彼の頭の中の夜這いとは見事なまでに和姦であった。
相手が気持ちよくなり、此方も気持ちよくなれるモノであると信じて疑っていないからだ。
確かな意思を持って、彼は邸内に侵入。
そして、夕方ごろに荷物を持つ事を理由にシガレットの居室を確認していた彼に死角はなく、あっという間に扉の前にたどり着いた。
扉を音もなく薄く開く。
小さな、キィという音すら響かせずに、ドアノブを捻りながら音を殺して扉を閉める。
部屋の中は暖炉も既に消えており、夜闇に包まれていた。
濃い霧と厚い雲のせいで、月光も差し込まないが、ベッドまでの動線は夕方見た時点で彼は覚えていた。
類稀なる観察眼と記憶力である。
そして、足運び。
絨毯の上であることは間違いないが、それにしても音が全く響かない。
息遣いすら大きく聞こえそうなこの場所で、フレッチャーは足音を殺して、息の音すらも殺して歩く。
結果、完全に夜闇に溶け込んでいた。
一流の暗殺者としてもやっていけるだけのポテンシャルを発揮しながら、ベッドの前に立ったフレッチャーは耳をそばたでる。
女性の小さな吐息。
この部屋で間違いない。
確信を持って、ゆっくりと布団の衣擦れの音すら響かせずに布団の中に潜り込む。
そして長いサラサラの髪に触れ、確信する。
此処に、私の女神がいる、と。
ーー刹那、布団がまくられフレッチャーの首筋に必倒の手刀が振り下ろされる。
完全なる不意打ち、反応をしても間に合わないはずのその一撃を勘だけでフレッチャーは身を無理矢理捻り躱した。
喉を鳴らし、攻撃が来た方を見るとーーフレッチャーの目の前には赤い髪の鬼。
否、赤い髪のメイドが殺気を孕み立っていた。
ーーー既に彼女がいる時点で読者の皆様は気づいているであろうが、ベッドで寝ていたのはネルであった。
其処に赤髪のメイドがやって来た理由は言うまでもない。
当然、夜這いである。
フレッチャーはシガレットに、ベリーはネルに夜這いをかけに来て、見事に合致したのだ。
軍隊で鍛え上げた無音に近いサブミッションと一撃必倒の格闘術を使い分けるベリーと、自身の身体能力と天性の勘で有りとあらゆる相手を下して来た、喧嘩では常勝無敗の男フレッチャー。
画して、これまでに無いほどの不毛で高度な争いが始まっーーーらなかった。
唐突に闇の中から伸びる腕。
二本の太い腕がフレッチャーの首を捉え、膨張した。
目の前で起こった唐突な状況。
一瞬困惑している間に、ベリーの背中に硬いものが当たる。
が、その何者かが行動を起こす前にベリーの体が動く。
振り向くことすらなく、体を捻りながら当たっていたーー拳銃を掴み捻り、相手の手から奪いながら振り向く。
ヒタリと首に冷たい感触。
頬を伝う冷たい感覚。
喉が鳴る。
ベリーの目線の先にいたのはリコ、首に当たっていたのは白銀に光る刃だった。
そのまま、リコが親指で扉を刺す。
闇の中からフレッチャーを抱えて出てきたスードラ警視が先に扉へ入り、リコが背後からナイフを突き付けたままベリーと共に扉の外に出る。
「予想通りでしたね、リコ殿御相談ありがとうございます。」
「いえ、此方こそ身内が申し訳ございません。」
深々と頭を下げるリコとスードラの2人。
それを苦虫を噛み潰したような顔でベリーが見る。
「なんで」
「分かったか?ですか?本気で言っていますか、ベリー。」
ナイフをしまいながらリコがベリーを睨め付ける。
「とある者から密告がありまして、まぁそうでなくとも警戒はしてましたがーーまさか初日から手を出しに来るとは思いませんでしたよ。」
「ち、違います、なんで私が此処に来たかすら聞いてくれないんですか、と。」
眼鏡が光る。
あまりにも苦しい言い訳とも言いづらい言葉をベリーが紡ぐ。
「来た理由?」
「はい、私はですね自分の休憩時間を削ってシガレットさんを警護しにーー」
「言い訳をしていいといいましたか?」
ピッ!と情けない高い声を上げてベリーが押し黙った。
「そもそも、警護が居ないとでも思っていたんですか?」
スッと、通路のカーテンの陰からエンリケが現れる。
冷や汗か脂汗か。
ベリーの額から汗が伝った。
「な、なら何故」
「メイド、執事の揃っている場で明かさなかったか?貴方の行動を見張る為ですよ、ベリー。
因みに貴方以外全員に伝達済みです。そこにいるフレッチャーさんとまだ幼いネル様は例外ですが」
「...え?それは当然隊長も?」
リコが頷く。
「もしや、シガレット様も?」
リコが頷く。
「まさか、あのよく分からない男にも?」
リコが頷く。
「シス様も当然知っております。」
愕然とした顔でベリーがエンリケを見る。
「こっちを見られても困りますよ。」
続いてスードラ警視を見る。
「あんたがコレと同じ穴の狢とはな。」
そしていつの間にか寝所から出てきていたシス警部がリコの方を見ていた。
非常に気の毒そうな顔で、である。
「ち、違うんです、ただ、ただ私は人よりも幼い少女を愛でるのが好きなだけで」
「言い訳は結構です、エンリケは命令を遂行して下さい。
私はーー、仕置きをして参ります。」
そう言いながら無線を取り出して、リコは何処かに連絡を取り出した。
既に顔面が蒼白になっていたベリーの血の気がさらに引いていく。
「あー、エンリケだったっけ?」
「はい、如何致しましたかシス様。」
「トイレの場所が分からなくなったんだよ。教えてくれないか?」
「はい、そちらの角を左に曲がっていただければ、二つの扉を越えると光が見えますので其方です。
もし、ご心配であればコレを。」
そう言いながらエンリケは小さなホイッスルを取り出しシス警部に渡した。
「吹いたらあんたらが来るのか?」
「犬みたいでしょう?」
冗談なのか、本気なのか分からない笑顔でエンリケがそう声をかける。
「おや、すいません。お前のはいつも冗句なのか本気なのか分からないと言われるのですが、今回もそうでしたか。」
そう言いながら少し顔に影が落ちる。
「あ、いや、そんなことはないが。」
「まぁ、実はそれ本当に犬笛なんですけどね。」
シス警部が顔をしかめる。
「決してからかってるわけではありませんので安心して下さい、我々はその音を聴き分けられるように訓練を受けておりますので。」
シス警部が受け取ったホイッスルを口につけると、エンリケが手で止めてきた。
「今は、目の前におりますので何か問題が起こった時、何時でも困った時に吹いて下さい。」
表情などは変わらないが、声で一瞬圧が来るのをシス警部は感じていた。
頬を掻きながらシス警部は指を刺された方へと消えていった。
「では我々もこれで。」
そう言いながらフレッチャーを抱えたスードラ警視がシス警部と同じ方に消えていく。
「ーーはい、ありがとうございます。それでは。」
ブツっという音と共に無線機が止まる。
「ベリー、行きましょうか。」
「ヒッ、ふ、副隊長?考え直して下さい、明日からの仕事に、支障がですね」
「…ベッドの上で体力を消費するくらいなら、その有り余った体力を発散させてあげようという親心です。」
とても、とてもいい笑顔でリコがそう言い笑いかける。
その顔を見てベリーは黙ることしかできなくなっていた。
「エンリケ、大丈夫だとは思いますが後は任せますよ。」
「はい、勿論。きちんと見張っておきます。」
ーーその言葉を残してシガレットとネルのいた部屋の前の廊下は静かになった。





