足跡追跡編1
「はぁ!?なんで俺が!」
取調室から出てタバコを吸っていた俺の耳に聞きたくない言葉が聞こえてつい怒鳴る。
危うく咥えていたタバコを地面に落としそうになる。
あの魔女と一緒に行動しろとか正気の沙汰じゃない。
「シス君、シガレットさんからの要請なんだよ。
シガレットさんが君の理解力をえらく気に入ってくださってね、分かってくれるよね?」
ただでさえ、あの魔女のせいでロクな目にあってないというのに、そもそも適任ならもっとコミュ力の高いヴィズも、俺より頭のいいマルシェロも居るだろ。
署長もその辺りのことは分かっているはずなんだから他の適任を推せば良いものを
「シス君?」
まだ不幸をおっかぶれというのか?
クソ、神とやらがいるならなんで俺にこんな不幸をねじ込んで来るんだ。
「シス君...?」
ふざけんなよ、ただでさえ嫌いな魔女の付き人やれとかなんの拷問だ?
「シス警部、それ以上無視したら良い話も無くなるけどいいかな?」
「...良い話?」
署長の顔を見る。
「うん、今回の件で色々滅茶苦茶な事をしてくれたからその件の事だね。」
署長は笑顔のように見えるが目は笑っていない。
相変わらず、そのせいで恐ろしいほどの眼力を誇っている様に見える。
有り体に言うなら、逆らったら殺される、だ。
目尻が下がっているのにどういう事なんだマジで。
「幸い、シガレットさんに迷惑はかけたけれど揉み消せないほどの犯罪を犯したわけじゃないからね、シガレットさんについて行って、納得してもらえたら君への処分を全部なしにするって話なんだけど。」
「因みに断ったら...」
ダメ元で聴くしかない、出来れば断りたい話だ。
「クビ、だけじゃ済まされないね。
少なくとも数年の禁固刑当たりが妥当かな?」
断ったら豚箱行きで、誰が断れる。
つまり絶対にやれって事だろ。
「...分かりました、ただ条件をつけさせて下さい。」
薄っすらと所長が目を開く。
先程より尚、圧迫される。
俺が恐れてるんだろう、そりゃそうだ、署長の武勇伝は嫌と言うほど知っている。
「条件なんか付けられる状況にいると思っているのかい?」
おいおい、殺気出しすぎだろ。
ただの部下の一職員に発して良い殺気じゃねぇ。
だが、これだけは飲んでもらわないと無理だ。
「普通の条件です、署長。
仮に奴が犯人だった場合に逮捕権を有させていただきたいと言う話ですよ。」
署長の顔がスッと戻る。
「...つまり、君はまだシガレットさんを疑っているって事だね?」
しかし今度は笑顔ではなく真顔ーー額に汗が伝う。
「署長は信じていらっしゃるんでしょうが、私は」
そこまで言ったところでようやく署長の瞳から圧が消えた。
「ああ、そうか、君はそうだったね。
悪かったのは僕の方だ、すっかり忘れていたよ。」
息を吐き出す、緊張した空気が一気に弛緩する。
「...うん、今の謝罪も込めて君がそれで行ってくれるのであれば逮捕権を有する位は構わないよ。
そもそも君は警部なんだ、逮捕権はそもそも有しているだろう?」
署長の言葉の一言一言が徐々に優しくなっていくのを感じる、飴と鞭、これがこの人のズルいところだ。
「うん、君の考えはシガレットさんには黙っておこう。
それぐらいは許されるはずだ。」
「お心遣い感謝致します署長。」
なんとか吸い込んだ息で辛うじて言葉を紡ぐ。
「ただし!」
びくりと自分の体が跳ねる。
「今後、例えなにがあっても勝手に証拠品を持ち歩いたり、許可もなく嘘をつかないようにね」
一瞬だけその目が光ったかのように感じるほどの鋭い眼光が俺を貫いていた。
「肝に命じておきます...」
そこまで聞いたところでようやく署長は去っていった。
完全に去ったところで手元でジリジリと灰を量産するだけの存在になっていた煙草を大きく吸い、煙を吐き出す。
ああ、如何して俺はこんな面倒に足を突っ込んだのだろうか。
そもそも、1番最初にスードラ警視から俺に連絡が来た時点でこの形が決まっていたのではないか。
だからこそ、あの魔女は俺の存在を知っていたのではないか。
…...考えれば考えるほど怪しくなってきたな。
否ーーー結局の所俺が証拠品を勝手に持ち出したのが悪かったのだ。
確かに魔女に恨み自体はある。
恨みなどという言葉では生易しすぎる程の悍しい感情が。
ふつふつと、溢れ、かえる。
司法の手になんて任せてたまるものか、あの化物どもを殺すのはーーー。
毛が逆立つ感覚、一瞬目の前が白くなった。
落ちつけ、落ち着け、落ち着け。
目的を履き違えるな、目標を履き違えるな。
ここであの魔女を何かしらの方法で殺害出来たところで意味はない。
覚えている限り、あの夜見た魔女の顔にあの女は当てはまらない。
それにあの魔女は出会った事のある全ての魔女の情報、名前を恐らく知っている。
ならば、あの魔女を籠絡とまではいかなくても信頼を勝ち得れば情報は得られるのではないか。
何をするにしても、絞りつくしてからで良いのではないだろうか。
これは所謂蜘蛛の糸に近いものなのだろう、奴らにたどり着くことができるであろうか細い一本の糸。
周囲の人間に聞いても全く要領を得なくなったあの地獄の夜。
この数年警察の資料を調べてもろくに解らなかった奴らへの唯一の手掛かりなのだろう。
あの魔女ならば、きっと何かを知っているはずだ。
...ああ、これで協力する理由ができた。
動悸も憤りも治まりつつある。
煙をもう一度肺にため、目を閉じゆっくりと吐き出す。
ポケットから灰皿を取り出し吸殻を捨て、一つ、二つ、深呼吸をする。
そして、今一度、俺は取調室のドアの取手に手をかける。
深くもう一度息を大きく吸い、忘れていたノックを三度し、扉を開けた。
とたん、目に入ってきたのは白煙。
むしろ溢れ出てきたと言ったほうがいいだろうか。
火事でも起きているのかと錯覚するほどのそれは間違い無く煙草の煙だった。
「おお、シス警部来たか。
受けてくれると言うことで構わんようじゃな。」
そう言いながら魔女は濃霧よりもなお濃い液体の様な煙の中から現れる。
なんだこれはーーー
「すまんな、少し準備をしておったんじゃよ、この吸殻を持っていったやつを探すためのな。」
魔女を問い詰めようかと一瞬思考したがやめた、どうせのらりくらりとかわされるのが落ちだ。
「さて、それでは現場に繰り出すとするかのう。」
いや、待てと魔女を制止する。
ボロ切れにとんがり帽子、挙げ句の果てに裸足のこの女がそのまま外に出るのはどう考えても都合が悪い。
俺にまずい噂が立たないとも限らない。
「お前その格好で、外を出歩くつもりか?
今日はハロウィンじゃ無いんだぞ。」
すると魔女はキョトンとした目でこちらをみた。
そして、口元を拳で隠して笑う。
「良いのう、良い子じゃのうシス君は、気にしてくれておるのなら着替えよう、少し待っておれ。」
そういうと魔女は未だ蔓延している白煙の中にするりと消えていく。
取り敢えず、魔女が閉じなかった扉を閉める。
そのまま数秒経った、と思いきや唐突に扉が開く。
相変わらずの煙の海の中、ソレは出てきた。
先程までのみすぼらしい姿とは全く違う、言ってしまえば別人にすら見えてしまう様な。
服装は先ほどのボロ切れから一変、フロックコートを着こなしており帽子もとんがり帽子からシルクハットに変わりステッキを持っている。
魔女というよりは一応ある胸さえなければ上品な物腰をした上流貴族の男性にしか見えない。
髪と肌まで艶を取り戻し、後ろで結え、目の下のクマも綺麗さっぱりなくなっている。
「こんなところでいいかのう、シス君?」
笑うとチラリと見える肉食獣と同じような歯以外は、僅か数分で出来上がったかと思えないようなその見た目。これも魔女の異能故に為せる技だというのだろうか。
「シス君、気に入らんようなら別の服装に変えてくるが?」
唖然としていたのだろう、俺は。声をかけられるまで。
「あ、ああそれで構わない。」
何とかその言葉を喉奥から絞り出す。
クソッ、仇では無いとはいえ魔女の前で呆けていたなんぞ…。
「さて」
とだけ言うと魔女はステッキの底を二度地面に打ち付ける。
するとそれまで取調室に蔓延していた白煙が全てどう言う訳かコートの隙間から入り、収まっていく。
後には煙の匂いすら残っていない。
恐る恐る中を覗くが元のままの綺麗な取調室の状態だった。
「準備はできたのでな、シス君に先導を頼むとしようかのう」
「はいはい、わかりましたよ魔女様。」
そう言い、取調室の扉を閉め、パトカーが停めてある駐車場に向かう。
途中同僚の視線が刺さった。
後ろをチラリと確認すると魔女が笑顔でコチラを見る同僚に会釈をしている。
その度に男女問わず同僚の視線がチクリと刺さる。
あいつら、何と勘違いしているんだ。
帰ってきて弁明を…したらしたで怪しまれるか。
取調室のあった二階から階下におり署内きっての軟派男のフレッチャーに振られた手を振り返しているのを見て俺は今日何度目かのため息を吐く。
フレッチャーの方を見るとニヤニヤと笑いかけ手を卑猥な形に変形させている。
あとであいつは一度ぶん殴らないといけないらしい。
急にポケットの中が震える。
携帯にメールか、なんだ?
to.フレッチャー
先輩の彼女美人ですね!一回今度ヤらせてください!どこでしりあったんすか?
…軽薄なツラが変形するまでぶん殴ったあとに署のゴミ集積所に蹴りこむに変更だ。
まずそもそも、俺の彼女かどうかよりもさっき連れ込んだボロ切れまとった女がどうなったのかが気にならないのかコイツらは。
さっき同じ道を通った時はこちらを見ようとすらしなかったというのに。
玄関から外に出て大きくため息を吐く。
「いやぁ、たまには他所行きの格好で歩くのも楽しいもんじゃな、シス君。」
先程までとはうって変わって、魔女はニヤニヤとこちらを見て笑う。
「よそ行きのツラの間違いだろ。」
そう言いながらパトカーの後部座席の扉を開ける。
「ご苦労、シス君。」
座席に座ったのを確認してから思い切り扉を閉める。
魔女が少しビクッとなったのを見て、内心ほくそ笑む。
我ながら小さいことだが、腹いせだ。
そのまま運転席に乗り込み煙草を出そうとして気付く。
先程取調室の近くで吸った分で最後の一本だったと。
舌打ちしながらタバコの箱を握り潰す、と同時に後ろから手が伸びてくる。
「煙草が要り用かの?」
それは紙巻きタバコだった。
ただし、全く見知らぬ煙草、メーカーロゴも、色の着き方も、詰まっているタバコの葉の粉も。
そしてすぐに気づく、これはタバコの魔女の印だと。
「何安心して構わん、変なものは入っておらんよ。
身体に悪いニコチンもタールすらもな、完全お手製で品種改良を加えに加えたワシのタバコの葉から作ったものじゃ。
果たしてそれをタバコと言えるのかどうかは置いてもらっても我が店の1番人気じゃよ。」
確かに不思議と吸う前から味が想像できる。
話を聞いただけでは満足できなさそうなのに、今まで吸ってきたものとは比べ物にならない、そんな気がする。
「気に入らんのなら、お主がいつも吸ってる物と同じタバコも調合できるが…のう、どうする?」
どうなっているのかはわからないが、煙草をずらすともう一本何もなかったはずの場所に煙草が現れる。
何時も俺が吸っているメーカーの煙草だ。
永遠とも思える時間を悩んだ気がする、実質は10秒ほどだったのだろうが。
俺は、何時もの煙草を魔女の手から奪い去った。
バックミラー越しに魔女が見える。
その顔は愉快そうな笑みをたたえている。
ーーー臆病者と言われている気がした。
いや、朝いっぱい目に焼き付いた顔のままだ、おそらく俺の思い違いなのだろ
「臆病者め。」
確かにそう聞こえた、あの魔女の声で。
後ろを振り向くと、魔女は俺が取らなかった方のタバコを吸っていた。
「…? どうしたシス君、一服してからでも構わんが出発せんのか?」
タバコを咥えながらの言葉は少し籠もっている。
先ほどの声は鮮明に、かつ耳元で聴こえた気がした。
…気のせいだと思う事にする、否、事実気のせいだったのだろう。
俺はタバコに火を付け咥えるとパトカーのキーを回した。