第一話 魔力操作(マナドライブ)の青年
クラヴィア山――
ドゥエインによってレーヴェが安置されたこの山は、メルクリア王国の西の果てに位置する。急峻な山で周囲はオスロの森という深い森に囲まれており、おおよそ人の歩くような道はない。また冬ともなると辺りは深い雪に覆われ、人は容易には近付けなくなる。魔剣を隠すには、まさにうってつけの場所であった。
当然のことだが、寒さ厳しいクラヴィア山にも春は来る。暖かい日差しを受けて雪は解け、森では春の到来を待ちわびたかのように小鳥が飛び囀る。
レーヴェがふと目を覚ましたのも、そんな麗らかな春の日のことであった。
(あれから一体どれほどの年月が経ったのだろうか?)
レーヴェはゆっくりと周囲を見渡す。
洞窟内は十分に光が届かないせいか、薄暗くジメジメしてカビ臭い。遠くの方で鳥の鳴く声や雪が解けて崩れ落ちる音がする。
(春が来たのか)
そう思ったレーヴェであったが、すぐに奇妙なことに気がついた。
自分の目の前に剣が一本突き刺さっている。
剣身は漆黒のように暗く、その柄には碧い玉がはまっている。
レーヴェはその剣のことをよく知っていた。
それは魔剣レーヴァテイン――
彼自身であった。
「は?」
レーヴェは慌てて自分の体を確認する。
胴体があり、そこから二本ずつ手足が生えている。
言うまでもなく人の体。
黒い髪に碧い瞳を持った青年の姿がそこにはあった。
ご丁寧にも服や履物まで身につけており、裸で外を出歩かずに済むようだ。
「人間になってる」
レーヴェはしばし呆然としていたが、やがてその場でしゃがんだりジャンプしたり手をバタつかせたりして体の感触を確かめ始めた。
(自分の意思で体が動くというのは存外楽しいものだな)
一通り確かめ終わると今度は目の前の剣――
かつての彼自身を引き抜き試し振りをする。剣は思っていた以上に手になじみ、振ることに苦労は感じなかった。『力』も問題なく使えるようだ。
「とりあえず外に出るか」
動作確認に満足したレーヴェは近くに立てかけてあった鞘に剣をしまい、鞘のベルトを胸にかけて背負う。
(何故、俺は人の姿になったのだろうか?)
そんなことを考えながらレーヴェは洞窟を後にした。
洞窟の外は快晴であった。暖かい光が降り注ぎ、花の香りを含んだ風がレーヴェの頬をくすぐる。
レーヴェは気持ちよさそうに伸びをすると、辺りを見渡した。
「当然、人里なんか見えないよな」
周囲はレーヴェが眠った時と変わらず、深い森に覆われている。ドゥエインがそういう場所を選んだのだから仕方がない。
(あれから何年経ったかは分からないが、地形はそう大きく変わるまい)
レーヴェは軽くため息をつくと、かつて町があった方角へ向けて歩き始めた。
クラヴィア山を降り、オスロの森を歩いていく。
森の中は高い木々に日光が遮られ、昼間だというのに少し暗い。地面は解け残った雪のせいで所々白くなっている。
レーヴェはあえて雪の上を歩き感触を確かめた。踏みしめられた雪が、ギュッ! と音を立てて潰れる。
(なかなかどうして面白い)
かつてドゥエインと旅をした時は自分で歩くことなどなかった。剣の身なので当然である。それがどういう訳か、今は人の姿となり歩く感触を楽しむことができる。この一事だけを取ってみても人の姿になれて良かった、とレーヴェには思えた。
ところが歩き始めて三時間ほど経つと、レーヴェはその考えが甘かったことに気付かされた。
体は少し倦怠感を帯び、額にはうっすらと汗が浮かぶ。
体の中からは不思議な音が鳴り響き、その度に不快感が湧き上がる。
「これが空腹というものか」
レーヴェは辟易していた。剣であった時は、たまに魔力を補給すれば良かったが人の身ではそうもいかない。レーヴェは人の代謝というものに不便を感じた。それと同時に自分が本当に人になったという事実を改めて思い知った。
さらにそれから一時間
いい加減疲れたレーヴェが木陰で休息を取っていた――
その時であった。
「ちょっとアンタ達、何のマネよ!?」
少し離れた所で女性の叫び声が聞こえた。
(争いごとか?)
レーヴェはすぐに立ち上がると声のした方へ駆けだした。
体は相変わらず空腹を訴えるがレーヴェは無視して走り続ける。時折、背負っている剣を小枝にぶつけそうになりながらも近づく。
五分ほどすると、様子が見えてきた。
声を上げた女性は少女であった。歳は十五、六くらいであろうか。肩まで伸びた亜麻色の髪を振り乱しながら懸命に走っている。走る度に肩に掛けた鞄や腰に差した剣がカチャカチャと音を立てる。身なりから察するに卑しい身分には見えなかった。
一方、その少女を追いかける男が三人。こちらは見るからにならず者といった格好で、使い古されたボロボロの服を着ており、その腰には剣や斧が差さっていた。
(まるで獲物を追い回す肉食獣のようだな)
レーヴェにはそう感じた。
しかし、そんなことを考えている内に少女が木の根に躓いて転んだ。
もはや一刻の猶予もない。
レーヴェはすぐさま飛び出した。
「なんだ、テメエは!?」
三人のうち緑の頭巾をした男が叫ぶ。どうやらこの男がリーダーのようだ。
「女の子一人に、大の男三人が寄ってたかっては無いんじゃないか?」
激昂する男とは対照的に、レーヴェは落ち着きを払って答える。
かつてドゥエインが似たようなセリフをよく言っていたが、いざ自分で言うと意外と恥ずかしい。
言ってからレーヴェは後悔した。
「えっ? 何? 誰?」
少女は今一つ状況が飲み込めない様子であった。突然の乱入者にどう対応したらいいのか分からない、といった感じだ。
「小僧が! 邪魔をすればお前も殺す!」
邪魔された男達は憤懣やるかたない。腰に帯びていた武器を抜くと、レーヴェに向かって凄んだ。
(結局、こうなるか……)
レーヴェは黙って背中の剣を抜き構えた。女の子は固唾を飲んで見守っている。
「やっちまえ!!」
リーダー格の男がそう叫ぶと、手下の男二人がレーヴェに襲いかかる。
(大振りしすぎだ)
レーヴェは軽くバックステップをして攻撃をかわすと、すぐさま踏み込み、体勢が整わぬ男の横っ面を剣の腹で叩いた。
「がっ!?」
顔面を強かに打ちつけられた男はもんどりうって地面に転がる。もう一人の男は子供だと侮っていたレーヴェの動きに驚いたのか、目を見開いたまま硬直している。
「迂闊だな!」
その隙を逃さず、さらに踏み込んだレーヴェは低い姿勢のまま相手の懐に潜り込み、そのまま顎をかち上げた。
「ぐっ!?」
低く悲鳴を上げた男は顔を抑えてその場にうずくまった。
剣の腹で叩いているとはいえ、振っている物は鉄の塊である。
骨折は免れない。
「うっわ! 凄い!」
少女は感嘆の声を上げる。自分と大して変わらない歳の青年が大人相手に立ち回っていることに素直に驚いているようだ。
「ちっ! 見た目以上の手練じゃねえか」
リーダー格の男は地面に転がっている手下を一瞥すると、レーヴェから距離を取り始めた。
(逃げるのか?)
そう思ったレーヴェは挑発を試みた。
「手下を置いて逃げるのか? 回収していけよ」
「ほざけ小僧! 世の中にはな、剣術だけじゃ勝てねえ相手がいるってことを教えてやるぜ!」
そう怒鳴ると男は持っていた剣で宙に円を描き、呪文を唱え始めた。
レーヴェには何をしているのか、よく分からない。
(何のマネだ?)
「魔法よ!」
訝しんでいたレーヴェの後ろから少女が叫ぶ。
「魔法……だって!?」
レーヴェは思わず少女の方を見た。
少女の言うことは、レーヴェの常識ではありえないことであった。
(馬鹿な……。人間が魔剣もなしに魔法を使うなんて……)
だがレーヴェの考えは、すぐに改めさせられた。
「喰らえ! 『炎上魔弾』!!」
男がそう叫ぶと描いた円が燃え上がり、そこから炎をまとった玉がレーヴェ目がけて飛び出した。
(成程……確かに魔法だ)
レーヴェは驚いたと言うよりも感心した。
いつの間に人間は魔法が使えるようになったのか、と。
「お願い! 逃げて!」
少女の叫びは悲鳴に変わっていた。
今、避けたら魔法は少女に当たるだろう――
そう思ったレーヴェは、剣を構えて意識を集中した。
「馬鹿め! 剣で魔法が斬れるか!」
勝利を確信した男は、ほくそ笑んでいる。
男の言う通り、剣で魔法は斬れない。
普通の剣ならば、だ。
「『魔力反射』!」
レーヴェはそう叫びながら飛んできた炎の玉を剣で叩き、弾き返した。
炎の玉は一直線に魔法を放った男へと飛んでいく。
「は!? んな、馬鹿な!?」
驚愕した男の悲鳴は
ドグオオォォォン!!
という爆発音に飲み込まれた。
男の体は爆発で高々と吹き飛び、木の上に引っかかった。
仮に生きていたとしても大火傷は免れないだろう。
「ば、化け物だ! 逃げろ!」
先程まで地面で唸っていた手下二人は、リーダー格の男を放って逃げだした。
「回収していけよ、まったく……。 大丈夫か?」
レーヴェは剣を鞘に収めると、少女に声をかけた。
少女は腰を抜かしたまま目をパチクリさせて硬直している。
「おーい! 大丈夫か?」
レーヴェが再度声をかけると少女は我に返ったのか、立ち上がって衣服のホコリを手で払った。そして一度深呼吸をした後、レーヴェの方に向き直った。
「あ、ありがとう。お陰で助かったわ。それにしても、今のは……何?」
「ん? 今のって?」
レーヴェは惚けて見せた。やむを得ないとは言え、力を使ったのは少し軽率だったかもしれない。
そう思ったからだ。
「今の! 剣で魔法を跳ね返したやつよ!」
少女は当然の反応をする。どうにも誤魔化せそうにない。
レーヴェは観念した。
「今のは俺の……この剣の力『魔力操作』だ」
「ふーん、剣の力ねえ……」
そう言うと少女は剣を繁繁と見つめながら、レーヴェの周りをウロウロし始めた。
しばらくして納得したのか、レーヴェに向き直り自己紹介を始めた。
「そう言えば自己紹介がまだだったわね。私の名前はミスティア。あなたは?」
「俺はレーヴァ……レーヴェ。俺の名前はレーヴェだ」
レーヴェはかつて相棒が呼んだ名を口にした。