警部内心編
女の着替えは長いらしい、という話は良く聞く。
確か俺の叔母も外出する際はたっぷり1時間は時間をかけてメイクや服を選んでいたをしていた覚えがある。
だが、魔女はどうなのだろうか。
あの魔女はどうやったのかは分からないが白煙の中で服をあっという間に変えていた。
アレを使っているのなら数分もかからず外に出て来るだろうーーと思ってすでに30分程経っていた。
昨日と同じく喋り方を変えていたところを見るに、正体を明かすつもりはないという事だろうか。
それ故に普通に着替えているのかもしれないし、ネルを待っている可能性もあるか?
「いかがなされましたか?」
「ああ、いやーーー暇だなと思っただけだ。」
「暇、でございますか…。」
声をかけてくれて、俺への返答を考えているのは、つきっきりで着替えを手伝ってくれたデニスだ。
適当にこれで良いんじゃないかと思ったスーツを止められ、探偵として行動をするという指標から、ビジネスシャツに茶色に白の線が入ったネクタイ、少し余裕のあるスラックスを用意され、外出する際にご利用くださいとトレンチコートを手渡された。
どれをとっても今まで来ていた一枚5000円程度のシャツと違い、腕に触れる生地一つとっても肌触りが良い。
こんな状況になったのが生まれてこの方初めてだから、何とも言い難いが。
恐らく執事としても彼は優秀なのだろう。
「それでは何かーー」
とデニスが言ったところで扉が音を立てて開いた。
ーーー一瞬で目を奪われた。
中から出てきたのは白色をメインに、ベージュで細かい装飾を施されたコートドレスを着て、白い長手袋をつけた魔女と、腰から下に薄いレースを何重にも重ねられたスカートがついた水色のドレスを着たネルだった。
二人共髪型が変わっている。
魔女の方は後ろで結えていた髪を解き、跳ねていた髪を梳いたのかストレートになっている。
ネルの方はカチューシャを外し、長かった髪をシニヨンで纏めている。
ーー魔女と知っていなかったら、王女と言われれば信じてしまいそうな気品がある。
メイドの腕が良いのか、コイツの元々の素質がいいのか。
もしかしたら、コイツの実年齢によっては本当にどこかの王族の落胤だったりするのかもしれない。
「お待たせしました、シスさん、デニスさん。」
外向きの顔で魔女が此方を見て笑みを浮かべる。
俺は小さく「おう」とだけ答える。
「イスおじさん!」
声の聞こえた方を向くと、くるりと回るネルが見える。
レースがふわりと舞う。
「どう?」
「おー、可愛い可愛い。」
そう言いながら、中腰になってネルの頭に手を伸ばすとーー悪寒。
突き刺さるような強烈な視線を感じ、つい目線を移すと例の赤髪のメイドが此方を見...凝視していた。
下唇を思い切り噛みしめ、悪鬼の様な眼で此方を睨んでいる。
まさか、とは思うが...撫でるのはやめておこう。
手を引っ込めるとメイドの顔が真顔に戻っていく。
完全に理解した。
このメイドはどうやら「そういう」趣味らしい。
だからタバコを吸おうとした時に、アレだけ露骨な反応をされたのか。
気付くとメイド長が赤髪のメイドのすぐ真後ろに立っていた。
そして、赤髪の肩をポンと叩くと何を言ってるかまでは分からないが耳打ちした。
さっと顔色が青くなり、またすぐ真顔に戻る。
ーーきっと昨日の俺もあんな感じだったのだろう。
俺は内心、赤髪のメイドに同情した。
「では皆様、昼食の会場にご案内します。」
そう言いながら、メイド長が左側に歩いて行き恭しく頭を下げる。
「此方へ。」
俺達が自分の方を見たのを確認してメイド長が歩き出し、それに追従する。
次は何処まで歩かされるのか、と考えているうちにメイド長が止まった。
ギィィィと音を立てて左手にあった両開きの扉がゆっくりと勝手に開く。
「ご足労ありがとうございます」
思わずため息を吐く。
以前来た時のパーティー会場並みのサイズの部屋の中にクソでかい白いテーブルクロスの乗った長机。
そしてその上に鳥やら、オマール海老やら、果物の盛り合わせやら、銀色のデカい盆やらが勢揃いしている。
俺が思い描いたことのある貴族の食事そのまんまな見た目だ。
「本日は、皆様の好物を聴く時間がなかったので様々な料理をご用意させていただきました。
取り分け自体は我々がさせていただきますので、お気軽にお申し付けくださいませ。
食べたい料理があればお伝え頂ければ少し時間はかかりますがお作りさせていただきます。」
成程、配慮が行き届いている。
言われてみれば署長と好物の話などした事はない。
当然魔女の好物も知る由は無いだろう。
「料理?ごはん?」
チラッと後ろを見るとネルがキョロキョロしている。
...ああ、ネルの身長だと机の上が上手く見えないのか。
机の高さがちょうど身長と同じくらいの様に思えるので、良いところ脚付きの銀盆が見えているかいないかだろう。
とは言え俺が抱えよう物ならあのメイドから怨讐の念が篭った眼で見られるのは間違いない。
すまんな、と思いながら前を見るとスラックスの裾を引っ張られる。
「イスおじさん!持って!」
此方に向かって両手を広げる姿を見て言葉を失う、何故魔女に頼まない。
刺さる刺さるメイドの視線がグサグサ刺さる。
本当に勘弁してくれ、若干イントネーションが違う気がするがそれが気にならないくらい視線が痛い。
魔女の方を見ると、目が笑っている。
表情は穏やかなままだが目だけが嘲るように笑っている。
どうやら助けるつもりはないらしい。
頬を膨らませ始めるネル、そして相変わらず刺さるメイドの視線。
四面楚歌とはまさにこの事なのだろう。
一度深呼吸をする、どうするかはもう決めてある。
例えどんな状況であっても、子供の頼みを無下にするほど俺の心は腐っちゃいない。
「分かった分かった、いくぞ。」
俺はネルを抱え上げた。メイドの目が刺さる。
一層刺さる目線に耐え、少女を自分の身長より高い所まで上げてやる。
ネルの顔と声が明るく弾ける。
「すごいすごい!すごいごちそう!どれ食べても良いの!?」
良い笑顔だ、心が洗われる。
この子には、俺と同じ様な状況になってもらいたくはないものだ、綺麗なものや良いものだけを見て大きくなっていってもらいたい。
ーーー例えーーだとーーてーもー?
何か、聞こえた、気がした。
パッと魔女の方を振り向くが、魔女は此方に顔を向けてすらいない。
昨日の修道院に向かう直前の車の中と同じ声が聞こえた気がする。
魔女の声が聞こえた気がする。
今度は不明瞭だったがそんな気がするのだ。
気にしてはいけない、気になってはいけない、キチンと聴いてはいけない。
表情にはおくびにも出してはならないと脳の何処かで警鐘を鳴らしているのが聞こえる。
「おじさん、おろしてー。」
その声が俺を現実に引き戻す。
「ああ」
ネルを下ろ…す。
一瞬頭をよぎった内容を否定する。
どうして、そんなことを考えたのかは分からない。
分かりたくない、吐き気を催す。
俺はなんだ、快楽殺人犯か、それとも猟奇殺人犯か?
なぜ一瞬でも、ネルの頸部を捻り潰そうなどと考えてしまったのだろうか。
「おじさん?大丈夫?」
「シス様?大丈夫ですか?」
ネルとメイド長のリコから同時に声がかかる。
おろしたあと数秒動かなかった俺を見て、心配したのだろう。
「大丈夫だ、気にしないでくれ。
腹の減りすぎで立ちくらみが起きただけだ。」
自身の嘘に若干嫌気が差しながらも、よくやったと思える。
上手く誤魔化せただろう、恐らく。
「承知いたしました、それでは早くお食事にしましょうか。」
リコがこちらを見て一瞬躊躇した後安心した様に頬を綻ばせた。
先程までの真剣そのものの顔以外にそういう顔もできるのか。
いや、そういえば屋敷に入る前にネルに見せていた顔もそんな顔だった様な気はする。
「行こ、シスおじさん!」
と言いながらネルが俺の腕を引っ張った。
釣れられるがままに席の前に立って、その威容に目が眩む。
先程の言葉は訂正しよう、俺が想像していたよりもなお、手の込んだ料理がそこに広がっていた。
遠目に見ては分からなかったが、全ての料理が細かく装飾されている。
一羽使った丸焼きの鶏肉も下に引いてあるのは焼き野菜だ、蓮根、ジャガイモ、玉ねぎ、人参が星や花の形にくり抜かれている。
また、バーニャカウダもディップする野菜自体が入った器がパプリカで作られており、ブロッコリーやカリフラワーと人参やセロリで花が作られている、正直何処をどうやって食べれば良いかわからない。
フリットもどうなっているのかは分からないが、塔のように堆く積み上げられている。
ウィンナー一つとってもうさぎとクローバーの形に切られている。
恐らくネルに対する配慮なのだろう。
俺と魔女だけならここまでする必要はなかっただろうに、と少し申し訳なさを感じながらも色とりどりの食事のどれから手をつけるか楽しみにしながら俺は席につく。
目の前にあるのはーー、ローストビーフか。
ソースはわざわざ細かな装飾がなされた小さな瓶に注がれている。
一品目はこれだな、もう決めた。
頭の中に痼が残っている感覚はある。
だが、今はこの素晴らしい料理に舌鼓を打つことだけを考えよう。
「では、皆様どうぞ、召し上がって下さい。」





