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中編

 十二月に入り、本格的な冬が到来した。年の瀬が迫っているということもあり、人々は忙しなさそうに動いている。

 同時に、街の雰囲気はがらりと変わった。街路樹を彩るイルミネーション。ショーウィンドウに飾られた赤と緑のプレゼントボックス。どこもかしこも、見事にクリスマス一色である。

「やっぱりクリスマス時期の週末は、どこも人多いね」

「そッスね」

 あれから一週間後の土曜日。わたしは再び彼の記憶探しに同行した。現段階で有力な手掛かりが何もないため、とりあえず、視覚的にも聴覚的にも賑やかな繁華街から探索を進めてみる。

 人混みの中を行ったり来たり。人や物にぶつからないように気を配りながら通りを歩く。はぐれないようにと、彼との距離を注視してみたけれど、それはまったくの杞憂だった。

 彼には、人混みなんて関係ない。いくら人が、物が、行く手を阻んでいようとも、それらをすり抜けて進むことができるのだから。

 初見時は、飛んでいきそうな心臓を必死に掴んでなんとか平静を装ったが、すぐに耐性がついた。慣れというのは、本当に恐ろしいものである。

「どう? なにか見覚えのある建物とか場所とかある?」

「……いや、なんも」

「そっか。……今はどこもクリスマスムードで雰囲気変わっちゃってるから、繁華街とかは逆にわかりづらかったかな」

「あー……」

 繁華街での探索は、またもや空振りに終わった。記憶探しというのは、やはり一筋縄ではいかないようだ。

 彼の風貌以外、まったくヒントのないこの状況。一番厳しいのは、〝人に聞けない〟ということだろうか。写真や所持品など、何か形のある(触ることのできる)ものがあればいいとは思うが、いかんせん〝幽霊〟なので仕方がない。

「ほんと、すんません。あとはオレ一人で探すんで、ベニさんはもう家に帰っててください。人多いし、寒いから」

「ううん、大丈夫。もし、誰かに話聞きたいってなったり、何かを手に取りたいってなったとき、わたしがいたら役に立てるでしょ? まだ二人で探し始めて二回目なんだし……ゆっくりいこう?」

「ベニさん……」

 彼の記憶探しに付き合うことを、億劫だと思ったことはない。他人からはもちろん理解してもらえないし、自分自身不思議だとも感じるけれど、これが本心なのだ。

 彼の記憶が見つかるかどうかはわからない。見つかったあと、どうなるかもわからない。でも、彼が今、記憶を探したいと望んでいるのなら、それを叶える手伝いをしてあげたい。

「この辺りの探索はこれくらいにするとして、次どこ行くか、だよね。手掛かりは外見だけだし……うーん……」

「ベニさんって何歳なんスか?」

「え?」

「あっ! いや、その……女の人に年齢聞くとかアレな感じスけど、たぶんオレより年上かなって……だから、なんか参考になるかと思って……すんません」

 突然、彼がわたしの年齢を尋ねてきた。が、わたしからの返答を聞く前に、がっくりと頭を落としてしまったのだ。まるで、悪いことをしてしまった犬が、耳を伏せるように。

 けれど、彼の意図は十分に理解できる。手掛かりが極端に少ないこの状況で、比較できるものがあれば比較するのは当然のことだ。

「気にしなくていいよ。二十五歳だから、たぶん君より五歳くらい上……かな」

 黒い薄手の革ジャンにジーンズ。これらの服装から判断するに、彼はおそらく高校生……よりも上だろう。ジーンズは見当がつかないが、革ジャンのほうは、きっと桁が一桁違う。もしかすると、ライダースジャケットと言われる類いのものかもしれない。

「オレ、成人してんのかな」

「うーん……してるって言われたらそうかなって思うし、まだ十代って言われたらそう見えるし」

 社会人か学生か……非常に悩ましいところではある。けれど、一週間前の自身の直感に従い、わたしは彼を学生だと仮定することにした。

 そうすれば、次に赴くべき新たな場所が見えてくる。

「ちょっと電車で移動しようか?」

 次に目指すは、いわゆる学生街。

 大学や学生アパートなどが数多くあるあの地域なら、何か手掛かりになるようなものが見つかるかもしれない。希望的観測に過ぎないが、今は行動あるのみだ。

 電車での所要時間は、およそニ十分。賑やかだった場景はがらりと一転し、そこには閑静な街並みが広がっていた。クリスマスムードが高まっているとはいえ、それでもかなり落ち着いている。

 丁寧に敷き詰められた洒落た石畳。学生街として整備されているだけあって、歩道の隅々まで(こま)やかな配慮がなされているように感じられる。歩きやすいし、見渡しやすい。これは、自分が学生のときも感じていたことだった。

「懐かしいなー」

「ベニさん、この辺詳しいんスか?」

「うん。わたしが卒業した大学、この近くなの」

「へー」

 約三年前までの四年間。わたしは、ここから数分のところに位置する大学に通っていた。生まれて初めて妹と離れて過ごし、榊さんと出会った思い出の場所。

「卒業してから全然来てなかったんだけどね。図書館でバイトしたり、お気に入りのカフェで友だちとお茶したり……楽しかったなー」

 卒業し、前の職場に就職してからは、毎日が怒涛のように過ぎていった。大学時代の四年間が、まるで儚い夢のように。

 帰宅時間は深夜を回り、朝早くから出社する。睡眠時間は日に日に削られ、体重も激減した。そんな状態でまともに仕事などこなせるはずもなく、心身ともにボロボロになった。

 どうしてあんなふうになってしまったのか。会社のせい。周りのせい。どちらも完全に否定することはできないけど、一番は自分のせいだ。

 ちゃんと自分の意見を口にできていれば、周りの目を気にせずにいれば、もう少し、何かが変わっていたかもしれない。……今さら後悔したところで、どうにかなるものでもないけれど。

「ベニさん」

「……え? あっ、ごめんね。ちょっと考え事して——」

「あの角曲がったとこに、図書館ありますよね」

「え? うん。わたし、そこでバイトしてたの」

「その先に、大学ありますよね」

「ある、けど……あっ、ちょっ——」

 言うやいなや、彼は猛スピードで移動していった。街路樹を、歩行者を、店先の大きなサンタの人形をすべて突っ切り、浮遊したまま進んでいく。慌てて後を追いかけるも、とてもじゃないけど追いつけない。

 ブーツの踵を鳴らしながら全力疾走するわたしを、街の学生たちは奇異な目で見ていた。無理もない。逆の立場なら、わたしも彼らと同じ反応をしただろう。

「はあ……はあ……っ……」

 息を切らして彼のもとへと近づく。彼は、大学の正門前で、静かに佇んでいた。

「はあ……っ……なに、か……思い出し、た……?」

 がくがくと笑う両膝を押さえ、どうにかこれだけを絞り出す。彼は、門の外から、真剣な眼差しでじっとキャンパスを見つめていた。

「ここ、俺が通ってる大学」

「えっ……」

 彼が漏らした言葉に驚いた。とにかく驚いた。

 なぜなら、そこはわたしの母校だったからだ。

「見覚えある。あっちの、図書館も。……たぶん、よく通ってた」

 何か——おそらく彼の奥底に眠る記憶——をなぞるように、途切れ途切れに語る。声に出すことで、記憶を、それに伴う感情を、整理しているようにも見て取れた。

 わたしの仮説は正しかった。やっぱり、彼は大学生だった。……まさか、ここの学生だとは思わなかったけれど。

「後輩だったんだ」

「……え?」

「わたし、ここの卒業生なの。だから、後輩だね」

 軽く目を見開いた彼に、そっと笑みを投げかける。彼も同様に驚いているようだった。『偶然』という一言で片づけるには、あまりに不思議な縁。もちろん衝撃も大きかったが、それ以上に喜びのほうが(まさ)っていた。

 わずかに、でも、確かに見えた希望の兆し。

「良かったね。これで一つ手掛かりが見つかっ——」

 そう、

「……っ!?」

 思っていたのに。

 刹那。彼に向かって、とっさに腕を伸ばす。触れるなんて、触ろうなんて、思っていない。ただ空を切るだけだとわかっていた。でも、それでも、伸ばしてしまったのだ。

「ベニさん?」

 怪訝そうな面持ちで、彼がわたしの名前を呼ぶ。これに対し、なんでもないと首を振り、謝ってはみたものの、体の内側で激しく響く動悸が収まることはなかった。

 ——彼の体が、薄くなっている。一瞬前までは、はっきりと見えていたのに。

「カフェで、何か飲んでもいい? ……ちょっと、喉渇いちゃった」

「あっ、はい。もちろん」

 彼には言わなかった。なんとなく、言ってはいけない気がした。ようやく一歩前進できたのだ。悲観的なことは、言いたくない。

 心を落ち着けるためにも、わたしはカフェへと足を運ぶことにした。学生時代、よく友だちと通っていたお店。学生たちの憩いの場で、とにかくケーキが美味しいお店だった。

 太陽が、しだいしだいに西へと傾く。辺りはほとんどが日陰になっていた。冬の昼間は、本当に短い。

 大学から徒歩三分。喫茶店は、同じ場所で同じように営業していた。ドアにクリスマスリースが掛けられている以外は、あの頃とちっとも変わらない外観。たったそれだけで、なぜだかひどく安心した。

 それなのに。

「!?」

 次の瞬間、わたしは頭を鈍器で殴られたような衝撃に見舞われた。目の前がぐにゃりと歪み、暗くなる。

「あれ? あそこに座ってるの、たしか妹さんッスよね……ってベニさん!?」

 彼の言葉が耳に触れたが、わたしは一目散に駆け出した。一分一秒でも早く、この場から立ち去りたかった。

 入り口の横。窓ガラス越しに視界に入ってきたのは、妹——碧羽の姿だった。とってもとっても楽しそうに話す、とってもとっても麗しい姿。

 妹は一人じゃなかった。こちらからは後ろ姿しか確認することができなかったが、あれは間違いなく榊さんだ。

 思うように走ることができない自身の体を呪いたかった。それでも走って走って走って……わたしは、駅に隣接した大きな広場へと行き着いた。

 広場の中央には、巨大なクリスマスツリー。まだ少し時間が早いため、青と白のイルミネーションは点灯していない。人もほとんどいなかった。

 おぼつかない足取りでツリーのほうへと向かう。やっとのことで辿り着き、その下に設置されたベンチに崩れるように座り込んだ。

「……ベニさん」

 わたしを追いかけてきてくれた彼。顔を上げることができなかったため、表情はわからないけれど、声には憂色がありありと反映されていた。

 二週続けて彼に気を遣わせてしまうなんて……情けない。

「妹さんと、うまくいってないんスか?」

「……うまくいってない……っていうか、わたしが一方的に避けてるっていうか……」

 けっして面白いとは……耳障りがいいとは言えない話。それは、彼も重々承知してくれていたはず。

「オレが聞いてもいい話なら、話してください。もし話して、ベニさんが少しでも楽になれるんなら」

 にもかかわらず、彼はこう言ってくれた。本当に、どこまで優しい子なんだろう。

 自身の今までの言動を恥じるように深呼吸する。そうして一呼吸置いた後、わたしは、ここ数ヶ月のあいだに起こった出来事をゆっくりと吐露していった。

「わたしね、大学時代からずっと憧れてる人がいるの。今の勤め先の所長さんなんだけど……何度も何度も助けてもらって、本当に素敵な人で……その人、今妹と付き合ってるんだ」

「もしかして、さっき妹さんと一緒にいた人ッスか? 顔はよく見えなかったけど」

「うん。夏に三人でご飯食べる機会があったんだけど、そのときに、彼がアオに一目惚れしたらしくて……。十月に、付き合うようになったみたい」

 わたしが榊さんの事務所に雇われるようになってすぐの頃、彼に夕食を誘われた。ちょうど同時刻に妹との先約が入っていたため、彼にそれを告げると、せっかくだから三人で食べようという話になったのだ。それが、きっかけだった。

「アオは、わたしに憧れの人がいるってことは知ってたけど、それが彼だとは知らなかったの。誰にも、言ってなかったから。……でも、言ってても言ってなくても、関係なかったかも。彼はきっと……ううん、彼だけじゃない。きっとみんな、アオといるほうが楽しいもの」

 勉強しか取り柄がなかったわたしとは対照的に、妹はなんでも器用にこなしていた。交友関係も幅広かったし、嫌いだという勉強でもそこそこ良い成績を残していた。

 高校卒業後は専門学校へと進学し、現在はスタイリストとして働いている。一緒に仕事をするのは、モデルや女優といった華やかな人たちばかりだが、その中でも見劣りしないくらい妹は美人だ。

 双子なのに、こんなにも違う。

「前の会社に勤めてたとき、わたし、過労で体壊しちゃったのね。そしたら、わたしなんかよりもアオのほうが、はるかに怒っちゃって」


 ——なんでベニばっかりそんな働かなきゃいけないの? ほかの人たちはもっと早く帰れてるんでしょ? おかしいじゃん! ベニが会社に言えないなら、アタシが代わりに言ってあげる! アタシの大事なお姉ちゃん、なんだと思ってるの!?


 あのときは、妹を宥めるのに苦労した。結局、わたしが退職するという形で納得してもらったけれど、それでもしばらくは怒りが収まらなかったようだ。

 自分の意見はしっかりと持ち、大事な場面では相手が誰であろうとはっきり物申す。わたしは、そんな妹が羨ましかった。……今でも。

「アオみたいになれたらなって、ずっと思ってた。わたしはわたし、アオはアオって、割り切ろうと頑張ってみたけど……彼がアオと付き合うようになったって聞いて、ああやっぱりって……」

 やっぱりみんな、アオがいい。

 憧れか好きか……そんな気持ちの境界もわからずにいる自分が、こんなふうに投げやりになるなんて馬鹿げてる。自分は、妹と同じ土俵にすら立っていないのに。

 二人が付き合うようになって以降、自分の中のドロドロとした部分が急激に(かさ)を増した。自身の醜さを目の当たりにし、ますます自分が嫌になった。

「彼がわたしの憧れの人だって知って、アオのほうも、なんだかぎこちなくなって。たぶん、罪悪感があるんだと思う。アオは全然悪くないのに。……わたしが、もっと上手に振る舞えてたら……」

 ここまで言うと、わたしは肩を落として俯いた。顔を覆った両手は震え、声を出すことさえできなくなった。ぐっと噛み締めた奥歯。暗く寒い闇に、このまま呑み込まれてしまいそうだ。

 そのときだった。

「なんで、そんな自分を貶すような言い方ばっかするんスか? ベニさん、べつに悪くないじゃないスか」

 これまで黙ってわたしの話に耳を傾けてくれていた彼が、ようやく口を開いた。少し気が立っているのだろうか。心なしか、語調が強い。

「妹さんとその人が付き合うようになったのは、その……オレがとやかく言えることじゃないスけど、でもベニさんが悪いからじゃない。その人のことも、妹さんとのことも、前の会社のことだって、ベニさんのせいなんかじゃない。全部自分が悪いって考え方は、間違ってる」

 彼の真剣さに全身を揺さぶられ、わたしは顔を上げた。相変わらず彼の体は薄いままだが、その眼差しがわたしの双眸をまっすぐに射抜く。

 きらきらと、煌めきを放ちながら。

「オレはベニさんに救われた。オレの存在に気づいてくれたのは、オレの声を聞いてくれたのは、オレの記憶を一緒に探してくれたのは、ベニさんだけなんです。その優しさまで否定するような言い方は、しないでください。……ベニさんに出会えたこと、オレは心の底から感謝してるんです」

 わたしの中に滴下された彼の言葉。それは幾重にも波紋を広げ、熱を帯びながら、心奥までじわりじわりと浸透していった。冴えた空気を吸い込んだ肺が、胸が、締めつけられるように苦しい。

 息が、詰まりそうだ。

「……っ……ありがとう……」

 震える唇。絞り出した声。

 濡れた頬を撫でる、冷たい風。

 込み上げる想いが、絶え間なく押し寄せてくる。コールタールみたいにドロドロだった感情は粘り気を失い、褐色だったそれは徐々に明度を増していった。


 広場を照らすイルミネーション。瞳の中に優しく溶け込んだ青と白は、まるで星屑のように瞬いていた。

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