署長宅訪問編2
「ご足労おかけ致しましたが、此処まできていただいてありがとうございます、シス様にはご迷惑をおかけしました。
後でベリーにはキツく言っておきます。」
重そうな扉を片手で開けながら、リコは涼しい顔をしている、実際は軽いのだろうかと頭の隅をよぎるが、扉の開き方と音を聞くにそこまで軽いものではなさそうではある。
「ほぁ〜、大きいねぇ!」
先ほどまで目を見開いて言葉を失っていたネルが、そう言いながら手を広げて回るのを見て微笑ましい気持ちになる。
余程好奇心をくすぐられているのだろう、俺にもその気持ちは分かる。
扉の中には見覚えのある玄関と呼ぶのも痴がましい、ホテルのメインロビーめいた空間が広がっている。
俺の住んでいる1DKを4つ並べてもまだ足りなさそうな広さの玄関の奥には左右から二階に続く階段と左右の廊下と、奥の方に三段ほどの階段のついたこれまた大きな扉がある。
この時点ですら広いのに、まだ廊下の先まであるのを考えると空恐ろしくもある。
前は確か目の前の扉の中で披露宴もかくやという状態で立食パーティーをしていた覚えがある。
「では、ここから先はデニスとチェルシーがそれぞれ案内します。
私は準備がございますので、シス様、シガレット様、ネル様は彼らから逸れないようにお気をつけください。」
そう言いながら、リコがベリー、アンナとまだ名前を知らない二人の執事と共に前に歩いていくと階段の裏へと消えていく。
扉がガチャリと開く音がした、恐らく使用人専用の扉でもあるのだろう。
残ったのは二人、先程謝ってきたメイド、もう一人は赤髪の執事だった。
「チェルシーです、よろしく!」
「案内を仰せ付かりました、デニスです。
…それでは我々二人でご案内いたします。」
礼をするデニスに魔女が頷くとネルも目を輝かせながら首を縦に振る。
前を歩き出す、デニスとチェルシーの後ろに魔女とネル、殿に俺。
左に見えていた通路に曲がると、赤いカーペットが引いてあるこれまた長い廊下が目に写った。
左手には等間隔に並んだ窓と窓の間に燭台があり、天井には小さめのシャンデリアのようなランプがついている。
右手にはこれまた等間隔に扉がついており、木製の扉だが幾何学模様で彫り込みが入れてある、恐らく高いものなのだろう。
扉と扉の間には妙に高そうな絵画が飾ってある、小さかったり大きかったりするが、何となく収まりが良く感じるーー。
…値段でしか考えられない自分自身が少し嫌になるが、良い物なんてろくに見てこなかったのだから仕方ないのかもしれない。
今後、少しは勉強するか。
と言うか廊下自体が長い、40mほどあるんじゃないだろうか。
廊下の幅も広い、4mほどはあるだろう。
相変わらずネルはキョロキョロと忙しなく辺りを見渡している。
俺も恐らく小さい頃なら同じ様な反応をしていたのではないかと思う。
何だったら、今の年齢でもいろんな所を見に行きたいまである。
大人になっているから流石に自重するが。
手前から二つ目の扉を過ぎ去ったところで、三つ目の扉の先に扉のない入り口があるのが見えた。
何なのだろうと思っていると、デニスが止まり、此方に向き掌でその入口を指し示す。
「此方がお手洗いになっております、反対側にも同じ場所に御座いますので催した際はご利用下さい。」
なるほど、トイレか。
ーートイレの扉は…?
「では、次の場所に向かいます。」
通り過ぎる最中、チラリと空いた入口を覗くと手洗い場が2つ、奥に個室が4つ見える。
スケールが違うとはこのことだ、やはり俺の価値観では理解できないところにこの屋敷はあるらしい。
ビルや集合施設のトイレのようだ、個人の家でやっていい規模ではーーないわけでもないのかもしれないが。
執事とメイドの後ろに付いてまっすぐ歩いていくと、驚いたことに廊下の端には右に曲がれる通路があり、さらにその奥にまだ扉がずらっと並んでいる。
先程の廊下よりもなお、長い気がする廊下があった
距離感が狂う、よくこんなところに住んで居られるな。
そのまま20m程だろうか、まっすぐ歩くと右に曲がれる道があり、執事とメイドがそこを曲がった。
俺たちもそれを追い曲がる、と同時に
「続きましてここが、シガレット様、ネル様のお部屋と!」
「此方が、シス様のお部屋になります」
チェルシーとデニスがそれぞれ扉の前で止まり、手で扉を指し示しながら此方に頭を下げた。
俺も、魔女も、ネルも全員足を止める。
「荷物は執事長のロドリーゴが後でお持ちいたしますので、身につけているもので邪魔な物などあれば一旦置いていただければと思います。
この後、食事の前にもう一箇所だけご案内する予定がございますので、我々は此方でお待ちしております。」
そうデニスが言いチェルシーとデニスが扉を開けた。
ーーー。
言葉を失った、格差というのはこう言うところに現れるのだろう。
扉の開いた先に在った物に目線が飛び散った。
暖炉とその上に埋め込み式のテレビ、ベージュ黒革のソファー、テーブルクロスのかけられた1人用の机と赤色の背もたれの椅子、それ以外にも複数の椅子が置いてある。
複数あるチェストや本棚に化粧台は黒檀で作られており、さも当然のように上には花瓶が添えられている。
更には壁には大小様々な見覚えのある絵や人物画が額縁に入れて掛けてある。
床には赤色の絨毯が敷かれており、足を踏み込むのを躊躇させる。
そして極め付けは天蓋付きのベッドだ、ご丁寧にカーテンまでついている。
しかし、何より恐ろしいのは全て置いてあって尚手狭に感じないこの部屋の大きさだった。
60フィート(約38畳程)はあるだろうか。
ーー城か、ここは。
デニスが此方を見て、「どうぞ」と声をかけてくる。
あからさまに場違いに感じながらも、入らないわけにもいかず足を踏み入れた。
革靴でも分かる、足の沈み様。
ヤバい、俺の給料では一生かかっても買えないかもしれない物に足を踏み入れた感覚。
入り口から見た時はよくわからなかったが、艶やかで複雑な模様が織り込まれているように見える。
背筋に走った悪寒というか、背骨の中に電流が走ったというか、そんな感覚を抑え込みつつ、俺は上着と財布と携帯を机の上に置き、タバコとライターだけポケットに入れすぐさま外に出た。
今日からしばらくここで暮らすとして、俺の精神は耐えられるのだろうか。
外に出て、右側を見ると、デニスが笑顔で不動で立っていた。
チラリと目線を合わせ「いかがしましたか?」とデニスが問いかけてきたので「いや、何でもない。」とだけ返答した。
と同時に左側から扉が勢いよく開く音が聞こえてくる。
「い″っ″!?」
側面から突然衝撃を喰らった。
腰のあたりを見るとネルが俺の腰に抱きついている。
あの魔女は喜び勇んでも人に突撃するなとは教えなかったのだろうか。
「おじさんおじさん!見た!?すごい!お城みたい!!」
「ああ、見た見た。」
俺もろくに分かっていないが、価値というものを考えることのない子供ならではの無邪気さだ。
若干羨ましくもなる。
ついでに、子供と感想が同じだったことに少しショックを受けた。
「いやー、すごいのう、内装が城のそれじゃったな。」
更には魔女とも一緒か、思うことは皆一緒なのだろう。
「皆様準備はお済みになられましたでしょうか?」
準備と言っても物を置いただけだが、まぁ出来たは出来た。
デニスに向かって俺は頷いた。
「それでは、食事の前に此方へ。」
というと、デニスが今いた部屋の目の前にあった少し大きい両開きの扉を開いた。
内側に向かって開いた扉の中には見渡す限りの服、服、服。
ドレス、ワンピース、ジャケット、Tシャツ、コート、スラックス、パンツetc.etc...何の用途に使うかは分からないが、神父が来てそうな服や医者の服、ロークタウンの各学校の男女の指定制服、東洋の着物?だったかと異民族が来てそうなエキゾチックな服も...兎のでかい着ぐるみもある。
「ファルシオン様から許可はいただいておりますので、好きな物を御着衣下さい。
常識の範囲内であればお持ち帰りいただいて良いとの御達しです。」
淡々と説明を続けるデニスの言葉を聞き続けながら、周囲を見渡す。
見た感じ先ほどの部屋の2倍はある。
その中に人が通れるスペースと、奥に試着室らしきものがある以外は壁にすら大量の服が並んでいる。
上の方の服を取るための脚立やら何やらまで完備されているのを考えると、本当にただの服を着替えるための部屋に違いなさそうだ。
こんなに広いのだから他に使いようがーー、逆か、服を置く場所がここにしか無いのか?
「さて、それでは好きな服をーー」
デニスが話を続けようとして、俺から見て右側を見てため息をついた。
送れて右側からタッタッタッと何者かが走る音が聞こえてくるので横を見るとーー、赤髪を靡かせながらメイドが走ってくる。
そして俺の目の前を通り過ぎ、ネルと魔女の前で脚を止めるとデニスのほうに振り向いた。
「デニス?私に断りなく衣装部屋に案内するなんて許した覚えは無いわよ。」
静かに、淡々と、燃える瞳でベリーがデニスを見ている。
何だこれは、と思っているとデニスが眉根を押さえて一瞬上を向き、下に向き口を開いた。
「姉さん、姉さんの趣味は分かっているけどーー」
「口答えしない、あんたに女性の化粧の仕方が分かるの?」
この2人は姉弟だったのか。
そういえばどこと無く髪色だけでは無く風貌も似ているような気がする。
「ちゃんとメイド長の許可は取ってきたんですか?」
「当たり前でしょう?仕事もサッサと終わらせてきたもの。」
そこまで聞いたところで、デニスの方がため息をつくと俺に目線を合わせながら非常に申し訳なさそうに口を開いた。
「申し訳ございません、此処からはベリーも同伴となりますが宜しいでしょうか?」
...逡巡する、恐らく彼には先程の一件で俺が多少このメイドに苦手意識を持っていることを見破られているに違いない。
だが、流石に面と向かって嫌だと言うわけにもいかないーー。
「あら、それなら私とネルは貴女とチェルシーに似合う服を見繕ってもらっても宜しいかしら?」
助け舟を出してきたのは魔女だった。
よくもまぁ、他所行き用の声と素の声ともこうも簡単に使い分けられるものだ。
「はい、任せてください!私ベリーが必ずやお似合いのものをご用意させていただきます!」
先程俺の目の前で見せた顔とは真逆の笑顔で声のトーンも非常に高くネルの手を取る。
心なしか息が荒い気がする、いや、心なしかではない。
先程の疾走の後は特に息が乱れた様子もないのに、ネルを前にして急に荒げられる息。
ーーあえて、性的嗜好を口にするつもりはないが、彼女の方がイーストサイドの門前にいた衛兵よりも根が深そうではある。
ベリーがネルの手を引きながらあれよあれよという間に衣装部屋の中に入っていく。
「じゃぁ私たちも行きましょうか、チェルシーさん。」
「任せて!いい服見繕うからね。」
などと言いながら和気藹々と魔女とチェルシーの二人も衣装部屋の中に消えていった。
残されたのは男二人ーー、俺とデニスの二人だけだった。
一拍置いてデニスが大きく深呼吸をし、此方に向いた。
「大変お騒がせしました、シス様。
そして、もしお願いできるのであれば彼女たちのことを悪く思わないであげて下さい。」
表情を張りつかせて深々と頭を下げるデニスを見て、少々可哀想に思えてくる。
俺如きがそんな感情を抱いていい相手でない事は重々承知の上だが。
「あー、そのなんだ…あんたも大変だな。」
気付くと俺はポロッとそんな言葉を漏らしていた。
彼は恐らくチェルシーに関しては言葉遣いの事を言っているのだろうが、自由奔放に喋ってもらえる感覚は悪いといった感じはしない、かしこまられて話されるより俺はそっちの方が有難い。
ベリーにしても恐らく本来はもっとまともなメイドなのだろう、ネルが、少女や幼女と呼ばれる存在がいなければもっと大人しいのではないかと思う。
「まぁ、俺はその、そういうのには最近多少慣れたから気にしなくても構わない。」
自分で言っていて嫌気がさすが、事実だ。
「有難うございます、お心遣い感謝致します。それでは、我々も参りましょう。」
そう言いながら俺はデニスと一緒に衣装室の中に入っていった。





