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まだロボットにたどり着いていませんが、STAY HOMEということで、しばらく毎日更新します。
暴力表現あり。
後から聞いた話だと、それはトーマがリュカの話を先輩から聞いた数日後の夜のことだった。
◇◇◇
「はぁ……?寝言は寝てる時に言え!それとも、もうボケたのか、ジジぃ……ぃぐっ?!」
「チッっ!!口が過ぎるぞ、クソガキがっ!」
思わずため息まじりになったキツイ言葉に他者には否応なしに反抗的にうつるであろう灰色の瞳。
リュカが沸き上がる感情をそのままに目の前の町の長と呼ばれる老人にぶつければ、押さえつけられていた体が汚い言葉と共に突如激しい衝撃と視界に濃い金を捕らえた。
とりあえずぐわんぐわんする頭を持ち上げリュカが見上げた先には濃い金髪を乱したクリスが青い瞳に侮蔑の色を隠さず見下ろしている。
リュカと三つしか違わない年の割に落ちつきを持ち、時折視察で里を訪れる貴族の騎士様かと思うほどの均整の取れた体格のクリスの青い瞳は普段は春の青空のように穏やかな光をたたえる。
いつもは約束事のように一つに結んでいる長い金髪がばさりと乱れているのは先程リュカを襲った衝撃のせいで組紐が切れたのだろう。
どうやらリュカは自分を押さえつけていたクリスに蹴るだか殴られるだかして狭い室内とはいえ壁まで吹き飛ばされたらしい、とは先程の体感と現状の擦り合わせから見いだした。
「うっ……いってぇーな……バカ力め……」
痛みを覚える腹と背中にじわじわと響き染みていき、しとしとと降り続ける雨はもう三日間止まない。昼は強い風に雷も空を渡る嵐だったが、今は静かな雨が屋根を伝う音だけが穏やかな灯りの灯る室内を通しリュカの体に響く。
人払いされた夜の町長の隠し部屋にリュカが呼び出されたのはこれで三度目だ。
毎回、町長の用心棒も兼ねる無口なクリスかグランおじさんによって既に眠っていた布団の中から叩き起こされ、目もちゃんと開かぬまま里の端の自宅から引き摺るように……いや、本当に雨の中、無理矢理引き摺られて農作業用の車に押し込まれ、ここに連れてこられ、聞かせられるのはこれまた毎回ろくでもない話ばかり。
世話になったサナとトーマの為、せめて町に馴染もうとか、嫌われ者の自分が更に嫌われないように……なんて選択肢は瞬殺だ。
「ワシに文句をいうな。雲の上からの……いや、それこそ天からの命じゃ。この機会、そなたとて大腕をふって久方ぶりにサナとトーマ会えるチャンスになろう。……なにより、目に留めていただければ、サナやトーマに迷惑しかかけておらんかったお前の念願だって叶うかもしれんチャンスじゃ。感謝こそされても文句を言われる筋合いはないはず。なのにお前、何が不満なのじゃ?」
「だから、さぁ……。その恩着せがましいのが嫌だっつってんだろう……。くそジジイがっ!!」
リュカのこの態度も、その裏側にある気持ちも散々わかった上での町長のこの行動であろうとリュカは知っていている。だからこそ知っていてもなおリュカはこの町で今現在、唯一自分をさらけ出せることができる町長を前に、その時、盛大なため息を隠す事をしなかった。
(完全な甘えだ)
物理的だけでなく、感情的にさえいつまでも大人になり切れない自分自身がリュカは歯痒かった。
◇◇◇
町長の話の舞台、リュカの住まう町に一番近い大きな水の神殿は町から半日ほど山道を上がった場所にある。
『カドの神殿』と呼ばれるそこは、リュカの町から神殿への道中、視野が開ける場所から突如悠々としたその白き姿を現す。
そしてそれを目にした者は、何度見てもその大きさと存在感に絶句させられる。
水の神殿はどうやって作られたかのかは今はわからないらしい。その知識は失われて久しいという。
大きな山と山の間を隙間なく繋ぎその内に大量の水をたたえる巨大な白灰色の壁は魔法で作られたものでなく、過去の遺物、遺宝だという。
光や地や火などこの世界に息づく他の神々の神殿と同じく人々に水の恵みを与え、人知を越えた水の脅威から人々を守る水の神殿は、強い副魔力を生み出すことの出来る場所でもある。更にもともと水の神殿は神殿のつくり自体も巨大なこともあり皇帝の関与も強いらしい。
……人が潜ることができる深さを越えた水が貯められた、その奥底に皇帝の秘宝が隠されているからとも噂されるが……。
そこに今日から七日後……いや、もう日は越えただろうから六日後、話でしか聞いたことのない遠く離れた東の帝都の二の姫……皇帝の娘がのこのことお忍びでやってくるらしい。
しかも長距離移動用の車や馬ではなく、原初的とも言える歩き、らしい。馬鹿馬鹿しい。
この辺りはルマー公領とサイノール伯領の境目の地域で、リュカは行ったことはないものの、共に領地に沢山の神殿がある地域と聞き及ぶ。ならば あえて無謀な歩きの旅を選ぶ放蕩姫のお忍びなんて他の神殿でも良かったのではないかと思わずにはいられない。
リュカは今もって町の関係者ではないから詳しくは知らない。だが多分……短いながらも今までの様子をみるに雨の月は神殿や町が忙しい時期。戯れに帝都の二の姫様がお忍びでこのような田舎の神殿に訪れても町や神殿の人間の負担にしかならないだろう。
たがらこそ、関係者ではないリュカの出番だと町長は話を振ってきた訳なのだろうが、リュカのような不届き者の不審者を混ぜて警護とは帝都の騎士様の目はザル穴としか思えない。……となれば、これは高貴な方への粗相を狙った体の良い厄介払いだろうか?
リュカは元々この町の人間ではないし、鍵瞳を持たない為に子ども以下の存在だ。騎士様の逆鱗に触れて町人が首を切られるより、余程町への被害は少ない。いや、首を切られ居なくなった方が町としては喜ばしいことだろう。
仮に町から厄介払いでない場合でも、町長の言うとおり、確かに本来、リュカとしては旨味の多い話である。
年の始めに神殿に召し上げられ別れたサナとは、色々と用を見つけては足蹴く神殿に通ったものの一度も会う機会に恵まれなかった。四年前から家を出たトーマがサナが召し上げられた後、二度里帰りしてきて様子を話て聞かせてくれるがトーマも滅多に会えないというから殆んど噂話レベルだ。だから確実に会える機会を与えられる事は本来、非常にリュカも嬉しいのだ。
しかも、貴族に気に入られれば神殿に出入りを許される仕事につくことも出来るらしい。
更に町長はクリスが居たため口にはしなかったものの、今回の貴族や騎士の中に魔法使いが居れば、リュカの瞳鍵を治す方法を探ることも出来るかもしれないと暗にほのめかした。
子どもの頃、一度全てを失っているリュカにとっては粗相で首を切られる恐怖なんて大したこともないから、利点ばかりの話だったし、きっと町長も心の底から思ってくれているとわかっている。
……だが、時期が悪い。悪すぎる。
どんなに注意していても、どんなに帝都の手練れである騎士様が同行しても、この時期だからこそ、きっと警備が手薄になるタイミングがある筈だ……いや、確実にある。
この雨の月の時期。
断言できる。
だってリュカはこの貴族の来訪の先の出来事を知っているから。……いや、数回、現実ではないが体験している。
この時期特有の土砂降りの中、何者かの襲撃を受け二の姫と入れ替わったサナは神殿の赤い橋の上、リュカに抱かれたまま隠し続けたその美しい黒髪を泥水に汚され、感情がくるくると瞬く黒い瞳から光を失う。