第五話 風扇ヴァンドール
城塞都市バリアスは四方が高い城壁によって囲まれており、建国以来一度たりとも外敵の侵入を許したことがない。それは千年前の人魔戦役時も同じで、魔の侵攻をよく防ぎ、人が反撃するきっかけを作った立役者とも言えた。
しか千年経った今となっては、その立役者も流石に古めかしさを隠しきれない。あちこち欠けた所があり、きちんと改修しなければ城壁として役立てるか分からない。だが泰然として聳え立つ城壁は、この国の象徴として人々の心の拠り所になっているに違いなかった。もっとも、今は城壁の中の方が騒がしいのは皮肉と言えたが。
翌日、朝食を済ませたレーヴェは昨日気付いたことをミスティアに伝えた。感じた魔力がヴァンドールかもしれないという予想も添えて、だ。
「もう! 早く言えば、よかったのに」
「いや。どのみち昨日の体調じゃ、追いかけられないから」
レーヴェは申し訳なさそうに答えた。今朝の顔色はだいぶ良い。車酔いは、すっかり良くなったようだ。
「でも、広い都の中をどうやって探すのよ?」
「『魔力探査』を使う」
魔力探査とは、レーヴェを中心に不可視の探査フィールドを張り、その中で反応する魔力を探すという魔力操作の力の一つである。
レーヴェは素早くフィールドを展開すると、昨日感じた魔力を見つけ出した。
「よし、分かった。行こう!」
「相変わらず便利な能力ねえ」
ミスティアはそう感想を述べながら、レーヴェの後をついて行った。
メインストリートを曲がって脇道に入り、しばらく歩き続けると景色が変わってきた。綺麗に整ったレンガ調の建物は姿を消し、木造の建物や建物と呼ぶのも難しい粗末なボロ屋が目立つようになった。道もきちんと舗装されたものから、土が剥き出しになりデコボコしたものへと変わっていく。どこからともなく悪臭もしてくる。
「本当にこんな所にいるの?」
ミスティアは鼻に手を当てながら尋ねる。
「ああ、あそこだ」
レーヴェが指差す先には、古びた孤児院があった。建物の壁は剥げ、入口にある門は錆びている。随分長いこと風雨に晒されたのだろう。それでも正面にある両開きの扉は立派なもので、扉の左右には女性を象ったレリーフが埋まっている。
「聖女教の孤児院ね」
レリーフを遠目に見たミスティアが言った。世界を救った聖女を神として崇める宗教で、全国に信者がいる。教団の活動の一環で各所に孤児院や教会を建て、恵まれない子供や人を助けたりもしている。
「人間が神ねえ」
世界を救った人間がその死後、神として崇め奉られる。人間とは不思議な事をする、とレーヴェは思った。それだったらドゥエインが神になっていた可能性もある、ということだ。もしドゥエインが自分の死後、神として崇められることを知ったらどう思うだろうか? きっと「冗談じゃねえ!」と言うに違いない。そう思うとレーヴェは可笑しくて仕方がなかった。
二人が孤児院の門を抜け建物に近づこうとした時、正面の扉が突然開き、中から一人の青年が飛び出してきた。後を追うようにシスターらしき女性も出てくる。
「何しやがる!? このクソババア!」
「やかましい、カイト! この馬鹿息子が! 二度と敷居を跨ぐんじゃないよ!」
女性はそう叫ぶと、悪態づく青年カイトに向かって持っていた塩を投げつけた。
「ぐあ!? くそ! 頭固えな! 覚えてろよ!」
カイトは捨てゼリフを吐くと、一目散に駈け出してしまった。
この間、僅か十数秒。
レーヴェとミスティアはお互いの顔を見合わせて固まっていた。
「まったく! なんて親不孝者だろうね。……おや? 客人かい?」
憤然としていたシスターはレーヴェ達に気がつくと、塩のついた手を叩いてニコリと笑った。それにつられてレーヴェの時も動き出す。
「あ、え~と。俺はレーヴェ。こっちはミスティアと言います。お取り込み中でしたか? シスター……」
「シスターマリエルだ。恥ずかしい所を見せたね。まあ、立ち話もなんだ。中へお入り」
マリエルはそう言うとレーヴェ達を中へ案内した。
孤児院の玄関口を左に曲がった所にある応接間に通される。応接間と言っても最低限の調度品しかなく、中は至って質素だ。レーヴェ達はソファーの一つに腰をかけた。
「さっきのはカイトっていって、元々この孤児院の出身でね。『俺がこの孤児院を救ってやる』とか息巻いてね」
マリエルは手慣れた様子でお茶を淹れながら話す。
「ドチック商会なんかに入って何をするのかと思えば『この孤児院を高く売ればいい』とか抜かして、まったく」
丁寧な動作でレーヴェとミスティアの前にお茶を置くと、マリエルは二人の正面にある椅子に腰を下ろした。そのまま5分ほど世間話に興じた後、マリエルが話を本題に移してきた。
「それで、今日は一体何のご用で?」
マリエルの問いにレーヴェは少し目を伏せて考えたが、やがて顔をしっかりと見据えて言った。
「実は、この孤児院に人を訪ねてきたんです。ここにヴァンドールという人はいませんか?」
レーヴェがその質問をすると、マリエルの目が一瞬大きくなった。マリエルはレーヴェとミスティアの顔を覗き込むように見た後、両手を組んで話し始めた。
「坊っちゃんたちは、あの子の何なんだい?」
「古くからの……友人です」
レーヴェは友人と答えたものの、今のヴァンドールの姿も人となりも全く知らない。なにせ千年前は互いに武器で意思の疎通などしたことがない。
レーヴェの答えを聞いたマリエルは椅子の背もたれに寄り掛かると、ゆっくりと話し始めた。
「この二年間で初めてさ、誰かが彼女に会いに来たのは」
(彼女……ね……)
レーヴェは話を聞きながら情報を整理していく。
「今から二年前、貧民街の路地裏で倒れてた。『お腹が空きました~』なんて言ってね」
「何か、どこかの誰かさんみたいね」
「言うな」
レーヴェは少し顔を赤くして言った。
「まあ、若い身空で行く当ても無いのは不憫だと思ってね。知り合いもいないと言うし」
「それでこの孤児院でお世話になっているんですか?」
「手伝いをしてもらいながらね。今は礼拝堂で子供たち相手に話をしてるんじゃないか?」
マリエルは腰を上げると礼拝堂に向かって歩き出した。
「ついておいで」
応接間を出て礼拝堂へと向かう。ちょうど玄関の真正面にある部屋、その奥に目的の人物はいた。
身長はレーヴェよりも少し低いだろうか。目鼻立ちは整っており控え目に言っても美人だ。ゆったりとした涼やかな服装をしているため分かりにくいが、伸びている手足は細い印象を与える。金色の髪はウェーブがかかってフワフワとしており、背中まで伸びている。そして何よりも特徴的なのは髪の合間から見えるキツネの耳とお尻に生えた尻尾だろう。ワーフォックスと呼ばれる亜人の姿がそこにはあった。
「ふわ姉ちゃん、お話してー! 聖女さまのお話ー!」
「あらあら、まあまあ。聖女様のお話好きね~」
話をせがむ子供の頭を優しく撫でている。レーヴェ達が近づくと視線を向けて会釈をした。
「ドール。アンタに客だよ」
「ヴァンドール」
レーヴェはそう言うと背負っているレーヴァテインの柄を見せる。それだけで察したのか、ヴァンドールのボーっとした顔がパッと明るくなる。
「あらあら、まあまあ。もしかしてレーヴァテインなの~?」
「ああ」
「久しぶり~? それとも、初めまして~?」
「なんか……変な挨拶ね」
レーヴェ、ミスティア、ドールの三人は軽く自己紹介をした。シスターマリエルはその自己紹介を見届けた後、子供たちと一緒に洗濯物を干しに中庭へと行ってしまった。
三人の会話は少し秘密の部分に入っていった。
「それにしても~不思議よね~」
ドールは首を捻りながら言った。ドールもレーヴェと同じく、ある日突然人間になっていたようだ。まあ、正確には亜人だが。
「何をしたらいいか~分からないから~」
「だからってお前、怪盗しなくてもいいだろう」
「マニフィックのマネ~。変装は得意なのよ~」
人間になって何をしたらいいか分からない。とりあえず目の前に困っている人達もいる。では千年前に持ち主がやっていたことを自分もやってみよう。そういうことらしい。
「それにしても、千年前の英雄が怪盗やってたなんて驚きね……」
ミスティアは複雑そうな顔をしている。英雄の表裏というものであろうか。仮にも騎士団長として名を残した人物の所業とは思えない。
(多分、ドゥエインも知らなかったな……)
レーヴェはそう思った。そんな面白い話を知っていたら、絶対自分に話しただろうと想像がついたからだ。レーヴェの中にあるマニフィックの思い出と言えば、大体ドゥエインに文句を言っている場面しかない。まあ、適当男の代表であるドゥエインと規律正しい騎士のマニフィックとでは反りが合わないのも無理ないことであった。
「それで? お前はこれからどうするんだ、ドール?」
レーヴェが尋ねると、ドールは顎に人差し指を当て体を左右に揺らしながら考える。やがて考えがまとまったのか、体の動きを止めて答えた。
「やっぱり他の皆のことも気になるわ~」
「そうか。じゃあ一緒に行くか?」
「そうね~。後始末をしたら行こうかな~?」
「どうも会話が間延びするわねえ」
後始末という言葉が気になったが、レーヴェは三日後に旅立つことを約束づけたのだった。
その頃、怪盗騒ぎから一夜明けたドチック邸では主のドチックが怒り狂っていた。大事な契約関連の書類を盗まれたことが分かったからである。
「まったく騎士団の連中め! 役に立たんわい!」
そう言いながら、机の上に置いてある物をなぎ倒す。肉の付き過ぎた顔が真っ赤である。
少しすると落ち着いたのか、逆に顔を青くしながらソファーに座った。
「いや、マズイ。あれが表に出たらワシは破滅だ……」
しばらくの間、ソファーに座って考えていると部屋のドアがノックされる。
「誰か!?」
「ドチックさん。僕です。カイトです」
カイトが怖ず怖ずと部屋の中に入ってきた。そしてドチックの前まで来ると、膝をついて頭を下げた。
「すいません、ドチックさん。孤児院の件なんですが……どうしてもシスターが首を縦に振らなくて」
「まったく……まったく、どいつもこいつも」
ドチックは兼ねてより貧民街の土地の買収に動いていた。買った土地を区画整理して商いに使おうと思っていたからである。もちろん貧民たちには退いてもらう。大概の所は買収済みであるが、唯一、孤児院だけが首を縦に振らない。貧民街のど真ん中にある、しかも聖女教の孤児院だけに中々始末に悪い。ドチックの悩みのタネであった。
(孤児院の出身者を使えば上手くいくと思ったが……使えん小僧だ)
ドチックは心の中で舌打ちした。
「でも! でも僕、とっておきの情報を持ってきたんです!」
カイトは顔を上げて訴える。
「何だ、情報とは?」
「じ、実はウチの孤児院に二年くらい前から住んでる人がいるんですが……」
「それで? 要点は簡潔に言え!」
「えっと、その人が怪盗じゃないかと……。以前、夜な夜な荷物抱えて戻ってくるところを見たので」
カイトの言葉を聞いたドチックは即座に頭をフル回転させた。
(嘘か真か。そんなことはどうだって良い。上手くすれば二つの悩みが同時に解決するかも……)
しばらく部屋の中をウロついた後、良い案が浮かんだのかドチックはカイトに笑顔で言った。
「カイト君。君は優秀だ。実に優秀だ。そんな君に、一つお願いしたいことがある」