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◇◇◇



リュカはサナの手を引き、ひたすらに走り続けた。途中からはその体を背負い、更に走り続けた。




悔しいくらいに、あのくだらなくて恐ろし夢と一緒だったから……。





ここは大きな渓谷をまるごと飲み込む広大な水の神殿の敷地内だ。

昼過ぎから続く土砂降りの雨で、晴れた夜には必ず丸い姿を見せる薄緑の青い月も、満ち欠けの虚ろいを見せる白い月も、乱れた水面に姿を見せていない。


激しく打ち付けてくる雨がリュカの視界を歪ませ、その後、じわりと目に染みてくる。

いつの間にか片方の靴を無くした足が疲れのせいか重みを増してきた。それを振り払うかのように頭を振れば思い浮かぶのは『無理はするなよ、坊主』と、わしわしと頭を撫でてきた武骨な大人の手だ。

大きな温もりを思いだし急かす気持ちにもつれる足を無理矢理前に動かせば、『サナの足を引っ張るなよ』と、いつもの憎まれ口が嘘みたいに珍しく気遣いを滲ませたクリスの言葉までが耳にこだまする。




他に手段がなかった。 


 巫女見習いの中で二の姫様の身代わりが出来るのは姫様ともっとも歳が近く、母の形見と話していた記憶玉メモリーボールをあやつれるサナだけで、そのサナを守る為、より確実に意志疎通できるのは幼馴染のリュカとトーマだけだった。

降り止まない雨も相まってトーマは数少ない神殿技師としてサナを援護するしかないという。

更に運良く本来なら味方の筈の機器を誤魔化し故意に誤作動させることができるのは瞳鍵を持たないリュカだけだった。




 任せられる大役に不安がないとは言えば嘘になるが、素人でもわかる迫り来る危機的状況に三人とも拒否できる立場でも状況でもなかった。

……とはいえそれぞれ大役を任せざる終えなかった非戦闘員であるサナとトーマとリュカに大人達は罪悪感のようなものでも感じたのだろう。

何度も励まし、全力で援護してくれた。

なのにトーマや彼らからサナからとリュカが望まぬまま引き離されたのは相手の方が上手だったからなのか、リュカが場馴れしていなかったせいなのか。悔しさはあるものの、せめて後者ならこの先の可能性はまだあるだろうとリュカは僅かでも希望は捨てていない。


(初めてサナに出会った時、そう約束したから)



 背負ったサナの浅く冷たくなりつつある呼吸を自分の首筋に感じつつ、前を見据えたリュカが追い詰められ、たどり着いてしまったのは黒く広がる水面の上の糸の様な赤い吊り橋のど真ん中だった。



何度も魘され叫び目覚めた吊り橋の上。


 そして、この悪夢の終焉は訪れる。

 この時期特有の土砂降りの中、何者かの襲撃を受け二の姫と入れ替わったサナは神殿の赤い橋の上、リュカに抱かれたまま隠し続けたその美しい黒髪を泥水に汚され、感情がくるくると瞬く黒い瞳から光を失う。





◇◇◇





 胸糞悪いそんな夢をここのところ何度も何度もリュカは見ている。

何度も魘され、何度も叫び目覚めた。


 現実ではない夢の体験を信じるなんて、トーマの前世話よりも突拍子も無い事だ。それでも悪夢から目覚めたリュカの両腕には冷たくなっていくサナの重みが確かにはっきり残っている。


 多分これは過去にも見たことのある、『アノ』特別な夢だ。その証拠に東の帝都の貴族の来訪は今日までリュカはもとより町長も知らなかった。

 



『アレ』はただの夢でも幻でもない。

 このままなら確実に起きる未来。

 瞳鍵を使えないリュカの瞳が押し付ける、抗えない運命と己に苦しみもがきたどり着く可能性が一番大きい未来。


 それでもサナとトーマは笑って言ってくれた。

『僅かでも可能性があるのなら、それは未来を変える為の力』だと。





◇◇◇





「お前がなんと言おうと六日後じゃ。貴族様のお泊まりは神殿の予定だからお役目はサイノール領との境界から神殿までの半日の道案内だけじゃ」



苦い顔をしたクリスの動きを視線だけで留め、床まで伸びる白い長い髪を結いもせず引き摺りながら町長はリュカに近づき立ち上がらせるため手を伸ばしてくるが、リュカはその手を跳ね除け、ふらつきながらも自力で立ち上がった。


(トーマならヘラヘラ笑いながら、きっと言うだろう。『道が定められたのなら、泣いてる間に最善を選ぶべきだ』と)



「ここまできたら隠すんじゃねぇ、ジジイ。そのあと俺はニの……いや、三の姫様御一行と一緒に神殿に三泊するんだろ。あと帰り道の案内はどーすんだよ」


立ち上がりながらのリュカの言葉にクリスが驚きに体を強張らせた。しかし町長は動じない。


「お前、まだワシしか知らん極秘の筈の姫のお名前と、この旅の行程をなんで知っとる?……うむ。……また、その瞳が見せたか……。まぁ、いい。神殿には結界もある。そこらの高級宿よりは安全じゃ。泊まりについては、三日くらい堅苦しくても我慢せい。せっかくじゃ、サナやトーマの仕事ぶりでも見てこい。帰りについてはワシも知らん。指示もされておらん。四日目の朝になったら勝手に帰ってこい。ただし、四日目の日の出までは必ず三の姫様に付き添えとの厳命じゃ。わかったな、リュカ?!」



「あ……」

「ん?」

「え……えぇ?」

「どうした?聞こえんかったか?」



「は?……え?……いいのか?……帰ってきて、……その……いいんだな?」


 思いもしていなかった戻りの許可にリュカは思わず躊躇った。もともと夢のせいで帰ってくる自分なんて想像もしていなかった。そもそも貴族相手だから、そのまま粗相の為、お付きの騎士に討たれて朽ち果てるか、町の外に追放しか思いつかないでいた。得られる利益なんて松林から竹の子を探すくらい無謀なチャレンジだと思っていた。



「お前を捨てるための命令ではないと何度も言っただろう。お前のその何も出来ない瞳の意外な貴重性はワシが一番知っとる。この密命をこなせば、皆も瞳鍵を持たなくてもお前を里の男と認めてやるといっておる。……そうすればサナを神殿から連れ戻し所帯を持つこともできるだろう」



 思いもしなかった町長の言葉にリュカだけでなくクリスもビクリと肩を震わせた。クリスから投げられる視線が痛い。

クリスは昔からサナに好意を向けている。しかし、サナは全く気が付いていない。そして、リュカはサナに恋はしていない。周りはそう思っていないようだが。



「生きて帰ってこれたらな……」

「何を見たのかは知らんが、たかが半日の道のりじゃ。帰ってこい。ワシはお前の帰りをまっとるぞ」

「俺じゃない……」


町長の心底心配してくれる言葉に、呟きにもならない一言が舌にのる。

生きて帰れるかどうか。それはリュカの話ではないと、リュカは本当は優しい町長に話すことが出来なかった。





◇◇◇





 雨上がりの朝日が眩しい。目に染みる。 

寝不足と昨夜クリスに吹っ飛ばされて左目の周りが腫れてるせいだ。



「おーい。おはよう、リュカ。またクリスに一発くらったってぇ?」

「一瞬過ぎて何されたのか把握してないけどな」

「ひぇ〜。お前、よく生きてたなぁ」



 ヘラヘラ笑いながら声をかけてきたアルと、今日手伝わせて貰える農作業を確認する。

 アルは自称クリスの学友で、ルマー公爵家から派遣された農業事業の指導者だ。今は町長の家に居候している。話の流出先は伺い知れる。覗き見だ。




 雨の月に入り、本格的に雨が降り出す前に収穫時期を迎えた野菜の収穫、種まきや草刈りはある程度終えておきたい。

瞳鍵が必要でない作業が多いからリュカも帽子を深く被り皆に混じって働ける。




 元々リュカは里の関係者ではない。


 リュカにはこの町に来る前の記憶が無い。自分に対する記憶もなければ言葉も生活する方法も何もかも忘れていた。いや、知らなかった。

十年前、突然現れたどこの誰とも知れない、何もできないリュカは町の者から大層気味悪がられたらしい。らしい、とはその後親しくなった飯屋のユーノ婆さんから聞いたから知った。

余りに不審な子供の出現を気味悪がった町人達が町長に頼み込み領主に文を飛ばしてみたものの、こんな田舎の些細な出来事は軽く受け流されたらしい。

腹が減ったら食物を口にする。疲れたら眠る。そんな簡単な事さえ知らなかった生まれたての赤子のようなリュカの生きる力をここまで伸ばしてくれたのはサナとリュカの少し前に拾われてきていたトーマ、そしてサナの父親だ。



 リュカは里の関係者ではないけれど、この里でサナとトーマとサナの父親の三人が暮らしていたから今のリュカがいる。つくられた。

今年は暑い夏になると言うから沢山作物が育ち、みんな飢える事なく冬を越せればいいと思う。

みんなと一緒に食べて美味しいと思う、お腹が膨れる。それはとても幸せな事なのだとリュカは教わった。




 恐ろしい雨の夜まであと五日。

それまでに、出来るなら町人達とトラブルにならずに彼らの為に少しでも力になりたいとリュカは種をまく前の畑を力一杯耕し始めた。




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