魔女の願望編 6
そうだ、確かにそんな事があった。
走りながらポケットからジプロックを取り出す。
そこには真っ白な髪が一本入って居る。
が、恐らくまだだ、まだ俺は追い詰められてはいない。
電気もついておらず霧も濃いこの状況なら、とりあえずベリーがいると言われた予定の合流地点には逃げられるだろう。
「焼きが回ったもんだ」
気づくと独言ていた。
爺さんの髪を見ながら走っていく自分が悲しくなる。
溺れるものは藁をもすがると言う奴なのだろう。
もう一度、ポケットの中に髪を戻ーーー
ーーー真後ろから異音が響く。
振り返らなくても分かる、今曲がったばかりの場所にあった木箱が滅茶苦茶にひしゃげた音だ。
叫び出したい気持ちを飲み込んで足に力を入れるーーーーーっ!?
突如、俺は手首を掴まれ、路地に引き摺り込まれた。
地図が手から離れる感覚、なんとかコンパスだけは死守する。
巨大な手でガスマスクの上から口元から目の下までを覆われる。
そのまま、数人の足音とともに俺は既に人がいなくなっている家の中に連れ込まれようやく解放された。
「大丈夫だったかい、クラウディア!」
そう言いながら此方の顔を確認してきたのは浅黒い肌のーー
「…シスター…フランシス…か?」
驚いた顔で目を丸く見開いているのは何度か見かけていた巨躯の修道女だった。
「そう言うあんたはーーロスだったね。
何てこった、人違いだったか、いやまぁあんたも危ないところだったんだねぇ。」
予想外すぎて頭が混乱する。
いや、落ち着け、落ち着け、状況を整理しろ。
後ろからやってきていた魔女とコイツらは別物だ、そしてクラウディアの名前。
詰まるところーー。
「あんたらはクラウディアとやらを追いかけてここにきたのか?」
フランシスの後ろに二人のシスターがいる。
一昨日、買い出しに修道院の外に出て来ていたシスターが一人、魔女の嘘話に騙されて俺のことを門の中から覗いていたシスターが一人だ。
「そうだよ、この子ーーアリエラがね、夜にこっそり出て行ったクラウディアを見かけたらしくてね。」
アリエラと呼ばれた俺の事を覗いていた方の茶髪のシスターの頭をポンポンとフランシスの大きな手が叩く。
「それでこっちの子ーーマリエルから、やばい奴がいるって噂を聞いたから心配だって話を聞いたからね、クラウディアが心配だったから辺りを探してたんだよ。
そしたら、銃を打つ音やら破裂音やら何やらが聞こえてくるだろ?尚更心配になったんでね、地上から音を追跡して行ったら廃棄区画に繋がってたってわけさ。」
言ってる意味は分かる。
だが、廃棄区画にーー
「どうやって入ったんだ?」
「私の筋肉は見せ筋じゃないんだよ。」
…固めたレンガの壁を筋肉だけでねじ伏せたーーとでも言うのだろうか。
「馬鹿だね、冗談だよ。普通にコレで壊して入ってきたのさ。」
呆れた風に息を吐きながら、左手に持っていたL字の鉄で出来た釘抜きの様なものを見せてくる。
いや、コレで壊したにしても早い気はするがーー。
「誰かは知らないけど此処に侵入しようとしたんだろうね、半分壊れかけのところがあってね、雑にブルーシートで隠してあったんだけど、そこにコレも置いてあったからサクサク壊せたって寸法さ。
ーーーさて、今度はこっちの質問だよ。」
そう言いながら、此方を睨む。
「あんた、この子から聞いたところだと明日ここにくる予定だったんだろ?
何で今日ここにいるんだい?」
…色々と聞きたいことがあるのは此方も一緒だが、いくつか答えて貰ったのだから返答はせねばならない。
本来ならすぐにでもここから逃げ出してもらいたいところだがーー。
だがだ、どこから何を説明したものか。
「襲われたんだよ、犯人に。」
「例の怪人ミノムシ男かい?」
ーーーなんだ、その珍妙な生き物は?
いや、恐らくはこの事件の犯人の市井での呼び名なのであろう。
俺は頷く。
「予測はしていたからな、下水道を使って逃げてきたんだ。」
まぁ、予測していたのも、うまく逃げられたのも全てデニスやチェルシーのおかげだが。
そこを話したところで意味はない。
「あんたらは早く逃げろ…ここの噂も知ってるんだろ?」
「噂?」
「化学工場のガス漏れの話だ、よくマスクもつけずに入ってこれたもんだな。」
フランシスが首を捻る。
「悪いね、ここに赴任してきたのは6年くらい前でね、ここにそんな噂があるだなんて知らなかったよ。
だから、廃棄区画と呼ばれていたんだね。」
「ああ、だから早く逃げーーー」
家が崩れる音。
いや、家が潰れる音ーー。
窓から二つ隣の家がひしゃげていくのが見える。
二階建ての家の屋根が潰れ、鉄骨がひしゃげる音と、煉瓦が粉砕されていく音が混じり聞こえる。
「ーーーーは?」
何が起こっている?
俺は恐らく間抜けな顔を晒しているのだろう。
隣にいるシスターフランシスも呆然としている。
後ろにいたアリエラとマリエルも泣き出そうとしているような、半分笑いそうになっているような絶妙な顔をしている。
「…なんだい、こりゃ…あたしは夢でも見てるのかい?」
その感想は俺も同じだ。
ーー人と同じサイズのものしか壊せないと思っていた。
そう、俺は勝手にそう思っていた。
コイツが家まで潰せると言うのならーー想定していた俺が逃げ込む予定の中央の化学工場ですら壊すことができるんじゃないか。
「あ、あ、悪魔…。」
アリエラと呼ばれていたシスターがそんな事を口走る。
「シスターフランシス…は、早く逃げましょう…?」
マリエラが控えめにフランシスの服を引っ張る。
「…仕方ないね、クラウディアのことも心配だけど、とりあえずアンタらを逃がすことにするよ。
ロス、あんたはーー。」
シスター3人を見る。
俺は本来警察だ、助けるべき市民が目の前にいる。
だが、今の俺はこの3人の前では探偵という触れ込みだ。
だが、取り敢えず、外に送り届けるまでは一緒にーーー。
ーーー唐突に肩をポンと叩かれた。
「…強い瞳だね、でも迷ってる。
良いから、あんたは行きな、やらなきゃいけないことがあるんだろう?
私はキチンとこの子達を外まで逃すから、あんたは気にする必要ないんだよ。」
そこには意を決したフランシスがいた。
「わかった、せめて俺はこの正面から出て囮になる。
あんたらはあれば裏口、なければ俺が叫んでから少し経ってから逃げてくれ。」
「…感謝するよ、生きて帰れたら修道院に来な、秘蔵の葡萄酒をご馳走してやるからね。」
歯を見せてフランシスが笑う。
アリエラとマリエルも先ほどまでの絶望した顔からいくらかマシな顔になっている。
「…あんたいい女だな。」
「なんだ、今頃気がついたのかい?
…アリエラ、マリエル、裏口を探して来な。あたしはここに居るからね。」
家が潰れる音が再度響き始める。
先程壊れた家の一つ隣、この家から三つ隣の家が恐らく今潰れているのだろう。
運がいい。
どうやら俺たちが潰れるか出てくるまで家を順に潰していくつもりなのだろう。
逆側に潰して行ってくれるなら時間は少しはできると言うことだ。
「シスターフランシス、裏口ありました!」
囁く様な小さな声でそれでもなお力強く、マリエラがやってきてそう言った。
「よくやったね、マリエラ、アリエラを呼んでくるから一緒に来な。」
「じゃぁ次の家が崩れ始めたら俺が飛び出す、あんたらは裏口から逃げ出す。それでいいな?」
フランシスが頷く。
「気張りなよロス。」
「そっちこそな。」
この事件が解決したら、恐らくこのシスターとは友人になれるだろう。
どこかそんな確信を持って俺は更に深くなった霧の中フランシスと別れた。
ーーー彼らはここでも、確認を誤った。
唐突に崩れ始めた家を前に、冷静さを欠いていた。
それがこの後の悲劇につながるとも知らずに。





