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初めての投稿になります。よろしくお願いいたします。
生きたいと思わず月に伸ばした手は思っていた以上に持ち上がらない。
「ぅ……うぅぅ……」
急な動きが身体中に響く。
漏らしてしまったうめき声でさえ、背中と頭をズキズキと激しく痛めるし、足はなんとなくついている感覚はあるが動かせる気がしない。
多分……だけど、半分に割られた空の片方を覆う崖らしきものから落ちて意識を失って居たんだろうけれど、その間に降っていたっぽい雨で顔も服もぐっしょり濡れている。更にはその雨もとっくに上がっている様子で、空気はどこまでも澄んでいて、見事なまでに濡れている衣服を通して体温を奪っていく。
岩か木に挟まっているであろう頭は仰向けのまま。固定された視界には半分の空。その狭い空の中、更に半分を覆う灰色の雲の間から顔をだした、見慣れているはずの曖昧な白い月に明瞭な緑の月がくっきり、ハッキリ、スッキリ見えていた。
(あちゃぁ……。月が2つって、まさにアニメやゲームの『異世界転生!』のテンプレなやつだなぁ……。でも俺ってヒーローってキャラじゃないんだけど、世界なんか救えるなぁ……)
今でこそ内輪に話せば爆笑されてしまうが、以上が今の人生最大の命の危機に瀕していたのにも関わらず、新たな古い記憶を思い出した紛れもないモブであるトーマの紛れもなく一番最初の感想だった。
◇◇◇
「どう考えてもお前、モブだろ?バッカだなぁ……ひゃっはっはっ!」
「うけるー!!」
「だってぇ、普通自分だけとかって思うでしょ?」
15時のお茶タイム。
今日の雑談は記憶を取り戻したキッカケ。勿論、毎回のことながら爆笑された。ブレない俺。がんばれ!
お茶菓子は所長が差し入れして下さった近所の菓子屋のおっちゃんの自慢の饅頭です。ちなみに所長は領主様の呼び出しでお出かけ中。領主さまへの手土産ついでの差し入れですね、はい。嬉しいです!
おっちゃんの饅頭は薄皮が滑らかな優しい甘さのこしあんをつつんでいて俺も帰省の手土産No.1ですよ。
うん。旨い。
ちなみにお茶は残念ながら緑茶じゃありません。麦茶でもない。お洒落なティーカップに入った紅茶的なものです。悔しい。入れたの一番下っ端の俺だけど。
「あーーっ!!こういう時、緑茶が飲みたくなる。すんげぇ濃いやつ」
「わかる。わかる」
「だれか饅頭のおっちゃんみたいに引退したら緑茶開発して〜」
みんな、悔しそうに悶えるものの、顔つきは日本人離れした目鼻立ちハッキリ系。目か髪のどちらかは黒いけど、もう片方は赤とか緑とか前世にはあり得ないカラーリングです。さらに服装は濃緑を基調としたファンタジーゲームの騎士団風。いや東の帝都の騎士団の制服の色違いらしいから本当に騎士団の制服か。腰に練習以外使った事もない剣もついてるし。
次々と胃袋にしまわれていく饅頭とお洒落紅茶モドキが乗るのはこれまたお洒落な猫脚のテーブルにふわふわなソファー。
モニターにデジタル機器が立ち並ぶこのスペースに似合わないことこの上ない。
(…いや、正確には神殿内のこのスペースと俺達の頭の中と饅頭の中のあんこがこの世界に不釣り合いなだけなんだけど)
あの月を見上げた日から10年。
休憩が終わり茶器を片付けながら窓越しに見つめた先には風になびく水面を光が走る。
ここは前世と違って王様とか貴族とか魔法使いとかが存在する異世界だ。
家も服も食事も文化もファンタジーゲームの中そのままで、魔法使いだけが使える純魔法と、誰でも使える電気みたいな副魔法を上手く使って使って暮らしてる。
だけど、特異点的なものも点在する。
たとえば、主要道は高品質なアスファルトに似た土色の何かで舗装整備されているし、乗り物は馬や牛だけじゃなく魔法を使った車やバス、電車の進化系みたいなのがある。さすがに長距離移動は高額になるから専ら庶民は周辺の移動や仕事で使うだけだけど……。王都や領地の中央には賢者の塔と呼ばれるような高層建築も存在する。このカドの神殿も特異点的なものの一つ、巨大建設物だ。
で、こんな世界で前世の記憶を取り戻し大人になった俺の職場、カドの神殿は異世界転生者が大半……というか異世界転生者ばっかり働く職場でした!
だから休憩時間の雑談で前世の記憶とか言っても白い目で見られない訳だね。わー素敵!!パチパチパチパチ〜♪
巨大建設物が多い神殿はどこの神殿も異世界転生者が働いているらしいんだけど、そんなに異世界転生者が沢山居れば、そりゃ、魔法使いにもなれない神殿技師の一番下っ端の俺ならモブだよね〜。モブ以外、確かにないよね〜。テヘっ!!
あの時々は世界を救うとか分不相応な事を考えちゃってごめんなさい!
俺は今、自分と家族の生活を守るだけで精一杯です!!
「……おぉ?……ん?……なぁ、トーマ」
ふにふにとテーブルを拭いているとモニターを見ていた先輩がトーマに手招きをしてきた。
「なんですか?」
(なんか面白いモノでも写ったのか?)
とりあえずテーブルの上のトレーに茶器と布巾を置いて手招きした先輩の元に駆け寄る。
「今、所長から魔法便がきたんだけど、来週、お前の家族……えーと、リュカだっけ?が、こっちにくるってよ。サナちゃんに教えてやりなよ」
は?!
モニターを指差しながら小声で先輩が信じられないことを言った。
「え?!えぇぇぇぇ?!!リュカが?!あのリュカが?!!!ついに町の人とトラブルを起こして追放とかですか?!」
躊躇いまくるトーマに先輩は苦い顔をみせる。
「おいおい。酷い言われようだな……。町長推薦の道案内人だってよ。隣の神殿経由で帝都の貴族が来るらしい」
なるほど。納得。
「はぁ〜良かった。確かに帝都の貴族相手の道案内なら町の人も粗相が怖くて嫌がるでしょうからね。体よくリュカに押し付けたんですね。一安心です」
心底ホッとしたトーマに先輩は少しだけ心配そうな顔をしながらまた声を抑えた。
「えーと、一応、心配してるんでいいんだよな?トーマにとっては身内だろ?」
「身内だけど血は繋がってませんからね〜。その分、客観的には見れてると思いますよ?」
サナとリュカはトーマの幼馴染兼数少ない家族だ。サナは紅茶色の髪に黒い瞳という転生者の黒い色彩の特徴は持っていたが記憶持ちではないため、父親が昔、神殿技師長だった縁で半年前から神殿の巫女見習いをしている。
トーマと同じこのカドの神殿で暮らしているらしいが、敷地が広いのと、それぞれがそれぞれの機関の下っ端ということで月に一回会えるかどうかと言うところだ。
ちなみにトーマは、記憶持ちであることが町長にバレてしまった四年前に東の帝都に強制的に連れ出され、基礎学問を受けさせられた後、三年前からここで住み込みで働いている。
そして、リュカ。
彼は神殿の下にある村のはずれ、昔四人でくらしていた家に今も一人で暮らしている。
色素の薄い銀色の髪に灰色の瞳のその姿はいつ消えてもおかしくない儚さがあるのに、瞳鍵を持たないために偏見に苦しめられたせいか神経は図太い。瞳鍵を持たないリュカは一人では仕事が出来ない。魔法機械の起動も操作も出来ないから図太く生きていくしかなかったのだろう。
リュカはその薄い色彩と、12年前、森の中で酷い記憶喪失状態で見つかったところを保護されてきた事もあり、村ではかなり浮いている存在だ。村人との間に入れるサナやトーマがいるうちはよかったが、二人とも神殿に召し上げられてしまったので村の家に一人残して来てしまった。ただの神殿技師の立場では連れてくる術もなかった。
せめてもと心配したトーマは仕送りをしているが手を付けている様子は見受けられない。でも町での悪評は時折ここまで聞こえてくるから、多分町長とグランおじさん、あとはクリスあたりが死なない程度に仕事を分け与えてくれているんだろうと察している。そして、その仕事の一つとして今回の道案内も割り振られたのだろう。
(どうせ貴族向けの所作は養父様の指導で身についているから大丈夫だろうという町長かグランおじさんの判断……いや、そもそも貴族に対し謙虚に出来るかという大問題は残ったままなのだからやっぱり体よく押し付けただけか)
「しかし、町の案内人ってことは、その貴族、隣の領地の神殿から直接領地越えして来るってことですか?」
おそらくリュカが案内する道程を考えてトーマは首を傾げた。普通、神殿を訪れる貴族は帝都から新幹線か車の進化系の乗り物でこの領地の中央都市シャミビアに訪れ、領主様の屋敷で宿泊した後、神殿にやってくるから案内人はそれなり熟れたシャミビアの人間が選ばれる。
「らしいな。しかも道楽なんだか歩きなんだと。また雅なことで」
「あの峠道をですか……。歩きなら確かにリュカが一番詳しいですね」
リュカは一人では農耕機も動かせないから、基本歩き生活だ。しかもあの峠道は子どもの頃よく四人で一緒に歩いたからお手の物だろう。良い意味でも悪い意味でも。
「前々から思ってたんだけどさ……」
モニターを見つめたままの先輩が静かに口を開いた。隠れて表情は見えないが多分この口調は笑っていない気がした。
「はい?」
「あいつ、本当はこっち側の人間なんじゃねぇーの?」
何事かと構えたトーマはいつもの、もう何度もこの先輩から振られた話に苦笑し肩の力をぬいた。先輩……この会話で、あえて注目点はそこですか?
「何度も言ってますが、リュカは銀髪に灰色の瞳だから違いますよ。第一、あいつは瞳鍵が使えません。日常生活さえ危ういレベルです。子どもの頃から一緒に過ごした幼馴染兼家族の俺が言うんですから確かです」
「ふぅ〜ん。瞳鍵が使えない奴って本当に居るんだな」
毎回変わらないトーマの返事といつも通りの先輩の感想だ。もう何回も繰り返しているからそろそろ諦めて欲しい。
神殿技師になれるのは黒い色彩を持つ前世持ちだけだ。……いや、正確には前世持ちは黒い色彩を持つ者にしか現れない、らしい。
で、だ。前世持ちは神殿で働くことを求められるが、そもそもこの世界に黒い色彩を持つ者は多くはない。前世持ち、しいては神殿技師はいつも人手不足感が否めない。
「居るからリュカは苦労してるんですよ。まぁ、性格が少々問題有りっていうのもあるのですが……」
トーマはいつものリュカを思い出しつつ苦笑し、話は終わったとテーブルの上のトレーに手をかけた。『歩きで来る貴族』となれば多分、来週の仕事は忙しくなるだろう。
「……ニ度目の……だったりして、な……」
「はい?」
だから、いつもは無い先輩の呟きは、いつもと違っていたから聞きそびれてしまった。
「……なんでもない。お前、明日夜勤だろ?サナちゃんにも家族がくる事を伝えたいだろうし、早目に上がっていいぞ。だだし『優しい先輩が声をかけてくれた』ってサナちゃんに伝えるのを忘れずに!」
さっきは手招きした手で追い払われる。
こう見えてこの先輩は見えないところで後輩であるトーマを気遣いしてくれる。ズレてなければとってもいい人だと思う。
「おお、先輩、サナには優しい!!下心バリバリですか?ありがとうございます〜」
「当たり前だ。サナちゃんはカドの神殿のアイドルだからな!」
どうせ先輩は照れるだろうから話に乗ってトーマが感謝を伝えると、先輩はモニターから顔を上げ営業用の人の良い笑顔で笑った。
「先輩にはあげませんよ?」
「小舅には負けないよ?」
サナは美しい容姿と飾らない素直さで見習いの身分でありながら、神殿の中の神官達や技師達に人気だ。
いくら大切で愛おしくても自分が娶ることが出来ないのであれば、幼馴染兼家族としては結婚相手選びくらい口を挟みたい。
(というか、絶対に幸せになれる相手でないとゆるせん!)
先輩から聞いたリュカの話を聞いて満面の笑顔を見せるであろうサナを思い浮かべながらトーマは手早く茶器を片付けると管理棟を後にした。